日和見を決め)。項羽は折にふれて兵を出すものの、「大軍に兵法無し」の言葉通り圧倒的な軍勢を持って城を包囲する漢軍には到底太刀打ちができない。さすがの項羽も自身が生死の境に立たされたことを自覚するが、とある夜、寝所で伏していると何処ともしれずに楚の歌が聞こえてきた。城外から聞こえる故郷の歌は、漢軍に寝返った楚軍の兵たちが唱じるものであった。城の四面がことごとく楚歌で囲まれていることを知った項羽は、ついに己の運命が極まったことを悟る。
項羽像(ちょっと分からないね) 虞美人
楚歌を聞いた項羽は(四面楚歌)城中の士卒を集めて酒宴を開き、これまでの労をねぎらった後、小軍勢を率いて決死の逃避行に出た。一説によると、和平の協約を取り付けて一路江南を目指して虞美人と共に一心に馬を走らせるものの、もとより逃げきれると考えていたわけではない。ほどなく劉邦が送った追跡部隊に包囲され、いよいよ最期の時が訪れたことを知った項羽は漢兵の群れに身を投じ、自らの武を示せるだけ示した後に自刃した。我が身の没落はあくまで天の為すところであって決して武勇の弱さによるものではない。全身全霊でそう示した後、稀代の猛者は己が手で己が首を刎ねて果てた。莫大な懸賞金の掛かったその遺骸は漢兵がむらがって五分され、肉片を持ち帰った者達を劉邦はことごとく諸侯として列した。
日本人は中国が「論語」の生まれた国として敬愛して『仁」「忠」「義」という言葉に敏感です。中国の諸子百家は中国の人民があまりにも、人を騙す、簡単に人を殺す。騙された奴が悪いというので生まれてきた戒めの書物です。でも日本は優れていい書物だとこれを手本にしてきました。純に勉強してきました。遣隋使、遣唐使がいい例です。日本は中国をある意味憧れを以って接してきたわけです。それが近年まで続き、今日の倫理観が日本の底辺にあると言って過言ではありません。
でもその当の中国という国は約束をしても、平気で、簡単に破るのを常とする。習近平がいくら綺麗ごとを言っても心の底を吐露していない。日本という国は、敗戦という弱みから、また、古来より誠意とか卑怯とか言う言葉が浸透しているせいか、戦後の発展にも助けられて中国に誠意を以ってかなりの梃入れをしてきた。年間30億という円借款をして、挙句に中国はその金で日本に向けてミサイルを配備するなんて平気でしてきた。
私からすると、ミャンマーのスーチーにしても国に金が無いのは承知していますが私からすると「馬鹿の誹り」を免れないね。中国が一旦国に入ったら最後なんだかんだ言って居続けるのは必至だからだ。信頼のおける国を選ばないとね。