MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

何かを見落としている…

2012-08-31 20:46:40 | 健康・病気

夏の終わりのメディカル・ミステリーです。
今回は皮膚科疾患のようですが…

8月28日付 Washington Post 電子版

Man’s persistent rash seemed ordinary, but it was actually ominous 男性の持続する皮疹はありふれた症状と思われたが、実際にはたちの悪いものだった

Manspersistentrash_2
ソフトウェア・コンサルタントの Ed Williams さんは、医師によって重症の乾癬と考えられていた醜い皮疹と闘うつらい6年間を過ごした

By Sandra G. Boodman
 大げさなことではない…2004年の夏、ゴルフ・トーナメントでプレイしたあと、痒みのある赤い皮疹が出現したときソフトウェア・コンサルタントの Ed Williams さんはそう考えた。ツタウルシの生えている所に近づきすぎたか、あるいはアレルギー反応を引き起こす何かに触れたのかと Williams さんは考えた。「すぐに消えると思っていました」ニューヨーク州 Rochester 郊外に住む Williams さんは思い起こす。
 しかし彼の腕、足、および背中のその皮疹は持続したため、これまで皮膚の病気をしたことのなかった Williams さんは皮膚科医を受診した。その医師は最初、様々な刺激性の物質によって引き起こされるごくありふれた皮膚疾患である接触皮膚炎であると彼に告げた。その後医師たちは彼の病気を乾癬と診断した。この疾患はうろこ状の皮膚と強い掻痒を来たし突然発症することがある。
 炎症を起こししばしば痛みも伴うこの皮膚疾患と闘うことだけでなく、それを治療しようとしながら結局無益に終わる多くの骨折りに取り組むことは、それからの6年間、Williams さんの生活を消耗させた。24人近くにおよぶ専門家らは、周期的に顔面に広がるこの皮疹が時々改善はするものの決して完全に消失することのなかった理由を解明することができなかった。
 そしてついに、思いもよらないその原因は Williams さんがそれまで想像してきたよりはるかに恐ろしいものであることが判明した。その後の治療によって、皮膚がたちまちきれいになっただけでなく、彼の命も助かったのである。
 Williams さんが受診した9人目の専門医で、ついに原因を解明した University of Rochester の皮膚科医 Brian Poligone 氏にとっても忘れることのできない印象を残す症例となった。「実に驚くべき話です。これまでのキャリアで私が直面した信じがたい症例の一つになるでしょう」39才の Poligone 氏は言う。

No sweat  問題ない

 最初の皮膚科医が彼に塗り薬を出した時、Williams さん(54才)は安心したという。「それで何とかなるはずです」医師が彼にそう語ったのを思い出す。しかし5ヶ月後、様々な薬を用いてもその皮疹が消えなかったため彼は2人目の皮膚科医を受診した。
 「彼は様々な方法を試みて恐らく1年くらいそれに取り組みましたが効果はありませんでした」と Williams さんは言う。2006年1月、彼は『難治性皮膚炎』ということで University of Rochester School of Medicine の新しい皮膚科医にかかり始めた。Williams さんによると、皮疹は背中や脇や股間など汗をかくあらゆる場所に密集した痛みを伴う小さな水疱を残していたという。「私は汗をかかないよう努め」徐々にゴルフや庭仕事さえ控えるようになっていったと彼は思い起こす。
 最悪の状態の時には、浸出液を伴う小膿疱が顔のほとんどを覆い、時々彼の目はほとんど閉じた状態となるまで腫れた。朝「目を開けようとするのに温かい洗面タオルを用いなければならず、髭を剃ることも不可能でした」と彼は思い出す。Williams さんによると、そのような時期には商談や旅行を予定に入れないようにしていたが、特に会社を売り込むための交渉の際の旅行はむずかしかったという。
 「それはつらいものでしたが、私の顔に症状がない限り何が起こっていたのかを実際に知る人は殆どいなかったのです」と彼は言う。乾癬など様々な皮膚疾患に対する中心的治療となっている紫外線治療は有効だったが、それはただ彼の皮膚の感覚と痛みが軽減したからであった。しかし、ステロイド、抗生物質、さらには癌の治療に用いられるメソトレキセートや移植患者の拒絶反応を阻止する Cellcept(セルセプト)などの強力な薬など、どれ一つとしてこの皮疹を消すことはできなかった。Williams さんは数回皮膚生検を受けたが、いずれも乾癬が示唆されていたようである。

‘What am I missing?’  「私は何を見逃しているのだろうか?」

 2009年9月23日、Williams さんは、Yale School of Medicine から最近転任した Poligone 氏の診療所に行った。そのときまでに Williams さんはすでに Rochester の皮膚科グループの Poligone 氏の仲間ほぼ全員から診察を受けていた。
 Poligone 氏がその新しい患者の分厚いカルテに目を通したとき、彼の前医8人の皮膚科医の誰ひとりとしてその皮疹の根本的原因を特定できていないことがわかった。確定的な診断が得られないまま一人の患者がそれほど多くの医師にかかっている状況は「きわめて珍しいことです」と Poligone 氏は言う。
 「私は『何を見逃しているのだろうか?』と考えました」Poligone 氏は思い起こす。「何より、患者は目の前にいて、適正な治療法の発見を急いでいるのです」皮疹と掻痒という症状には、平凡なもの(ツタウルシ)から命にかかわる可能性のあるもの(リンパ腫)にいたるまで無数の原因が考えられる。医師たちは、Williams さんの皮疹が体内的なものに対する反応なのか、それとも環境的なものに対する反応なのかすら分からなかった。何年もの間、医師たちは猫アレルギーやストレスから起こる稀な症状として、湿疹を考慮したものの除外するに至った。
 Williams さんは初診時に炎症がひどかったため Poligone 氏は抗生物質とともにステロイドの注射を行った。病変の一部が感染しているように見えたからである。しかしこれまで同様、これらの薬物の効果は一時的に過ぎなかった。
 2010年1月、Williams さんに変化がなかっため Poligone 氏は azathioprine(アザチオプリン)を処方した。これは免疫系の抑制効果があり移植患者に用いられるが、毒性のある強力な薬剤である。Williams さんは徐々にもどかしさを覚えるようになっていたことを思い出す。「私は診察室に入りこう言いました。『いいですか、あなたがやっていることはただそれを抑えているだけなんです。それを完治させるための何かを試せるはずです』」
 しかしそれは何なのか?さらに行われた4度目となる皮膚生検でもやはり乾癬が示唆された。
 2010年6月、Poligone 氏は、何かよい考えを得るために Rochester から20人の専門医を呼び寄せる grand rounds(グランド・ラウンド、症例検討会)という毎月行われるセミナーで Williams さんを提示することに決めた。しかし、医師から甲高い声が上がり『…は考えましたか?』と質問が出るような彼が望んでいた状況にはならず、多くの“行き詰まり”と沈黙だけがそこにあったことを Poligone 氏は思い出す。誰にもよい考えは浮かばなかったのである。
 3か月後、Poligone 氏はもう一度試みることにした。Yale の皮膚科名誉教授で Poligone 氏の指導者だった Peter Heald 氏が講演のために Rochester に来ており、Poligone 氏の最も難しい症例の一つとなっていたこの患者について示唆をもらえるかもしれないと期待して、2回目のグランド・ラウンドを開催することにしたのである。
 その会の前に、Poligone 氏は席に着いて4つの考えられる診断をリストアップしたという:一つ目は多くは運動選手の足の真菌感染によって生ずる皮疹 Id reaction(イド反応)。二つ目は necrolytic migratory erythema(NME、壊死融解性遊走性紅斑)で、まれなタイプの膵臓癌に関連する発疹である。NMEはかなり稀なことから Poligone 氏は一例も見たことがなかった。
 NME の可能性はなさそうに思えた。皮疹の起こっている間、Williams さんには貧血、高血糖、下痢、その他の特徴的な症状がなかったし、複数回行われた皮膚生検でもこの異常は指摘されていなかったからである。
 「初めて、もしかすると皮膚生検では真実が示されていないのかもしれないと思いました」と Poligone 氏は思い起こす。Heald 氏もこの考えに賛成し、可能性のある診断名として NME にこだわるよう助言した。
 Poligone 氏はもう一度皮膚生検を行うとともに、さらに2つの血液検査を行った。皮膚生検は先行分同様、乾癬を示唆するものだった。一方、血液検査は、一つは膵臓から分泌されるホルモンであるグルカゴンの濃度を測定するもので、もう一つはインスリンの濃度を測定するものだった。
 これらの検査は驚くべき結果だった:Williams さんのグルカゴンの値は 620pg/ml で正常上限の約 130よりはるかに高かった。またインスリン値は71μU/ml だった;正常上限値は27である。
 次のステップはCT スキャンだった。2010年12月に行われたこの検査で衝撃的な所見が明らかになった:Williams さんの膵臓におおよそ西洋スモモ大の腫瘍が発見されたのである。Williams さんの皮疹が NME であり、神経内分泌腫瘍として知られるまれなタイプの膵臓癌の一つ、グルカゴノーマ(glucagonoma)があることに疑いはなかった。(アップルの創始者 Steve Jobs 氏はインスリノーマと呼ばれる別の膵臓心内分泌腫瘍のために亡くなっている)

1 in 20 million 2,000万人に1人

 1942年以降、世界中で診断されたグルカゴノーマは250例に満たない。また American Association of Endocrine Surgeons(米国内分泌外科学会議)によると 年間約2,000万人に1人がこの疾患を発症すると推測している。この腫瘍の原因は不明だが、一部の症例では癌の家族歴が関与している。(彼に診断が下ったあと、Williams さんは祖母が68才で膵臓癌で死亡していることを知った。ただしその特異型は不明である)グルカゴノーマではグルカゴンというホルモンの過剰分泌がある。このホルモンの過剰は血糖を調節するインスリンの分泌を攪乱する。グルカゴノーマの患者の約70%に NME が見られ、多くの人で Williams さんと同じように体重が減少する。自身の体重が徐々に30ポンド(13.6kg)減少したのは発疹の治療のストレスによるものだと Williams さんは考えていた。
 腫瘍を切除する手術が望ましい治療法となるが、それはグルカゴノーマが化学療法に十分反応しないためである。このようなゆっくりと増大する腫瘍では膵臓外に進展した場合にのみ発見される傾向にあるため、手術で治癒できるのはこのような患者の約20%に過ぎない。Poligone 氏によれば、彼も同僚たちも悲観的だったという;というのも Williams さんは6年以上症状があり、彼の癌が進行している可能性が高いと考えたからである。
 Poligone 氏によると彼は腫瘍専門医や外科医を手配したあと Williams さんに告知したが、Williamsさんは最初自分の診断の重大性を理解できなかったという。
 「私が癌センターで治療することになることを彼らに告げられるまで、“腫瘍”と“癌”がつながっていませんでした」と、彼は思い起こす。
 2011年1月22日、Williams さんは手術を受けた。結果は誰もが望んでいた最善の結果となった:癌のリンパ節や肝臓への転移はなく、医師らは全摘できたものと考えた。4週間後、彼の皮疹は消失した;またその後の検査でも癌の残存は認められなかった。
 「腫瘍が限局性であったことに非常に驚いています」手術が根治的であったと医師らが判断したことを付け加えながら Poligone 氏は思い起こす。Poligone 氏によると、以前にさかのぼって Williams さんの生検スライドのすべてを再評価した皮膚病理学者はやはり NME に特異的な所見を認めなかったという。問題の皮疹と体重減少以外には、医師に膵臓癌をもっと早期に疑わせることになるような他の古典的症状は Williams さんにはなく、また彼自身、重症であるようにも見えなかった。
 それよりむしろ、彼は何よりその皮疹から逃れたいと考えていたようだった。「彼は、『ゴルフの時間や仕事中に邪魔しやがって、頭にくる』とか言っていました」Poligone 氏は思い起し、次のように付け加えた。「(彼の場合が)素晴らしい結果に終わったことが私にとって最大の救いです」
 徐々に疲れを感じることはあったが本当に病気という感じではなかったように思う、と Williams さんは言う。後から振り返って見てはじめて、彼は「なんて弱ってしまったんだろう」と気付いたと言い、「今は別人のように感じます」と付け加えた。
 時々彼はつらい皮疹のために医師から医師を転々として過ごした6年間のことを考える。「『なんてことだ、なぜもう2年ほど早くこの検査をやってくれなかったんだ』とか思うのです」
 「でもこうも思います『おいおい、彼らはそれを見つけてくれたんだぞ!』ってね」

きわめて稀な病気ではある。
Necrolytic migratory erythema(NME、壊死融解性遊走性紅斑)は
膵臓腫瘍 グルカゴノーマの70%に合併するといわれており、
皮膚症状が初発症状となることが多い。
皮疹は体幹を中心に環状または地図状に拡大し中心治癒傾向を示す。
消褪や新生を繰り返すことから遊走性の名がつけられる。
皮疹は小水疱、膿疱、びらん、鱗屑、痂皮を伴い多彩。
皮膚生検の典型的病理所見では真皮外層の剥離を伴う表皮壊死と
血管周囲にリンパ球と組織球の浸潤が認められる。
グルカゴノーマではグルカゴンが腫瘍から過剰分泌され、
その異化作用により肝グリコーゲンの分解や
アミノ酸からの糖新生が促進されるため、
著しい体重減少、糖尿病、低アミノ酸血症をきたす。
皮疹はグルカゴン過剰分泌による低アミノ酸血症、
亜鉛欠乏が原因で生ずると考えられている。
グルカゴノーマで認められる症状としては
耐糖能異常・糖尿病(80%)、貧血(90%)、
体重減少(70%)、口内炎・舌炎(80%)のほか、
粘膜疹、下肢静脈血栓が挙げられる。
診断は難治性皮疹から本疾患の可能性を疑い、
腹部画像診断(超音波・CT・MRI)で
腫瘍の発見に努める。
腫瘍の90%以上は膵体尾部に発生する。
また採血により
血中グルカゴン値(早朝空腹時で500pg/ml以上)、
血中アミノ酸低値を確認する。
皮膚生検も手掛かりとなるが、
本例のように確定診断に至らない可能性がある。
鑑別診断としては
グルカゴノーマ以外でグルカゴン値の上昇を認める
腎不全、肝硬変、糖尿病、火傷、外傷、菌血症が
挙げられるがこれらの多くは500pg/ml以下にとどまる。
皮膚所見の鑑別診断として、
天疱瘡、膿疱性乾癬、腸性先端皮膚炎(亜鉛吸収障害)、
中毒性表皮壊死症などがあるが必ずしも容易ではない。
治療は腫瘍の外科的摘出を行うが、
診断時点で50%以上に肝転移を伴ことから
根治に至らない例も多い。
何はともあれ、きわめて稀ではあっても
本疾患の可能性が頭に浮かばなければ、
いつまでたっても正しい診断には
つながらないのである。

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ヒューマン・ジャーナリストの死

2012-08-26 15:25:29 | 国際・政治

戦場ジャーナリストとして
常に覚悟はしていたに違いないが、
やはり実際に犠牲になれば割り切れない思いが残る。
今回のシリアでの日本人女性ジャーナリストの惨劇は
米国でも取り上げられ、
彼女のジャーナリストとしての魂が伝えられている。

8月24日 Time.com

The Freelancer as Martyr: Mika Yamamoto (1967-2012) 犠牲になったフリーランサー:山本美香
Possessed of an unsung bravery but pursuing a heroic mission, the Japanese journalist dies amid gunfire in Syria and exposes the dangers of the freelance war correspondent
勇敢さを内に秘め強い使命を遂行していた日本人ジャーナリストがシリアの銃撃により死亡、フリーランスの従軍記者の危険性が浮き彫りに

Mikayamamoto
By Lucy Birmingham
 似たような二つの非業な出来事がジャーナリスト山本美香さんの人生を襲う。最初の出来事は2003年4月3日に起こった。バグダッドにある Palestine Hotel の砲撃の直後に撮影されたビデオから彼女の取り乱した声が聞こえる。バグダッドは当時米軍によって支配権を握られていた。彼女の声はひどく興奮し必死の様相だったが、アメリカの戦車が18階建のビルに砲撃し、重体となった仲間たちの惨状に目が向けられていた。倒れたジャーナリストたちの救助を求めて声をあげていた。結局彼らのうち2人がその攻撃の結果死亡することになる。
2つ目のできごとは2012年8月20日に起こった。独立したフリーランスの通信社 Japan Press に所属していた山本さん(45才)と彼女の内縁の夫(原文では common-law husband)である佐藤和孝さん(56才)は日本テレビの仕事で Allepo にいたが、その時、シリア内線のさなかにある同町で起こった銃撃に巻き込まれた。「我々は迷彩服を着た兵士と遭遇しました」と佐藤さんは日本テレビに語った。「前にいた一人がヘルメットをかぶっていたのですぐに彼らが政府軍であると思いました。私は(山本さんに)逃げるように言いました。と同時に、彼らは発砲したのです」と思い起こす。「私たちはわずか2、30メートルのところにいたはずです。別々の方向に散らばりました。そのあと二度と彼女に会うことはできませんでした。それから私は病院に行くように言われ彼女の遺体を見つけました」反体制派勢力によってオンラインに流され、Associated Press によって報道されたビデオで、悲しみに暮れながら山本さんの遺体に語りかけている佐藤さんの姿が映し出されている。「どうして?」彼は泣きながら問いかける。「苦しかったか?頭を撃たれたのか?」彼女が頸部を撃たれていたことが後に日本の外務省当局によって確認されている。
 戦争報道は、勇敢さと虚栄に満ちた自慢話が組み合わさって桁外れなジャーナリストのヒーローを生むことがある。山本美香さんは決してそんな一人ではなかったが、内に秘めた勇気を持っていた。とはいえ、彼女には使命があった。日本と世界をつなげたいと思っていると山本さんは友人に語っている。「彼女は戦争に巻き込まれた罪のない女性や子供たちの苦しみを伝えたいと思っていました」彼女の友人で朝日新聞社の北郷美由紀さんは言う。「いつかは日本もそうなると彼女は感じていました。それはすべてつながっていると」山本さんは特に若い日本人のことを心配していた。「日本の平和な社会が第2次世界大戦の犠牲のもとに築かれたことを理解する必要があると彼女は感じていました」彼女の父、山本孝治さんはそのように言う。娘は単なる戦争ジャーナリストにとどまらない「人間ジャーナリスト(human journalist)でした」そう彼は言う。
 図々しい記者たちが行くところどこにでも山本さんは向かった。「美香さんはユニークな前線記者でした」と北郷さんは言う。「経済的な利益や認識はほとんどないにもかかわらず、彼女は命を懸けて戦争の事実を、日本と日本の若者世代に伝えようとしていました」仲間たちは何でも扱うことのできるベテランだった彼女を思い出す。「彼女は冷静で意志が強く、職務にはいつも慎重に準備をしていました」と、通信社 Asia Press で自由契約によって仕事をしている友人で紛争ジャーナリスト仲間の玉本英子さんは言う。この二人の女性はコソボ、アフガニスタン、そしてイラクの紛争の取材を通じて友人となった。玉本さんがシリア・イラク国境で取材していた7月、シリアでの仕事となるかも知れない場合に備えて防弾チョッキを入手する経路について山本さんから問い合わせの連絡を受けた。「危険すぎることを彼女に伝えませんでした」と今、彼女は後悔しながら言う。「彼女は行くべきではなかった。そのことが非常に悔やまれます」
 この二人は、危険のために大手の有名な新聞社やテレビネットワークが専従のスタッフを送りこめない戦闘地域を取材するために、これらと契約する少人数の日本人フリーランサーのメンバーである。「毎年私がサインするフリーランスの契約では、もし私が誘拐されたり殺されたりしても私の会社に責任はないことになっています。自分の遺体を日本に送り返すのは金がかかると指摘されています」と玉本さんは言う。日本のメディア支局は、日本のジャーナリスト2人がイラクで殺害された2004年以降危険な紛争地域に自社のスタッフを送り込んでいない。
 二人の女性はともに、自分たちのジャーナリストとしての功績を示したいという気持ちを抑えながらインタビューの対象により近づくためにできる限り謙虚であり続けることを望んでいた。「私たちは小さな存在であり、そんなに強くは見えません」と玉本さんは自身や山本さんを CNN や他の西側メディアの記者たちを比較しながら言う。「しかし私たちは内面的には強いのです」と付け加える。「美香さんは会社で働いていたときには美しい女性に見えました。彼女が戦争ジャーナリストであると想像できる人はいませんでした」
 2004年(正確には2003年)、山本さんと佐藤さんは、イラク戦争と負傷した市民の窮状の取材で、誉れ高い Vaughn-Uyeda memorial prize(ボーン・上田国際記念記者賞)の特別賞で評価された。「美香さんは現実を伝えるという職務を遂行したことからジャーナリストの間でも非常に尊敬されていました」と北郷さんは言う。「ただ、存命中にもっと広く彼女の名前が知られていても良かったと思います。死によって彼女が国民的著名人となったことは悲しいことです。彼女を失って心から残念に思います」

山本美香さんの人となりは
ジャーナリストの上杉隆氏が『週刊上杉隆』で語っている。
実に謙虚な女性だったようである。
彼女の死を無駄にしないためにも
平和な生活を送っている私たちが
彼女のメッセージを真摯に受け止め、
戦争の悲惨さを後世に伝えてゆかなければ
ならないと思うのである。

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ミス・リンディ 遭難の謎

2012-08-22 22:52:46 | 歴史

アメリカ人 アメリア・イアハートは
チャールズ・リンドバーグに続き、1932年に
女性としてはじめての大西洋単独横断飛行に成功した
スーパー・ウーマン(このためミス・リンディの愛称がある)。
イアハートについては日本ではあまり知られていないが、
米国では絶大な人気があり、
彼女自身も女性地位向上に熱心な活動を行ったことから
イアハートの名前を冠した奨学金制度は
今も運営されている。
また本年はイアハート生誕115周年ということで
様々な事業が催されているそうである。

Ameliaearhart01
しかし、1937年5月21日、赤道上世界一周に飛び立った
イアハートとナビゲータのフレッド・ヌーナンは
1937年7月、太平洋の赤道直下で消息を絶った。
当時のアメリカ政府は大規模な捜索を行ったが、
結局、遺体も機体も発見されないまま
1939年、両名の死亡が宣告された。
ところが、2009年、『歴史的航空機の発見を目指す
国際グループ(TIGHAR: The International Group
for Historic Aircraft Recovery)』が南太平洋の
ニクマロロ島で人間の指の部分と見られる骨片を発見し
イアハートの骨であると主張し脚光を浴びた。
ただしその骨がウミガメの骨である可能性も捨て切れていない。
イアハートの遭難には日本軍が関与していたとの
とんでもない説が浮上したこともあるようだが、
いまだに謎の多いイアハートの結末の解明に
今回新たな証拠が得られたのだろうか?

8月19日付 CNN.com

75 years later, the mystery of Amelia Earhart solved? 75年後 Amelia Earhart の謎は解けたのか?

Ameliaearhart02
水中写真には Amelia Earhart の飛行機の残骸が写っている可能性がある

 南太平洋の海底で発見された残骸は行方不明となった女性飛行士 Amelia Earhart (アメリア・イアハート)の飛行機の一部かも知れない。
 「最近行われた NikuⅦ という探索の際に撮影された水中の高解像度ビデオ映像で Nikumaroro (ニクマロロ)島の西岸沖の岩礁の斜面上に人工物が散乱していることが明らかになっている」(航空機の捜索や保存を行っている研究グループである)The International Group for Historic Aircraft Recovery (TIGHAR)がそのウェブサイトで報告した。
 研究者らによって今投げかけられる疑問は、これらの新しい画像は 1937 年の Nikumaroro 島の写真に記録されているのと同じ飛行機の一部を示すものなのか?ということである。
 同島の西の海岸線を撮影した1937年の写真は Earhart と彼女のナビゲーターである Fred Noonan が行方不明となってから3か月後に撮影されたものであると Discovery News は報じている。当時の英国植民地行政府(British Colonial Service)の役人 Eric R. Bevington によって撮影された写真では、突出する明らかな人工的物体が写真の左側に認められている。この画像の科学捜査的解析で、『この謎の物体がEarhart の飛行機の逆さまになった着陸装置と、その形状と大きさが一致していることがわかった』という。
 「この Bevington の写真には飛行機の構成物のように見えるものが4つ認められます:支柱、車輪、ウォーム歯車、そしてフェンダーです。一方、残骸の見られた現場には、フェンダーのようなものがあり、恐らく車輪と、支柱の一部もあるようです」 TIGHAR の画像科学捜査の専門家 Jeff Glickman 氏は Discovery News にそう語っている。
 TIGHAR は先月この探索に乗り出し、75年前、Lockheed Electra(ロッキード・エレクトラ)機が海に飛び立った後、Earhart と Noonan が Nikumaroro 島に不時着し、結局そこで死を迎えたという説に取り組んだ。
 このグループの9回目となる同島の探索は、インターネット上の興奮と非難の声とともに始まった。結局、研究者らは米国に戻り、彼らが同機の明らかな痕跡を何も発見できなかった。しかし、海中の残骸の現場の新たな解析によって、研究者らが探していたまさにそのものが発見できたことになるのかも知れない。
 「初期のメディアの報道では、この探索が何も発見しなかったとの性急な判断を下していました」と TIGHAR の専務理事である Ric Gillespie 氏は Discovery News に語っている。「もちろん我々は飛行機の残骸の大きな破片を見つけることを期待していましたが、Nikumaroro の厳しい海中環境を見た途端、75年前に小片に引き裂かれた飛行機からの残骸を探すことになるのだろうと考えました」
 同グループは7月12日に始まり7月24日に終了した今回の探索で撮影された高解像度水中ビデオの30%に満たない部分を検証したところであると Glickman 氏は Discovery News に語っている。
 Earhart と Noonan は着陸を計画していた別の南太平洋の島を見つけることができず、 Nikumaroro 島(当時の Gardner 島)に着陸したとの説を TIGHAR は唱えている。二人は安全に着陸し、エレクトラの無線を使って救助を求めたと考えらる(MrK 註:救難信号が3昼夜傍受できたとの記録がある)。運命のいたずらで、その後恐らくこの飛行機は海に流され、Earhart と Noonan の唯一の連絡源も流されてしまう。米国海軍の偵察機はこの島の上空を飛んだが、エレクトラを発見できないまま、そこを通り過ぎ別の場所を捜索し続けた。
 「今回が最高の探索となったのは、飛行機の残骸を探し出すために集めることのできたテクノロジーのおかげです」と Gillespie 氏は先月 CNN に語った。「私たちは自走車を持っています。また、私たちが今現在乗っている University of Hawaii の船の上部にはマルチビーム・ソナーがあります。さらに、ターゲットを詳しく調査する遠隔操作の車両や高解像度カメラを持っています。準備がしっかり整っていたのです」
 Bavington の写真のさらなる解析が TIGHAR の説を支持し続けるとしたら、同グループは太平洋の海底からその物体を回収しようとするつもりであると Gillespie 氏は Discovery News に語っている。

問題の写真を見ても、
MrK にはどれが人工的な物体なのか判別不能である。
やはり75年の歳月は長いと言えそうだ。
しかしそれほどの歳月が流れた今でも
熱心な探索が続けられているという事実によって、
アインハートの活躍、そしてその存在が
今でもアメリカでいかに賞賛されているかが
うかがい知れるのである。

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アルツハイマーのリスクを知る

2012-08-19 19:51:42 | 健康・病気

トヨエツ、アシマナの『ビューティフルレイン』、
皆様、観ておいでだろうか?
若年性アルツハイマー病と宣告されながら
今一つ悲壮感が伝わってこないトヨエツと、
いかにも『視聴者を泣かせてやります』的演技を
毎回連発するアシマナには多いに不満を感じてしまう。
とはいえ、ドラマにはまってしまった MrK には、
美雨ちゃん、これからどうなるの?
と大いに気をもんでしまうのである。
というわけで、『ビューティフルレイン』も
いよいよ佳境を迎えようとしているのだが、
自分がアルツハイマー病になるリスクって、
現時点でどれくらい知ることができるのだろうか?
そしてそれを知ることにどれほどの価値があるのだろうか?

02

8月14日付 Washington Post 電子版

Despite fears of Alzheimer’s, many would like to know their risk for the disease アルツハイマー病は怖いが、同疾患のリスクを知りたいと思っている人は多い
By Michelle Andrews,
 アルツハイマー病は予防法も治療法もなく、様々な疾患の中で癌に次いで2番目に人が恐れる疾患となっている。しかし、昨年 Harvard School of Public Health から報告された国際的研究では、米国の回答者の約3分の2が、この疾患に罹る運命にあるかどうかを知りたいと思っていたという。その大部分がこの疾患に罹るかどうかを予測する確定的な検査はないが、時として、法的および財務上の計画のためや、長期医療保険の必要性の検討に際し参考目的でそのような情報を欲しいと考える人がいる。
 なんら症状が現れていない段階でアルツハイマー病に進展するリスクを識別する現在の検査は限定的な情報しか提供できず、健康保険もほとんどの場合適応とならない。しかしそのような事実があっても、人がより多くを知ろうとすること思いとどまらせることにはなっていない。
 アルツハイマー病を有する500万人のうちほとんどが60才を過ぎて発症する。その人たちにおいては、遺伝的、生活習慣的、および環境的要因の組み合わせによって本疾患が引き起こされるようである。アルツハイマー病患者の約5%が、通常3つの染色体(第1、14、21染色体)のうちの1つの変異に関連する早期発症型を遺伝性に受け継いでいる。
 明らかな症状が出現する何十年も前にアルツハイマー病の徴候が脳に認められる可能性があると研究者らは言う。例えば、本疾患の患者の脳内にしばしば沈着するたんぱく βアミロイドの存在が脳検査で認められる。血液中あるいは脳脊髄液中のたんぱくの変化もアルツハイマー病と関連している可能性がある。
 しかしこれらの変化を測定する検査は研究レベルでのみ施行可能であり、一般に保険でそれらをカバーすることはできない。保険会社 Aetna のnational medical policy and operations の代表 James Cross 氏は、彼の会社は「症候性の人でもあるいは非症候性の人でも、血液検査や脳画像検査をアルツハイマー病の診断、あるいは評価のために医学上必要であるとは考えていません。なぜならこれらの臨床的価値がいまだ明らかにされていないからです」と言う。
 遺伝子検査はいくらか実施しやすいが、保険業者らは通常それに対して支払いをしない。
 その上、長期医療保険業者らが保険証書を発行すべきか否かを評価するときに遺伝子検査の結果を用いる可能性があると遺伝カウンセラーらは警告する。遺伝子情報差別禁止法は、健康保険業者や雇用者らが遺伝子情報を基に人を差別することを禁じている。しかし、生命保険業者や長期医療保険業者らには同法や適用されない。
 「遺伝子検査を受ける前に、生命保険や長期医療保険を受けておくべきです」と Columbia University Medical Center の Taub Institute で認定遺伝カウンセラーをしている Jill Goldman 氏は言う。
 晩期発症型アルツハイマー病の遺伝子検査に関与するのは19番染色体上の apolipoprotein E(APOE、アポリポプロテインE)遺伝子という一遺伝子である。この遺伝子は E2、E3、および E4 の異なる3つのタイプからなる。すべての人が両親それぞれから一つの型、つまり対立遺伝子を受け継ぐ。1つまたは2つの E4 型を持っているとその人がアルツハイマー病を発症するリスクが3倍から15倍高くなる。
 しかし、晩期発症型アルツハイマー病を発病する患者の約半数は E4 対立遺伝子を全く持っていない。そのため、専門家によれば、無症候の人に対して行われる遺伝子検査は決定的でないしそれほど参考にもならないという。晩期発症型アルツハイマー病については、「遺伝子検査の予測価値は低いのです」と、Mount Sinai Alzheimer’s Disease Research Center の所長 Mary Sano 氏は言う。
 しかし、たとえそれが決定的でないとしても人は情報を欲しがる場合がある。
 父親が89才でアルツハイマー病で死亡した Brian Moore 氏は自身の本疾患の遺伝的リスクについてもっと多くを知りたいと思っていた。48才の Moore 氏にはとりわけこの検査を理解できる下地があった。Southern Illinois University’s School of Medicine で病理学部門の共同議長を務める神経病理学者である彼は、アルツハイマー病で死亡した数百例の患者の脳の剖検を行っていたのである。
 Moore 氏は299ドルで100以上の疾患についてのリスクの遺伝子解析を提供する企業 23andMe 社に連絡をとった。扱われる疾患の中にはアルツハイマー病も含まれており APOE 遺伝子を基本に行われる。同社は彼に唾液を採取するための容器を含めた標本キットを送付し、彼は解析のためにラボにそれを送り返した。約6週間後、彼は同社のウェブサイトにログオンし、彼の2つの対立遺伝子がいずれも最も頻度の高い遺伝子型である E3 であることが判明した。このことは少なくとも APOE 遺伝子に関係する限りにおいて彼のアルツハイマー病のリスクが平均的であることを意味している。
 「それは安心材料となりました」と彼は言う。「それが決定的ではないことも、環境や生活習慣も関連していることもわかっています。でも少なくともその大元のところを保証してもらえました」
 The National Society of Genetic Counselors and the American College of Medical Genetics(アメリカ遺伝カウンセラー学会およびアメリカ医科遺伝学会)の診療ガイドラインでは、晩期発症型アルツハイマー病についての消費者直販の APOE 検査を受けないことを勧告しているが、これは検査結果の解釈の困難さが理由の一つとなっている。
 23andME 社の経営企画および主席法務担当副社長である Ashley Gould 氏は次のように言う。もし自分の結果の理解に援助が必要であれば、相談する遺伝カウンセラーの用意がある。このサービスにはレベルに合わせた料金設定により電話で受けることが可能である。
 しかし APOE 遺伝子の場合、その情報はあまり有用ではないと指摘する専門家がいる。
 「実際にこの疾患に影響を及ぼすと分かっていることは生活スタイルと関連しています」と San Antonio にある University of Texas の生物学部の学部長で教授の George Perry 氏は言う。彼は Journal of Alzheimer’s Disease 誌の編集委員長である。「精神的にも身体的にも活動的であること、果物や野菜の多い食事を摂ることです。これらによって本疾患の発症のリスクを少なくとも半分に抑えることができるのです」

確かに APOE4 遺伝子を持つ人では持たない人に比べて
アルツハイマー病発症に関連があるとされる
脳内のβアミロイドたんぱくの
蓄積量が多いのは事実のようである。
しかし、この遺伝子を持つ人ではアルツハイマー病になる
リスクが高いのは確かであるものの、
逆にアルツハイマー病患者でこの遺伝子を持つ人の割合は
さほど高くはない。
一方、糖尿病や脂質異常症も
アルツハイマー病のリスクファクターとして重要である。
リスクを知ることが生活習慣の改善につながるとしたら、
それはそれでよしとすべきだろうか?
ワタクシ MrK 自身としては、
現時点でリスクを知りたいとは全く思わないが、
みなさんはどのようにお考えだろうか?

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厄介なお隣さんたち

2012-08-17 23:35:56 | 国際・政治

この夏、日本海、東シナ海、あるいは
南シナ海で勃発する領土問題。
アジアの領土問題については
あくまでも中立の立場を貫こうとする米国では
一体どのように報道されているだろうか?

8月11日付 Washington Post 電子版

In Asia, a wave of escalating territorial disputes アジアにおいてエスカレートする領土問題の波

Escalatingterritorialdisputes
2012年7月20日金曜日に撮影されたこの写真では、中国漁船が南シナ海の海南諸島沖の Meiji 礁の礁湖内を航行している。ベトナムも領有権を主張している南シナ海にある離れ小島上への新しい都市開設を中国は盛大に行った。

By Chico Harlan,
 係争中のアジアの島や小島は概して印象的の薄い集まりである。ほとんどが岩でできていて、どの本土からも遠く離れたところにある風にさらされた岩礁である。一つの島には灯台があるが人はいない。
 しかしアジアの南西から北東に延びるこれらの小さな領土は、ナショナリズムと、それらの沖合にある天然資源の獲得欲の高まりによって活気づく国々の間で激しく争われている。アジアにおいて、アメリカがより大きな役割を果たことを約束している時期において、これらの領土は北朝鮮とは別個に、この地域の最大の火種となる可能性を持っていると指摘する安全保障の専門家がいる。
 少なくとも3つの主要な海域で領土問題はほぼ12ヶ国を巻き込んでおり、それらは世界の最も交通の多い航路のいくつかにおいて混沌とした意見の食い違いを引き起こしてきた。それらの紛争はすべて関連するものではないが、中国、日本、韓国そしてフィリピンなどのアジアの主要数ヶ国はここ数ヶ月同様の傾向をたどっており、古い歴史的な言い争いを国家的優先課題にすり替え、緊張をエスカレートさせ小規模な武力衝突の危険性を高めていると識者は見ている。
 それらの国々は遠く離れたこれらの領土を主張せざるを得ないわけだが、それらの周辺の海域にある石油やガスに対する要求の高まりがその一つの理由となっている。日本は原子力からの転換のため長期的なエネルギー不足の懸念がある。一方、既に世界のエネルギー消費量の5分の1を占めている中国は、その経済の近代化に伴ってその取り分を増やすのに必死となっている。
 「この地域においてエネルギー資源は徐々に重要な問題となっています」と、Sydney に本拠を置く Lowy Institute の国際安全保障部長の Rory Medcalf 氏は言う。「特に中国と日本の立場からすると、エネルギー保障の新たな必要感があります。これらの国々の中で、大量の炭化水素鉱床が存在する可能性のある地域の領有主張をあっさりと手放したいものはいないでしょう」
 これらの国々は、時には小規模かも知れないが荒々しい自国内の国家主義的運動にも後押しされている。一部の識者によると、そういった国家主義は、特に、数億人のインターネット利用者が意見を共有し国民感情が従来に増して無視できなくなっている中国では、ソーシャル・メディアによって増強されているという。韓国や中国は今年首脳の交代が予定されており、政府当局は主張に弱腰になることや弱気に見えることに対して神経質になっている。
 「私たちは国々が領土をめぐって戦争を始めた歴史を見てきました。その土地は意味のないように見えたとしても、それが国土というものなのです」Heritage Foundation の北東アジアの専門家で上級研究員の Bruce Klingner 氏は言う。「岩をめぐって大火のリスクを国が冒すのは不合理に見えるかもしれませんが、そういったことが実際に起こっているのです」

Tenuous relationships 危うい関係

 最も目立っている現在の紛争には、日本と韓国、中国と日本、そして中国とフィリピン・ベトナムをはじめとする複数の東南アジア諸国がある。
 増大する軍事費と海軍力を有する中国は、その国境を押しつけ、小さい隣国をおじけづかせていることから、しばしば外国の首脳らに同地域のガキ大将(bully)と名指しされている。しかし他の国々はそれぞれの武力を示すことで対応してきた。東南アジア数ヶ国は米国との同盟関係を強化し、共同軍事演習を行ってきた。日本は紛争海域の防衛を強化させる目的で自衛隊を再編成した。7月、フィリピンのBenigno Aquino Ⅲ(ベニグノ・アキノ3世)大統領は議会に対して南シナ海の紛争領域の防衛に用いる新しい航空機と戦闘ヘリコプターを含む大規模な軍事強化を承認するよう要請した。
 「もし誰かが自分の庭に入ってきてそこは自分のものだと言ったらそれを許しますか?」と Aquino 氏は言う。「本来我々のものであるものを引き渡すことは正当なことではありません」

Escalatingterritorialdisputes2
 領土問題に対処することはアジアの首脳にとって悩ましい問題となっている。大きな批判を浴びている一つの動きが10日にあった。韓国の Lee Myung-bak(李明博、イ・ミョンバク)大統領が、自身の低い支持率を回復するための明らかな策略として、日本も領有を主張している Dokdo 独島(竹島)に70分滞在するためにヘリコプターで向かったのである。
 「Dokdo は紛れもなく我々の領土である」と同島で Lee 氏は言い、その領土を守るために死亡した韓国人を追悼する記念碑の前に花を捧げた。
 「大局的見地から問題を考えなければならないこの時期になぜ彼はそこを訪れたのか?」すぐさま日本のKoichiro Gemba(玄葉光一郎)外務大臣はそう述べている。「これは極めて遺憾である」
 安全保障の専門家たちによると、日本と韓国の不和が武力衝突に至る可能性はほとんどないという。なぜなら、アジアにおけるアメリカと最も親密な同盟国であるこの2ヶ国は、日本による35年間の支配以降延々と続く敵対意識があるにもかかわらず、きわめて協力的な経済パートナーであるからである。

Disputes with China 中国との紛争

 しかし、この地域の他のエリアは特に中国が領有を主張するエリアでさらに厄介となっている。Brussel を本拠地とする International Crisis Group からの最近のレポートは、中国が、対立し合っている複雑な政府系機関である “nine dragons” がどのようにして同海域をパトロールしているかを説明している。それら機関の多くは自身の権力と予算を増やすことを目論んでいるという。
 このレポートによると、人民解放軍海軍は海洋紛争において裏方の役割を果たす向きがあり、民間の法執行機関や準軍事的な機関に対してより大きな役割が与えられているという。紛争地域のスカボロー礁近くで中国の漁民が領海侵犯をして拿捕されて始まった4月の中国とフィリピンの間の対立に見られるように、数を増す自分勝手に行動する中国漁船が紛争エリアにおいても活動しているのである。結局中国はこの対立に勝利し、この漁民たちはこの拿捕を逃れている。
 米国はそれら様々な紛争には中立を保つようにしてきたが、航行の自由の重要性を強調する。6月の Aquino 大統領との会談中、Obama 大統領はアジアの国々に、“この領域の海上紛争を統制する確固たる一連の国際的な規範や法規” を決定するよう求めた。
 しかし、地域の指導者たちはいかなる法規に対する合意に至っておらず、7月のカンボジアでの外相会談でも南シナ海に関する紛争で基本となる共同声明すら得られないまま首脳たちが立ち別れる結果となっている。
 ワシントンにあるシンクタンク Center for Strategic and International Studies(戦略国際問題研究所)による最国防省により委託された最近の提言では、中国の挑戦的な海洋活動のためにこの領域の“危険性が高まっている”ことが指摘されている。
 このシンクタンクによるアジアにおける米国の戦略についての提言はオーストラリア沿岸に原子力空母を配備する可能性を高め、米国がこの領域に2番目の空母攻撃群の配備を容認するものとなっている。
 しかしオーストラリアの国防相は即座にこの考えを拒否しており、オーストラリアの識者は、同国が最大の貿易相手国である中国の反感を買うことには気が進まないと述べている。

今回の香港の活動家たちによる
尖閣諸島・魚釣島への不法上陸が
どういう意図で行われたのかはわからないが、
中国政府が様々な団体に好き勝手に?させている
活動の一環である可能性はありそうだ。
一方、韓国は
イ・ミョンバク大統領の利己的パフォーマンスに
彼の国中が踊らされているのが事実である。
韓国の経済基盤の脆弱さを考慮すれば、
実に国益に反した行動が行われていることに
韓国国民が早く気付くべきである。
米国は一貫して中立の立場をとっているようだが、
記事の論調からは、日本の冷静な姿勢が
最も評価されているように受け取られる。
日本としては世界の “ジャイアン” たる米国に
おすがりする “スネオ” 的行動をとるのではなく、
毅然とした姿勢で、周辺のややこしい国々に
立ち向かっていただきたいと思うのである。

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