hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

むかし、むかし、トイレでは

2018年03月20日 | 昔の話2

          

 

 昭和20年代、住んでいたのは東京の山の手だが、我家のトイレは和式で汲み取り式だった。ときどき汲取人が来て、裏庭にある汲取り口の蓋を開け、ひしゃくで掬い取っていった。やがて、石油のタンクローリーのようなバキュームカーが来て象の鼻のような太い管を汲み取り口に差し込み、ポンプで汲み取っていくようになった。この蓋のわきにミョウガが生えていたので、いまだにミョウガを食べる気になれない。

トイレのドアを開けると男性用トイレがある。その先の扉を開けると和式便器がある。臭くないように使用後は、板につまみのついた木製のカバーを便器にかぶせる。トイレには竹で編んだ籠があり、中に二十センチ位に切った新聞紙が積み重ねてあった。そのままでは硬いので、これをよく揉んでから拭くのであるが、揉みすぎると破れてしまう。今考えると、多分お尻は黒くなっていたのだろう。

やがて、トイレが水洗になった。といっても天井に近いところに水のタンクがあり、そこから垂れている鎖を引いて水を便器に流す水洗式和式トイレである。その頃だろうか、新聞紙がちり紙に代わった。

ちり紙とは、鼻をかんだり、お尻を拭いたりするための専用の紙で、薄くいかにも安そうな粗末な紙で、あらかじめ裁断して売られていた。柔らかくするためにただ単に薄くしたようで、密度が均一でなく、ところどころ向こう側が透けて見えるものもあった。やがて、薄く柔らかいものや、はじめからシワシワになっていて、より柔らかい化粧紙と呼ばれるものも登場した。

庶民の家でも多くのトイレが洋式になる頃、紙はロールのトイレットペーパーになりトイレからちり紙とハエが消えていった。箱からティッシュペーパーをパッと取ると、次のティッシュペーパーが顔を出し、次々、パッパッと紙を取り出すTV・CMを覚えているだろうか。急速にティッシュが普及し、家庭からちり紙が消えた。

1980年に温水洗浄便座が発売され、1982年には、「おしりだって洗ってほしい」のCMが話題となり普及が進んだ。現在普及率は六割に達するという。ただし、熱風で乾燥させるには時間がかかり、依然トイレットペーパーも利用されている。なお、私は海外滞在用に電池で動く携帯型のトラベル・ウォシュレットを購入したが、いちいち面倒でほとんど使っていない。

さらに余談を一つ。

大正天皇の別荘を見学したときに、畳の部屋の真ん中にポツンと木製の椅子があった。お尻のところに穴が開いていて、天皇陛下のトイレだった。椅子の下に箱があり、毎日使用後に医者が成果物を調べて健康診断すると聞いた。さすが天皇陛下。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする