大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

可部線 殿賀駅(廃駅)!

2019年11月30日 | 

広島県山県郡加計町下殿河内にあったJR西日本の殿賀駅は、山陽本線の横川駅から三段峡駅までの60.2kmを結んでいた全線単線の国鉄可部線の旅客駅として、1969(昭和44)年7月27日に開業しました。
しかし、可部線の非電化区間だった可部駅~三段峡駅間(46.2km)が2003(平成15)年12月1日に廃止されたことに伴い、殿賀駅も廃駅となりました。

殿賀駅は高い築堤上にあった高架駅でした。 そして開業時から三段峡に向かって左側に配置された単式ホーム1面1線のみを有する無人駅で駅舎はなく、ホーム上に待合室があるだけでした。

ちなみに、廃止後の現在も待合室とホームが残されていて、線路も一部が敷かれたままとなっています。

  <殿賀駅の年表>

 ・1969(昭和44)年7月27日:国鉄可部線の旅客駅として開業
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1991(平成3)年4月1日:広島支社の管轄から可部鉄道部の直轄に変更になる
 ・2003(平成15)年12月1日:可部線の可部駅~三段峡駅間が廃止されたことに伴い、廃駅となる

 
(駅 名 標)

 
(横川方面を望む)

 
(三段峡方面を望む)

 

 
(築堤上にあった殿賀駅)

 
(ホームにあった待合室)


 撮影年月日:2003(平成15)年6月21日


伊賀鉄道 新居駅!

2019年11月29日 | 

三重県伊賀市東高倉にある新居駅は、JR関西本線の伊賀上野駅と近鉄大阪線の伊賀神戸駅とを結んでいる全線単線の伊賀鉄道伊賀線(16.6km)の駅です。 もともとは伊賀軌道の駅として、1916(大正5)年8月8日に開業しました。

伊賀上野方面に向かって左側に配置された2両分の有効長をもつ単式ホーム1面1線のみを有する無人駅で駅舎はなく、直接ホームに入る形になっています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗車人員は93人で、これは伊賀鉄道伊賀線の全14駅中9位です。

かつては当駅と西大手駅との間に鍵屋辻駅がありましたが、1945(昭和20)年6月の休止を経て1969(昭和44)年5月15日に廃止されました。

新居駅が属する伊賀鉄道伊賀線は、上野盆地の城下町である伊賀市中心部と近鉄大阪線、JR関西本線を結ぶ路線で、全線が三重県伊賀市(旧上野市域)にあります。 そして赤字路線だったため、2007(平成19)年10月1日に近畿日本鉄道(近鉄)から伊賀鉄道に経営が移管されました。

  <新居駅の年表>

 ・1916(大正5)年8月8日:伊賀軌道の駅として開業
 ・1917(大正6)年12月20日:社名が伊賀鉄道(初代)に変更され、同鉄道の駅となる
 ・1926(大正15)年12月19日:社名が伊賀電気鉄道に変更され、同鉄道の駅となる
 ・1929(昭和4)年3月31日:大阪電気軌道が伊賀電気鉄道を合併したことにより、同鉄道伊賀線の駅となる
 ・1931(昭和6)年9月30日:大阪電気軌道が伊賀線を参宮急行電鉄に譲渡したことにより、同鉄道の駅となる
 ・1941(昭和16)年3月15日:参宮急行電鉄が大阪電気軌道と合併して関西急行鉄道となり、同鉄道の駅となる
 ・1944(昭和19)年6月1日:戦時体制下の陸上交通事業調整法に基づく戦時統合により、関西急行鉄道と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道となり、同鉄道の駅となる
 ・2007(平成19)年10月1日:近畿日本鉄道(近鉄)から伊賀鉄道(2代目)に経営が移管されたことにより、同鉄道の駅となる
 ・2019(平成31)年2月22日:「忍者線」の愛称を使用開始

 
(駅 名 標)

 
(伊賀上野方面を望む)

 
(踏切上から伊賀神戸方面を望む)

 
(ホームへの入口)

 
(ホームにある待合室)


 撮影年月日:2018(平成30)年9月2日


今日はノーベル賞制定記念日

2019年11月27日 | 今日は何の日

11月27日はノーベル賞制定記念日です。

1895(明治28)年の今日(11月27日)、スウェーデンの化学者アルフレッド・ノーベルが、自分が発明したダイナマイトをはじめとするさまざまな爆薬の開発・生産によって得た財産を人類の平和に寄付するという遺言状を書きました。そして彼の死後、ノーベル財団が設立され、1901(明治34)年にノーベル賞の第1回受賞式が行われ、5名が受賞しました。

スウェーデン王立科学アカデミーに寄付されたノーベルの遺産を元にした基金168万ポンドの利子が、物理学・化学・生理学医学・文学・平和事業の5分野に貢献した人に贈られ、その後、ノーベル財団とは別に、スウェーデン国立銀行の設立300周年祝賀の一環としてノーベルの死後70年後にあたる1968(昭和43)年に新たに経済学賞が追加されました。この経済学賞についは、ノーベル財団は「ノーベル賞ではない」としており、この賞を正式名称(「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞」)または「ノーベル」を冠しない「経済学賞」と呼んでいますが、一般にはノーベル賞の一部門として扱われることが多いです。

ノーベル賞の選考は、「物理学賞」「化学賞」「経済学賞」の3部門についてはスウェーデン王立科学アカデミーが、「生理学・医学賞」はカロリンスカ研究所(スウェーデン)が、「平和賞」はノルウェー・ノーベル委員会[が、「文学賞」はスウェーデン・アカデミーがそれぞれ秘密裡に行います。 

毎年ノーベルの命日である12月10日に、平和賞はノルウェーのオスロの市庁舎で、その他の5部門の賞はスウェーデンのストックホルムのコンサートホールで授賞式が行われ、受賞者には、賞金の小切手、賞状、メダルがそれぞれ贈られます。
そして、授賞式終了後、平和賞以外はストックホルム市庁舎(1930年まではストックホルムのグランドホテルの舞踏室)にて、スウェーデン王室および約1,300人のゲストが参加する晩餐会が行われます。


山陽本線 和気駅!

2019年11月26日 | 

岡山県和気郡和気町福富にあるJR西日本の和気駅は、神戸駅から瀬戸内海に沿って門司駅までを結んでいる全線直流電化の山陽本線(537.1km・和田岬線を含む)の駅です。
もともとは山陽鉄道の一般駅として、1891(明治24年)3月18日に開業しました。

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有する直営(有人)駅です。 かつては当駅に接続していた片上鉄道の島式ホームが1面ありましたが、1991(平成3)年7月1日の同鉄道の廃止後に撤去されました。
1962(昭和37)年8月に建てられたコンクリート製の駅舎が単式ホーム側にあり、島式ホームへは跨線橋で連絡しています。

2018(平成30)年度の1日の平均乗降人員は2,742人で、これは起終点駅を含む山陽本線の全126駅中92位です。

この和気駅の構内には、運転取り扱い業務に携わるJR西日本岡山支社管内の社員の訓練を行う「実設訓練センター」があります。

和気駅が属する山陽本線は、神戸駅を終点とする東海道本線を西に延長する形で、神戸から岡山・福山・広島・山口・下関などの瀬戸内海沿いの各主要都市を経由し、北九州の門司に至る路線で、東海道本線とともに本州の大動脈としての役割を担っています。
かつては東京や京阪神と中国地方・九州を結ぶ長距離旅客列車が運行されていましたが、山陽新幹線の開業後は長距離旅客輸送の役割を新幹線に譲り、並行する山陽本線は地域輸送が中心となっており、全線を走行する定期旅客列車は存在せず、倉敷駅~門司駅間には特急列車は走行していません。

  <和気駅の年表>

 ・1891(明治24)年3月18日:山陽鉄道の一般駅として開業
 ・1906(明治39)年12月1日:鉄道国有法により山陽鉄道が国有化され、国鉄の駅となる
 ・1909(明治42)年10月12日:国鉄線路名称制定により山陽本線となり、同線の駅となる
 ・1922(大正11)年3月6日:吉永駅~当駅間が複線化される
 ・1923(大正12)年1月1日:片上鉄道(後の同和鉱業片上鉄道)の駅が開業
 ・1962(昭和37)年8月  :現在の駅舎が竣工
 ・1971(昭和46)年8月15日:貨物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1991(平成3)年7月1日:当駅に接続していた同和鉱業片上鉄道が廃止
 ・2007(平成19)年6月15日:ICOCA対応簡易型自動改札機の導入
 ・2007(平成19)年9月1日: 岡山方面のみICカード「ICOCA」の利用が可能になる
 ・2018(平成30)年9月15日:姫路方面へもICカード「ICOCA」の利用が可能となる
 ・2019(平成31)年2月22日:みどりの窓口の営業が終了
 ・2019(平成31)年2月23日:みどりの券売機プラスが稼働開始

 
(駅 名 標)

 
(姫路方面を望む)

 
(和気駅駅舎)


 撮影年月日:2015(平成27)年1月4日


北陸本線 大土呂駅!

2019年11月25日 | 

福井県福井市半田町にあるJR西日本の大土呂駅は、米原駅から敦賀、福井を経て金沢駅までを結んでいる北陸本線(176.6km)の一般駅として、1896(明治29)年7月15日に開業しました(開業時は北陸線に所属)。

かつては単式ホームと島式ホームの2面3線を有していましたが、後に島式ホームの駅舎側の線路が撤去されたので、現在は単式ホーム2面2線の無人駅です。
1948(昭和23)年12月に建てられた木造駅舎が上りホーム(米原方面行きホーム)側にあり、下りホームへは跨線橋で連絡しています。。

2017(平成29)年度の1日の平均乗降人員は675人で、これは起終点駅を除く北陸本線の全42駅中31位です。

大土呂駅が属する北陸本線は、2015(平成27)年3月13日までは米原駅から新潟県上越市直江津駅までの路線でしたが、同年3月14日の北陸新幹線金沢延伸開業に伴い、並行在来線となる金沢駅~直江津駅間がJR西日本から経営分離され、石川県部分は「IRいしかわ鉄道」、富山県部分は「あいの風とやま鉄道」、新潟県部分は「えちごトキめき鉄道」と、それぞれ各県ごとに設立された第三セクター鉄道会社に移管されました。

  <大土呂駅の年表>

 ・1896(明治29)年7月15日:北陸線の一般駅として開業
 ・1909(明治42)年10月12日:国鉄線路名称制定により国鉄北陸本線となり、同線の駅となる
 ・1948(昭和23)年6月28日:福井地震により駅舎全壊
 ・1948(昭和23)年12月20日:新駅舎竣工
 ・1961(昭和36)年10月1日:貨物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年4月1日:駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1995(平成7)年10月1日:金沢支社の管轄から福井地域鉄道部の直轄に変更になる
 ・2018(平成30)年9月15日:IC乗車カード「ICOCA」の利用が可能になる

 
(駅 名 標)

 
(跨線橋から福井方面を望む)

 
(敦賀方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(大土呂駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2015(平成27)年8月15日