大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

旧国鉄広尾線 広尾駅跡

2017年02月07日 | 鉄道

北海道広尾郡広尾町にあった広尾駅は、全線単線非電化のローカル線だった旧国鉄広尾線(84,0km)の一般駅である終着駅として、1932(昭和7)年11月5日に開業しました。
しかし、広尾線が1987(昭和62)年2月2日に廃止されたことに伴い、広尾駅も廃駅となりました。

廃止時点で単式ホーム1面1線の他に数本の側線も有する有人駅でした。
1977(昭和52)年11月に改築されたモダンな駅舎が、ホームの中央部に接していました。

広尾駅が属していた国鉄広尾線は、改正鉄道敷設法第133号の規定により建設され、まず1929(昭和4)年11月2日に帯広~中札内間が開通し、それ以降、順次延伸していき、1932(昭和7)年11月15日に全通しました。
全通後は、沿線住民の足となり、またジャガイモなどの農産物の輸送にその役割を果たして南十勝発展の原動力となりましたが、やがてモータリゼーションの普及と沿線の過疎化によりしだいに旅客・貨物共に輸送量が減少し、1980(昭和55)年12月の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)の施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定され、ついに国鉄分割民営化直前の1987(昭和62)年2月2日に国鉄広尾線は廃止されました。

廃止後は広尾町が駅舎の払い下げを受け、1987(昭和62)年7月に「広尾町鉄道記念館」として開設されました。 旧駅舎内には展示スペースが設置され、当時使用していた用具や備品などが保存・展示されています。 また、駅構内跡地は「鉄道記念公園」として整備されています。

  <広尾駅の年表>

 ・1932(昭和7)年11月5日:国鉄広尾線の一般駅として開業
 ・1977(昭和52)年11月15日:駅舎改築
 ・1982(昭和57)年9月10日:貨物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年2月2日:広尾線の廃止に伴って廃駅となる

 
(旧駅舎・正面)

 
(旧駅舎・ホーム側)

 

 


 撮影年月日:2003(平成15)年6月19日


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宮田線が廃止された日!

2016年12月23日 | 鉄道

宮田線は、筑豊本線の勝野駅と筑前宮田駅とを結んでいた全長5,3kmの全線単線非電化のローカル線でした。

(勝野)ー磯光ー筑前宮田

筑豊地区有数の炭鉱だった貝島炭鉱から掘り出された石炭の輸送のため、九州鉄道の貨物線として1902(明治35)年2月19日に開業した宮田線は、最盛期には各駅から総延長20kmにも及ぶ専用鉄道が伸びていたほど繁栄していました。 しかし、その後の国の石炭政策の変化に伴って貝島炭鉱が閉山したことにより、宮田線は主力だった貨物輸送を失い、それとともに旅客輸送も減少していき、1980(昭和55)年12月27日に施行された国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)によって宮田線は1987(昭和62)年2月3日に第3次特定地方交通線として廃止承認されます。

そして、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により九州旅客鉄道(JR九州)に承継された後、1989(平成元)年12月23日に廃止されました。
ちなみに、宮田線は九州では最後まで残っていた特定地方交通線でした。

  <宮田線の年表>

 ・1902(明治35)年2月19日:九州鉄道の貨物線として開業
 ・1907(明治40)年7月1日:鉄道国有法により九州鉄道が国有化されて、国鉄の貨物線となる
 ・1909(明治42)年10月12日:国鉄線路名称制定により筑豊本線の貨物支線となる
 ・1912(明治45)年7月21日:線路名が桐野線に改称され、旅客営業を開始する
 ・1937(昭和12)年8月20日:線路名が宮田線に改称される
 ・1982(昭和57)年11月15日:貨物営業を廃止
 ・1987(昭和62)年2月3日:第3次特定地方交通線として廃止承認される
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により九州旅客鉄道(JR九州)に承継される
 ・1989(平成元)年12月23日:全線が廃止される

 
(廃止前の磯光駅)

 
(廃止前の筑前宮田駅)


 撮影年月日:1989(平成元)年2月21日


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同和鉱業片上鉄道 本和気駅跡!

2016年05月08日 | 鉄道

岡山県和気郡和気町にあった本和気駅は、備前市の片上駅から和気駅を経由して柵原駅までの33.8kmを結んでいた全線単線非電化の片上鉄道の駅として、1924(大正13)年8月31日に開業しました。
しかし、片上鉄道が1991(平成3)年6月30日限りで廃止されたことに伴い、本和気駅も廃駅となりました。

かつては相対式ホーム2面2線を有していて列車交換も可能でしたが、後に片側の線路は撤去されたので、廃止前は単式ホーム1面1線の無人駅でした。
古い木造駅舎が無人駅化後も使われていました。

本和気駅が属していた同和鉱業片上鉄道は、硫酸の原料となる硫化鉄を柵原鉱山から片上港へ輸送することを目的に建設されました。 開通後は硫化鉄のほか石炭や石灰石、木材、肥料などさまざまな物資を輸送し、1960年代までは地域経済を支える大動脈でした。 また、柵原鉱山の硫化鉄の埋蔵量は3000万トン世界有数を誇っていました。

しかし、石油の消費量が増え、その精製時に発生する硫黄が硫化鉄に取って替わるようになると、硫化鉄の需要は激減し、輸送量も急速に減少したため、同和鉱業は深刻な不況に陥り、1987(昭和62)年8月には柵原鉱石輸送が全面的にトラック輸送に切り替えられました。
会社側は肥料輸送や旅客列車の減便などで生き残りを図りましたが、沿線人口が希薄で過疎も進みつつあったため利用客は減り続け、ついに片上鉄道は1991(平成3)年6月30日限りで廃止され、それに伴い本和気駅も廃駅となりました。

本和気駅跡には現在、駅名標(レプリカ)が設置されています。

 <本和気駅の年表>

 ・1924(大正13)年8月31日:片上鉄道の駅として開業
 ・1984(昭和59)年4月1日:駅の無人化
 ・1991(平成3)年7月1日:同和鉱業片上鉄道が廃止されたことに伴い、廃駅となる

 

 
(本和気駅跡)

 


 撮影年月日:2014(平成26)年1月4日


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名寄本線が廃止された日!

2016年04月30日 | 鉄道

名寄本線は、名寄駅から石北本線の遠軽駅に至る本線(138.1km)と中湧別駅から湧別駅に至る支線(4.9km)の両線から成っていた全長143.0kmの全線単線非電化のローカル線でした。

(名寄)-中名寄ー上名寄ー矢文ー岐阜橋ー下川ー二ノ橋ー幸成ー一ノ橋ー上興部ー西興部ー六興ー中興部ー班渓ー宇津ー北興ー興部ー旭ヶ丘ー豊野ー沙留ー富丘ー渚滑ー潮見町ー紋別ー元紋別ー一本松ー小向ー弘道ー沼ノ上ー旭ー川西ー中湧別ー北湧ー上湧別ー共進ー開盛ー北遠軽ー(遠軽)  (中湧別)-四号線ー湧別

この名寄本線は、1896(明治29)年5月14日に公布された北海道鉄道敷設法の規定により、道央とオホーツク沿岸方面とを結ぶ幹線鉄道として建設され、1921(大正10)年の全通後は札幌と北見・網走方面を結ぶメインルートとなりましたが、1932(昭和7)年10月1日に石北本線が開通すると名寄本線は一転してローカル線に転落してしまい、以後はオホーツク沿岸の市町村を淡々と結ぶ生活路線に徹しました。

やがて名寄本線は、1980(昭和55)年12月27日の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)施行による特定地方交通線の選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが143kmもある長大路線であったため地元の自治体が国に特別な配慮を求めたことや、沿線道路が未整備だったため冬季の代替輸送に問題があるなどの理由により一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。

そして、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989(平成元)年4月30日限りで廃止されました。
ちなみに、名寄本線は廃止された特定地方交通線の中で唯一、「本線」を名乗っていた路線でした。

 
(廃止前の湧別駅)

 
(廃止前の湧別駅駅舎)

 
(廃止前の下川駅に停車中の臨時列車)

  
(左は硬券入場券:右は硬券乗車券)


 撮影年月日:1989(平成元)年3月25日、28日


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大社線が廃止された日!

2016年04月01日 | 鉄道

大社線は山陰本線の出雲市駅と縁結びの神で有名な出雲大社の門前町の大社駅とを結んでいた全長7.5kmの全線単線非電化のローカル線でした。

 (出雲市)-出雲高松ー荒茅ー大社

大社線は出雲大社への参詣路線としての性格を有していたことから、かつては東京・名古屋・大阪などから直通列車が設定されていたほか、お召列車も乗り入れたりしました。 そして最盛期の1972(昭和47)年には各地からの団体臨時列車が年間280本も乗り入れ、1日平均4,000人の利用者がいましたが、周辺の道路が整備されるにしたがって、出雲大社参拝の団体客は貸切バスへ、個人観光客もレンタカーやタクシーを利用するようになり、直通急行列車や団体臨時列車の乗り入れは年々減少していきました。 さらに、沿線の住民もバスやマイカーにシフトしてしまったことから、大社線の利用者は減る一方でした。

こうしたことから、1980(昭和55)年12月27日に施行された国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)により、大社線は1987(昭和62)年2月3日に第3次特定地方交通線として廃止承認されます。 そして同年4月1日の国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された後、1990(平成2)年4月1日に廃止され、78年の歴史にピリオドを打ちました。

なお、大社駅の駅舎は、鉄道省本省の建築課に在籍していた曽田甚蔵氏の設計により出雲大社を模して造られた木造駅舎でしたが、2004(平成16)年7月6日に国の重要文化財に指定され、今も現役当時のままの姿で保存されています。

  <大社線の年表>

 ・1912(明治45)年6月1日:出雲今市駅(現在の出雲市駅)~大社駅間(7.5km)が大社線として開業
 ・1912(明治45)年11月15日:朝山駅が開業
 ・1932(昭和7)年5月10日:朝山駅が出雲高松駅に改称される
 ・1958(昭和33)年4月1日:荒茅駅が開業
 ・1974(昭和49)年10月1日:貨物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年2月3日:第3次特定地方交通線として廃止承認される
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継される
 ・1990(平成2)年4月1日:全線が廃止される

 

 
(出雲大社方を望む)

 

 

 
(現在の大社駅)

 
(駅 舎 内)

 
(廃止前の時刻表)


 撮影年月日:2014(平成26)年6月25日


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