Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

英語の独学法(和文のみ)

2019-05-18 | 英語、韓国語

受験英語の学習方法では英会話はできない。

受験英語と実用英会話は別な性質であるとケジメをつけて、

二つを割り切っていかないと進歩に向けて方向転換ができない。


なんでも頑張ればできると思っていること自体が

根本的な思い込みである。

日本人は英語を学校で学んでも会話ができない。

稀に話せたとしても簡単な決まり文句を言えるレベルまでだ。


この前、英語添削を依頼されて、

大学院卒業学歴の人の英文を見直したことがあった。

仕事を終えて、日本の英語教育方法が

根本的な問題を抱えている現実を目前にして、

気分が非常に落ち込んでしまった。


私も日本で短大と4年大の教育を受けて、

選択科目であった英語を受講した。

卒業するための単位を稼ぐために取ったので、

実際授業で何かを学べるとは期待もしなかったし、

案の定、その授業を受けたことで私の英語能力が伸びもしなかった。


日本での英語授業方式はどこでも同じだ。

先ず、テキストに会話や文章の例があって、

その例から時制や文法事項を説明され、

その確認として類似の問題を解かされる。


文の構成に対する理解中心の学習方法で、

文法説明になると国語の時間と何の変わりがない。

実用のための応用の方法として、

学年の難易度に合わせた新しく出た新出単語は

先生の発音を真似て何回か言ってみるだけの

単純作業の学習方法が主である。


だが、教えることは簡単なのに、

テストや入試になると複雑極まる。

英語問題は問題の真意さえ掴められない種類が多く、

多量に単語を暗記した人なら6割正解できるような出題形式だ。


各学年のテキストに出ている教科書内の英単語を

全て丸暗記した場合、6割ほどの正解率は取れるが、

9割以上の正解を取るためには、

慣用表現と文法事項を完璧にマスターしなければならない。

仮に、9割以上のテスト成績を維持できたとしても

その人が英語圏内の人と考え方について討論できるとはいえない。


日本に住んでいた時、

川越市の外国人市民議員を5年ぐらい務めたことがあった。

そのメンバーの中で人際、正確な日本語を使っている欧米人は

大学の教授出身のアメリカ人、

薬剤関係の仕事をしているドイツ人であった。

彼らは学校で日本語を学んでいないのに、

自力の学習だけでほぼ正確に日本語を話せていた。


一般の日本人は中学校、高校、大学でほぼ10年間、

英語を学んでもあの二人のように

正確に自分の考えを英語で話せない。

その原因は何だろうかと私はずっと考えてきたが、

これといった明確な答えが得られなかった。


だが、その英語添削の仕事をして、

その原因はもしかしたら、

東洋と西洋の言い方の差をないがしろにすることに

起因しているかもと思えてきた。


英語は主語を明確に決めないと話が成り立たないが、

日本語は主語をあいまいにして言い方の礼儀を重んじる。

日本語の尊敬語も丁寧語、謙譲語に分類され、

聞く側の身分や年齢によって

話す側が言い方を変えなければならない。


だが、英語はそのような格式が少なく、

基本的に一体化した表現形式を持つ。

英語も丁寧な言い方はあるが、

日本語のように言葉自体が変わるような劇的な変化が無い。

そのような言語表現の特異性を無視して、

基本の会話表現を丸暗記しても

人と考え方を交流できるようにはならない。


では、どうすれば

それらの思考過程から生じた問題を解決できるだろうか。

以下は、私個人の観察経験に基づき、

英語で話す際の心構えを大まかに分類してみた。


①話す前に誰が、何が主体なのかを明確にする。

 例:話のターゲットになるのは私か、あなたか、事柄か、他の何か

②話す側は聞き手に何の返答を期待しているのか。

 例:してもらいたいか、してあげたいか。

③いつの話なのか。

 例:過ぎた時か、今現在か、これからのことか。

④どこでのことか。

 例:話題の中心はどこでのことか。

⑤どのようなことか。

 例:何がどうであるか。

⑥どれのことか。

 例:相手に選び取って話題にしてもらいたいことなど

⑦なぜなのか。

 例:原因が知りたい、説明を必要とするときなど。

⑧感情や意見を聞く人にただ伝える。


上記以外にも大事なことはあるが、

上記の8項目を明確にしようと心掛けると

『何をどのように話せば良いのか分からない』

のような問題は解決できる。


どのような国の言語も、

文法以前に『誰に、何を、どのように伝えるか』だけが

会話の本質であることは変わらない。

その本質に中心を置かず、

文法的に正しく話す、或いは決まった表現法で話すなどの

二次的なことに心が絞られていると肝要な考え方が交流できない。


英語で話すということは知識の有り様を見せびらかすことではない。

どのくらい知っているかが問題になってはならない。


日本の人は長年の学校のテストで洗脳されて

正確な言い方をしなければならない強迫観念に

囚われてしまっているように思われる。

文法や表現の正しさより、

誰に何を言いたいのかを明確にしていけば、

その伝えたい気持ちが相手に必ず伝わる。


その後、関りの中で文法が正しく成立していく。

誰かの会話例を学んでも、

それが絶対に自分のものに成れない。

先ずは、自分の見方、相手への見方を明確にすることから

本当の会話が成り立っていくのである。

文法や流暢な話し方はその次についてくるおまけのようなものである。

 

補足注

英訳文をアップすると言っておいて、大幅遅れてしまい申し訳ないです。

他の仕事に追われてしましまして...

宣言しても守れない無責任さがあるので、時間設定せずにできるだけ早くアップしますね。


Comments (16)
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A good ballet teacher良いバレエの先生

2019-05-09 | バレエ

この世で、運ぶのに一番重いものは

自らの体なのだろう。

I assume that the heaviest thing to carry in this world

would be one’s own body.

50代で始めたバレエ稽古をやっていると

私の体が如何に硬く、また重いかを切実に分かってくる。

When practicing ballet, a training I started in my 50’s,

I sincerely can find how my body is hard and heavy.


昨日は、バレエのレッスン日だった。

Yesterday was the day of ballet lesson.

片道30分かかるカントンという町に

私が通うバレエスクールがあって

夫がいつも私を連れていってくれる。

My ballet school is in Canton,

30 minutes from home and

my husband always takes me by car.


毎週水曜に、成人バレエ基礎と中級クラスを

連続して2コマ取っている。

Every Wednesday,

I consecutively take two adult ballet lessons,

basic and intermediate classes.

メッサチュセッツ州に住んでいた時は、

ホーリーオックという町のバレエアカデミーまで

約1時間かけて通っていた。

When I lived in Massachusetts,

I used to attend a ballet academy in Holyoke

and it took around one hour to get there.


2年前にコネチカット州のグランビ―に引っ越してきてから、

バレエスクールが見つからず、

練習もしなくなり、体重も10キロほど増えてしまっていた。

Since we moved to Granby, Connecticut two years ago,

I couldn’t find a ballet school,

so it gave me a reason not to exercise,

with the resulting weight gain of 20 pounds.

でも諦めず、調べ続けていたら

運よく今のスクールを見つけたのである。

But I did not give up looking for it,

and I was lucky enough to find the school.


私がバレエを初めて習い始めたのは

日本に住んでいた時であった。

It was in Japan when I began

to learn ballet as the first try.

アメリカ移住のため長年やっていた塾を閉めて、

まともな時間ができた時、

そうだ!今までやり残している夢リストを制覇しよう!

と決心したのがバレエを始めた切っ掛けだった。

I closed my private school

which I administered for many years

and immigrated to USA,

which afforded me enough time to pursue my “dream list”.

At a moment, I made up my mind to conquer

those left behind unfinished dreams.

Yes, that’s it!

It is time to do it!

That moment I was truly motivated to learning ballet.


バレエは子供の時から憧れていたから、

自分が実際習えるかどうかは全く考えず、ただ始めた。

Ballet has been longing from my childhood,

so I just started without thinking

whether I was actually capable to learn or not.

始めはジムのバレエクラスを受けて、

またバレエスクールを二つ掛け持っていた。

In the beginning,

I took a ballet class at a gym and then

attended two schools.

自分ができているかどうかに関係なく、

自分が学びたかったことを学ぶ喜びが好きで、

只管やっていた。

Regardless of whether I can do it or not,

I kept doing because I liked the delightedness

that came from what I had been wanted to learn.


年を取って何かを学ぶと、

頭脳や才能といった生まれ持った才能より、

体の条件や限界具合が根本的な問題になる。

Learning something at an ‘advanced’ aged,

the physical condition becomes a fundamental issue

above natural capability or well-functioning brain.

身体条件の限定性は練習を重ねても乗り越えられないが、

反面欠けている条件をどのように攻略できるかを示してくれる。

Such limitations of physical conditions cannot be overcome

by repeating practice,

but on the other hand,

it indicates how to conquer the lacking conditions.


手足が短ければ、細かく機敏な動きで補えるし、

If one’s limbs are short,

it can be compensated with exquisitely agile movement.

体が硬く柔軟性が無ければ、

どの部位をどうストレッチングすればいいのかが

はっきり分かるようになる。

If one’s body is stiff and inflexible,

it is pointing out to be able to know

which body part is in need to stretch out and how to do it.

だから、私の身長が低くても高齢で体が硬直していても、

基本さえ中々できなくても

それに引きずられなく学びを継続できた。

So, I was able to keep learning

without being dragged in it,

although I could not do basics

and I am short with an aging stiff body.


しかし、そんな明るいポジティブ精神の持ち主にも関わらず、

一つだけ心が晴れない暗い悩みがあった。

However, despite being a positive minded person,

there was a darkness over my thoughts.

それは、“振り付けが覚えられない”ことだった。

The darkness was  thought of

“I can’t remember the choreography”


先生が振り付けの見本を見せてくれていると、

私は“そんな難しい手順を覚えるわけがない”と自信なく思えてきて、

“私よりできる人の動きを見てやればいい”とかの

依存心で心がいっぱいであった。

When the teacher showed me a form of choreography,

my mind filled with thoughts of

“no way I can remember such difficult procedures” with diffident feelings

or clingy minded “follow others who do better than I do”.

そんな雑念に気づくと自分が情けなく思えてきて、

先生が何を言っていたか

短期記憶蔵庫から消えてしまうのであった。

When I realize such distractions in my mind,

I felt miserable for myself,

and what the teacher said disappeared

from my short-term memory.


特に、バーレッスンが終わって、

センターでコンボをやる時は

“見てもついていけない”と始めから思って

気が滅入ってその時間が非常に嫌いだった。

Particularly, I hated most when I have to dance combo

at the center of the room

after barre lesson because I felt sag with the thought that

“I will not be able to catch up even I watch teaching”


そのような心の中の否定的な念は

意志で簡単に取り除けるものでない。

Such negative attention in mind,

it cannot be easily removed by will.

その否定的な思いを無くそうとする対抗した考えを

必要とするからだ。

It needs opponent ideas to remove negative thinking.


否定的な考えは肯定的な考えでは破れない。

Negative thinking can’t be breaking down by positive thinking.

ただ、想いに他の考えが憑き加わるだけなので、

考えの悪循環にはまってしまう。

Merely it makes a bad circle of an idea

due to adding other thoughts on the very thought.


だが、それらの否定的な想いの悩みが

ついに今のバレエスクールの先生、

リンダ・プレスンヤコバに習い始めてから

解決への糸口が見つかったのである。

But finally, I found a clue

to solve the negatively attached problem in my mind

when I started to learn from LINDA PRESNYAKOVA,

who is my teacher at ballet school.


彼女はバレエを学ぶ際の障害になる余計な考えを

断ち切ることができると感じさせてくれた。

She could let me feel that

I might be able to cut off

those useless obstacles thoughts

when I learn ballet.

彼女の教えは、

生徒に習えなくてはならないと思うストレスを植え付けない。

Her teachings do not install a stressful thought for her students

or make them think about what of they MUST learn.


覚えなくてはならないという心理的な負担が無いようにさせる。

She can let her student unburden

from a mental obligation that they MUST remember.


ただ教えるだけでなく、

彼女も私達と一緒に踊って、

私達に『正しくあるべき』という暗黙の要求をしない。

Not only just teaching

but also she dances with us

and doesn’t imply to us such as should be righteous.


毎回、何か新しいバレエテクニックを

普段やっている基本に織り交ぜて加える。

Every time she adds and interweaving

some newer ballet technics on basics that usually do.

その結果、私はバレエをやっていると実感できるようになる。

As a result, I come to actually feel that I am doing ballet.


彼女の見本を見ていると

何を教えようとしているかが伝わってくる。

Looking at her instruction

can convey what she tries to teach us.

なので、レッスンが終わると本当に教わった感じで、

自分が前回より進歩していることが実感できる。

Therefore, when a lesson is over,

I feel that I am really taught

and can also feel that I am improved than last time.


彼女に出会う前は、

否定的な心の悩みを坐禅の教えの一つである

『念を追わない』ことで補おうとしていた。

Before I met her,

I just tried to cover those negative troublesome thoughts

with one of Zen-teaching

which 'do not go after the thought'

だが、そう試みると追わないようにしようとする他の新たな念が加わることになり、

余計に雑念が増えるだけだったような気がする。

But even when I tried to keep track of it,

such way of try-not-to-think

adds another thought so that

an extra useless thought just added up.


その坐禅の教えも事柄によっては

実に効き目があるだろうが、

バレエ稽古場では五分五分だったかも知れない。

Such Zen-teaching may be quite effective depending on circumstances,

but for ballet practicing it is hot or miss, at best.


何しろ、良い先生に出会うのは

本当に宝くじが当たる確率のようかもしれないが、

当たった時に掴み放さないようにしないと、

せっかくの宝も持ち腐れになるだろう。

In any case,

meet a good teacher may be like hit rate of a lottery ticket,

but worth the time to find.

Unless you grasp not to lose the opportunity,

or it will spill out from hands.


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