針外し/爺さんの独り言。役にたたない情報ばかり。

自作のスピナーベイトで今日もバスを釣るぞ!。人はそれを「G」と呼ぶ。爺さんの「G(ジー)」の意味だった。ガクン!。

山行 杜牧

2022-03-29 09:03:14 | 漢詩・古典・エトセトラ

 山行(さんこう)は、晩唐を代表する詩人のひとり、杜牧(とぼく…803~852)の詩です。杜牧の代表作の一つ[江南の春」が春の詩であるのに対し、こちらは秋の美しさを愛でた詩です。
                       

   山 行  杜牧

遠上寒山石径斜 遠く寒山に上れば石径せっけいななめなり 人気のない寂しい秋の山を遠く登れば、小石の道が斜めに続いていき

白雲生処有人家  白雲生ずるところ人家有り  白い雲の湧くあたりに人家がポツンポツンと見える

停車坐愛楓林晩  車を停めてそぞろに愛す楓林の晩  夕暮れ車を停めさせてしみじみとカエデの林を眺めると

霜葉紅于二月花  さうえふは二月の花よりもくれなゐなり  紅葉した葉は春の桃の花よりも赤い

「寒山」は「人気(ひとけ)のない寂しい山」。「石径」は「石の多い小道」。「遠」は山の高さを示しているのでしょう。頂上がはるかかなたに見える人気のない山に登ると、石の小道が斜めに続いている、という情景です。白雲生処」とありますからだいぶ高い所です。そこに人家が見えるのです。立科の針の家がある処位かね?。

杜牧はえらいお役人さんなので「車」で行くのですね。どんな車なんでしょうか。昔の中国を描いた映画などに人をかついで山道を登っていく映像があり、どのようにして登っていくかというと棒に椅子のようなものをくくりつけ、そこに人が座って棒の両端を人がかついでいくのです。ただそれですと「」とは呼べず「輿(こし)」になります。この詩では「車」となっていますから車輪がついているのでしょう。人が後ろから押す手押し車のようなものだったのかもしれません。もしそうだとするとそれほど勾配のキツイ山道ではなかったのでしょう。「坐」は「そぞろに」と読ませ、「なんとなしに・そのまま・うっとり」などの意味を持ちます。

            

 「楓林」は「カエデの林」。「晩」は「夕暮れ」。車を停めさせてそのまま美しい夕暮れのカエデの林を眺めたのです。「霜葉」は「霜にあたった葉」で紅葉した葉っぱのことです。
 「二月の花」は「旧暦2月のころ咲く花」ですから桃の花でしょうか?。紅葉したカエデの葉は真っ赤に燃え、春の桃の花より赤い。この最後の句にこの詩の命があって、前3句はこれを言わんがための前置きだ、とする評者もいます。確かに色彩のない前3句からこの4句に来るとパッと別世界に入り込んだような艶やかさがあります。

 このように色彩のあまり感じられない描写から突然目の前が開け鮮やかな世界が広がる…という描き方は中国の詩文にときどき出てきます。典型が陶淵明の『桃花源の記』です。トンネルを抜けるとこの世離れした美しい村里が現れてくる…。

 人の胸を打つ表現は時代を越えて別の詩人にインスピレーションを与えていくのでしょう。

 民国時代に活躍し、中華人民共和国時代も生きた作家・茅盾(ぼう・じゅん…1896~1981)が1946年に小説『霜葉紅似二月花』を出していますが、このタイトルはこの『山行』から取ったものです。革命を気取ったもののやがて挫折していくプチブル出身の若者たちをこの「霜葉」に例え、ホンモノの紅(共産党)とは異なり、やがてしおれていくとしたのだと解釈されています。元になった詩の雰囲気とはだいぶ異なりますね。

                  
 
 杜牧(と・ぼく…803~852)は晩唐(ばんとう…唐の最後の70年余りを指す言葉)を代表する詩人です。杜甫とは先祖を同じくする遠い親戚です。科挙にチャレンジしても合格できなかった杜甫とは異なり、かなり若くして科挙に合格し官職についていますが、あまり出世はできませんでした。

 家族のめんどうをみる必要もあって、都ではなく地方で役人を10年ほど勤めます。当時は都にいるより地方に行った方が収入が多かったのです。この詩もそうした役人時代に書かれたものです。しかし、同じ位の能力を持っていても、その人その人によって、運、不運の差が生まれるのは悲しいもんですね。
 針外しは単純なのか、江南の春も山行も大好きな詩です。

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パソコンの調子が悪い。

2022-03-25 08:37:07 | 針でも知ってるパソコンの話し

  針外しの家のパソコンは秋葉原にある「ドスパラ」今は,サード・ウェーブって言う名前に変わっているみたいだが、台湾製みたいね。。2~3か月前から調子が悪くなってきました。スイッチを入れるとディスプレーが点かなくなったりした。

 以前にドスパラサポートに聞いたら後ろの差し込みコンセントを入れたり抜いたりしてみてくれ」と。まともに動いたんですがまた暫くしたらまた調子が悪い。以前と同じようにやっても駄目なので再度聞いて見たら、今度はコンセントを抜いて、カッチャカッチャON OFFを繰り返してみてくれ」。そうすると、よくは分かりませんが「放電」するとか。これも巧くいって復調したのだが、2~3日前から再び調子が悪くなった。スイッチを入れてもディスプレーが点かなく暗いまんま。

          
        針外しのパソコンは、余りにも汚かったのでweb上で似たのを拝借してきました。

ドスパラの応対してくれたお姉さんに「何か他に方法ないですかね?」と聞いたらメモリーを片方抜いて見て立ち上げてみるとかしかありませんね。
         ドスパラのメモリーは青い縦になっている奴だ。(ファンの右に見える)

 「成程それやってみましょう」こういうの下手にやるとぶっ壊してしまうので慎重にね。で、側面の蓋を外してみると「うひゃー、すっごい埃」「これじゃー調子悪くなるね」小型の掃除機持ってきてかれこれ3,40分掃除しましたん。また、右の中にあるハードディスクのソケットも抜いて接触を良くしてみました。

 綺麗になって、メモリー外してやってみると「おお、作動したみたい」「ジャー、入れ直して立ち上げてみるか」と嵌めてやってみると全く反応しません。「あれれ」メモリーを試しに引いて見ると動いて抜けてしまうね。で画面を見ると、

”Reboot and Select proper Boot device or Insert boot media inselect Boot device and   press key ” と言う文言が。何の事かチンプンカンプンネ。又ドスパラのお姉さんに聞いて見るとハードディスクとか何かのソケットが外れているとかが原因ですって。

 再度、メモリーの抜き差しをやってみたが(今度は力入れて)。かなり力入れて手で入れてもそれでも硬くてなかなか入らないね。

確かにこれじゃー駄目だ」手が痛くなってきたので最後に蒲鉾の板を使って入れてみると「やっと「カチッ」っと音がして入り、スイッチ入れてみると下にあるパイロットランプが点灯して巧く立ち上がったみたいだ。画像が出てくれました。

 今迄、「マウスのカーソル」が動かなくて固まったり、Sleepにして置くと何故か時間が経つと切れてしまったりしましたが今度は「サクサク」、「キビキビ」動きます。

 古くなったんで買い替えようかと思ってあきらめたんですが、良かった良かった。どうせ買い替える事になるんだろうが取り敢えず良かった。バックアップの抜き取りも余裕持って出来るしね。

また一つ勉強になりましたよ。

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針外しの原点になった曲。

2022-03-22 01:20:27 | ギタ-・ロックの話

 久しぶりでYOU TUBE で昔の曲を聴いていたら、何と針外しが中学2年生の時に見てSTONESのファンになった画像を見つけました。「ん?」そう、懐古主義でんな。針外しはこの画像を見て、それからは頭脳が発達しなくなっちゃったんだ。

READY STEADY GOとかGO GO HULLABALOOとかはVHSとかの画像がありますが、これはもっと前の「HOLLYWOOD  A GO GO」に出演した時の画像だね。ストーンズの定番はキースリチャーズがレスポールのスタンダード、ブライアンジョーンズはファントムの白(雨垂れ型が普通だが、もっと前はギブソンファイヤーバード7。 「ん?」何処かで聞いた事あるって?。       

         

そりゃ、そうでしょ。針外し氏所有のヴィンテージギター、Gibson Firebird7sb64-155078の事でしょ!。其れも当時としては珍しいカスタムメイド。同じサンバーストでも、普通は左の画像の様に縁取りがきついね。そして画像は赤っぽく見えるがもっと焦げ茶色。針の方は赤みが強く、赤茶と言った方がいいかもね。ファイヤーバードと言えばスルーネック。大事に使っていたのか、分かりませんが全く反りもありません。ギブソンの年表見ると「シリアルナンバー」で当時の96本の中の1本だという事も分かった。昔占いの先生に「欲しいギターがあるんですが、手に入りますか?」と聞いたら「入るよ」と言われました。大当たりだったね。

       
          普通は左のタイプ。右は針外し氏所有のFIREBIRD7SB64 だ。

 とまあ、ギター自慢はこの位にして、この「ハリウッド ァ ゴーゴーは日曜日の昼前、11時半から30分。12時からは「牧 伸二」の「大正テレビ寄席」をやっていた。この時に演奏していたのが「THE LAST TIME]。 

 https://www.youtube.com/watch?v=kjl9wg9cjhE 演奏見たければこれ参考にしてね。(上のアドレス消してこれを貼り付ければ見れますよ)

このファイヤーバードでラストタイムを弾くのが夢でしたね。銀座のヤマハの楽譜売り場でこの楽譜を見つけた時は小躍りして喜びましたよ。中学2年の終わりには、完全に弾けてました。

 イギリスと言う国は「女装天国」だからマッシュルームカットが流行ったんですが、ブライアンジョーンズ(最初はブライアンがリーダーだった。)も、典型的なマッシュルームだった。で、二人が持って弾いているのがファイアーバード7だね。      

        

この画像が針外しとすれば、ビートルズよりショックを受けたんですわ。人それぞれだね。イギリスのバンドらしからぬ制服・スーツなんか着て無くて私服そのもの。(因みに、ストーンズは「ロンドン乞食」って言われてました。

        

 ブライアンジョーンズはスパイダースの釜萢氏がもろに真似していて髪型、ギターそれもファントムの雨垂れのギターの赤。当時、仲間内皆であれは完全にブライアンの真似だね」と言ってました。キースリチャーズはご存知、「パイレーツカリビアン」で「ジョニーデップ氏」がキースの真似をしたので有名だね。

        

ブライアンがリードを弾いてキースがコードを弾く簡単な曲ですが、何故か耳から離れない。頭の中にこびり付いて出て来ないね。単純旋律だから猶更なのかもね。

        
次は一人ぼっちの世界。Get Off Of My Cloud
                            (117) Rolling Stones - Get Off Of My Cloud - YouTube

 この曲も旋律が頭から離れなくなってしまったのよ。今でも忘れません。当時、中学も塾に通っていたのだが、途中の「一の橋」に在ったレコード屋さんでなけなしの330円持って買って塾に行ったのを覚えています。

        
 塾から帰って着て何回も何回も聴くんだが、頭から抜けない。結局は夜中の2時まで聞いてしまった。キースリチャーズの曲の作り方はとってもシンプルで,サティスファクションの様に

       5弦 2f~4f・5fの旋律の形を取りますね、ラストタイム、サティスファクション。黒く塗れ、夜をぶっ飛ばせ、等皆同じ旋律から生まれています。因みにラストタイムのスコア―ですけど

            
 この様に書かれていますけど、当時の輸入盤の楽譜ではE7-Bm7-E7-A のコード進行でブライアンジョーンズの主旋律にこのコードを合わせて弾くのが本当ですよ。上の振り付けでは合わないね。(輸入盤の楽譜ではそうなっています)

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曹植 曹操の三男

2022-03-19 17:16:14 | 漢詩・古典・エトセトラ

三国志では蜀、劉備、関羽、張飛、趙雲の話ばかりなのでちょっと片手落ちね。其処で目を付けた御仁をとり上げてみました。因みに曹丕は好きではありません。
曹植(そうしょく、または、そうち)大概そうしょくって言ってますよね。を取り上げます。

 初平3年-太和6年(192-232) 中国後漢末から三国時代の人物で、魏の皇族。字は子建。陳王に封じられ、諡号は思であったことから陳思王とも呼ばれる。唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者として、「詩聖」の評価を受けた人物でもある。沛国譙県(現在の安徽省亳州市)の人。曹操の五男として生まれる。

          
              曹  植

 生母の卞氏は倡家(歌姫)の出身であるが、「世説新語」賢媛篇に名を列ねる賢婦であった。同母兄に文帝曹丕・任城威王曹彰。同母弟に蕭懐王曹熊。子は曹苗(早世)・曹志。他に2人の娘がいた。
異母兄の曹昂と曹鑠が早世すると、197年頃に卞氏が正室に上げられ、曹植は曹操の正嫡の三男となる

 幼い頃より詩など数十万言を諳んじ、自身も詩人であった曹操に寵愛された。211年、平原侯(食邑5000戸)に封じられ、214年、臨葘侯(同)に転封される。
曹植は礼法に拘泥せず、華美を嫌い、酒をこよなく愛する、闊達さと奔放さをあわせ持った、天才肌の貴公子であった。詩人としてのみならず、実際には父の遠征に従って14歳から従軍し、烏桓遠征、潼関の戦いや張魯征討など数多くの戦役に従軍しており、兄たちと同じく戦場で青年時代を送っている。戦場の空気に馴染んでいたとみられる。
このころより詩・賦の才能がさらに高まり、ますます曹操の寵愛は深くなる。同時に、この頃から長兄の曹丕との後継争いが勃発する。彼らよりもそれぞれの側近たちの権力闘争といった様相が強かったが、217年、正式に曹丕が太子に指名され、以降は曹植と側近者たちは厳しく迫害を受けることになる。

220年、曹操が没すると側近が次々と誅殺され、221年には安郷侯に転封、同年のうちに鄄城侯に再転封、223年にはさらに雍丘王(食邑2500戸)、以後浚儀王・再び雍丘王・東阿王・陳王(食邑3500戸)と、死ぬまで各地を転々とさせられた。
この間、皇族として捨扶持を得るだけに飽き足らず、文帝曹丕と明帝曹叡に対し、幾度も政治的登用を訴える哀切な文を奉っている。特に明帝の治世になると、親族間の交流を復することを訴える文章が増える。230年、母卞氏が没し、最大の庇護者を失う。その後も鬱々とした日々を送り、232年11月28日、「常に汲汲として歓びなく、遂に病を発して」41歳で死去。子の曹志が後を継いだ。一説によると曹植は曹丕の奥方の甄氏(しんし)に恋焦がれていたとか。
           
               甄氏(しんし)
甄氏は袁尚の息子の嫁であったが曹操が袁尚を破った後、長男の曹丕に嫁がせたとあります。有名な詩に「七歩詩」がありますね。「よくみのもんた氏」が何かにつけて取り上げていました。

   七歩詩  曹植
煮豆持作羹 漉鼓以為汁 豆を煮て持てあつものして以て汁と為す
豆を煮て濃いスープを作る豆で作った調味料をして味を調える

萁在釜下燃 豆在釜中泣 まめがら釜下ふかに在りて燃え豆は釜中ふちゅうに在りて泣く
豆がらは釜の下で燃え豆は釜の中で泣く

本是同根生 相煎何太急 もと同根どうこんより生ずるにあひること何ぞはなはだ急なると
豆も豆がらも同じ根から育ったものなのに豆がらは豆を煮るのにどうしてそんなに激しく煮るのか

曹操の元には敵国の細君が多数集まっていたので、後、後継者争いが起きるのは火を見るよりか明らかですよね。
人間と言う動物は先の事がよめませんね。一歩先は闇と言いますが、なかなか先は読めませんね。

 権力の中に身を置いていると、良い事はありません。昔2000円札作った小渕恵〇首相は、脳梗塞であるのに、権力に居座ったので、死ぬ羽目になってしまいました。
竹林の七賢人ではありませんがそういう世界から離れて暮らすのを選ぶ方がいいのかも知れません。

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飲中八仙歌の賀知章

2022-03-15 20:12:12 | 漢詩・古典・エトセトラ

賀知章(ガチショウ)盛唐の詩人。  字は季真、号は四明狂客。生れ:659年(顯慶四年)没年:744年(天寶三年)会稽郡永興県の人。越州永興(現・浙江省蕭山県)どっちが本貫地なんだろうね。

        
               賀 知章

証聖元年(695年)に進士に及第して、玄宗に仕え、開元年間に礼部侍郎となり、集賢院学士を加えられ、転じて工部侍郎に移り、秘書監を授けられた(賀監(がかん)の異称はこの官職名による)。
詩をよくして李白と交友があり、また草書と隷書に卓越した方です。

無類の酒客にして脱俗の趣あり、後に官を辞して故郷に帰り道士となって86歳で没した。狂草で有名な張旭と交わり、酒を好み、酒席で感興の趣くままに詩文を作り、紙のあるに任せて大書したことから、杜甫の詩『飲中八仙歌』では八仙の筆頭に挙げられています。

       
               賀 知章

 酔って馬に乗る姿は揺れる船に乗るかのようで、井戸に落ちてもそのまま眠り続けたという事です。王維、日本の遣唐使、阿倍仲麻呂らとも仕事をしています。李白が初めて長安に来たとき、かれを玄宗に推薦したのは、この人であったと伝えられる。天宝二年、老齢のゆえに役人をやめ、郷里にかえって道士になった。

 浙江省は南東部沿海地域、長江デルタ以南に位置し、北緯の27○12′~31○31′と東経の118○00′~123○00′間に介在しておる。東は東海に瀕して、南に福建、西に江西、安徽両省、北に中国で最も大きい都市の上海および江蘇と隣接する。紹興酒でも有名だね。紹興で出来る老酒の事を紹興酒って言うんですね。

       
                  賀 知章

 山は雁蕩山、雪竇山、天目山、天台山、仙都山などの名山があり、湖は杭州西湖、紹興東湖、嘉興南湖、寧波東銭湖、海鹽南北湖などの有名な湖、それに、中国の最も大きい人工湖の―杭州千島湖があり、川は銭塘江、欧江、楠渓江などの有名な川がある。京杭大運河は浙江北部を通り越して、杭州で銭塘江に流れる。昔から風光明媚な処で酒も美味いとくれば酔っ払いにならない方が不思議だね。
現存する書蹟に以下のものがあります。

『孝経』(『孝経』は、孔子と曽子が儒教の重要概念である「孝」について問答したもの)

          

孝経の全文を草書で書いたもので、賀知章の署名はないが、末尾に「建流二年(961年)冬重粘表賀監墨蹟」と小楷で書かれていて、古来賀知章の真蹟と伝えられる。江戸時代中期に日本に舶載され近衛家熙氏の収蔵するところとなった。久しく近衛家にあったが明治の初め皇室に献納されて御物となった。(現在は三の丸尚蔵館蔵)。書風は王羲之風の重量感があり、切れ味も鋭い。概して用筆勁利、しかも秀麗洒脱である。賀監とは賀知章のこと。高官を勤めながら破天荒な生き様で知られていた。李白がその賀知章と長安で出会った時、賀知章はすでに80歳を超えた老人であったが、李白を見て意気投合し、李白を謫仙人と呼んだ。有名な詩には賀知章を詠った李白の五言律詩「酒に對して賀監を憶ふ」があります。
酒に對して賀監を憶ふ」

  四明有狂客  四明に狂客有り
  風流賀季真  風流なる賀季真
  長安一相見  長安に一たび相ひ見しとき
  呼我謫仙人  我を謫仙人と呼ぶ
  昔好杯中物  昔は杯中の物を好みしが
  今爲松下塵  今は松下の塵と爲れり
  金龜換酒處  金龜 酒に換へし處
  卻憶涙沾巾  卻って憶へば涙巾を沾す

また賀知章の作には
『回郷偶書』帰郷したおり、たまたまできたもの

少小離家老大回 少小家を離れ老大にして回かえる    若かりし頃、家を離れ年をとって故郷へ帰った
郷音無改鬢毛衰 鄕音改まる無く鬢毛摧すたる      故郷の訛りは変わらないし、髪の毛もまばらだ。
児童相見不相識 兒じ童相い見て相い識しらず      子供が来て誰だか分からない
笑問客従何処来 笑ひて問う「客、何いづれの處ところ從より來(きた)る」と? お客さん何処から来たの?。

 賀知章は80歳を過ぎて引退した。懐かしい故郷だが、なにしろ50年ぶり、村の子供たちはだれかわからないので、「お客さん」と呼んだ。
 『ああ、すっかりよそ者になってしまったのだなあ』としみじみ詠う。

『詠柳』柳を詠む
碧玉妝成一樹高 碧玉の粧ひを成す、一樹の高き、 春になると、柳の木は青々と粧い、その木の何と高いことか。

萬條垂下緑絲條 万条の垂れ下る、緑絲の絛。  無数の緑の糸が枝垂れて、其の下端は、今にも川面に届こうとしている。
不知細葉誰裁出 知らず、細葉は誰が裁ち出づるを あの柳葉は、誰があのように細かく切り裂いたのだろうか、
二月春風似剪刀 二月の春風は剪刀に似たり。   二月の春風は、柳葉を切り裂く裁ち鋏のように、鋭く、冷たい。

お酒の話になると何故かいやしくなる針外しでした。
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王維の別荘「輞川」(もうせん)って何処?。

2022-03-13 07:41:09 | 漢詩・古典・エトセトラ

未だ、未完成のまま、アップしてしまいました。改めて書き直します。気が付いてみると「投稿」状態になってました。前の「お詫び投稿」は消しますんでよろしくね。

 王維の「輞川」にある別荘って何処ら辺にあるのかな?と思いチョックラグーグルアースで調べてみました。 王維は盛唐の詩人。現在の山西省の人。詩だけでなく画、書、音楽にも長けていました。31歳の時に長安の東南約50キロの山奥にある「輞川荘」という別荘を購入します。
  
 地図では西安になってますが、広い意味で西安の中に(外れに)長安があります。

そこで、友人の裴迪(はいてき)と別荘内の景勝を詠んだ詩が『輞川集』(もうせんしゅう)と言う名前で、まとめられています。今日の詩は、その別荘のほぼ中央にある欹湖(いこ)の岸辺の水の上に建っている建物「臨湖亭」があります。当時の軽舸とは船のことで、船でお客さんを臨湖亭に招いたようです。

       

上客、大切なお客さんなのでしょう。軒は日本語なら軒(のき)ですが、ここでは、窓の手すり。お客さんをお酒でもてなす。湖上にある臨湖亭から周りを見回すと四面、つまり辺り一面、芙蓉が開いていると詠っています。当時、芙蓉は蓮の花を指しました。

      
   この絵が本来の屋敷の姿なんでしょうね。ネットに絵が載ってましたが多少修復しました。

 大切なというか、大好きな人をお客さんとして迎えて、湖上でお酒を楽しむ。辺りは満開の蓮の花。湖を渡る涼やかな風と、王維のうれしい気持ちが伝わってきます。時の皇帝より良い暮らししてたんですかね?。

 
今は昔の面影は無いのかも知れませんが、公園として残っているのかも。

 
しかし、規模が違いますね。日本の岩崎邸とかのレベルとは遠くかけ離れています。詩を朗詠しても誰も聞いてはいないなんて事になりますね。当時の模様を描いた画集がありますが、これを見て想像するしかありません。

      
今の風景と対比してみるのも、想像力を膨らまして面白いかも知れません。

      
今の中国へは「ヒョイヒョイ」とはいけませんからせいぜい文献さがして、行った気分になるんですね。

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竹里館  王維

2022-03-10 09:00:13 | 漢詩・古典・エトセトラ

 王維の輞川(もうせん)集の中の一首です。前に挙げた「鹿 柴」同様、王維の別荘、輞川もうせん二十景の一つを詠ったものです。王維という人は仏門に入っていて帰依しているかのかと思ってましたが流石、官僚です、いい処に別荘持っていたんですね。           
      

    
                                     「竹里館」に出てくるような竹林
竹里館  王維

独坐幽篁裏 独り坐す幽篁ゆうこうの裏   竹やぶの中に一人で座る

弾琴復長嘯 弾琴、復長嘯     琴を弾き、声を伸ばして朗詠する

深林人不知 しんりん人知らず     深い竹林の中にいる私に誰も気づかない

明月来相照 明月来たつてあいらす 明るい月だけがやってきて私を照らす

 
こういう、静かな処での生活に憧れますが果たして暫く、暮らしていると退屈して厭きないかなあ!?。最初から、便利な生活を経験していなければ、その境遇に嵌っていられるんだろうけど、一度でも馴染んでしまうとなかなか耐えられるもんではないんだろう。バブルで高級な裕福な生活を送っていた人が社会情勢や景気が落ちて、倒産等になると、なかなか質素な生活になるのが苦しいんだろう。前に質素な生活をしていた事のある人でさえ、辛いかも知れないね。
どっぷりと裕福社会になれてしまって、スローライフなんてチャンチャラおかしいけど、せめてこういう風流な詩を読んで基本的な考えだけでも持ち続けたいものであります。

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山の冬は寒い。

2022-03-06 16:01:04 | 立科・信州の話。

 針の山は標高1500m。冬は当然寒いですが、暖を取るのにLPガスはお高いので灯油にして重宝していたのだが最近、石油類が馬鹿高いね。自動車の燃料やら、兎に角高くなっているので、国として対策を練ってほしいね。
 ガソリンには当然、税金が掛かっています。其れも2重にね。25%が2つもだ。何時の頃だからか、政府の安定した税収を固定化したいので、こんな税体制を作りやがった!。こんな時にでもそれを撤廃すればいいのだが、官僚がいう事を聞かないね。
大体、議員、官僚の「無駄遣い」が根底にあって、それが国民生活を圧迫してきたのが原因だ。

 コロナで「アビガン」を作ってそれをフランスに売って稼いだ奴、マスク作って利益出している安倍とか麻生とか言う奴がいるんだからそいつから資金援助させればいいと思うのだが。(富士フイルムの誰かと仲良しなんだって)尤も、こいつは森友。加計でも税金を無駄遣いした。)

 当然、燃料の灯油も跳ね上がってしまい、購入するのも憚れる。山のタンクは400L入る。それが、一回の逗留で半分近く、2回の逗留でほぼなくなってしまいます。

立科の標高は季節的に見て北海道の札幌辺りと似た処があると言われます。雪の深さでは遠く及びませんがね。

 シンクや風呂で結構お湯使うからしょうがないんだよね。当然、ストーブも「控え目運転」にするんだけど、なかなか暖かいという訳にいきません。巻きストーブだってそれが思ったほどではありません。

近くの仲良しさんの倉〇さんが「豆炭あんか」を使ってこれが重宝しているとの事で、購入しました。

名前はミツウロコ。
    

 豆炭1個で13時間~14時間位もつらしい。(まだ山に行けてませんので実測していません)
もう一つ、十全アンカというのも出ているのだが、関東圏ではミツウロコ。関西圏は十全で、もとは同じ会社?らしい。表面に「モコモコ」が施してあるので、皮膚が敏感な針外しは「ミツウロコ」を購入しました。
寝る時はストーブを消さないと喉に悪いしね。

 朝起きてストーブの前に来ても此れを抱えていれば、気持ちが楽ね。
豆炭もダッチオーブン用に以前に購入したのがあるのだが、物置小屋に置いてあるので多分湿気ているんだろう。取り敢えず、これ用のを買って試してみる事にした。

 前に湯沸かし器の追い焚きが壊れてお風呂に入れなかった事がありましたが、それはもう寒くて辛かったよ。布団に潜って寒さを凌いでも全くと言って防げない。

「備えあれば憂いなし」だね。その代わりになる物を考えて置いた方がいい。こういう時、「懐・引き出し」を幾つか用意しておくというのは、厳しい地方の知恵となります。
停電、落雷、水道管の破裂、凍結等の対策は重要ですよね。停電の時は、ガソリン発電機です。とまあ、だらだらと書きました。

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まだまだ雪が多いね。

2022-03-03 08:44:50 | 立科・信州の話。

針の山(地獄の針の山ではありまへん)は標高1500mある処なので、雪が一旦積もるとなかなか溶けないね。日差しが出るとそこそこ暖かくなってくるんですけど、此処は「雲」の通る高さですので、一寸雨雲が通るとあっという間に雪が積もってしまいます。  実際、5月の子供の日に40cm積もった事もままあります。

    

下の方の街で桜が咲いても、山の上ではまだまだ春は来ません。山の春は6月に入ってからです。早くウド、ワラビ、なんかの山菜採りたいね。冬でも見られますが野鳥が元気一杯飛来するのも楽しみです。

                                         

 ちょっと、画像が粗いのですが、高さが40㎝位ある水吞場兼バス(水浴び)場です。裏で拾ってきた切り株に載せて高くします。そうすれば「いたち」「テン」等から防ぎようがあるからです。土台に穴を開けてビス、ボルト&ナットで留めれば安定するでしょう。

また構造がシンプルなので掃除が楽ですね。針のうちには小川は流れていません。西川峰子さんちみたいに氾濫が怖いので山の上では「水の通り道」は注意しなければなりませんね。 

厳しい冬を乗り切ってきた野鳥君とまた会えるのが楽しみだね。また、庭の手入れが忙しくなるぞ。

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