新・ほろ酔い気分

酔っているような気分のまま、
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靖国神社参拝にかける存念

2007年08月13日 18時00分45秒 | 国際・政治

 間もなく終戦記念日だ。新聞報道では、安倍内閣の全閣僚が、8月15日の靖国参拝を見合わせるのだという。ひとりも参拝しないということは、極めて異例なのだそうだ。

 もともと安倍首相は、「参拝するともしないとも言わない」などと、不鮮明な態度で終始していた。一国の総理が、隣国との問題発生を懸念し、態度を不鮮明にしていていいはずはない。問題先送りの逃げ腰と理解されるだけだ。

 安倍首相はこの際、靖国参拝について、自らの信念を明解にしてほしい。参院選で大敗し、続投反対の合唱の中、あえて渦中の栗を拾う覚悟なのだから、国民に信を問う意味からも、「靖国参拝」について、存念を披瀝すべきだ。ダメ元の開き直りこそ、今の首相には求められている。

 安倍首相がそんな態度なので、他の閣僚も無理をしない方向になってしまうのだろう。つまりは、そんな人たちなのだ。まったく意気地なしだ。

 靖国神社参拝の宗教的意義について論じるつもりはない。宗教的信条や心情の面で、参拝ができない人がいても、それは止むを得まい。

 ただし、隣国に対する配慮で参拝しないのであれば、「単に参拝しない」だけでなく、参拝しない理由を、明確にすべきだと思う。
 このことは首相に対する心情と同じ。
「戦いに倒れた人々の御霊に対し、尊崇の真を献げ、改めて不戦の誓いを新たにするため、私は参拝をしたい。しかしながら、隣国の人々の理解が得られない現段階においては、参拝を差し控えることとする。今後とも、理解が得られるよう努力を惜しまない」、という内容の演説をする。
 または、
「戦いに倒れた人々の御霊に対し、尊崇の真を献げ、改めて不戦の誓いを新たにするため、私は参拝をしたい。しかしながら、A級戦犯の方々が合祀されている現状においては、隣国の理解も得られまいし、参拝を差し控えることとする」、と明言する。

 本来、参拝するかしないかは、内政問題だ。国際的な発言は必要ないのだが、内政問題としつつあえて発言するぐらいのイヤミはやっていい。

「参拝するともしないとも言わない」と言っても、国際的には何の意味もない。
こんな首相では、国民の誇りが失われる。 

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