大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

旧国鉄名寄本線 上湧別駅!

2015年04月30日 | 

上湧別駅は、宗谷本線の名寄駅から石北本線の遠軽駅に至る本線(138.1km)と中湧別駅から湧別駅に至る支線(4.9km)の2つの線からなっていた名寄本線(143.0km)の一般駅として、1916(大正5)年11月21日に開業しました(開業時は湧別軽便線に所属)。

上湧別駅はかつて相対式ホーム2面2線を有していて列車交換も行われており、1980(昭和55)年10月1日に廃止になった急行「天都」の停車駅でもありました。
また、この駅からはパルプ材が多く搬出され、そのための貨物ホームや引込み線があり、駅裏にあった池内工業までの短い専用線も敷かれていました。 しかし、その後の貨物・荷物取扱い廃止と駅の無人化(簡易委託)により、側線は全て撤去されてしまい、廃止時点では単式ホーム1面1線の駅となっていました。
なお、開業時に建てられた木造駅舎は、無人駅化後もそのままの姿で最後まで解体されずに残っていました。

上湧別駅が所属する名寄本線は、1896(明治29)年5月14日に公布された北海道鉄道敷設法の規定により、道央とオホーツク沿岸とを結ぶ幹線鉄道として建設され、全通後は札幌と北見・網走方面を結ぶメインルートとなりましたが、1932(昭和7)年10月1日に石北本線が開通すると、名寄本線は一転してローカル線に転落してしまい、以後はオホーツク沿岸の市町村を淡々と結ぶ生活路線に徹していました。

やがて、名寄本線は1980(昭和55)年12月の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが143kmもある長大路線であったため地元の自治体が特別な配慮を求めたことや、沿線道路が未整備だったため、冬季の代替輸送に問題があるなどの理由により一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。

そして、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989(平成元)年4月30日限りで廃止され、それに伴い上湧別駅も廃駅となりました。

 <上湧別駅の年表>

 ・1916(大正5)年11月21日:旧国鉄湧別軽便線の一般駅として開業
 ・1922(大正11)年9月2日:線路名が湧別線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1932(昭和7)年10月1日:湧別線が名寄本線に編入されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1959(昭和34)年11月25日:駅裏の池内工業専用線の使用開始
 ・1978(昭和53)年12月1日:貨物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
 ・1986(昭和61)年11月1日:駅の無人化(簡易委託)
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる
 ・1989(平成元)年4月30日:名寄本線の廃止に伴って廃駅となる

 

 

 


 撮影年月日:1988(昭和63)年11月4日 



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