ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2019-10 日本的スポーツ精神論

2019年01月27日 | 日記
大坂なおみが優勝した陰に
コーチやメンタル面を担当する人、栄養学など数人のチームの存在がある。
ある新聞に
日本ではスポーツ関係者によるパワハラ・体罰など問題になっている昨今
もっと外国のコーチングを学ぶべきだということが書かれていた。

先日のNHKの番組の中で
青学の駅伝の原監督が興味深い進言をしていた。

組織を強くする9つのキーワードの中で

ハイといい返事をする人間は伸びない。

教育現場ではすぐに返事を特に元気な返事を期待しがちである。
自分の頭でしっかり考えろということを指摘していた。

間髪おかずにはいっといえることは単なる条件反射で物事を考えていない。
考えていると遅くなるのだ。しかし元気な返事がいいことが現場ではまかり通っている。 

そして管理するのではなく感じろ。指導者へ

答えを出すな出るまで 待てということ

育てる観点から大事なことを示唆されており考えさせられた。




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2019-9 続日本のうたごえ祭典

2019年01月27日 | 日記
前回からの続き

テニスで大坂なおみが優勝
世界1の栄光を勝ち取った。しかも21歳ですごい快挙。

この試合をTVでの放映で2cの裏番組で観た。
このような番組があることを初めて知ったものだ。

さて日本うたごえ祭典。
楽しかったにつきた2日間だった。

休憩ではうたごえくを1時間半。
かつてうたごえではやりみんなで歌った「僕の飛行機」「まつり」「嵐」(TV)のものではない
などの曲をダンス付きで歌い踊ったりした。

夜には横井久美子、きたがわてつ、高橋勉、二本松はじめ
目の不自由な歌手でみんなの歌で歌われている原田義雄の曲などピースライブで夢の共演。

若き青春を取り戻した時間であった。

翌日はステージ発表。
午後からリハーサルをして望んだ。
結構しっかり歌い楽しむことができた。
他のサークルの歌を聴きながら歌の持つ連帯を感じたものだ。

71周年目は京都会場なそうだ。





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2019-8 1万人の合唱 日うた

2019年01月25日 | 日記
先週末 神奈川県川崎とどろきホールで
日本うたごえ祭典が開催された。

全国各地のうたごえサークルが参加。
開催セレモニーで沖縄の歌コーナーでは
沖縄の元名護市市長の稲嶺氏が指揮。1万人の力強い合唱が会場に響き渡った。

新パソコン購入した直後でネットがうまく機能できず中途になってしまいました。
(今、付け足ししています。)

うたごえ祭典が発足して70周年記念ということで
全国からたくさんの歌の仲間が集まりました。
19日、元NHKアナの村上氏の司会で
第1部はヒューマンフェスタ
命の歌、全国合同で~無言館を歌う、国際交流など
第2部は
ピースフェスタ
戦争から平和というのでぞう列車、沖縄の戦い
原発ゼロの福島の歌、核兵器も戦争もない世界へ

という内容で18時まで


その後ピースライブ。どっぷり歌に浸った1日でした。






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2019-7 横綱 稀勢の里引退

2019年01月18日 | 日記
稀勢の里32歳が遂に引退した。
2017年横綱になった直後の春場所、13日目に負傷
その後も出場し感動的な逆転優勝。
全国民が湧いた。

これは怪我をしながらも執念で勝ち仁王立ちした貴乃花と似ていた。

しかしその後は休場を余儀なくされ
たった2年で土俵を去ることにつながった。

2人の力士がここで途中休場して治療に専念していたなら
好きな相撲をもっと長く続けられていただろうにと残念に思えてならない。

国民の期待に応えなければという使命感だったのだろうか。
力士としての本能敵判断だったのだろうか。

自分自身、数年前に転倒し右肩のけんばんを痛めて治療に専念。
1年以上右肩を上げると痛さを伴い力が入らず
ボールを思うように投げられるまでに1年半も費やしたのだった。
特に寒い冬は疼痛で眠れないこともあった。

稀勢の里は左大胸筋の負傷から
最後まで怪我の前のようには回復しなかったと引退時に語っていた。

あの当時、誰もが強行出場で逆転優勝した稀勢の里を国民やマスコミは讃えていた。

ただの転倒の怪我で回復に1年6ヶ月も要した経験から
激しい格闘技の相撲をとり続けることが今後のことを考えた時、
大丈夫なのだろうかと疑問符を抱いた自分がいた。

状況判断し期待に応えない勇気を持って
怪我の治療に専念したならと思わずにはいられなかったのだった。










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2019-6  1月17日あの日から24年

2019年01月17日 | 日記

東日本大震災のあの3,11と同様に
忘れられないのがあの阪神大震災。
2つを体験しているだけに
あれから24年もたったのかという思いだ。
この間、数回 神戸を訪れかつて宿泊したホテルや周辺を歩いてみているのだが
復興スピードは都市型と地方の沿岸部の違いなのか全く違う。
8年過ぎようとしている今も
沿岸部の方の中には仮設住宅にすんでいる方もいるのだ。

阪神大震災を契機に生まれたボランテイア活動。

学生たちがボランティア活動をして交通費の支援がほしいという要望に
兵庫県が初の支給を決断したという。

あの3,11の時にボランティアで現地に入ったとき
全国各地から集まって片付けをしていたのには驚いたものだった。

このような支援を1つの自治体が決定したことは
大変意義あるものだ。

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