中日春秋 (2022年3月31日 中日新聞) 

2022-03-31 10:58:17 | 桜ヶ丘9条の会

中日春秋

2022年3月31日 
 日本海軍の兵士がカレーを食べるようになったのは明治期。死にも至る病、脚気(かっけ)に悩まされる兵が多く、その対策の兵食改革で導入された
▼今でこそ、ビタミンB1の摂取不足や糖質の過剰摂取が誘因とされるが、当時は不明。海軍軍医の高木兼寛は、英国海軍で脚気がみられないため食事が原因とみて、試行錯誤した
▼米に麦を混ぜて白米偏食を避け、副食を豊かに。カレーは英海軍が採用しており、栄養豊富で大量調理が容易なため導入された。内田正夫氏の論文「日清・日露戦争と脚気」によると、海軍は日清戦争までに脚気をほぼ制圧した
▼海軍の伝統を継ぐ海上自衛隊の基地で二年以上にわたり、食事支給の対象でない部下がカレーを食べるのを黙認し、やはり対象外の自分も食べていた幹部が懲戒処分を受けたという。味見と称し、慣例的に食べていたらしい。海自は各部隊のカレーの味を世にPRしている。規律順守は当然だとしても、ご相伴にあずかりたくなる気持ちも分からなくはない
▼明治の脚気対策だが、陸軍は、作家でもある軍医の森鷗外が細菌が原因と誤って考え、海軍式兵食改革を否定した。栄養の問題は改善されず、日露戦争での脚気の死者は約二万八千人に上ったとも
▼ウクライナに侵攻したロシア軍の苦戦の要因の一つに、前線への食料などの補給不足があげられる。兵の食を甘く見てはいけない。
 

 


アメリカザリガニの規制強化へ 輸入、放出、販売を禁止 (2022年3月25日 中日新聞)

2022-03-26 14:33:05 | 桜ヶ丘9条の会

アメリカザリガニの規制強化へ 輸入、放出、販売を禁止

2022年3月25日 
 
今国会に提出されている外来生物法改正案で、生態系への影響が深刻な特定外来生物に、アメリカザリガニとアカミミガメ(ミドリガメ)が新たに指定される見込みだ。特に多くの子どもが夢中になったアメリカザリガニは、レジャーや食材としても浸透している。規制強化でどうなるのか−。
 「アメリカザリガニは繁殖力が強く、はさみで水生植物を切ってしまう。水質悪化や他の動植物に非常に大きな影響を与えている」。宮城県大崎市で自然保護活動に取り組んでいるNPO法人「シナイモツゴ郷(さと)の会」の高橋清孝理事長(70)が説明する。高橋さんらは3カ所のため池に捕獲装置を設置し、毎年5〜11月に計1万〜3万匹のアメリカザリガニを捕獲する。それでも地域からの完全駆除は難しいという。
 環境省の担当者は、「アメリカザリガニは既に広い範囲に生息しているが、未侵入の地も残されている。既に駆除して水草などが戻りつつあるところもある。指定により、環境を戻す活動がしやすくなる効果も期待できる」と指定を目指す理由を説明する。
 だが、規制は限定的なようだ。既に飼育している個体が大量に遺棄されるなどの事態が想定されるため、アメリカザリガニの場合は飼養や譲渡を規制せず、輸入、放出、販売などが禁じられる方針。例えば自宅で飼育することは可能で、自然の池などで釣った場合は、同じ場所に戻すか、持ち帰って飼育することになる。持ち帰ってから別の場所に放つことは禁じられる。
 東京都北区の浮間つり堀公園は、毎年7〜10月に有料でザリガニ釣りができる。管轄する同区道路公園課によると、子どもでも比較的簡単に釣ることができ、人気だという。担当者は「現在も釣ったザリガニは持ち帰りができないので指定後も問題ない」とするが不安もある。「病気や水質悪化などで個体の数が減ると購入して補充している。今後、購入できないとなれば、影響が出る」。2021年度は45キロを購入し、池に追加したという。
 アメリカザリガニは、日本料理やフランス料理、中華料理の食材としても利用されている。
 「まだ仕入れ先と話していないが、どうなるか気にしている」と話すのは、千葉県成田市の印旛沼に近い料理店「錦谷」の谷芳紀支配人(60)。例年、5月中旬から、地元漁師から仕入れたザリガニを塩ゆでなどにして提供している。
 印旛沼周辺では、ザリガニは夏の定番食材といい、「ザリガニ目当てのお客さんも多い」と話す。「今後も生きたザリガニの購入ができるのか不透明。シーズンが始まるので、方針が早く知りたい」と気をもむ。
 これに対し、環境省の担当者は「料理として提供すること自体は問題ない。漁師が捕獲したザリガニを料理店に販売する場合も、『生業の維持』として許可を受ければ可能となるのではないか」と見通す。具体的な規制内容は政令で定めるという。
 先のNPO法人「シナイモツゴ郷の会」では、地元の中華料理店とメニューを開発。駆除した大量のアメリカザリガニを提供して有効活用している。高橋理事長は「今後も有償で提供できれば、活動を継続するための経費にもなる」と柔軟な対応を求める。
 許可を受ければ販売も可能では、これまでの状況は改善しない気がするが、高橋さんは「長年、子どもに親しまれてきたが、害や影響はあまり周知されてこなかった。急に規制できない面も理解できる。このタイミングで広く知ってもらうことが第一だ」と話す。
 (山田祐一郎)
 

 


政治的「表現の自由」尊重の判決 道警やじ訴訟、「歴史的」と原告 (2022年3月25日 中日新聞)

2022-03-25 21:06:01 | 桜ヶ丘9条の会

政治的「表現の自由」尊重の判決 道警やじ訴訟、「歴史的」と原告

2022年3月25日 中日新聞
 2019年に安倍晋三首相(当時)の街頭演説中にやじを飛ばした男女2人が北海道警に排除されたことの是非が問われた訴訟の判決で、札幌地裁は25日「安倍辞めろ」というやじの内容を「公共的、政治的事項に関する表現行為」と認め「特に重要な憲法上の権利」として尊重されるべきだと強調した。原告らは「警察による表現の自由の侵害を正面から認めた歴史的判決」と評価した。
 広瀬孝裁判長は、原告らが声を上げ始めてから「わずか10秒程度」で排除されたのは「表現行為そのものを制限しようとしたと推認せざるを得ない」として「警察官の行為は原告の表現の自由を制限した」と結論付けた。
 

 


ウクライナ支援 日本らしさで応えたい (2022年3月25日 中日新聞)

2022-03-25 10:44:01 | 桜ヶ丘9条の会

ウクライナ支援 日本らしさで応えたい

2022年3月25日 中日新聞
 戦地からのメッセージを真摯(しんし)に受け止める。ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会で行ったオンライン演説=写真。停戦に向けた非軍事的貢献や戦後の民生安定に協力する。そんな日本らしいウクライナ支援で応えたい。
 軍事援助はできない日本の事情を分かっているのだろう。欧米での演説で、飛行禁止区域の設定や武器供与を求めたのとは違って、ゼレンスキー氏が日本に期待したのは、主に対ロシア制裁の継続と復興支援だった。
 「アジアで初めてロシアに圧力をかけ始めたのが日本だ。制裁の継続をお願いする」としたうえで、「侵略の津波を止めるため」にロシアへの経済的な締め付けを強めるよう訴えた。
 戦後復興については「避難した人々が古里に戻れるようにしなくては。住み慣れた古里に戻りたいという気持ちを日本の皆さんもきっとお分かりだろう」と語った。
 東日本大震災に直接言及することはなく、日本人の共感をさりげなく引き出す狙いだったのだろう。こんな意図が随所に見られる演説だった。
 ウクライナ政府の推計では、道路、橋など千二百億ドル(約一四・五兆円)相当のインフラがこれまでに破壊された。ゼレンスキー氏の要請に応えて、日本は戦災復興に協力を惜しんではならない。
 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、国外に逃れたウクライナ避難民は三百六十万人を超えた。日本は避難民受け入れの枠を拡大するとともに、多数の避難民を受け入れているポーランド、ルーマニアなどのウクライナ周辺国への支援を進めてほしい。
 国連開発計画(UNDP)は戦争が長期化した場合、向こう一年でウクライナ国民のほぼ三分の一が一日五・五ドル(約六百六十円)未満で生活する貧困層に陥るとの見通しを示している。国連を通じた生活支援も求められるだろう。
 ロシアの無差別攻撃は続き、民間人の死傷者は増える一方だ。国際社会が結束し、プーチン政権を停戦・撤退に追い込む必要がある。岸田政権はアジア諸国への働き掛けにも力を入れてほしい。
 

 


中日春秋 (2022年3月22日 中日新聞)

2022-03-22 16:20:12 | 桜ヶ丘9条の会

中日春秋

2022年3月22日 中日新聞

 昭和の大横綱、大鵬の故・納谷幸喜さんは日本統治下の南樺太(現ロシア・サハリン南部)で生まれた
▼一九四五年八月にソ連が侵攻し、母に連れられ船で北海道に引き揚げた。当時五歳。南樺太で生き別れた父の記憶はなかったが、母が大事にしていた写真を見せられ、ウクライナ生まれと知るのは角界に入ってからという。父の消息を調べた新聞社から、自身が初優勝した六〇年まで生きていたとも後に知らされ、驚く。本人の自伝にあった
▼父はウクライナのハリコフ州出身で、極東へ移住。ロシアの革命を嫌って日本に亡命し、南樺太で日本人の母と結ばれたという
▼ロシアが侵攻する今のウクライナ。長野生まれで南樺太に育ち、七一年からウクライナに住む男性(78)が戦火を逃れて、北海道の親類宅に避難した。無事で何よりである。男性は四五年の終戦間際には引き揚げられず、ソ連国籍を取得したという。かつての樺太で運命の変わった人がいかに多いことか
▼納谷さんらの引き揚げ船は無事に稚内に着くが、他の船は魚雷で攻撃され、多くが亡くなった。自伝に「奇跡的に生きながらえた」とある
▼在日ウクライナ大使館のサイトによると、納谷さんは二〇〇二年、ハリコフを訪れて、現地の相撲愛好家らとも交流したという。戦争の過酷さを知る泉下の大横綱は、父の祖国の今をどれほど悲しんでいることだろう。