世界の名画発掘 岩波ホール、7月に惜まれ閉館 (2022年3月2日 中日新聞)

2022-03-02 10:32:49 | 桜ヶ丘9条の会

世界の名画発掘 岩波ホール、7月に惜しまれ閉館

 
 「大樹のうた」「旅芸人の記録」「大理石の男」…。埋もれかけた世界の名画を発掘し続けてきた岩波ホールが七月で閉館する。世に出した映画により、見過ごされていた社会の底辺、時代の断面にも光が当たり、異文化を理解する道しるべにもなった。国際社会が分断と新たな紛争の時代を迎えた今だからこそ、惜しむ声は強い。 (稲熊均)
 「閉館を発表して(一月十一日)以来、多くのお客さんがいらっしゃってくれ、『自分の青春だった』『(鑑賞した映画が)人生の転機になった』といった声をかけてもらい、反響が大きい分、ありがたいやら心苦しいやらで…」
 長年ホールの支配人を務めた現顧問の岩波律子さんは申し訳なさそうに話す。二月二十六日には舞台あいさつに立ち、客席に直接、感謝の思いを伝えた。
 この日、公開初日となったのはジョージア映画「金の糸」だ。名古屋では三月四日が公開初日。一地域の断面を映し出し、それが世界を覆う問題へのメッセージにもつながってゆく−これまで発掘してきた歴代の名画とも共通する岩波ホールらしい作品だ。
 主人公は七十九歳の女性作家。ふとしたことからソ連時代、高官だった女性と同居することになり、複雑な過去が明らかになる。撮ったのは旧ソ連時代からジョージアを代表する女性監督だったラナ・ゴゴベリゼさん。二十七年ぶりのメガホンだ。母親のヌツァさんも監督だったが、スターリン時代、十年間、流刑され、作品は上映禁止とされてきた。夫つまりラナさんの父は処刑されている。「金の糸」(全国でも順次ロードショー)には、そうした家族の歴史も投影されている。
 作品では、憎悪や不信で関係が引き裂かれてきた登場人物たちが次第に過去との和解の糸口を見いだす。キーワードになるのが、タイトルの言葉だ。この作品を含め多くのジョージア映画を発掘してきた原田健秀さんが解説する。
 「『金の糸』は日本の『金継ぎ』という陶器の伝統技術からきています。何百年も前に壊れた器を金で継ぎ合わせ修復する技術です。これを知ったゴゴベリゼ監督が別のタイトルだったのを変えたんです。壊れた過去を継ぎ合わせることでどんな痛ましい過去も、重荷になるだけでなく、財産にさえなるという監督の思いが込められています」
 この「金の糸」の公開に先立ち岩波ホールでは一カ月、「ジョージア映画祭」が開かれ、三十本を超える作品が上映された。ソ連時代に上映が禁止された映画も含まれる。民族がモザイクのように入り乱れるソ連体制の中、抑圧や戦乱に巻き込まれながら生きてきたジョージアとその周辺の人々が多くの作品で描かれている。ジョージアは二〇〇八年、現在のウクライナと同じような状況でロシアに侵攻され、今再び危機の波及にさらされている。過去の映画がさまざまな意味で「過去の映画」とならない現実も浮かび上がる。「金の糸」と映画祭の何本かを鑑賞した歌手の加藤登紀子さんはこう話す。
 「『金の糸』は、傷つかなかった器より、壊れた破片を継ぎ合わせた器の方がもっと美しくなるというメッセージも込められている。一つのものより、多様な個性が合わさった方がいい。でも壊れた破片、多様なものはぶつかり合う。民族や国となると、国境があり境界線があり、それが理不尽な場合も多い。そんな過酷な現実を、どう乗り越えればいいのか。岩波ホールでジョージア映画を見ていろんなことを考えさせられた」
 岩波ホールが開館したのは一九六八年。律子さんの父で岩波書店社長だった雄二郎氏が私財を投じ多目的ホールとしてスタートさせた。総支配人に義妹の高野悦子さんを指名し「良いことだったら何でもやっていい」と任せた。

観客数減少 動画配信、コロナ禍が追い打ち

 映画に特化するようになったのは七四年からだ。インドの「大樹のうた」上映をきっかけに、世界の名画を発掘する「エキプ・ド・シネマ」(仏語で「映画の仲間」)運動を高野さんらが立ち上げ、岩波ホールがその拠点となった。
 律子さんは七九年からホールに加わったが、当時をこう振り返る。「社長(父・雄二郎氏)にも公開する映画を見てもらうんですが、『難解で分かりにくい』といった好きでないような作品ほどヒットする。社長が首をかしげると『これは当たるぞ』というバロメーターになりました」
 発掘作品が時代と並走するように公開されたケースも多い。典型例がポーランドのアンジェイ・ワイダ監督「大理石の男」だ。公開が決まりワイダ監督夫婦が来日したのが八〇年七月。その翌月に同国グダニスクで大規模ストライキが発生する。過去に造船所ストで犠牲になった労働者の葬儀を出してほしいというのが発端だった。実は「大理石の男」の主人公も犠牲になった一人だ。大規模ストは自主管理労組「連帯」を生み、後の東欧民主化にまで道を開く。歴史的な大規模ストのさなか、世界に先駆け作品を公開。大きな反響を呼んだ。
 これまで岩波ホールが映画を発掘してきた国・地域は六十五に及び、紹介した作品は二百七十を超える。ただ、ホールが先駆けとなったミニシアターブームも二十一世紀になるとファンの高齢化もあり観客数が減少してきた。そんな中でも娯楽に偏らず文化・芸術性の高い作品を紹介し続け、最近でも「ハンナ・アーレント」「ニューヨーク公共図書館」をヒットさせた。
 しかし、動画配信サービスが拡充したのに加え、コロナ禍が追い打ちをかける形となった。律子さんは「動画配信でも減りましたが、ホールに来るお客さんとは年齢層など違うようで、すみ分けできたとも感じていました。ところが、コロナ禍で皆さん来られなくなって、そういう方々が仕方なく動画配信に行った気がします」と振り返る。
 岩波ホールは原則として一日四回上映だが、丸一日の入場者数がかつての一回の入場者数に満たない日も続いたという。一人も入らず、映写機を途中で止める回もあった。
 日本のスクリーン数をみると大型劇場では増加しているが、四スクリーン以下の映画館に限ると、二〇〇〇年の千四百一から昨年末の四百十九スクリーンにまで減少している。
 ただ岩波ホールの閉館は一ミニシアターの閉館とは異なる重みを持つ。映画配給・宣伝を担う「ムヴィオラ」の武井みゆき代表は「質の高い映画文化の存続について映画人は真剣に考えていかないといけない」と強調する。
 国の文化予算がフランスの八分の一、韓国の十分の一程度という日本の公的支援の乏しさもしばしば問題視されるが、武井さんは「公的助成を受けた映画監督が政府批判をすると、税金を使っていながらけしからんとされる。そんな誤った認識があるうちは公的支援に多くを頼れない」。
 岩波ホールでは今後閉館までに、世界の繊維産業を支えるバングラデシュでの過酷な労働環境を描いた「メイド・イン・バングラデシュ」など貴重な問題作が公開される。
 加藤登紀子さんは、自身も長年世界で多様な歌曲を発掘し、一方、コロナ禍においては発表する場の維持の難しさに直面した立場から、こう提案する。「岩波ホールが発掘した歴代の名作を何らかの方法で上映できないか。真の文化、芸術の多くは、埋もれがちなマイノリティーの営み、心の声から生まれる。これまでの公開作を見て多くの人がそれを理解し、文化の存続を考える機会になればと思う」