目的を持って始める「ゆうゆう生活」

<Begin with the End in Mind>悠悠、融融、優遊、悠悠閑閑な「ゆうゆう」生活のブログ

阪神大震災から20年目

2015-01-17 | ブログ

今日、5時46分。

阪神大震災から丁度20年目。

今日を含め、この1週間、関西では、阪神大震災に関連するニュースを流している。

 

私の震災の記憶:

・冷蔵庫、食器棚等重いものが、北側に5センチ平行移動した。

・マンションの駐輪場の自転車は、倒れていた。

・電車、モノレール等交通機関は、止まった。

・当日は、NTT回線は通じていた。

・翌日以降、朝から夜までは、不通となったので、連絡は、公衆電話のみになった。この時、携帯電話の普及が進んでいなかったので、携帯電話だけが普通に使えていた。

これ以降、関西では、携帯電話が急激に普及した。私もこの後、携帯を購入した。

・JR東海道線(京都線)は、翌日から開通した。

・JRも復旧したので、大阪市内は、普通に生活していた。

 

・会社では、全国からサポート部隊が駆けつけ、お客様への対応をしていた。

・阪神地区に親戚がいる方は、歩いて安否を確認されていた。

・阪神地区に住んでいる社員は、その週末から、ホテル住いが許されて、家族を連れて大阪に来られた。

自宅の周りの阪神地区の被害が凄かったので、大阪はもっと凄い被害と思っていた。

船で、大阪港に来たとき、大阪の街が光で溢れていた。何を現地で頑張っていたのかと自問自答してしまったとのこと。電気が通じないので、現地では全体の被災状況が分からなかった。

・自宅から避難する時に、近所の人を何人も救出した社員もいた。

 

・震災地区には、迷惑がかかるといけないので、大阪から西には、殆どいかなかった。

・取引先の方が、6月に役員になられたので、そのお祝いを持って西宮の自宅を訪問。半年後だったので、崩壊した家の跡地は、更地になっていた。更地の土地は結構あった。

活断層の上だけが大きな被害を受けたので、更地の地域が特定していた。

・神戸・三ノ宮へは、その年の12月に開催されたルミナリエを見に行った。その当時、復興は進んでいると感じた。