Zazen in USA-坐禅アメリカでの集い

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

A comment-コメント

2016年11月08日 07時52分40秒 | 英語、韓国語

The other day, I commented in English in a blog site.
先日、あるブログに英語でコメントをした。

Which has Japanese only category like an inside-closed.
日本語だけの内側同士カテゴリー内でだ。

The site I commented was the comment-popular.
そのサイトはコメントで人気だ。

When the writer entries his one article per month
彼が月1回の記事を載せると、

-he gets hundreds of comments and they are all serious.
何百のコメントが寄せられ、それらがまた真剣である。



For last his article, I decided to leave a comment to encourage him.
彼の最新記事に激励すべく,コメントすることを決めた。

Because his blog is worthy to read.
なぜなら読むのに値すると思ったからだ。

But within 1 week there were alreasy over 200 comments and needed to scroll down a bit.
たが、2週間の内に既に200以上のコメントがあって少し下へのスクロールを要した。

So, I decided to commenting in English.
なので、英語でのコメントを決めた。

Because I will be able to find my comment in the hundreds.
何百の中から自分のコメントを見つけられると思ったからだ。

Well…it would be a black sheep I knew enough.
まぁ...一匹狼になるだろうと十分承知の上だった。

 

I got used to stand out as a foreigner in 3 countries anyway.
何しろ私は3か国で外人として目立ってきたのに慣れている。

In Korea, for my darker skin people told me that looked like a foreigner.
韓国では、色黒の肌のせいで外人のようだと言われ、

In Japan, obviously I was a Korean.
日本では、明らかに韓国人で、

Here even kids know that.
ここでは子供さえそれを分かっている。

I left an English comment in the Japanese only site with seriousness.
私は真剣な英語のコメントを日本語のみのところに残した。



After that I got curious if someone can reply or response.
その後、誰かが返答できたか応対したかで好奇心が湧いた。

The next day, I found a comment written to me with my nick name.
次の日、私のニックネーム宛のコメントを見つけた。

He or she the commentator was very polite and kind.
彼か彼女かコメントを書いた人は礼儀正しく優しかった。

Suddenly my mood got better like someone supported the black sheep stuff.
急に私の気分は良くなり、まるで誰かに一人狼行為が支えられているかのように感じた。

I thought there is someone who can react whichever languages.
どの言語であっても応えられる人がいると思った。

My mind got positive like, allowed to being a black sheep.
私の心は前向きになり、一人狼であることが認められたかのように思えた。

But the positive mood couldn’t last long till I found a comment toward my black sheep.
だがその浮き洋々の気分は変わり者の私へのコメントを見つけた時までであった。

The commentator obviously complained my difference
and nuanced the black sheep comment should have taken out.
コメントを書いた人は確かに変わったことへ不満気で
変わり者は抜けるべきだのようなニュアンスがあった。

My mood changed into negative like I am denied and refused.
私の気分はネガティブになり、断れ、拒絶されたようになった。

Somehow I replied with shaking fingers with anger.
何とか怒りで震える指で返事はした。



A comment can change people’s mood.
コメントは人の気分を変えられる。

Not to be a Muffat, not to be effected, not to be influenced,
踊らされ、影響されないため、受け過ぎないため、

I need to do zazen and neutralize my mind…
私は坐禅をし、心を中和させる必要がある...

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言語との付き合い-Relation with languages

2016年10月26日 08時12分33秒 | 英語、韓国語
言葉は人間関係を結ぶ手段である。
=Language is a tool to connect with relationships.

使い方によって、結ばれ、切られる。
=By using language, people can be bond or broke up.

私は3か国語を話すが、大したことではない。
=I speak 3 languages but it is not a big deal.

大事なことは、
=The most important thing is,

言葉の奥にある、その人の人間性だ。
= human nature, people’s personality at the behind of words.

たが、3か国語も話すと、
=However, when comes as a triplet

韓国語、日本語、英語を通して、
=Korean, Japanese, through English,

人間のありさまを外側から眺めることができる。
= can look out the human state from outside.

確かに各言語には、
=Certainly in each language,

使い方の良し悪しがあり、
= there are ways of good or bad to use,

直訳で単語だけ代入しても、元の意味が通じないことが多々ある。
= if substitutes a word for a word literally,
= the original meanings can’t be equalized in many cases.

その例を挙げるには、文字の制限上、多少無理があるので、
=To take those examples, it is somewhat irrational on the character limit,

次回に回すとしても、
= rather write at a next article.

日本語だけ取っても、
=Even merely take Japanese as an example,

自分が話そうとした意味が相手に伝わらず、
= the meaning would not be transmitted to the opponent,

誤解やトラブルを起こした経験がある人は大勢いるだろう。
= there would be more people who experienced that
=has caused misunderstanding or troubles.


今、アメリカでは
=Recently, in United States

大統領選挙で国中が騒いでいる。
= whole country having disturbance for the presidential election.

特に、TRUMPさんの問題発言は
=Especially, the issued public speech of Mr. Trump

毎日ニュースになり、
= becomes news every day,

彼の言葉を非難する側と支持する側で対立している。
=it makes odds between his support and condemn side for his speech.

彼の言い方はある種、面白い。
=His speech is kind of interesting.

受け手の多様性を考慮せずに、
=He says without consideration of receiver’s diversity,

一方的なグループをターゲットにした一面性だけで
= he targets one-sided group with unilateral sides,

全ての人を丸め込もうとする。
= he tris to convincing all voters.

教育された人達から見て、
=The view points from educated people,

彼の説は明らかに矛盾のようで偽りがあるが、
= his theories are likely falsehood and clearly inconsistent,

彼を信望する人も46%ほどいるので驚く。
= surprisingly he still has 46% of supporting who trusts his words.

日本や韓国のように言葉使いを重視する国では
=Such countries Japan and Korea which attach greater importance of wording,

彼が支持されることは絶対にありえないと思うが、
= absolutely it is impossible for him to be supported,

それが国の言語への差の現れだろう。
= that is the manifestation of difference in using languages.

私はトランプさんの下品な発言を聞く度に
=Every time I hear Mr. Trump’s vulgar public speech

坐禅をやって良かったと思えてくる。
= I come to think that better did zazen-mediation.

坐禅をすれば、言語の束縛から個人性を分離できるようになる。
=If do zazen, it leads to be able to be freed individuality
=from the bondage of language.

そのことによって、本来の人間の在り方を
=By doing that, the origin of humanity,

正しい言葉使いで表すことに繋げることになる。
= would be connected to the right way and the right way to express.

もしもトランプさんが坐禅をしてたら
=What if Trump does meditation, perhaps

政治家として注目されているだろうが…
= he would have been drawing attention as a politician…
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言語学習ー演習

2016年10月18日 08時32分20秒 | 英語、韓国語
同じ先生に習ったのに必ず上手と下手の差がついてしまうのはなぜか? 

日本人の英語勉強は小学校から始めて大学受験でピークだ。

大学生になったら英語はTOIECのスコアだけで必死で肝心な話す能力はほぼゼロのままである。

メディアで英語話すコツを教える人の英語を聞くと、

英語圏で通じない発音や表現を使う人が大勢いる。

または、話すと言っても丁寧な言い方ではなく、

耳だけで覚えた無礼な表現さえ恥じなく使ったりしている。

英語の発音やアクセントを聞けば、日本人か韓国人か中国人かを判断できるのは、
そう不思議なことではない。

なぜなら、非英語圏の人々はアクセントについてその重要性を知らないからだ。

しかし、知ったとしても演習をどうすればいいか、知らないのである。

私は個人が書いた英語学習ブログは読まないことにしている。

クッキングサイトのように必ず、ああしろ、こうしろ、こうでもない、そうであるなどなど、
注文の多い店であるからだ。

ただ英語で留学したからって英語を話せる人もそう多くいない。

英語を習っていく上で一番大切なのは先生だ。

けれど、同じ先生から習っても必ず能力の差ができてしまう。

言語だけに限らず、学習全体からいうと、
その差は明らかだ。

早く習える人は、基本から始めて常に演習できるのに対して、
いつまでもできない人は、基本を飛ばし暗記に取り掛かる。

日本の英語の先生は英語に自信がないまま教えている。

盲人が道を教えているのだ。

私は韓国出身なため、ハングルはもとろん母国語だ。

日本語は短大や大学の授業を通して身に着けた。

英語は独学であるが、アメリカで住むのになんの不自由がない。

3か国語も自由自在だと言語を使うことの共通点や差などに着目するようになり、
言葉の奥に人間性を観察したりと脳のトレーニングにしている。

何かを習う、学習の障害を無くすために、
最も大切なことは、演習、つまりトレーニングである。
 
誰かその演習の仕方について質問があれば対応するので気軽にきいてほしい。

今回は自分の記事に英語通訳を添付しない。

Google通訳が如何におかしいか納得する機会になるかもしれない。





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