大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

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元横綱・千代の富士の九重親方が死去!

2016年08月01日 | スポーツ

現役時代に31度も優勝して「ウルフ」の愛称で親しまれ、1989(平成元)年には角界で初めて国民栄誉賞も受賞した大相撲の元横綱・千代の富士の九重親方が7月31日、すい臓がんのため61歳で亡くなられました。

千代の富士は、現役時代に数々の輝かしい記録を残していますので、主な記録を以下に記しておきます。

通算成績

  • 通算成績:1045勝437敗159休(通算勝ち星は歴代2位) 勝率.705
  • 幕内成績:807勝253敗144休(幕内勝ち星は歴代3位) 勝率.761
  • 横綱成績:625勝112敗137休(横綱勝ち星は歴代3位) 勝率.848
  • 通算在位:125場所
  • 幕内在位:81場所(引退当時歴代3位、現在10位)
  • 横綱在位:59場所(北の湖に次いで歴代2位)
  • 大関在位:3場所
  • 三役在位:5場所(関脇2場所、小結3場所)
  • 年間最多勝:3回
  • 連続6場所勝利:83勝(1988年5月場所〜1989年3月場所)
  • 通算幕内連続勝ち越し:11場所(1986年5月場所〜1988年1月場所)
  • 幕内連続2桁勝利:9場所(1981年11月場所〜1983年3月場所、1984年9月場所〜1986年1月場所)
  • 幕内連続12勝以上勝利:5場所(1981年11月場所〜1982年7月場所、1986年5月場所〜1987年1月場所)

連勝記録
  最多連勝記録は53連勝:(1988年5月場所7日目〜1988年11月場所14日目、昭和以降では双葉山、白鵬に次いで歴代3位、大相撲史上では歴代6位)

優勝回数

  • 幕内最高優勝:31回(白鵬、大鵬に次ぎ、歴代3位)
  • 連覇:5連覇(1986年5月場所 - 1987年1月場所)
  • 全勝優勝:7回(北の湖と並んで歴代4位タイ) 

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高校野球記念日!

2015年08月18日 | スポーツ

8月18日は高校野球記念日です!

1915(大正4)年の今日、大阪の豊中球場で高校野球の前身である第1回全国中等学校優勝野球大会の開会式が行われました。

全国の73校の中から地区予選を勝ち抜いた10校(秋田中・早稲田実業・三重四中・京都二中(現・鳥羽高校)・神戸二中・和歌山中・鳥取中・広島中・高松中・久留米中)が参加し、5日間にわたって熱戦が繰り広げられ、決勝では京都府立第二中学(現・鳥羽高校)が延長13回の激闘の末、2対1で秋田中学を破って優勝しました。

ちなみに、優勝した京都二中の選手には、スタンダード大辞典と50円の図書券と腕時計が贈られたそうです。 しかし、大会終了後に、選手に数々の副賞を贈るのはどうかと議論が起こり、翌年から参加メダルのほかは、おみやげとして大阪名物の粟おこしだけとなりました。

1924(大正13)年の第10回大会から会場が甲子園球場になり、学制改革により1948(昭和23)年から全国高校野球選手権大会となりました。


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スポーツ中継の日!

2015年08月11日 | スポーツ

8月11日はスポーツ中継の日です!

1936(昭和11)年の今日、ナチス体制下のドイツで開かれた第11回大会ベルリンオリンピックの競泳女子200メートル平泳ぎ決勝で、和歌山県出身の前畑秀子が地元ドイツのマルタ・ゲネンゲルと壮絶なデッドヒートを繰り広げた末、1秒差で見事優勝し、日本人女性として初めてオリンピックで金メダルを獲得しました。

この時、この試合をラジオ中継で実況したNHKの河西三省アナウンサーは、興奮のあまり途中から「前畑がんばれ、前畑がんばれ」を20回以上連呼し、真夜中にラジオ中継を聴いていた当時の日本人を熱狂させ、今でも歴史に残る名実況と言われています。

ちなみに、前畑秀子は1932(昭和7)年に開かれた第10回大会ロサンゼルスオリンピックにも出場して女子200メートル平泳ぎで銀メダルを獲得していたので、2大会連続で金・銀メダルを獲得したのでした。


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金銀の日!

2015年08月02日 | スポーツ

8月2日は金銀の日です!

1928(昭和3)年の今日、オランダのアムステルダムオリンピックで、陸上3段跳びで織田幹雄が日本人初の金メダルを、陸上800mで人見絹枝が日本人女性初のメダルとなる銀メダルを獲得したことから記念日に制定されました。

織田幹雄はまず1924(大正13)年のパリオリンピックに出場し、この時は陸上3段跳びで14m35cmの日本新記録を出して、日本陸上界で初めて6位入賞を果たしました。

そして早稲田大学商学部に進学後の1928年のアムステルダムオリンピックには日本選手団の主将として出場し、8月2日の3段跳びでは予選で15m21cmを記録してトップで決勝へ進み、結局この記録が残り金メダルを獲得しましたが、これは日本人初というだけでなくアジア人としても個人競技で初の金メダルでした。

3段跳びでは織田に続いて、1932(昭和7)年のロサンゼルスオリンピックで南部忠平、1936(昭和11)年のベルリンオリンピックで田島直人と3大会連続で日本人が金メダルを獲得したことから、陸上の3段跳びは当時の日本のお家芸とも言われました。

  


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プロレス記念日!

2015年07月30日 | スポーツ

7月30日はプロレス記念日です!

1953(昭和28)年の今日、力道山が中心となって日本初のプロレス団体である「日本プロレスリング協会」が結成されました。

力道山といえば、日本のプロレス界の土台を作り、プロレスを人気スポーツへと押し上げた「日本プロレス界の父」と呼ばれていますが、もともとは大相撲の力士でした。 初土俵は1940(昭和15)年の5月場所で、その後、1946(昭和21)年11月場所で初入幕し、1949(昭和24)年の5月場所で関脇まで昇進しますが、翌1950年9月場所の前に突然相撲界を引退してプロレスに転向したのでした。

プロレスに転向後、力道山は1952(昭和27)年2月3日にプロレスの修行のためにハワイへ出発します。 そして、ホノルルで日系人レスラーの沖識名の下で猛特訓を受けた後、アメリカ本土に渡って太平洋岸を転戦し、300戦295勝5敗の成績を残して帰国し、日本プロレスリング協会を設立しました。

この1953(昭和28)年から日本ではテレビ放送も開始されたので、力道山が木村政彦とタッグを組み、カナダ人のシャープ兄弟との激闘はプロレス人気を高め、太平洋戦争敗戦後のショックから立ち直れずにいた日本人に大きな勇気を与えました。


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