MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

奇怪な腫瘍への挑戦

2008-05-18 12:44:52 | 健康・病気

大脳の左右の半球は意外とくっついていない。

左右の半球をつないでいるのは、中心部付近にある、脳梁、脳弓、

前交連、後交連、視床間橋と呼ばれる箇所に限られていて、

それらの占める面積はかなり狭い。

もし、この連結部分が障害されると、

左右の脳の働きの連携が失われ、

離断症候群という特異な症状を呈するようになる。

しかし、この部分の切開を最小限にとどめれば、

障害を出さずに脳のてっぺんから左右の大脳の間を分け入って

脳の底に到達することが可能であり、

そこにある病変に対して安全に手術ができることになる。

3

 脳梁を切開すれば、透明中隔、第3脳室を

 経由して視床下部に到達できる。

視床下部過誤腫(hypothalamic hamartoma)は、

小児の視床下部という脳の底に近いところに発生し、

てんかんなど様々な症状を起こすやっかいな腫瘍だ。

Photo  ←良くんの闘病記HPすまいりんぐより画像

脳の深いところに腫瘍があるため、これまでどの方向から手術を

行っても、満足の行く結果は得られなかった。

オーストラリアの神経外科医、Jeffrey Rosenfeld は、

この腫瘍に対して初めて、本を真ん中で二つに分けるように

頭頂部から、左右大脳の隙間から到達する手術を行った。

その後、この方法は米国でも行われるようになり、

これまで難治だった視床下部過誤腫の子供達が

数多く救われるようになった。

New York Times の以下の記事は、そんな腫瘍を抱え、

手術を受けた女の子を詳しく紹介している。

http://s04.megalodon.jp/2008-0513-2216-35/www.nytimes.com/2008/05/13/health/13tumo.html?_r=1&th&emc=th&oref=slogin
(5月13日付 New York Times 紙、ウェブ魚拓)

Grace Webster は生後わずか14ヶ月で初潮を迎えた。

母親はすぐに小児科医に連れて行き、検査を行うと、

Grace の生殖機能は12歳児の発達段階に達していた。

そして、脳MRIによって視床下部過誤腫の診断を受けた。

やがて Grace には『笑い発作』が見られるようになった。

発作は、ゆっくりとした、歪んだような笑いで、

まるで、目と口元につけられた糸が誰かにゆっくりと引っ張られて

いるかのようだった。

Grace の視線は定まらず、ぎくしゃくした笑いと荒い息遣いで

身体を震わせていた。

この疾患では、通常は4才から10才の頃に、

時に Grace のような重症例ではもっと早期に、

発作の形は『ジキル』から『ハイド』に一変する。

笑い発作は、次第に怒りの発作や激しい身のすくむような

発作へと移行してゆくのである。

Grace は、顔が紅潮した後、突然叫び声を上げ、

乱暴に周りを叩き始める。

親が叩くのを止めさせようとすると、今度は自分自身に矛先を変え、

顔を引っ掻き、腕に噛みついた。

そのうち、Grace の知能発達はゆっくりとなり、ついに停止した。

患児には、しばしば自閉症や社会的順応障害が

見られるようになる。

発作の合間に垣間見えていた人格も、次第に不明瞭となり

いずれ失われてしまう。

悲惨な将来を見据えて、両親は手術を選択する。

視床下部過誤腫は世界中で数千人に見られる視床下部に

発生する稀な腫瘍である。

悪性ではないが、5年前までは治療不能と考えられていた。

手術はきわめて危険であり、

無事に行われたとしても無効に終わった。

薬物はほとんど効果を示さず、多くの患児は施設に収容された。

視床下部は脳内の『何でも屋』領域の一つである。

そこは、体温、血圧、体液バランス、消化を調節するなど、

身体の維持を司る。

さらに食欲、攻撃、気分などをコントロールする。

視床下部過誤腫で一連の奇妙な症候が見られるのは

このためである。

現在、視床下部過誤腫は、外科治療の新しい挑戦により、

二箇所の医療センターで治療可能となった。

オーストラリア、メルボルンにある施設と、

米国、Phoenix にある Barrow Neurological Institute である。

a

2007年4月20日、午前8:00。

Grace は Barrow 神経病センターの手術室に入った。

麻酔がかけられ、MRIを行うために隣の部屋に移る。

手術中に腫瘍の位置をガイドするナビゲーションシステムの

画像を作成するためだ。

医師たちは手術中、随時に脳の画像上で現在の位置を

正確に把握することができる。

Grace の腫瘍は直径 3.23cm、ピンポンビールほどの

大きさだ。

視床下部から飛び出していて隣接するスペースを占拠している。

Hypothalamic_hamartoma  上図、術前のMRI。

 中央の白いスペースが第3脳室、

 その左下方に突出するやや灰色の塊が

 視床下部過誤腫である。

 下図、は術後の写真である。

 腫瘍は摘出されている。

 中央下方に線状に黒く抜けた部分が

脳底動脈の一部

腫瘍に最初に立ち向かう神経外科医は若手の Scott Wait 医師だ。

『このような大きな腫瘍に対しては複数の外科医が手術を行う。

今日は3人の予定だ。』

Wait 医師は頭皮を切開し、めくり返して頭蓋骨を露出する。

ドリルの音が手術室に流れる音楽をかき消す。

午前11:12、Wait 医師は手術用の椅子に座り、顕微鏡に

顔を押しつけた。

メスや小さい鋏が脳を覆う膜を丁寧に切開してゆく。

膜の直下には、肌色をした脳回の表面に紫色の静脈と

くもの巣のように張りめぐっている赤い動脈が認められる。

午前11:15、Wait 医師は左右の大脳半球間の裂け目に

深く入り、両半球をつなぐ脳梁を切開し透明中隔と

呼ばれる膜に到達する。

午後0:20、第3脳室に達する。

ここは脳脊髄液の貯留している小さな腔だ。

脳脊髄液の中に、ピンク色の脂肪の様な塊が拍動している。

ナビゲーションで確認すると、これが腫瘍で間違いないようだ。

Wait 医師は腫瘍内を掘り進めるが、出血が始まった。

ここで、二番手 Rekate 医師に交代する。

彼は超音波吸引装置を巧みに操作する。

毎秒23,000回の振動で腫瘍を破壊し水を注いで吸い出す装置だ。

午後1:26、いよいよピアノ鍵盤柄の手術帽をかぶった男が登場。

Barrow Institute 所長、Robert Spetzler 医師だ。

Spetzler 医師は吸引管で腫瘍を探る。

20分が経過した。

Rekate 医師がハッとして言う、『それは脳底動脈では?』

それは術野に潜む地雷のようなもので、脳の後半部に血液を送る

きわめて重要な血管だ。

Spetzler 医師はこの血管の周りで吸引管を動かしながら、

『ここは居心地が悪いな。』とつぶやく。

血液を混じた液が術野に湧き上がるが、これは

細い動脈からの出血だ。

心電図や生命徴候のモニターには変化はない。

Spetzler 医師は、果てしなく続くように見える腫瘍に対して、

あらゆる方向から挑んでいく。

外見上、周囲と区別がつきにくくなってきた。

Renkate 医師、

『ここはナビゲーションが示している場所と思われますが、

内部ではあまり信用できません。』

午後2:17、Spetzler 医師は立ち上がった。

『もう残ってないな。』と言い残し、あっさり手術室を出て行った。

ドアが閉まると Wait 医師は首を振った。

Spetzler 医師が脳底動脈近傍で吸引管を操作したことに対して、

『なんてこった。自分なら決してあんなことしないよ。』

Wait 医師は閉頭し、再度MRIを行う準備をした。

午後5:00、結果が明らかとなる。

『わぉ!全摘だ。だけど、Grace に二度と発作が起こらないとは

保証できない。』

一度摘出されれば、視床下部過誤腫の再発はない。

しかし Grace の運命は誰にもわからない。

Rekate 医師によれば、Barrow では経脳梁手術によって

少なくとも90%の患者に90%以上の発作抑制が得られ、

発作消失は60%に認められたが、10%の患者では効果なく、

2例が死亡したという。

Baltimore の Johns Hopkins Hospital 小児脳神経外科医の

George Jall 医師は言う、

『経脳梁法について、結論はまだ出ていない。長期的な効果を

見るためには、子供達をさらに何年も追跡する必要がある。』

手術から一年、Grace には尿崩症と甲状腺機能低下が

見られるが、これらは改善傾向にある。

理学療法や言語療法により、彼女は発達を取り戻し、

より活動的、社交的に成長しつつある。

思春期早発を抑えるため Grace は11才まで

ホルモン剤 Lupron の注射を続けなければならない。

しかし、最も重要なのは、彼女をさんざん苦しめていた

怒りや笑いのように見えた発作が消失したということだ。

今、Grace は笑っている。

それは、腫瘍によって笑わされているのではなく、

発作から解放された元気の良い4才児の情感から

生まれてくる自然な笑いだった。

(以上記事)

神経外科の世界的権威 Spetzler 先生をつかまえて

冗談混じりに茶化したこの記事には驚くが、

同施設ではこの難度の高い手術を100例以上に

行っているという。

本邦でも、前掲の良くんのように難治な発作に

苦しめられ続けている子供たちは多い。

もちろん日本でも、いくつかの施設で、この疾患に対し、

このアプローチを用いて手術は行われていることとは思うが、

症例数は Barrow には遠く及ばないだろう。

良性ではあるけれども、あんな難しい重要な場所に腫瘍ができ、

奇妙な発作を繰り返し、親子を執拗に責め立て悲しませるとは…

神様も残酷な病気を作ったものだ。

医療がさらに進歩して、病気に苦しむ子供達が一人残らず

元気になれる時代が早く来て欲しい(老化対策の方はもういいよ)。

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4 コメント

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良性なのに、場所が悪くて手術がしがたいなんて、... (yunppi)
2008-05-20 17:33:55
良性なのに、場所が悪くて手術がしがたいなんて、悔しいですよね。子供も親も「先生何とかして下さい」ってすがりつきたくなることでしょう。お医者さんももどかしいでしょうね。
TV番組で、小さな子達の闘病生活を見ると、どうにもやりきれない気持ちでいっぱいになります。
せっかく、生まれてきた子供達みんなが、元気にすくすくと育ってくれるよう、願わずにはいられません。
それにしても、人間の脳は凄すぎます。まだまだ、解明がされていないことがたくさんあるんですよね・・・これから50年後、100年後には、どこまで解明されるんでしょう。ワクワクします(いえ、生きてませんって)
>yunppiさん (MrK)
2008-05-21 00:44:27
>yunppiさん
ったく、世界一の少子化国家だってのに、小児科医が足りないって、どーなってんの?この国は…おまけに産科医がいなくちゃ、お産も安心してできないし。これで、子供が増える道理がない!小児医療に力を注がない国に未来なし。このまま無策が続くと、大変なことになりますよ。なお、学校だけでなく病院においてもモンスター・ペアレントの台頭が小児科医選択を忌避する大きな要因であることは間違いないでしょう。病気の子供達に罪はないのにね。
視床下部過誤腫をテーマにしていただきありがとう... (良パパ)
2008-06-27 17:13:16
視床下部過誤腫をテーマにしていただきありがとうございます。
良は、現在 新潟西中央病院に入院中です。4月初めに7回目の手術をしました。
10年前に現在の治療方法が確立していたら今の状況は、起きていなかったかもと思います。
薬で発作を抑える為入院が長引きましたが7月初めに退院予定です。
新潟には、視床下部過誤腫の子供達が多く治療、診察に来ています。 
視床下部過誤腫の治療に困ってい方々に知っていただきたいと考えています。
これからもよろしくお願いします。
>良パパさん (MrK)
2008-06-28 00:22:33
>良パパさん
勝手に画像を拝借し誠に申し訳ございませんでした。このご病気を多くの方に理解いただきたいと思いまして、勝手なことをいたしました。お許しください。
ところで、良くん、7回目の手術とは大変でしたね。これで発作が少しでもおさまればいいですね。
視床下部過誤腫に対して経脳梁のアプローチを選択することは確かに理にかなっていると思いますが、お子様がこのように大変な脳の手術を受けられることは、親御様にとっても大変なご心痛と思います。
また色々と勉強させていただきたいと思います。こちらこそよろしくお願いいたします。

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