ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2023-104 日露戦争と県民 盛岡の歴史を語る会

2023年05月24日 | 日記
先日、盛岡の歴史を語る会の学習会があった。
この会は歴史が長く今年で51年になるという。
会員も130名から多いときは150名程受講するという。
年に9回で4500円。1回500円だ。

今回のテーマは「日露戦争と岩手県民」だった。
その原因は日清戦争の下関条約その後の三国干渉によって
ロシアと遼東半島をめぐる部分で戦が起こったことによる。
後ろに日英同盟があった。

この日露戦争では県民の犠牲者の中には著明な方も犠牲になっていた。
というより日清戦争に比べて犠牲者も戦費も10倍と大きいものであった。
県人からみると開戦した年の1904年に石川啄木が日露戦争に対して岩手日報に8回連載。
「平和が続くと堕落する。そんな意味で正義のために平和のために理想のために戦うのは良しとする」
と当時ナシュナリズムの18歳の青年だったのだ。
しかし、敵将マカロフが戦死すると相手に敬意を表し、その後の啄木は思想を一変させ、
「当時は無邪気な好戦国民の一人であった。」と4年後の1908年の日記に記している。
日露戦争前から横川省三がスパイ活動をしシベリア鉄道爆破を図り
1904年4月銃殺される。高松の池に建立されている。
南部藩士の息子の東条秀教は第8旅団長。(東条秀樹の父)
南部42代当主南部利祥は戦死。盛岡城跡公園に台座だけが残っている。
柴内魁三はこの戦で両目を失明。自ら私立の盲学校を創立。現在の盛岡聴覚支援学校。
他に2次大戦での首相米内光政、2,26事件で暗殺された斎藤実首相などが活躍している。

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