大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

可部線 水内駅!

2019年06月30日 | 

広島県佐伯郡湯来町(現在の広島市佐伯区湯来町)にあったJR西日本の水内駅は、山陽本線の横川駅から三段峡駅までの60.2kmを結んでいた全線単線の国鉄可部線の一般駅として、1954(昭和29)年3月30日に開業しました。
しかし、可部線の非電化区間だった可部駅~三段峡駅間(46.2km)が2003(平成15)年12月1日に廃止されたことに伴い、水内駅も廃駅となりました。

かつては島式ホーム1面2線を有していて列車交換も可能でしたが、その後、駅舎側の線路(下り線)が撤去されたので、廃止前は単式ホーム1面1線のみを有する無人駅でした。
開業時に建てられたコンクリート造の平屋建ての駅舎は、廃止時まで健在でした。

廃止前の2002(平成14)年度の1日の平均乗車人員は29人でした。

ちなみに、廃止後に駅舎は解体されましたが、駅の跡地は水内駅公園として整備されており、ホームの一部などが残されています。

  <水内駅の年表>

 ・1954(昭和29)年3月30日:国鉄可部線の一般駅として開業
 ・1961(昭和36)年5月1日:貨物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1991(平成3)年10月30日:駅の無人化
 ・2003(平成15)年12月1日:可部線の可部駅~三段峡駅間が廃止されたことに伴い、廃駅となる

 
(駅 名 標)

 
(横川方面を望む)

 
(三段峡方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(水内駅駅舎)

 

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2003(平成15)年6月21日


今日はビートルズ記念日!

2019年06月29日 | 今日は何の日

6月29日はビートルズ記念日です!

1966(昭和41)年6月29日の午前3時過ぎに、人気絶頂のイギリスのロックバンド・ビートルズ(ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター)が初めて東京の羽田空港に降り立ちました。 当初の予定は前日の28日だったのですが、台風4号の影響で1日遅れとなったのでした。
この時、空港のビートルズファンは警官に排除されていたので、ハッピを着て手を振りながらタラップを下りたビートルズを迎えたのは、250人の報道陣と多数の警官でした。 そしてメンバーはパトカーの先導によりキャデラックで赤坂ヒルトンホテルに直行したのでした。

翌30日から7月2日までの3日間で東京都千代田区の日本武道館において計5回の公演が行われましたが、会場周辺は厳重な警備体制が敷かれ、制服警官1600人、私服警官100人、婦人警官31人が配置され、さらに会場内にも3000人の機動隊が配置されました。 また東京消防庁も431名の署員が各階出入口から観客席を見張っていました。 そして学校をさぼってかけつけた高校生ら6520人が警察に補導されたそうです。

会場の入場料金は、ビートルズ側から多くの人に観てもらえるようにとの要望があったことにより、A席:2100円、B席:1800円、C席:1500円でした。

ちなみに、この時演奏された曲目は、

1)Rock And Roll Music  2)She's A Woman  3)If I Needed Someone  4)Day Tripper  5)Baby's In Black  6)I Feel Fine  7)Yesterday  8)I Wanna Be Your Man  9)Nowhere Man  10)Paperback Writer  11)I'm Down


因美線 知和駅!

2019年06月28日 | 

岡山県津山市加茂町小渕にあるJR西日本の知和駅は、山陰本線の鳥取駅と姫新線の東津山駅とを結んでいる全線単線非電化の因美線(70.8km)の一般駅として、1931(昭和6)年9月12日に開業しました(開業時は因美南線に所属)。

単式ホーム1面1線のみを有する無人駅で、開業時に建てられた木造駅舎が健在です。

2017(平成29)年度の1日の平均乗車人員は6人で、因美線の中では最も利用者が少ない駅です。

知和駅が属する因美線は、かつて津山線とともに陰陽連絡路線の役割を果たしており、急行「砂丘(岡山駅~鳥取駅間)」も運行されていましたが、1994(平成6)年12月3日に智頭鉄道が開業すると陰陽連絡路線の座を同鉄道に譲り、1997(平成9)年11月29日には唯一の優等列車だった急行「砂丘」も廃止されてしまいました。

  <知和駅の年表>

 ・1931(昭和6)年9月12日:国鉄因美南線の一般駅として開業
 ・1932(昭和7)年7月1日:因美南線が因美北線に編入されて因美線に改称し、同線の駅となる
 ・1970(昭和45)年10月1日:貨物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1991(平成3)年4月1日:鉄道部の発足に伴い、岡山支社津山鉄道部の管轄になる
 ・2008(平成20)年6月1日:組織改正により津山鉄道部が廃止され、岡山支社の直轄になる

 
(駅 名 標)

 
(東津山方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(知和駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2005(平成17)年5月24日


能勢電鉄 ときわ台駅!

2019年06月27日 | 

大阪府豊能郡豊能町にあるときわ台駅は、川西能勢口駅と妙見口駅とを結んでいる能勢電鉄妙見線(12.2km)の駅として、1968(昭和43)年7月7日に開業しました(開業時は能勢電気軌道)。

4両分の有効長をもつ単式ホーム1面1線のみを有する無人駅で、開業時に建てられた平屋の駅舎があります。

2017(平成29)年度の1日の平均乗降人員は2,382人で、これは妙見線の全14駅中7位です。

このときわ台駅は、近隣のニュータウン「ときわ台」の玄関口です。

ときわ台駅が属する能勢電鉄妙見線は、もともとは妙見山の能勢妙見堂への参拝客を当て込んで建設された路線で、線形の悪い山間の路線を単行の小型車が行き交うようなローカル色の強い路線でしたが、1960年代に入ると沿線の宅地開発が進んだことにより人口が増加したことに伴ってニュータウン路線へと変貌を遂げ、現在では、能勢妙見堂の参拝客よりも、通勤・通学客の利用が主となっています。

  <ときわ台駅の年表>

 ・1968(昭和43)年7月7日:能勢電気軌道の駅として開業
 ・1978(昭和53)年10月1日:社名が能勢電鉄に改称され、同社の駅となる
 ・2004(平成16)年8月1日:IC乗車カード「PiTaPa」の利用が可能になる
 ・2006(平成18)年1月21日:IC乗車カード「ICOCA」の利用が可能になる
 ・2013(平成25)年12月21日:駅ナンバリングの導入
 ・2014(平成26)年12月 :駅名標を刷新
 ・2016(平成28)年6月10日:交通系IC乗車カード全国相互利用開始により、Kitaca、PASMO、Suica、manaca、TOICA、nimoca、はやかけん、SUGOCAが利用可能になる
 ・2018(平成30)年12月28日:エレベーター・スロープの供用開始

 
(駅 名 標)

 
(川西能勢口方面を望む)

 
(妙見口方面を望む)

 
(ときわ台駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


今日は天覧試合の日!

2019年06月25日 | スポーツ

6月25日は天覧試合の日です!

天覧試合とは、天皇が観戦するスポーツ競技の試合のことです。

1959(昭和34)年の今日(6月25日)、昭和天皇・皇后両陛下が後楽園球場で巨人対阪神の試合を観戦しました。 野球ではそれまでに1929(昭和4)年11月1日の早慶戦、1947(昭和22)年8月3日の第18回都市対抗野球の開幕戦、1950(昭和25)年11月6日の早慶戦と3度の天覧試合が行われていましたが、プロ野球ではこの試合が初の天覧試合でした。

この日の試合前に昭和天皇と香淳皇后が後楽園球場のバックネット裏の貴賓席に来場され、まず両チームの監督・コーチ・選手全員が内野付近に一列で整列し、貴賓席に現れた天皇・皇后両陛下に一礼してから、鳴り物応援が禁止された状況の下で19時に試合が開始されました。

先発投手は巨人が藤田元司、阪神が小山正明とエース同士の対決でしたので投手戦が予想されましたが、試合は点の取り合いで二転三転し、4対4の同点で迎えた9回裏に巨人の長嶋茂雄が阪神の村山実投手からレフトスタンドにこの日2本目のホームランを放ち、巨人が5対4でサヨナラ勝ちをしました。

実は、天皇・皇后両陛下が試合を観戦できる時刻は21時15分までであったため、もし同点のまま延長戦に突入した場合は、天皇は試合結果を見届けられずに途中退席になる可能性もありましたが、長嶋がホームランを打ったのはリミットの3分前の21時12分でしたので、天皇・皇后両陛下は試合結果を見届けた上で後楽園球場を後にしたのでした。