昭和初期の男の子は皆、ギターを趣味とした。
1952年フランス映画『禁じられた遊び』が公開
この映画の主題曲『愛のロマンス』がギター趣味を虜にした。
https://www.youtube.com/watch?v=u3cDLwFa_88
この曲を弾きたさに男の子は皆ギタリストになった。
かく言う俺サマ、四十の手習い、ギターを手にしたことはある。
けど、持ち前のぶきっちょ、芸無し、飽きやすい性格 何一つ弾けぬまに撤退。
1963年実話を素に「愛と死をみつめて」小説大ヒット 1964年に映画化された。
顔面の腫瘍で死んでしまう吉永小百合へ、浜田光夫は電話で「愛のロマンス」を聞かせ涙を誘う。
ところで「愛のロマンス」の作曲家はナルシソ・イエペス、スペイン人
俺サマ「愛のロマンス」を聴いた時、作曲家イエペスは相当の爺さんと思っていた。
<俺サマ、知らなかったこと>
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
映画「禁じられた遊び」は監督ルネ・クレマンが1952年に撮り終えていた。
但し、予算の関係で音楽を付けることが出来ないでいた。
イエペスは、パリのカフェで映画監督のルネ・クレマンと偶然知り合い、
「映画自体はすでに撮ってあるが、どんな音楽をつけたらよいか決めかねているので、
映画のための音楽を担当してほしい」と依頼を受ける。
当初、アンドレス・セゴビアに音楽を担当してもらう予定だったが、すでに映画制作の為の予算を使い果たしており、
セゴビアとは制作費の折り合いがつかず、当時まだ新人であったイエペスに音楽担当の依頼をする事となった。
そこで、24歳のイエペスは映画『禁じられた遊び』の音楽の編曲・構成、演奏を1本のギターだけで行った。
そして、その映画が公開されると、メインテーマ曲「愛のロマンス」が大ヒットし、世界的に有名なギタリストとなった。
それから世界各地でリサイタルやオーケストラとの共演を行い、日本にも1960年から1996年までの間に計17回訪問した。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
荘村清志さん
1963年に来日したイエペスに才能を認められ、17歳でスペインに渡りイエペスに師事する。
荘村は武満徹に「フォリオス」を書いてもらうなどエピソードがすごい。
ギターがオーケストラを従える「アランフェス協奏曲」なんぞ弾くなど
超凄い!
畠迷惑Roger
1952年フランス映画『禁じられた遊び』が公開
この映画の主題曲『愛のロマンス』がギター趣味を虜にした。
https://www.youtube.com/watch?v=u3cDLwFa_88
この曲を弾きたさに男の子は皆ギタリストになった。
かく言う俺サマ、四十の手習い、ギターを手にしたことはある。
けど、持ち前のぶきっちょ、芸無し、飽きやすい性格 何一つ弾けぬまに撤退。
1963年実話を素に「愛と死をみつめて」小説大ヒット 1964年に映画化された。
顔面の腫瘍で死んでしまう吉永小百合へ、浜田光夫は電話で「愛のロマンス」を聞かせ涙を誘う。
ところで「愛のロマンス」の作曲家はナルシソ・イエペス、スペイン人
俺サマ「愛のロマンス」を聴いた時、作曲家イエペスは相当の爺さんと思っていた。
<俺サマ、知らなかったこと>
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
映画「禁じられた遊び」は監督ルネ・クレマンが1952年に撮り終えていた。
但し、予算の関係で音楽を付けることが出来ないでいた。
イエペスは、パリのカフェで映画監督のルネ・クレマンと偶然知り合い、
「映画自体はすでに撮ってあるが、どんな音楽をつけたらよいか決めかねているので、
映画のための音楽を担当してほしい」と依頼を受ける。
当初、アンドレス・セゴビアに音楽を担当してもらう予定だったが、すでに映画制作の為の予算を使い果たしており、
セゴビアとは制作費の折り合いがつかず、当時まだ新人であったイエペスに音楽担当の依頼をする事となった。
そこで、24歳のイエペスは映画『禁じられた遊び』の音楽の編曲・構成、演奏を1本のギターだけで行った。
そして、その映画が公開されると、メインテーマ曲「愛のロマンス」が大ヒットし、世界的に有名なギタリストとなった。
それから世界各地でリサイタルやオーケストラとの共演を行い、日本にも1960年から1996年までの間に計17回訪問した。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
荘村清志さん
1963年に来日したイエペスに才能を認められ、17歳でスペインに渡りイエペスに師事する。
荘村は武満徹に「フォリオス」を書いてもらうなどエピソードがすごい。
ギターがオーケストラを従える「アランフェス協奏曲」なんぞ弾くなど
超凄い!
畠迷惑Roger