ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2024-31三寒四温

2024年02月29日 | 日記
一昨日の大雪、寒波から一転して今日は穏やかな1日。
春を告げる福寿草が黄色い小さな花を咲かせていた。

ガザではついに3万人が死亡。わずか5か月で。・・・
1日も早い停戦。そして人道支援が必要だ。
そんな重苦しい中で和ませるニュースの速報。大谷翔平さん結婚。
良かったですね。おめでとうございます!
野球一筋に集中できる環境が整いましたね。愛犬デコピンと共に。

再び国会の政倫審。野田議員は説得力がある。
裏金疑惑について、やった議員に対して重たい責任がある。
刑事罰もない。税も納めない、説明責任もとらない、党内処分もない、
これでは今後も同じ事をやるだろう。と
今後、党内処分と会計担当者と議員の連帯責任を決めた方がよい。と迫った
またパーテイ好きな総理に今後はやらないいうべきだと。
総理も今後の処分や連座制の検討をしたい。自身は在任中はパーティーはしないと表明。
他の議員は迫力にかける追及だった。
国会中継では、議員同士の信念のぶつけ合いを期待したい。


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2024-30最近の社会の動向アレコレ

2024年02月28日 | 日記
大谷選手、オープン戦第1号やりましたね。
そしてなでしこジャパン、北朝鮮を破ってオリンピックへ出場確定。
頑張っていますね。
さて今週の月曜日の国会中継。
野田元総理が岸田総理に「誰を向いて説明責任を問うのか。」
当然国民にですね。ならばリーダーとして「公開しろ」というべきでないのかと迫った。
岸田総理、「それは国会で決めること」の1点張り。
野田元総理の詰め方はいかにも整然として論理的だった。
同じく2月26日の国会
石破議員が88年前の1936年昭和11年の2.26事件を引き合いに出したのには驚いた。
そこでは青年将校により内大臣斉藤実(岩手出身)、蔵相の高橋是清が殺害されている
さて岸田総理。昨日の自民党の迷走ぶりによほど我慢がならなかったのか
今日のam11時前に自ら政倫審に出る。と述べた。そして公開で。
自ら出ることで他の5人に暗黙の圧力をかけたと思われる。
夕方、残りの5人も公開を了解した。
行動で示すことでやるべき姿を訴えたのだ。
しかし、言葉で指示しても党員が従わない難しい局面になっていたことも素人目に感じた。
ごねていた大臣たちの姿を地元の有権者にはどう映っているのだろう。


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2024-29 知らなかったお城の数々

2024年02月26日 | 日記
昨日から降った雪、20㎝近く。再び冬景色だ。
昨日は地元の第1人者から盛岡城を学ぶ機会があった。
1591年九戸政実の乱を終息させた浅野長政が帰途で不来方の地を見て
ここに城を築城する事を進言。
花崗岩の台地が3つの川に囲まれて自然の要塞であったこと等々。
1597年から息子の利直によって始まったといわれる。
しかしここは要塞でありながら北上川等の洪水で両刃の刃であった。
約40年かけて築城し、1933年重直が入城。
しかし度重なる洪水のため更に40年かけて1675年北上川の流路を変更。
今の北上川が700m西へ流れたのだった。
大がかりの工事だったようだ。
次に3代名城の石垣をは花崗岩台地だったから移動しなくても多く産出されたこと。
その石垣を生業とするのが近江穴太衆。棟梁などは1000石の報酬で重宝されたとある。
1グループ10人程度で主に西で盛んだった作り方のようだ。
本丸の城の大きさなど実際にその大きさは田んぼでいうと3反5せ意外と狭い。
石垣の積み方、加工など6種類。
盛岡城の本1冊読破してようやく見えてきた。奥が深い。







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2024-28 ガイド模擬実地

2024年02月24日 | 日記
今日もまた寒い1日だった。
今週から街巡りガイドの模擬実地が始まった。
午前2時間、午後からも2時間、実際にガイド訓練。冷たい空気が身体に染み渡る寒さだ。
今までは午前中だけ現地でガイド研修で午後は室内で座学研修だった。

研修生6人。先人たちの青春コース。先人とは石川啄木と10歳違いに宮澤賢治だ。
盛岡では啄木は20歳まで 賢治は盛岡中学と盛岡高等農林、過ごしている。
そういうわけで青春時代と言える。

石碑が盛岡城の2の丸にあるので2人の偉人と盛岡城についてがガイドの範囲だ。
トップバッターだった。スタートの中津川と中の橋についての説明だった。
ここは城下町としての歴史を説明した。
ポイントは1コース24か所。その中で半分に絞って1人2か所説明する。
長いと飽きるので2分30秒以内が理想と言われた。
城に入った。先人は得意なのだが城内はまだ覚えきれていない。
2か所目は本丸を下った広場での馬の品質を見るところだった。
ここは下見でスルーしてしまい覚えていなかった。失敗してしまった。
午後は駅から開運橋を通って啄木新婚の家、
そして賢治が初の童話を出版した光原社の材木町周辺。
ここでは啄木新婚の家、が始めにあたった。
妻の節子と結婚式をするのだが啄木はなんと欠席。
花婿のいない結婚式だった。啄木はというと本の出版のため上京し
帰りに仙台で友人たちと飲み明かしていたのだ。しかも飲み代が払えず
土井晩翠から借金、そして渋民へ。盛岡へは5日後に着くのだ。
こんなエピソードを話したらたくさんあるのだ。啄木は。
そして材木町で。次の木伏通りにも啄木の歌碑がある。
そこでも説明のガイドがあたった。おかしなことに、
この歌碑は恋をうたったものだ。しかも結婚して2年後。
妻ではなくほかの女性にである。吹き出してしまった。
なぜこんな歌碑を選んだんだろうと。
自分が今回、模擬であたった部分だけ紹介したのだが
やはりしっかり説明の準備をすれば聞きやすいだろうと思った。
思いだけでは時間内に収まらないのだった。



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2024-27 人気のジェーン・スー講演

2024年02月23日 | 日記
3・8国際女性デーを記念しての集会。
今回は「今のわたし、ひとまず上出来」というテーマでの講演。
コラムニストでラジオパーソナリティのジェーン・スーさんということで
会場は異様な盛り上がりであった。
参加者の半数がうちわを持参。登場すると、わーという歓声。
後援会員のおっかけの中にいる気分だった。
若い女性に3年ぐらい前から人気のあるコラムニストのよう。
アサイチに昨年の6月に登場したようだ。
ラジオ番組をもっているせいか語り口はやわらかく
そしてテンポもよくというかいつもの講師よりも早い。
うけのツボも心得ており笑いもある。会場は彼女のファンが多い。
8つの構成で出来ていた。
1自信の正体。2自己受容を居場所から3自己受容に不可欠のこと
4,普通はどう作られたか5,なぜ私をうけいれないのか
6私らしさはどこへ行った7 男らしさとは 8あなたも私も上出来
意外と理論的であった。
その後の質問。4名から。気付いたことは仙台、秋田、青森など他県からの参加が多いことだ。
20代30代40代50代などが多い。
ちなみに講演者の彼女は51歳だ。
そしてジェーン・スーさんはペンネームである。
著作は多数。読むと面白く核心を付いている。もう一度再読してみよう。
異様な熱気であった。


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