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嫦娥(姮娥)の詩 李 商隠

2021-05-30 06:37:21 | 漢詩・古典・エトセトラ

前に鬼谷子の事を書きましたが、晩唐の李 商隠が嫦娥(姮娥)の事を謳っていますので取り上げます。以前に見かけてあったのを思い出しました。勉強は出来ませんが、こういった事は結構覚えているんですねえ。嫦娥ってどう読むのかとか調べた事があったんで記憶の中にあったんですね。西遊記の中にも八戒がちょっかいを掛けていましたしね。

李商隠
(り しょういん、812年(元和7年) - 858年(大中12年)。


 晩唐の官僚政治家で、時代を代表する漢詩人。字は義山、号は玉谿生。また獺祭魚と呼ばれる。獺祭というお酒のネーミングはここから取ったのかしら?。
本貫(出生場所)は隴西郡狄道県 懐州、河内県(現在の河南省焦作市泌陽市)の出身だが、鄭州滎陽県(現在の河南省鄭州滎陽市)で生まれた。官僚としては不遇だったが、その妖艶で唯美的な詩風は高く評価されて多くの追随者を生み、北宋初期に一大流行を見る西崑体の祖となった。似たような婉約な詩風を特徴とする同時代の温庭筠(おんていいん)と共に温李と呼ばれ、また杜牧と共に小李杜とも称される。その反対の大李杜とは言うまでもなく、「謫仙人・詩仙」事、李白、「詩聖」の杜甫の事ですね。

                   

 李嗣の長男として生まれる。李凝之(李韶の子の李瑾の子)の末裔にあたる。その祖は唐の宗室につながるというが、このころは没落し、父の李嗣は県令や監察史・節度使・州刺史の幕僚を務める地方官僚だった。その父は李商隠が10歳のころ病没している。他に2人の弟と6人の姉妹がいた。

当時、唐宮廷の官僚は、牛僧孺李宗閔らを領袖とする科挙及第者の派閥と、李徳裕に率いられる門閥貴族出身者の派閥に分かれ、政争に明け暮れていた。いわゆる牛李の党争と言います。若き李商隠は、牛僧孺派の重鎮であった興元尹・山南西道、節度使の令狐楚の庇護を受け、837年、26歳にして進士科に及第する。しかしながら同年に令狐楚が没し、翌年には上級試験にも落第すると、今度は李徳裕の派に属する太原公、王茂元の招きに応じてその庇護下に入り、娘を娶った。翌839年、王茂元の働きかけにより文人官僚のスタートとして最も理想的といわれる秘書省の校書郎に任官されるのですが、牛僧孺派からは忘恩の徒として激しい謗りを受けることになった。以後も李商隠は、処世のために牛李両党間を渡り歩いたので変節奸と見なされ、厳しい批判を受けて官僚としては一生不遇で終わることとなる。

任官同年、早くも中央にいたたまれず、弘農県(現在の河南省山門峡市霊宝市の南)の尉となって地方に出る。以後の経歴は、忠武軍節度使となった王茂元の掌書記、秘書省正字、桂管防禦観察掌書記、観察判官検校水部員外郎、京兆尹留後参軍事奏署掾曹、武寧軍節度判官(もしくは掌書記)、太学博士、東川節度書記、検校工部郎中、塩鉄推官など、ほとんどが地方官の連続であり、中央にあるときも実職はなかった。端的に言えば干されたのである。また、さらにそれすらまっとうできずにたびたび辞職したり、免職の憂き目に遭っている。なおこの間、842年に母を亡くし、851年には妻王氏も喪っている。

そして858年、またも失職して郷里へ帰る途中、または帰り着いてまもなく病没した。享年47。

 李商隠の詩の面目は艶情詩にあります。その定型詩、特に『無題』とされる幾つかの、あるいは単に詩句から借りただけの題を付けられた律詩は、晩唐詩の傾向である唯美主義をいっそう追求し、暗示的・象徴的な手法を駆使して、朦朧とした幻想的かつ官能的な独特の世界を構築している。そのテーマは破局に終わった道ならぬ恋愛の回想であり、甘美な夢のごとき青春の記憶の叙述である。当然、内容ははなはだ哀愁を帯びるが、典雅な詩句や対句、典故で飾られ、耽美の域に達している。美しく悲しいごく私的な記憶や感慨を詩によって昇華させる、それが李商隠の詩風であった。

 一般的に恋愛詩は友情を描いた詩よりも軽視されることが多い時代に、李商隠は多くの優れた作品を残した。妓女に向けて描かれたとされる詩、妻に向けて描かれたとされる詩などがあり、李商隠の恋愛詩は誰か一人のために描かれたのではない、というのが通説である。

ほかに『隋宮』『馬嵬』など、歴史を題材とした詠史詩や、詠事詩にも定評がある。また、長安東南の高台で詠った五言絶句『楽遊原』は、李商隠の代表作に数えられる。

「karaokegurui」さん(これ、ハンドルネームなんですかね?)が取り上げていますので使わせて頂きます。知っている人は知っているんですね。

  常娥應悔偸靈藥  嫦娥   李商隠

       雲母屏風燭影

       長河漸落暁星

       嫦娥応悔偸霊薬

       碧海青天夜夜心 赤字は韻です。

七言絶句です。韻は、深沈心です。  

    雲母の屏風びょうぶ 燭影しょくえい ふか

     長河ちょうが ようやく落ち 暁星ぎょうせい しず

     嫦娥まさゆべし霊薬をぬすむを

     碧海へきかい 青天せいてん 夜夜よよの心           

 「雲母の屏風」は、雲母が薄くはがれる性質をもつので、雲母の薄片を貼ったきらめく屏風でしょう。「燭影」は、ろうそくの影。

 「長河」は、銀河、銀漢などと同じく天の川の意味。「漸く」は、だんだんと。

 「暁星」は明けの明星ともとれますが、特定せず、明け方の西空に消え残っている星々とすればよいでしょう。「碧」は青緑。

 「碧海」と「青天」は対照させていて、ともに永遠なるものの象徴です。

  雲母を散りばめた屏風に、ろうそくの光がつくる影が映る

  天の川はだんだんと西の地平線の下に隠れていき、消え残った星々も次々と沈んでいく

  月の女神嫦娥は、霊薬を盗んだことを悔やんでいるに違いない

  翠の海を見下ろす、青い空に浮かぶ月にいて、夜ごとの想いはどんなものだろうか

 寝室の光景から始まり、夜明け前の空の様子を描き、月の女神の心境に思いを寄せています。

西遊記の中で悟空が天界に上って西王母主催の「盤桃会」で不老長寿の桃を仙女を足止めして大半を食べてしまいました。西方からは、観音菩薩他、天界からも数多の軍官、将兵が呼ばれたのですが、出す「桃」が有りません。その時にいたのが嫦娥を始めとする、女官達でした。悟空が盗んで食べた事と、嫦娥が盗んだ桃との因果関係はありませんが、昔から「盤桃会」に係わる話はあるんですね。


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