ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2019-106 一見の価値あり、倉本聰の世界展

2019年11月27日 | 日記
 今、マリオスにて倉本聰の世界展が公開されている。

上旬、本人の講演会があった。その日は混み合いそうなので
後で行った次第。

細かい点描がとそれに添えられた詩が味わい深かった。

北国に生きる我らにとって共感できる詩が多々あった。

 秋

秋は木々たちの祭りの季節
老いも若きも
各々の絵の具でその葉を染め上げる
その祭典の終わりを告げるのは
森に舞い始める冬の使者 雪虫
木々は色彩を大地に放つ

 灯

雪の山中 山あいに灯が一つ
時代にはじき出された
昭和の落武者の涙

 輪廻

一本の楡の木がたおれ朽ち果てても
一頭の牡鹿が死んでも
時は昨日と同じようにめぐる
地上でもそして土の中でも

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2019-105 ある青年の死

2019年11月25日 | 日記
所属する合唱団のピアノ伴奏者の息子さんが28歳という若さで亡くなった。

ここ数日、危篤状態が続いていたのだった。

息子さんは高校卒業し、専門学校に通っていた頃に突然発病らしい。
なんとか学校は修了し1年ぐらい勤務したあと療養生活に。
20歳過ぎの前途洋々たる若者へ襲った脳腫瘍という病魔。

それから数年間の闘病生活と家族の親身な介護。

この1年は脳腫瘍が脳を圧迫して次第と視力がなくなり
言語が発せられなくなったという。
それでも人を思いやる優しい息子さんだったとか

亡くなったというお知らせをきいてその前夜式礼拝に参列。

賛美歌493番 <星の世界>を歌い
聖書の中からヨハネによる福音書5章を牧師がとかれた。

ベトザタという池の周りに病気の人たちが大勢横たわっていた。
その中には38年間病気で苦しんでいる人がいた。イエスはその人に声がけをした。
病人は誰も私を池の中に入れてくれる人がいないのですと嘆いたのだった。
池に入ると病気が治ると言われていたのだった。
イエスは、起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。といわれたのだった。
そのひとはすぐよくなって歩き出した。

という1-9節を紹介したのだった。

息子さんは家族愛に見守られ穏やかな表情をしていた。
母親は嗚咽をかみ殺しながら
最期に最愛の息子に別れの曲を自ら奏で送り出したのだった。
参列しながら切なくなった。

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2019-104 心にしみる歌 「いのち」

2019年11月24日 | 日記
市の芸術祭が先日あった。

所属の合唱団ではゾウ列車レパートリから3曲
そして数年前、宮城のうたごえ大会で作られた「いのち」を歌うこととなった。
数ヶ月練習に取り組んだ。
しかし発表3日前にピアノ伴奏者が突然参加できなくなってしまった。

そこで急遽、
ゾウ列車レパートリーは代役の伴奏者ですることができたが
「いのち」はアカペラで歌うこととなった。

当日の発表会。市の合唱団仲間からアカペラで歌った「いのち」がよかったと。
言葉が染みてきたとの感想が寄せられた。

ピアノがなく、アカペラで歌ったことにより歌の歌詞がストレートに伝わったのかと思った。

その歌詞を改めて紹介。

あけそめてゆく 広い空の下で
今日も新たな鼓動が聞こえる
疲れていてもあなたの笑顔見たくて私は今ここにいます。
明日への希望がもてず悩んでいるあなた
あなたは一人じゃない私たちがいるよ
いのち かけがえのない いのち守るべきもの

この世に生をうけやがて終えるその日まで
人間らしく生きてゆきたい
どうでもいい人なんて一人もいないよ
一人の尊厳が守られるよう
頑張らなくてもいい 自分らしくあればいい
たった一度の人生 共に共に生きよう

人と人との絆で私たちは生きている あなたを待っている人がいるよ
微笑むあなたの優しいまなざしは 生きる希望のあかりをともす
ありがとうといえる日を感じられるように
明日を信じながら 共に共に生きよう
命 かけがえのない 命 輝けるもの





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2019-103 東日本マスターズ大会 疲労困憊の2日目

2019年11月21日 | 日記
 初日は順調な滑り出しだった。

2日目の種目は200mフリー。

短水路なので4周泳ぐのだが

100までは順調だった。
ねんりんピックは短距離だったので
練習が最高でも150mまでしかしていなかったのだ。

3周までは体力がもったが
ラストの4周がつらくなっていた自分がいた。
足が重いのだ。どうにかゴールにたどり着いた。

記録を見ると他の選手はやはり4周目にラストスパートをかける余力を残している。
以前の自分もそうだった。見事にペース配分の失敗だった。

4種目目、午後の100mメドレー。
バッタとバックまでは順調な泳ぎだった。
落とし穴がまっていた。
次の平泳ぎがしんどい。足が重くて動かなかった。
前に進まない。いつもの半分。
最後のクロールも腕の力で泳いでいる気分だった。
力尽きた。まるでマラソンを走った後の疲労困憊と似ていた。

最後のフリーリレー。疲労もとれ楽しく泳げ、2位になった。

ねんりんピック直後の大会。練習不足もあり
4種目エントリーし完泳できたのは収穫だったが後半はガタガタ。
自分の限界を知った2日間のマスターズ大会だった。
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2019-102 イーハトーブ東日本大会、初日は順調

2019年11月20日 | 日記
昨日から大荒れの天気で初雪が降り、今朝は銀世界。
タイヤ交換がぎりぎり間に合った。

さて、この週末、水泳の東日本マスターズ大会があった。

参加者は900人と大規模である。

和歌山から帰って3日後だけに十分泳いでなく不安があった。

しかし初日の50mフリーでは春より1秒速く泳ぐことができた。

知人がビデオで記録。隣に同じ所属の自分より速い選手がいた。

見るとスタートから2,3m先を泳いでゴールまでその差は変わらなかった。

結局、スタートの飛び込みで差がついているということだ。

体幹と一点での入水ができるか、腹から落ちるかの違いなのだった。

午後から2種目目、

100mフリー。50mより飛び込みが上手くいった。

結果は今までの自己新の記録で総合3位になりメダルをもらうことができた。


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