MrKのぼやき

煩悩を解脱した前期高齢者男のぼやき

キス&クライ・イン・バンクーバー

2010-02-26 20:17:15 | スポーツ

バンクーバー・オリンピックも終わりが近づいた。
今回も色々な場面で感じるのだが、
たかがオリンピック、という風に割り切ることは
できないものか。
国母選手のドレス・コードの問題もしかりだが、
ことフィギュアスケートにおいては異様なまでの
敵対心?興奮…
日本、韓国両国の威信をかけて…とは、大げさな。
結局、キム・ヨナ選手が順当に金メダルを獲得。
喜びの涙のキム、くやし涙の真央。
日本人にとって今オリンピック唯一の興奮は終わった。
今はただ、浅田選手の健闘を称えたい。

ところで、常々感じていたのことだが、
フィギュアスケートで演技を終えた選手が採点を待つ
あのブースからのあの映像はいかがなものか。
少なくとも日本人の好みに合ったシーンではないと思う。
このブース、
日本でもマスコミに用いられているのを時々耳にするが
『kiss-and-cry area(キス&クライ・エリア)』と
呼ばれているらしい。
演技に失敗した選手に対する徹底的なズーム・インは
残酷だ。
さらに選手のつぶやきを一言一句聞き漏らさじと、
高感度マイクで集音する。
他の競技と違って、フィギュア・スケートには
視聴率獲得を目的としたショー的要素が
あまりにも強すぎるように感じられる。
これも北米的エンターテインメント魂の表れと
見るべきなのだろうか?

2月21日付 New York Times 電子版

After Skating, a Unique Olympic Event: Crying スケート演技が終わった後で…独特なオリンピックのイベント、号泣

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左から、ロシア Yevgeny Plushenko 選手、カナダ Anabelle Langlois 選手と Cody Hay 選手、アメリカ Evan Lysacek 選手

By JULIET MACUR
ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー発
純粋なスペクタクルとして、オリンピックは開会式、閉会式、ならびにその間多くのメダル授与式を見せてくれるが、どこかわだかまりを感じさせられるものに、オリンピックのキス&クライ・エリア(悲喜こもごもの場)がある。

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木曜日、男子フィギュア、フリー演技後にキス&クライ・エリアで待つ米国の Evan Lysacek 選手

 演技終了後、フィギュアの選手たちは採点結果が出るまで、時には数分間、リンクのすぐ脇にある場所に彼らのコーチとともに待機する。カメラは彼らの表情を捉え、マイクはすべての音を拾うが、他のいかなるスポーツで見ることのない、不安、涙、歓喜、あるいはそれらすべてに満ちた光景が展開される。
 そのキス&クライ・シーンの生々しい激情があまりに人を惹きつけるため、演技の場所以外ではめったにお目にかかれない一定レベルの演出が要求される。先週、男子のショートプログラム後の Evan Lysacek の涙の会見に観衆は釘付けとなったが、このショートプログラムでは、2日後の金メダルの演技のお膳立てとなる失敗のないスケートを披露した。
 「『やめろ、やめるんだ』とずっと言いたかった」と、彼のコーチである Frank Carroll 氏は言う。「私はある意味大変冷静で、お行儀がいいのかもしれない。スキージャンプの選手が勝っても、泣き出すことはないでしょう。あえてこういう言い方をしてみたいのです。フィギュアスケートの選手にも泣いてほしくはないと。」
 しかし、そういったケースでは、今回の冬季五輪の月曜日のフリーのアイス・ダンスや木曜日の女子のファイナルを放映する予定のNBCなどの放送局は喜んでその瞬間を捉えようとする。明らかに、それはオリンピックにおいて、視聴率の稼ぎ頭としてのフィギュアスケートの地位確保に一定の役割を果たしてきた。
 「スケート選手にとって、それは苦痛な数分間となる可能性があります」と、NBCのオリンピック放送の上級プロデューサーで、同ネットワークのフィギュアスケートのディレクターである David Michaels 氏は言う。「私たちにとっては都合が良いのですが」
 「今や、それは我々の放送の中できわめて重要な部分なのです。それは青いカーテンや傍らのバケツ一杯の花からプラスチック製の氷像やばかげたセットまですべて重要です。みんなが必死になって考え出そうとしている大きな企画要素になっています」
 このキス&クライ・エリアの企画を担当しているのはイベントの主催者だが、NBCはそういった企画を見直してきていると Michaels 氏は言う。同ネットワークはしばしばその場をより写実的に、またテレビのセット然とならないよう照明を調節していると彼は言う。さらにNBC のカメラ一台を小さなクレーンに取り付け、そのキス&クライを上方から覗きこむようにしているそうである。
 1960年代に初めてオリンピックが世界中にテレビ放映された時、セットははるかに簡素なもので、選手がスコアを待つための正式な場所もなかった。レポーターやカメラマンはしばしば、選手がリンクから出てくるところで彼らを捉えていたものだった。
 ニューヨーク州 Lake Placid で行われた1980年の冬季オリンピックではリンク外の区域が木の葉で飾られたと、プロデューサーたちは言う。1984年のサラエボ大会でベンチ付きの正式の場所が登場した。1988年のカルガリー大会では意図的な背景と照明を備えた立派なセットが登場した。
 様々なプロデューサーたちには、キス&クライ・エリアがその名を得るに至った様々な思い出があるが、そのポイントについてあるテレビ局の一人は次のように言う:『そこは、選手たちがキスをする場所であり、スケーターたちが泣く場所だ。だからこそ、キス&クライなのだ!』と。90年代前半までに、その呼び名は定着した、と Doug Wilson 氏は言う。彼は40年以上にわたってABCのフィギュアスケートの放送を指揮してきた同局の古くからのプロデューサーかつディレクターである。
 フィギュアスケートを劇場に仕立て上げることは売り上げに直結する、と Wilson 氏は言う。
 「キス&クライそのものの価値は最小限のものです。果たしてターゲットが何なのかを見出さなくてはなりません」と、彼は言う。「真の価値は、気を緩め隙を見せている人間が見られるということです。きわめて特別な時間なのです。ほとんどの人はそれについて考えませんが、もしキス&クライにかける総放映時間をスケーティングの時間と比べてみると、それは大きな割合となっているのです」
 ファンから投げ込まれたぬいぐるみをつかみ、茫然としているように見える選手もいる。この上なく幸せに、あるいは少なくともそんなふりをしているものもいるが、彼らはきまり悪そうにカメラに向かって手を振り、自宅でテレビを見ている人たちにあいさつをする。またある者は秘密のしぐさで友人や関係者にメッセージを伝える。あるいは、固く噛みしめた歯のすき間からぶつぶつと独り言を漏らすことを覚え、それによって微笑んでいるように受け取られている選手もいる。
 自分自身に語りかける者もいる。1993年、プラハで行われた世界選手権では、米国の Nancy Kerrigan は出来の悪かったフリーの演技の後、色々なやり方で、自身の感情を表に出した。起こったことが信じられないと言いながら。最後に「死んでしまいたい」と言って独り言を終えた。
 時には、事態があまりにも緊迫することになってコーチと選手がお見合いデートでうまくいかなかったような関係になることもある。選手がリンクを後にしても演技は終わらないのである。
 10回のオリンピックでコーチを務めてきた71才の Carroll 氏は、マイクがいたるところに備え付けられているので選手には話しかけないようにしていると言う。
 「自宅にいる友人から、もっと笑顔でいるべきだと言われますが、私は何を言えばいいというのでしょうか?おお、すばらしい、彼女は国内選手権を落とした、とでも?つまらないことです」と彼は言う。「何が良くて何が悪いかを話したいところでしょうが、結局は意味のないことを話してしまうのです」
 所属のスケーターにキス&クライのトレーニングを行っている国内のスケート連盟がある。ペア演技でAmanda Evora と滑る Mark Ladwig は米国フィギュアスケート訓練プログラムに参加したが、そこで模擬的キス&クライに参加したと言う。
 「そのビデオはそわそわし、口を巧みに動かしている人を示していたり、こんなふうに下品に座っている女性が誰なのかを示していました」と、Ladwig は自分の股を開きながら言った。「Amanda と私は栄えある米国チームのメンバーのように見えることを確信しています。私たちのスポーツはきわめて技術的ですが、美的なスポーツでもあるのです」
 Ladwig や他のスケーターたちは、キス&クライの場で何を語るべきか、あるいは何を語ってはいけないかについて指図されることはないと言うが、いかなる時にも見られているということを肝に命じるよう言われている。恐らく、2度米国チャンピオンになった Jeremy Abbott ほどそのことを痛感している人はいないだろう。
 2008年の国内選手権では、彼は自分のスコアを見て悪態をついた。翌年の同選手権での演技の後には、彼はさらに、カメラと自分の頭に向けて銃を撃つしぐさをした。そして、こう叫んだ。『カンフー大好き』と。なぜなら、彼は映画『カンフー・パンダ』に触発されていたからである。
 「私は単に悪趣味な男だったとは思いますが、非礼などを働こうとするものではありませんでした」と Abott は言う。「クレームがあるということを米国フィギュアスケート協会から通告され、私は静かにしていなければならなくなりました」
 2度オリンピックで優勝し、長い間スケートのコメンテーターをしている Dick Button は、キス&クライはそういった台本のない瞬間を求めて作られたと言う。
 「それがテレビというものです、皆さん、頑張ってください!テレビを制作するとはそういうものだということです」と、Button 氏は言う。

韓国国民は、キム・ヨナの金メダル獲得に加えて
日本を打倒したことでその喜びもひとしおだろうが、
あどけない表情やしぐさの浅田真央は彼らにとっても
決してにっくき敵(かたき)ではなかったことだろう。
残念ながら、今回のキス&クライでは
浅田選手の喜び一杯の笑顔を見ることはできなかった。
4年後のソチ・オリンピックでこそ、
私たち視聴者に最高のキスをいただきたいものである。

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仮病じゃないんだけど…

2010-02-21 13:51:02 | 健康・病気

恒例の Medical Mystery のコーナー

2月16日付 Washington Post 電子版

Migraines, memory loss: Was it all in his head?  片頭痛・記憶障害:頭の中をそれで説明できたのか?

Pots

Adam Hammerman 君の治療は薬、運動、高ナトリウム食、水分摂取

By Sandra G. Boodman

Karen Hammerman さんは息子が混乱しているのがわかった。そして、彼がその理由を話した時、彼女は動転した。当時16才で、Montgomery 郡のCharles E. Smith Jewish Day School の高校2年生 Adam Hammerman 君はウイルス感染で学校を一週間休んでおり、欠席中の課題が何かを知るため数人のクラスメートに電話した。
 「どこかがおかしいんだ」と、昨年の5月、彼は母親に言った「友達が皆、僕に腹を立てているんだ。自分がもう5回も電話をかけてきていると彼らは言って、それ以上僕に話そうとしない」。しかし、Adam には何回も電話した記憶がなかったのである。
 そういったできごとが一回だけではなかったことをやがて Karen Hammerman さんも知ることになる。ある朝、Adam がシャワーを浴びようとしていたところ、鏡に映った自分を見て叫んだ。前日に髪の毛を切ったことを覚えていないと言った。さらに、車で迎えに来てくれる時間を聞くために学校から彼が母親に電話しても、その5分後には同じことを聞くために再び電話をかけていた。
 「要するに、16才のアルツハイマーの患者と生活しているようなものでした」と Karen Hammerman さんは思い起こす。
 非常に多くの検査を行ったが、Washington や Baltimore の十人以上の医師は突然で高度な Adam の記憶障害の原因を見出せなかった。「彼らは私に、『こんな状態は見たことがない』、さもなければ、彼が芝居をしているのでは、と私に言うのです」と、母親は思い出す。ある神経内科医の助手は、明らかに心因性と考えられる問題にHammerman さんが高額な費用を要する検査を強く求めることに対して強く非難した。
 Hammerman さんが息子を検査から検査へと連れまわしていた時、彼女は「自分の心の中でおろおろしていた」と語る。もし Adam の障害が精神的なものであるなら、彼女はそれを受け入れることができただろうし、それで彼も救われると思っていた。しかし、なぜ彼が芝居をするというのか?そして、なぜそれはウイルス感染の後に始まったのか?
 実のところ決め手となる重要な手掛かりは、Rockville 市に住むこの家族が原因を求めて国中をめぐりついに発見されるまでの2年間の医療記録の中に埋まっていたのだった。
 問題の最初の症状は2006年に起こった。Adam が台所に入ってきた時、突然彼の視覚が後退し一時的にめまいを感じた。その症状は数秒間で収まったが、その後も繰り返した。目の検査は正常で、MRI 検査も正常だった。神経内科医や神経眼科医はともに腫瘍を除外し、頭痛を伴っていないけれども片頭痛ではないかと疑った。
 2007年には、特に朝、起床時に、間欠的なめまいと頭痛を訴え始めていた。神経内科医は彼が、身体の様々な部位への血流をコントロールする自律神経系の調節障害である POTS(postural orthostatic tachycardia syndrome:体位性起立性頻拍症候群)と呼ばれる疾患の症状である可能性を考えた。POTS の患者には体循環の障害があり、起立時の急速な心拍数の増加と血圧の低下が特徴とされる。
 POTS はいまだ十分に解明されておらず、その原因は不明である。この疾患は時として、妊娠、外傷、あるいはウイルス感染の後に、15才から50才の女性に多く見られる。POTS の患者はしばしば意識を消失するが、Adam にはそれは見られなかった。斜面台検査(患者を台に固定し、台を傾斜させながら血圧や心拍数を監視する検査)と呼ばれるPOTS 診断の鍵となる検査は陰性だった。Adam の血圧に変動が見られなかったため、と Karen Hammerman さんは説明を受けた。
 この病気が何であれ、それほど Adam を苦しめるものではないように思われた。そして、多くの深刻な疾患が除外されていたので、いずれ彼はこの状態から脱却できるだろうと医師たちは予測した。
 しかし事態はウイルス感染後に変わった。そのウイルスは、発熱、倦怠感、関節痛を伴った通常のインフルエンザのように思われた。一旦症状は回復したが、明らかにどこかがおかしくなった。記憶障害が最も顕著な症状だったが、Adam は倦怠感が強く、ほとんど常時頭痛を訴えた。
 小児科の主治医は血液検査を依頼したが、その結果から Lyme 病が疑われたため、抗生物質の服用が始められた。またMRIでは副鼻腔の感染が示唆された。神経内科医は水頭症を併発している可能性があると考え、感染症の専門医に彼を紹介し、別の抗生物質が処方された。一方、耳鼻咽喉科の専門医は副鼻腔炎を否定した。
 別の神経内科医は Karen Hammermanさんに、彼の症状のいくつかは POTS で説明できるが、記憶障害を伴った POTS の患者は見たことがないと告げた。「私たちに会話を控えるべきだと彼は言いました:『もし記憶障害について触れ続ければ、彼はそれに注意を払い続けるでしょうから』と言われたのです」と、Hammerman さんは言う。「2週間、記憶障害を気にしないようにしましたが、彼はさらに悪くなってゆくばかりでした」
 Adam にはそのころからの数ヶ月、ほとんど記憶がない。「私はおびえていたのを覚えていますが、毎日毎日びくびくしていたわけではありませんでした」と彼は言う。「私はすべての医師のところに行くのに少しうんざりしていましたが、一方で原因を解明してもらえることを期待し続けていました」
 医師たちによって、てんかん、片頭痛、Lyme 病あるいはウエストナイルなどの重篤なウイルス感染が除外され、一つの意見に落ち着いた:すなわち、Adam の記憶障害が本物ではないというものだ。ある神経内科医の助手は単刀直入に言った。「検査はすべて正常で彼にはどこも悪いところがないにもかかわらず、あなたは息子さんへの検査を要求している」。Hammerman さんによれば、別の専門家は彼女に、「Adam の記憶障害の程度を考えると、MRI所見はスイスチーズのようになっているはずです」と告げたという。
 医師たちから言われたことを彼女は Adam には伝えなかったが、医師たちの言うことは正しいのではないかと時々思うことがあった。しかし彼女は一つのエピソードを忘れることができなかった。この一年、Adam は免許証を取れるようになる日までをカウントダウンしていた。しかし夏の間、彼は実に調子が悪かったので運転をやめるべきだろうと母親に話した。16才の少年が果たして楽しみを自ら駄目にしてしまおうとするだろうか、と彼女はいぶかしく思ったのだ。
 9月、二人の医師から新たな小児心臓医、Northern Virginia の Hasan Abdallah 氏を紹介された。それまでに、Adam の両親は徹底的な精密検査のためにミネソタ、Rochester にある Mayo Clinic に彼を連れてゆくことに決めていた。
 Abdallah 氏のアプローチは違っていた。Adam は15分間検査台に横になり、心拍数や血圧だけでなく手足の様子もモニターした。Adam が立った時、変化は劇的だった。彼の心拍数は約40回急増し(Abdallah 氏によれば、10~15が正常)、彼の顔から血の気が引き、手足は牛肉のような赤色から、蒼白に変化したが、これは循環障害の徴候である。
 Adam とまさに同じように、ウイルス感染の後、重篤な記憶障害を来たし、症状を演じていると非難されていた十代の POTS の患者を何人か治療したとことがあると Hammermans 夫妻に Abdallah 氏は話した。他の疾患に類似したところが多く、新しい疾患である POTS にあまりなじみがなく、記憶障害を伴うPOTS の患者を見たことがない医師が多いことから、誤診されることが多いと Abdallah 氏は言う。
 「こういった子供たちは嘘をついているようにまわりから思われているためひどく傷ついています。医者を転々と変え、精神的に落ち込み孤立してゆきます。そして親たちも子供同様、苦しむのです」と、彼は言う。
 Adam は有頂天になったが、最初のうち両親は疑っていた。「私たちは懐疑的でした。なぜなら、これまで他の病院では原因を見つけることができなかったからです」と Karen Hammerman さんは言う。「確信を持ちたいと思っていました」
 6日間の精密検査が終って3週間後、Mayo の専門家たちは診断を確定した。そのうちの一人が Adam の父 Ira Hammerman さんに、彼の小児 POTS の患者の10~20%に、Adam と同じような記憶障害が見られていると説明した。Karen Hammerman さんと Mayo の医師が膨大な Adam の記録を見直し、2007年の斜面台検査の報告書を引っぱり出した。それは POTS としては陰性所見だったと説明されていたものだった。しかし、実際には起立時に Adam の心拍数は有意な増加を示しており、血圧には顕著な変化を認めなかったものの同疾患の重要な診断基準に合致していたことが示唆された。
 Adam は現在、Mayo の厳密な治療計画に従っているところだ。これには、薬物、運動、さらには血流量を増加させ循環を改善させるための高塩分、高水分の食餌療法が含まれている。また定期的に Abdallah 医師の診察を受けている。彼の記憶力は改善してきており、彼の学校も対応を行っている。「徐々にですが、着々と高校2年生の生活に復帰できつつあります」と彼は言う。
 彼の両親は、彼が完全に回復してくれることを期待している。思春期では完全な回復の方が不完全な回復より頻度が高いと見られている。「必要と思うことは何でもするように彼に伝えています。大学進学も含めてですが、果たしてそれがいつのことになるやら」と、Karen Hammerman さんは言う。
 Hammerman さんが経験したのと同じような懐疑心に直面する親たちへの彼女のアドバイスはシンプルだ。『自分の子供を信じなさい。そして自分の直感を信じることです』

POTS(体位性起立性頻拍症候群)は、
その多くが若年者に見られるが
いまだ原因がはっきりとわかっていない疾患だ。
起立性低血圧とちがって、
起立時に明らかな血圧の低下はないものの、
著しい頻脈発作を生ずる。
動悸、立ちくらみ、全身倦怠感、頭痛、ふらつき、
さらには、認知障害など様々な症状が見られるが、
血圧の変動がないため原因不明とされ、
記事中にあるように
精神的なものと片付けられる可能性がある。
起立時の脳の循環障害が顕著な症例も多く、
今回のケースのような脳の機能障害を生ずることも
まれではないようだ。
治療としては
起立時の下半身への血流貯留を軽減するための運動療法、
高Na 食などの食事療法、適度な水分摂取、
血管収縮薬などの薬物療法があるが、
原因がわかっていないため、
いずれも対症療法の域を出ない。
むずかしい病気があるものだ。

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正常な脳の老化とは?

2010-02-13 21:25:27 | 健康・病気

70才を過ぎた方から(時には60才代の方からも)、
「最近、よう物忘れがしてやれん。
アルツハイマーじゃないかいの?」と、
よく訊かれる。
年齢的な記憶力の衰えと、病的な記憶障害…
どこが境界なのか?
難しい問題だ。

2月9日付 Washington Post 電子版

Memory lapses are common and increase with age; when do they signal Alzheimer's? 記憶力の衰えはよくあることで年とともに進行する。いつの時点でアルツハイマー病の前兆と言えるのか?

Memorylapse

By Rachel Saslow
Where did I park my car? どこに車を止めたっけ?
What is that lady's name? あの女性の名前は何だっけ?
Where are my glasses? メガネはどこに置いたっけ?
 これらは、“年寄りの物忘れ”とか“喉まででかかって”体験と呼ばれる。それらは多くの高齢の(またそれほど高齢ではない)大人にとってありふれたことであるが、どういう時、それらはより深刻なものとなるのだろうか?記憶障害として診断を受けるべきはいつなのかをどうやって知ればよいのだろうか?
 多くの人たちにとってそれが深刻な懸念となってきた理由は団塊の世代がいよいよリスクの高い集団に突入してきたことだが、さらにこの大きな扇動要因となっているのは団塊世代の親たちなのです」と、Emory University の神経内科医の James Lah 氏は言う。彼自身48才で、73才と81才の親を持つ。「その年齢層はきわめてハイリスクであり、自分の親がそうなるのを見ることで、将来の可能性をひどく意識し、心配にさせられるのです」
 軽度の認知障害や認知症のリスクは歳とともに増加する:アルツハイマー病は認知症の主たる原因である。約500万人のアメリカ人はアルツハイマー病を抱えて生きている。疾病対策予防センターによれば、2008年、米国では、同疾患は糖尿病を抜いて死因の6番目となったが、こうして増え続ける理由の一つとして、この疾病に対して進行を止めたり、回復させたりする治療がないことがある。ある研究によれば、本疾患に罹患する率は65才以降では5才ごとに倍増すると推計されている。
 記憶力の衰えは20才代から始まるが、通常は50才代になるまでそれを感じたり心配したりすることはない。昨年 Neurobiology of Aging 誌に発表された研究で、心理学者たちは2,000人の被験者に、パズルを解かせたり、パターンを見つけさせたり、物語で単語や細部を覚えさせたり、その他の記憶のテストを行わせた。最優秀の成績を収めたのは22才だった。迅速な比較を行う能力、無関係な情報を記憶する能力、および関係を見抜く能力は27才までに顕著な低下が始まっていた。この研究によれば、記憶力の低下は通常37才前後で発覚しうるという。ただ、喜ばしいニュースとして、人の語彙力と一般的知識は少なくとも60才までは増加するということがある。
 「40才代、そして特に50才代に達すると、記憶力はそれまでのようには良好ではありません」と、ロサンゼルスにある University of California の精神・老年医学教授 Gary Small 氏は言う。「加齢の脳科学は確かにそのことを実証しています」
 日々の記憶力の減退を過剰に解釈することは健全ではないが、一方で、あなたもしくはあなたの家族に普通ではないと感じられることは何でも医師に相談することは重要である。これを後回しにせず、早めに実行することも賢明な策と言える。なぜなら、Alzheimer 病の治療は完全に有効というわけではないものの、この病気が早期に診断された場合、多少治療効果がある可能性があるからだ。さらに、脳梗塞、薬剤間の有害な相互作用、あるいは甲状腺異常など、記憶障害をもたらし得る他の病態について医師に見極めてもらえる可能性もある。
 うつ病、ホルモン異常、ストレス、疲労あるいは貧しい食生活など、ごく普通に見られる状態も記憶障害の原因となり得るため、時に生活様式の変化が記憶機能を回復させることがある。もっとも有効な記憶力保護のライフスタイル戦略は運動であると、Small 氏は言う。毎日わずか10分間のきびきびしたウォーキングによってその人のアルツハイマー病の発病リスクが下がる可能性がある、と彼は言う。Lah 氏によれば、彼の男性患者は皆、社交ダンスを始めてはという提案を嫌うという。社交ダンスは、たとえば、ゴルフに比べて認知症の予防効果が大きい。なぜなら、社交ダンスは肉体的によりきつく、より活動的な思考過程が求められるからである。
 「それはいつもむずかしい議論の間でくすくす笑われるだけなのですが」と彼は言う。
 頭の働きを維持するために、クロスワード・パズル、音楽の演奏、あるいは外国語の学習など“脳の健康体操”を始める人がいる。Nurology 誌に昨年発表された研究はこのアプローチの裏づけを行っている。週に1回、そのような11種類の活動を行った人は、週に4種類の活動だけ行った人に比べて約1.3年急速な記憶力の障害を遅らせた。しかし、こういった脳の体操プログラムのどれもが記憶障害を予防すると主張することは拡大解釈であると、Small と Lah 両氏は言う。
 イチョウの葉を信ずる人もいるが、昨年 Journal of the American Medical Association に報告された研究では、そのエキスは認知症の頻度を減じないことが示された。この他、いくつかの研究によって、有用ではあるが “その証拠は絶大ではない” ことが示されていると Small 氏が言うところの ω-3 脂肪酸や前評判の高いザクロのジュースがある。ザクロの鮮紅色の種には大量のビタミンCや脳細胞を損傷するフリー・ラジカルの攻撃に対抗するその他の抗酸化物質が含まれている。抗酸化物質の摂取とアルツハイマー病のリスク低下との間の関連を示す研究はある。ザクロ・ジュースの摂取が有用であるという主張は、二重盲検、プラセボ比較試験に基づいていなければならないのだが、Small 氏は、そんな成績を見たことはない、と言う。
 「記憶力の衰えについては、問題の程度が重要です。もし鍵を置いた場所を忘れたとしてもそれはよくあることです。しかし、何度も鍵を冷蔵庫の中に入れているとしたら、それは問題です」
 Small 氏の例に続いて、以下に日常よく目にする“年寄りの物忘れ”を挙げるが、それらはさらに問題と思われる状況と隣り合わせの状態にある。
a
正常:鍵を忘れる
異常:鍵を冷蔵庫の中に置く
 鍵が本来ミルクと卵の間に存在するものであるかのように行動することは日常生活に支障を及ぼすレベルの混乱を示し、見受けられる誤りがさらに深刻なものであるかどうかを決定する良い基準となる。従って、もし車の鍵を乳製品用の冷蔵庫の引き出しの中で見つけるようなことがあれば、神経内科医を受診すべきだろうか?いや、そうとも言えない、と National Institute on Aging の行動システム神経科学部門の Molly V. Wagster 部長は言う。
 「たとえば、運転可能な年齢で認知的に健康な人間が、注意散漫な状態でいくつかの包みを抱えている場合を想定すると、彼らは仕事に出かける途中ヨーグルトを取り出し、そのまま鍵を冷蔵庫に置いてしまう可能性はあります」と Wagster 氏は言う。
 人間年をとると一度に複数の仕事をこなすことは一層難しくなる。重要なことは、何かがなくなっていることに気づくことと、それが見つかるまで探し続けるかどうかということである、と彼女は言う。認知症の患者は車の鍵を見つける必要があることも忘れ、仕事に行かなければならないことも忘れる可能性があるのだ。
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正常:どこに駐車したか忘れる
異常:週に一度はどこに駐車したか忘れる
 ワーキング・メモリー(作業記憶)は年を取ると特に障害されやすい記憶の一種である。私たちのワーキング・メモリーには、どこに車を停めたかといったような特殊な目的のために短い時間保持しておくべき情報が含まれる。
 「もし大きなショッピング・モールに隣接する駐車場に車を停め、店に入りいくつかの店を歩いてめぐり、別のドアから出るような場合、ワーキング・メモリーの更新ができなければなりません。なぜなら、異なる位置関係を持って店を出ているからです」と Wagster 氏は言う。「しかし、一度自分の車にたどりついたら、その情報はそれ以上必要ではなくなり」、そのためそれを捨てることができる。
 どこに駐車したかをたまに忘れてしまうのは正常だが、週に一度そういうことがあればワーキング・メモリーに障害があることを示唆し、日常生活に支障を生じるため、これはさらに大きな問題の前兆と言える。
a
正常:人の名前を忘れる
異常:人の名前を忘れ、その人に繰り返し「もう一度、お名前何でしたっけ?」と尋ねる
 ちょうど私たちの筋肉、骨、あるいは皮膚が年を感じさせるのと同じように、年を取るにつれ脳が変化してゆくのは正常に見られることである、と Lah 氏は言う
 70才では20才時と同じように速く走れないのと同じように、70年間持ち続けてきた脳細胞は20才の時と同じように迅速に信号を出したり情報を伝達したりできないのです」と、彼は言う。
 人の名前などの情報を読み出すためには、正しく記憶されていなければならない。それは、初めての人に出会った時、その人の顔、名前、あるいはその人を識別する詳細な事項を学習し、それぞれの知識を結合し強化しなければならない。もしそういったシステムが機能しなければ、読み出しは不可能となるだろう。
 「アルツハイマー病を気にかけている人にとってさらに一層心配な点は、効率の悪くなる箇所がまさにその読み出しの過程ではないということです。情報の学習に関与する神経細胞やネットワークが障害されてしまうのです」
 質問を繰り返すことはアルツハイマー病でよく見られる症状であり、短期記憶の障害の前兆である可能性がある。
a
 正常:ケーブルテレビ用チューナーをプログラムできない
 異常:テレビのスイッチのつけ方を忘れる
 ケーブルテレビ用チューナーのプログライイングはめったにやる必要のないことであり、3台のリモコンやだんだんと複雑化する娯楽システムにより、いくらか助けが必要となるのは正常だ。しかし、毎晩テレビを見ている人が突然リモコンのボタンに混乱したとしたら、それは問題である。記憶障害の患者は、車で仕事に行くこと、好きなゲームのルールを覚えていること、あるいは入浴することなど、普段機械的に行ってきた日常の作業を遂行するのにしばしば困難を感じるようになるのである。

わかったようなわからんような…
家族から見て、明らかにおかしい言動があれば
認知症の始まりとか。
しかしそこに明確な基準はない。
『正常な老化』とは一体何か。
あらためて考えてみる必要がありそうだ。

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高侵襲な低侵襲手術

2010-02-10 21:54:08 | 健康・病気

今やその適応がどんどん広がりつつある腹腔鏡手術。
お腹を切開せず、カメラや鉗子を入れる穴だけを開けるだけで
胆嚢や腸管の手術ができるとすれば、
患者の負担も相当軽くて済み、この上ない。
しかし外科医は、長い時間、モニターを見ながら
身体をくねらせた無理な姿勢を続け、
ほとんど指先だけ使って手術する。
首すじや肩は凝りそうだし、腱鞘炎にもなりそうだ。
毎日手術に明け暮れる外科医にとっては
結構深刻な問題なのかもしれない。

2月7日付  abcNEWS.com

Survey: Minimally Invasive Surgery Causes Surgeons Pain  調査結果:低侵襲手術は外科医に苦痛を引き起こす

Minimallyinvasivesurgery

By JOHN GEVER
 外科医5人のうち4人が、腹腔鏡手術はそれを行う術者にかなりの不快と苦痛を強いると感じている。
 ボルチモアにある University of Maryland Medical Center の Adrian Park 医師らによれば、オンラインのアンケートに答えた外科医の80%以上が低侵襲手術後に手、首、背中、あるいは足に痛みや凝りを感じていると訴えたという。
 ほとんどの症状について、最も強力な予測因子は症例数の多いことであったと、この研究者らは Journal of the American College of Surgeons にオンライン発表した。
 Park らは低侵襲手術がより普及するにつれ、この手術を専門とする臨床医の間で職業病が急増してくる可能性を警告している。
 「現在、特に米国においては差し迫る一般外科医の不足に直面して私たちが社会的に最も避けるべきは、外科医としての活動期間が職業に関連する症状や健康状態によって短縮されてしまうことです」と、彼らは主張する。
 この研究者たちは腹腔鏡手術にしばしば要求される無理な姿勢や長い手術時間に関連した被害を減じることを目的とした現在のガイドラインの改善だけでなく、同手術の人間工学に関するさらなる研究を提言した。
 「低侵襲手術がそれを実施する外科医に及ぼす人間工学的影響がそういった研究によって一層明確にされなければならない(そしてその改善にとりかからなければならない)ことは今や歴然としています」と、Park 氏らは結論づけた。
 今回、研究者たちはこのオンライン調査を行うにあたり、現在 Park 氏が事務局長を務めているアメリカ消化器外科内視鏡外科学会の正会員約2,000人に参加を要請した。
 回答率は14.4%であり、317名の外科医が内視鏡を用いた診療に活動的かつ日常的に関わっているとみなされた。
 このうち、272名が、低侵襲的手術の結果と考えられる肉体的な症状や不快を経験していると訴えた。
Pain During Surgery More Common for Doctors 医師にとって術中の苦痛がより多い
 自覚症状のこの割合はこれまでの研究や調査で認められた15%から60%の範囲の頻度に比べてきわめて高い、と Park 氏らは言う。
 最も新しいものとなる今回の調査は、低侵襲手術を行う外科医の在職期間が長期となっており、その間に被害が蓄積していることをさらに明確に反映している結果かもしれないと、彼らは推測している。
 幸いにも、一般にこれらの症状は持続的なものではなかった。苦痛や不快感が手術直後だけでなくさらに長く続いたと答えたのは回答者の10.8%に過ぎなかった。
 最も多かった症状のタイプは手術中に起こるもので、外科医の20.8%は手術中にのみ症状があったと言い、27.8%は手術中と手術直後に症状を訴えた。
 その他22.4%は、症状は手術直後のみ見られ、持続しなかったと答えた。
 今回の質問票に対して“何も問題を生じない”を選んだのは約15%だった。
 一部の訴えの頻度においては年齢がその要因となっているようだったが、そのパターンは予測されるものとは異なっていた。特に手の痛みは40才未満と60才以上の外科医に最も高い頻度で見られたが、50才代の外科医では最も少なかった。
 回答者の約4分の3はこれら症状が器具のデザインに起因すると考えた。約 40%の人は手術台の装置やディスプレイ・モニターの配置もまたその要因であると回答した。
 一方、昨年の Surgical Endoscopy 誌に発表されたガイドラインにあるような、外科医の人間工学に関して発表された勧告にほとんど関心がないか、あるいはわずかにしか関心がない、と180人以上の回答者が答えている。
 このガイドラインに対するすべての識度の外科医で、その知識を彼らの実践に応用していたと答えたのはわずかに60%だった、とPark らは示す。しかし、人間工学のガイドラインに高い関心を持っていたと答えた外科医の90%以上がそれを役立てていると回答した。
 本研究者たちは、今後の研究は、本調査で十分にカバーできなかった問題、たとえば、モニターの位置や器具のデザインが異なった場合の効果や、腹腔鏡手術中の外科医の不快な症状が患者の治療成績の低下につながるかどうかといった問題に取り組むべきであると言う。
 Park 氏らはさらに、同様の調査が開腹手術で行われることも提唱している。

昔ながらのお腹を大きく開ける手術なら、
外科医も楽な姿勢で行えて、ストレス発散になっていた?
てなことはないのだろうが、
患者さんを楽にするために、
外科医が苦痛を我慢しているようではいけない。
日本ではすでに外科医不足は深刻な状況だ。
手術を楽しく、とまではいかないにしても
苦痛を軽減する努力を続けてゆくべきだろう。

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植物状態の要件

2010-02-06 18:07:32 | 健康・病気

植物状態とはいやな呼び方である。
呼びかけに答えない、視線が合わない、目で追わない、
意図的に手足を動かさない…
それだけでその人が植物と同じ状態だと言い切れるだろうか?
見えない・聴こえないだけかも知れないし、
反応を表出できないだけかも知れない。
全く反応がないように見える患者でも
意識が残されている可能性がある、
常にその思いでケアをすべきなのだろう。

2月3日 TIME.com より

Vegetative Brains Show Signs of Awareness 植物状態の脳に意識の徴候をみる

by AP/Malcolm Ritter
 今回、科学者たちは植物状態にある脳損傷の一部の患者に、意識があることのわずかな徴候を見つけ、さらにそのうちの一人とは疎通がとれた。これはそのような人たちにどのように接し、ケアすべきかの限界を押し広げる知見である。
 この新しい研究は、これまでの標準的な検査では幾ばくか意識のある患者を身落とす可能性があること、そして、いつの日かある種の意思疎通が行えるようになる可能性があることを示す。
 最も印象深かった症例では、その29才の患者に対して、医師がそれぞれ想像するよう要請した特定の光景を視覚化してもらうことによって、はい-いいえの質問に答えることができた。脳スキャンによって、この二つの視覚化が異なる脳の活性化を生じさせていたのが認められた。
 「これが認められた時、私たちは茫然としました」この研究の著者の一人、イギリス、ケンブリッジ大学 Medical Research Council Cognitive and Brain Sciences Unit の Martin Monti 氏は言う。「私は全く驚くべきことだと思っています。5年間も植物状態だと信じられていた患者だったのですから」
 4年前、今回の新しい研究にも参加していた一人の植物状態患者において明らかな意識の徴候が見られることが一つの研究論文で示されて以降、患者の家族は脳スキャンを強く要求するようになった、と American Academy of Neurology のスポークスマンである Darmouth Medical School のJames Bernat 医師は言う。
 事実、ある患者擁護団体のスポークスマンは、この研究者たちが用いた脳のイメージングを要請することを家族に勧める方針であると言った。
 しかし、専門的な脳スキャンが日常的に用いられるようになるまでには、さらなる研究が必要であると専門家たちは言う。「それはまだ研究用の機器なのです」とBernat 氏は言う。
 また、検査を受けた中で意識の証拠が得られたのはごくわずかの患者だったことを専門家たちは強調した。その徴候がどの程度の意識や精神機能を意味するのかも明らかではないと言う。
 彼らはまた、陽性の信号は外傷性脳損傷の患者にのみ認められ、心停止などで起こる脳の酸素欠乏の患者では認められなかったと言う。2005年、栄養の管が抜去され、死亡に至る前、国中の議論の中心となった植物状態の女性 Terri Schiavo さんは酸素欠乏が原因だった。
 水曜日、New England Journal of Medicine にオンライン掲載されたこの新しい研究はイギリスとベルギーの研究者によるものである。著者の一人はベルギーの University of Liege の Steven Laureys 医師である。彼は11月、23年間植物状態と診断されていた46才の男性 Rom Houben 氏に意識があることを示したことで話題となった(Houben 氏はこの新しい研究から除外されたが、それは、評価できるスキャンを行うために脳診断装置の中で十分頭部を静止できなかったからである)。
 この新しい研究では、植物状態にある23名の患者と最低限意識があると診断された31名に対して、functional MRI (fMRI)と呼ばれる脳診断装置が用いられた。
 命令に応じて手足を動かすとか、動く物体を眼で追うなどのことができないと検査で確認されたとき、その患者は植物状態にあると診断される。(彼らは開眼している:昏睡患者では対照的に眼を閉じている)最低限に意識のある患者は意識がある兆候を示すが、それらは最小であったり間欠的であったりする。
 fMRI スキャナーの中にいる間、患者らは二つの状況を想像するよう要請された。一つは、彼らがテニスコートに立ち、インストラクターにボールを打ち返しているという状況;もう一つは、見慣れた通りを移動している、あるいは自宅で各部屋を歩き回っている状況。これら二つの作業を行うと健康な人間では異なるパターンの脳活動を引き起こす。
 本研究では、上記の光景を想像するように要請された時、5名の患者においてそのようなパターンが現れたことが示された。それらの患者のうち4名は植物状態と診断されていた。
 「それはまさに、人の脳を直接観ることによってどれだけ多くのことを知ることができるかを物語っています」と、Monti 氏は言う。
 しかし、今回の結果は、植物状態の脳においてどの程度の頻度で隠れた意識の徴候が認められるのかを解釈することはできない、と彼は言う。また、すべての植物状態の患者がその能力をもっていることを意味しない、と言う。
 交通事故で受傷した29才の患者は、彼の生活について『お父さんの名前は Alexander ですか?』というような簡単な質問を受けた。これに対して、テニスをしていること、あるいは通りや自宅を移動していることの想像上の光景のうち、いずれかを考えることで、『はい』または『いいえ』を答えるよう命じられた。5、6問の質問に対して彼の脳の活動は正しい答えに一致した。
 こういった患者が、このまま生き続けたいと思っているかどうかなど、さらに重要で複雑な質問に答える精神的能力を有しているかどうかは明らかでないと Monti と Laureys の両氏は言う。
 「これに対する最良の取り組み方を見つけ出そうとしているところです」と、Laureys 氏は言う。
 fMRI という診断技術は、植物状態の患者の日常的評価法としても、また意思疎通を可能にする目的で用いるとしても実用的ではないとLaureys 氏は 指摘する。そのため、彼は、脳波の抽出に基づいた、持ち運びしやすい、より廉価な方法の開発に取り組んでいる。
 意思疎通が確認された今、その能力を十分に生かす手段を早急に見出すことが求められている、と New York-Presbyterian Hospital/Weill Cornell Medical Center の Nicholas Schiff 医師は言う。Schiff 氏は今回の研究で Laurey 氏らに協力している。
 この研究に参加していない Harvard Medical School の Ross Zafonte 医師などの専門家からは、今回の脳のパターンでは患者たちが有効な記憶力や他の重要な精神機能を保持しているかどうかについては何も明らかにはされていないとの指摘がある。
 「ただ、これが誰もが見切りをつけてしまった一団の人々であったことから、今回の結果は刺激的であり興味深いものです。しかしそうなると、そこには操作が行われる可能性も否定できません」と、彼は言う。
 たぶん、脳スキャンによって、専門的治療を行うと改善する可能性が高い患者をそれ以外の患者から選び出せるようになるかも知れない、と彼は指摘する。
 権利擁護団体 Brain Injury Association of America の会長で CEO の Susan Connors 氏は、脳損傷の患者に希望があることをこの研究が示してくれていると述べた。
 同団体は、重症頭部外傷後に家族に実施を要請するよう同団体が勧めている検査リストに fMRI 検査を加える方針であると彼女は言う。
 Connors 氏は、脳損傷の愛する家族に行き続けてほしいかどうかを決断する一助としてそのような脳検査を参考にしたいと思う人もいるかもしれないと語る。しかし、それは決定的要因とすべきではない、と彼女は言う。あくまで家族は、本人の希望、宗教的・文化的信念および医学的助言を重視し続けるべきであると付け加えた。
 「これはより多くの情報を私たちに与えてくれることになるでしょう。しかし、最終的な答えを教えてくれることは決してありません」と彼女は結んだ。

植物状態における脳の損傷部位、損傷程度は一様ではない。
fMRI を用いた今回の検査でも、その患者が
聴こえなければ、言葉が理解できなければ、あるいは
視覚的想像ができなければ、
反応する脳の活動を捉えることはできないだろう。
反応が見られないというだけで植物状態だと断じることが
できないのは当然だ。
こういった検査結果が医療費削減を目論んだ治療中止の判断根拠に
直結してゆくことだけは絶対に避けなければならないと思うのだ。

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