Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

椎間板ヘルニア(進行編)

2023-03-27 | 身体症状

その後のその他

(言い訳編に続くその後など)

 

今日MRIの結果による医者との面談がありました。

来週の月曜に専門医によるインジェクションを受けて、

効かない場合のために手術の予定も決めているとのことです。

痛みが進行したことで神経痛に効く薬

(痛みを緩和するが治す薬でない)を処方されました。

 

最近の激痛は梨状筋インジェクションを受けてから

悪化したと医者に言ったら、

ヘルニアとそのインジェクションは何も関係ないと言われました。

 

今週1週間まだこの苦痛と共に過ごすと思うだけで気が滅入ります。

手術までいくと後1ヶ月半以上かかるようです。

 

苦痛が酷い時は、本当に純粋な

(透明でキレイな感じの)苦痛が襲ってきます。

不思議にその透明な苦痛があると、何故か頭がさえるのです。

 

必要でない限り、痛み止めも取らないで

自分が苦痛をどう扱っていくかを見ているので、

何か視えてきたことがあれば、

記事にまとめるつもりです。

 

何より、ブロガー友たちの方々から、

激励と応援のコメントを頂き、本当に心強くなりました。

こんな時はコメントが100%心に染みてきますね。

コメントお返しをすると受けた気持ちが薄くなるので、

一方的に受けて心に預け入れておきますね。

コメントと応援本当にありがとうございました。

 

追伸:今回は前回の記事を再編集しただけの上書きです。

 

 

 

 

 

 

以下は前回の記事

最近ブログ更新できなかった言い訳編

 

この前の2回目のMRIで椎間板ヘルニア(L4-L5)を発見しました。

 

梨状筋痛や足のしびれ等はヘルニアの結果に過ぎなかったようです。

1回目のMRIでは骨盤周辺の異常検査でしたが、

そこには問題無く、脊椎に異常があったのが分かり、

2回目は問題部位を特定するための検査でした。

 

4月の一週目にMRI結果による医者の正式な診断があるので、

手術日とかが決まってくるでしょうね。

とにかく、ヘルニアは苦痛極まりますね。

なのにバレエのレッスンを受け続けた私は苦痛に鈍感なのか、

精神力が図太いのかわけが分からなくなりましたね。

 

今年は個人的な災難で始まり、その極めでヘルニアまでと散々です。

これらの災難沙汰で6月のバレエ舞台予定はすっかり消えてしまいました。

 

舞台衣装も買って、トウシューズも余分に買っておいて、

先生も私専用の振り付けを完成させてくださったのでしたが、

不確定の来年になってしまいましたね。

 

一秒も苦痛の無い瞬間が無かったので、

パソコン開く気力も持てなかったです。

早く手術なり、何なりとやって、苦痛を取り除きたいです。

 

気力が回復する次第、通常のブログ更新をしていきます。

 

皆様の中に、腰痛や足のしびれや苦痛がある方は

整体院でポギポギしないことをおすすめします。

今思うと、それらの物理治療が

悪化の原因ではなかったのかと思えてきますね。

MRI費用は高くつくのですが、

原因も分からない症状で手探りすると余計に長引くしまうので、

専門医の指示に従ったほうがいいかもです。

 

私は極めの医者不信、薬不信、科学医療不信ですが、

自力で解決できないのは医者に委ねるしかないかもです。

 

夫はガンでなく良かったと安心?しています。

私は6月舞台のために綿密に計画して自主訓練していたのもあって、

苦痛が悪化しもう練習ができなくなった時、一人で泣きました。

泣いて、6月を諦めたら、以外に心に平和が持てたのです。

心が楽になって自分で驚きました。

目標を失ってうつになると思ったのに本当に予想外でしたね。

 

 

追伸:今回の記事は英訳しないつもりです。

   英語圏の友人知人には知らされたくないのですが、

   日本のブログ友の皆さんとは良かれ悪しかれ

   経験を共有していきたいのがあるので、

   何とかの縁ですかね。

 

 

 

 

 

Comments (10)
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才能・有能・無能Gifted- Ability- Inability

2023-03-05 | バレエ

能力は生まれ持った才能と間接的に関わっているが、

因果関係は無いと思うようになった。

An ability is related to inborn talent indirectly,

but I came to think that

there are no consequences between ability and talent.

 

能力は、自他が期待したとおりに行える行動力である。

Ability is the capability of actions that

exactly can do in the exact way people expected.

有能はその行動力があることを自他が認めている状態であり、

無能は自他のいずれかが

そのような能力が無いとみなしたことである。

Ability is an approved state in that everybody admits

the one can do on an action,

inability states that one or someone does not have such abilities.

 

私は、それら才能、有能、無能の3つの概念に

相対的な関連があると思い、

どのような関わりを持っているかについて考えてきた。

I have been conceiving that

there must be relativity among talent, ability, and inability,

so wondered how the three are connected one to another.

 

なにかに才能があると認められている才人は、

まずその才能に欠点が無く失敗することが無い。

A person who is known as talented

when they doing at something

basically has no flaws or fails from the acting.

その面から、才能があると認められてはいないが、

何かを上手にできる人には、

欠点が明らかで条件によっては失敗することがある。

From this viewpoint,

someone has no talent but is good at something

looked to have a flaw that appeared obviously

and fails often when the condition changed.

 

無能は欠点や欠如が何かさえも分からない状態であろう。

Inability would be the state of

not even knowing how much deficiency or lack one has.

だから、無能は才能と有能の可能性を高く包括していると言える。

For that reason, inability has a higher potential for ability and talent.

 

私はバレエを50代過ぎてから始めた。

I started to learn ballet when I was in my over-fifties.

子供や若者は未来の夢や経歴につながるバレエをやっているが、

私は健在のためである。

Children and young people are doing ballet

for their future dream which can be a carrier,

but my ballet is just for my well-being.

 

50代になると、余計な脂肪が増え、

使っていない筋肉は硬くなり身体能力が落ち始める。

When people hit their 50s, get body fat more

while the unused muscle stiffens,

and physical abilities start to get down.

思うように体が動いてくれない。

The old body does not move the way one wants it to.

 

だから、年齢のこともあって

バレエは無理を絶対しない余裕の範囲内でしかやっていない。

That is why I have been doing ballet

within the limits of my old body and never do overdo it.

以前、一人だけだったレッスン中、先生に

バレエに才能がある、無いというのはどういうことか?

と聞いたことがあった。

When I was taking a lesson before and I was alone,

I asked my teacher,

“What is the talent for ballet, and how can tell who has it or not?”

 

先生は、YESともNOとも答えず、

ロシアでの王立バレエ学校でのことを話してくれた。

She didn’t say Yes or No but told me about

her school time at the imperial ballet school in Russia.

先生の話によると、授業では先生は鏡の前の椅子に楽に座って、

手だけであれやれこれやれと指示だけやって、

生徒は言われたとおりにやって見せることが普通だったようだ。

According to my teacher, in class usually,

the teacher was sitting on a chair in front of the mirror

and gave instructions to do this and that

using only with hands,

and students had to show as they were told so.

 

新しい技も口だけで伝え、

それでも生徒は一度で覚え見せたようだ。

Even a new technique was shown by spoken,

with only such verbal teaching

students memorized them all and show them as they should be.

ついていけない人は定期的なテストでばっさり切り落とされ、

生き延びるためには期待値以上を超えないと

落とされるのが当たり前だったようだ。

Those who could not keep up

were chopped off and dumped in the periodic exams,

so they always had to show above expectations in order to survive.

先生の学校での例では、

有能は基本条件にすぎず、

才能持つのは必修だったようだ。

In my teacher’s school days examples,

the ability was nothing but just an essential requirement

and talent seemed to be compulsorily required.

 

私は有能でも無能でも、才能有る無しに関わらない

ただ身体能力を上げる自主訓練をやっている。

I have been doing self-motivated training

to improve my physical capabilities

and try not to be influenced by ability or inability

even with talent or without it.

その自主訓練の完全な手段がバレエである。

By doing self-training the perfect method is ballet.

だが、今は訓練を超えて修行になった。 

But it has gone beyond the training

and became ascetic practice(discipline).

 

修行のレベルになってから才能が無いと実感した時も

無能感に捕らわれなくなり、

ついていけない時も落ち込むことが無くなった。

When my level reached discipline to practice,

whether I had talent or not, even if I felt unable,

I became no longer trapped by them or messed up my mind.

 

才能が要求される分野でも修行の心構えで挑めば、

できないことが障害にならず、再挑戦できる。

Even in a field that requires talent,

if someone has a mindset that

inability to be an ascetic practice,

then one can take rechallenges.

修行は絶え間なく自己を練磨する作業である。

Ascetic practice is the work of endless self-improvement.

 

特に決まったゴールが無くても進行可能である。

It makes us keep going even without a specific goal.

 

修行は行動自体が目的であり、手段であり過程である。

The acting of ascetic practice can be the goal, the method, and the process.

 

その修行が坐禅であってもバレエであっても、

能力や才能の可不可を一々問わず、

どのような状態であっても進行させることが、

真の修行であろう。

Regardless of whether we have talent or without it,

whatever condition we confront

when we do Zen meditation or ballet,

just to make the progress,

the act would be authentic training.

 

 

 

 

補足:添付した絵はウェブから借りました。

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