週のはじめに考える かくも不可解なロシア (中日新聞 22年10月23日)

2022-10-24 00:16:24 | 桜ヶ丘9条の会

週のはじめに考える かくも不可解なロシア

2022年10月23日 
 文学や音楽に高い芸術性を発揮するロシアと、ウクライナでの野蛮な振る舞い。その落差に驚く人は多いでしょう。両極性を内包するその国民性を取り上げます。
 ロシアにも「古事記」に相当する書物があります。スラブ民族の成り立ちや、ロシアの建国から十二世紀初めまでのロシア史を描いた「原初年代記」です。

寄らば強権指導者の陰

 現在のサンクトペテルブルクの南方のノブゴロド周辺に暮らしていたスラブ人は、ワリャーグ人に貢ぎ物を納めていましたが、これを海のかなたへ追い払って自治を始めました。
 ところがすぐに仲間割れを起こして内紛が絶えません。そこで、いったんは追い払ったワリャーグ人の元に出向きこう頼みました。
 「われらの土地は広大で豊かだ。しかし、秩序がない。来たりてわれらを治め、支配してほしい」
 これに応じてワリャーグ人が到来しノブゴロドから今のウクライナのキーウ(キエフ)に至るキエフ・ルーシ公国を建国しました。時代は九世紀。ちなみにワリャーグ人とはバイキングのことです。
 ソ連解体後の一九九〇年代にモスクワで暮らし、身をもって味わった社会秩序の崩壊、それにロシア軍のウクライナでの蛮行や混乱を報道で知るにつけ、原初年代記を思い出します。ロシア人の希薄な規範意識は民族の歴史の始まりからなのだ、と。
 もっとも、戦争という極限状況での非人道的な行為は、残念ながらこのウクライナ戦争に限った出来事ではありませんが。
 原初年代記はロシア人の別の特徴も示しています。ワリャーグ人に統治と支配を任せたように、受け身の精神性です。
 無秩序ぶりと受動性が相まって、ロシア人はスターリンやプーチン大統領のように、自分たちをがっちりと統率する独裁者を受け入れます。そうしないと社会がバラバラになって収拾がつかなくなる。ロシアの指導者に求められているのは、第一に強いということ。強くて外敵から自分たちを守ってくれるリーダーです。
 ウクライナ戦争が起きてもロシア国内で反対運動は広がらず、人ごとのような雰囲気がありました。歴史的にも民族的にも結び付きの強いウクライナとの戦争。親類、友人にウクライナ人がいる人はたくさんいます。そんな隣国との戦争なのに無関心、あるいは無関心を装う。何も起きていないかのようなふりをする。現実逃避によって安心を得ようとしたのでしょう。

身近になった侵略戦争

 それがプーチン氏が出した動員令によって、戦争が突然身近な現実として突きつけられた。たくさんの若者が徴兵逃れのために海外に脱出し、反戦に立ち上がる母親も現れました。
 いまだプーチン氏が「特別軍事作戦」と言い続けているウクライナ戦争が、大義のない侵略戦争だ、と実は分かっていたからでしょう。しかも戦況が思わしくないことも。
 政権が嘘(うそ)で塗り固めたプロパガンダを垂れ流しても多くの国民はだまされなかった。元軍高官の政治家も「軍は嘘をつくのをやめよ。国民はばかではない」と苦言を呈しました。
 前線のロシア兵士もロシア社会も、大義のない無益な戦争にどれほど耐えられるか、というストレステストを課せられているに等しい。残酷なことです。ストレスに耐えきれなくなれば、我慢強いロシア人でも怒りを爆発させるでしょう。
 ロシアでは過去百年余りの間に、民衆の反乱によって二度体制が転覆しました。帝政が倒れた一九一七年の革命と、九一年のソ連消滅につながった共産党独裁体制の崩壊です。
 ベルリンの壁が崩れた八九年、プーチン氏は国家保安委員会(KGB)の情報部員として東独・ドレスデンに赴任していました。そこでKGBの協力機関の秘密警察の支部に、民主化を求めるデモ隊が押し寄せる場面に遭遇。プーチン氏が東独駐留のソ連軍に助けを求めても無駄でした。これが民衆蜂起に関するプーチン氏の原体験でしょう。
 プーチン氏もロシアで動乱が起きるのは望まないでしょう。侵略戦争を打ち切るべきです。ウクライナで悲劇を積み重ね、ロシアの若者も死地に追いやる。そんな不条理は一刻も早く終わりにしなくてはなりません。
 
 

 


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