≪月2二玉図≫
[月夜のでんしんばしら]
二人はしかたなくよろよろあるきだし、つぎからつぎとはしらがどんどんやって来ます。
「ドッテテドッテテ、ドッテテド
やりをかざれるとたん帽ぼう
すねははしらのごとくなり。
ドッテテドッテテ、ドッテテド
肩にかけたるエボレット
重きつとめをしめすなり。」
二人の影かげももうずうっと遠くの緑青ろくしょういろの林の方へ行ってしまい、月がうろこ雲からぱっと出て、あたりはにわかに明るくなりました。
でんしんばしらはもうみんな、非常なご機嫌きげんです。恭一の前に来ると、わざと肩をそびやかしたり、横めでわらったりして過ぎるのでした。
(宮沢賢治作童話『月夜のでんしんばしら』から)
「エボレット」とは、軍人の正装のときに両肩に付いている装飾(肩章)のことだそうだ。
童話『月夜のでんしんばしら』を宮沢賢治が書いたのは、賢治が東京にいた時、1921年だと思われる。
東北盛岡の大学を卒業した後、とくに就職することをせずにいた宮沢賢治が東京へ出たのは、25歳の時、1921年の1月で、前年にすでに入信していた国柱会という田中智学を創設者とする法華経系宗教団体と活動を共にするのが目的であった。ところがその1921年の8月、妹のトシが病気でたいへんだという報を聞くと、あっさり賢治は親元の花巻へ帰り、父親の用意した農業学校の教師という職に就くのである。わずか7か月の東京生活であった。志を立てて上京したにもかかわらず、妹が病気だという理由ですぐに故郷へ帰ってしまったところをみると、東京での生活のなにかがおそらく賢治を失望させたのであろう。
その東京生活で、賢治は「トランク一杯の童話の原稿」を書き溜めていたのだった。
風雲の時代であった。
1914年には、“世界大戦”がヨーロッパで起こった。その戦争では、「機関銃」と「戦車」とが登場し、戦争というものが、男らしい人間の熱い血を感じさせる個の闘いを表現する部分が小さくなり、冷徹な機械による大量殺人の色合いが徐々に大きくなってきていた。
1920年頃、欧米の空には「飛行機」が現れ始めていた。
宮沢賢治がこの『月夜のでんしんばしら』を書いたころ、「電信柱」は、おそらく最新科学の成果を具体的に表すものだったであろう。
1920年代はドイツおよびデンマークで「量子力学」が発展した。今日、我々の生活はコンピュータやテレビ、携帯電話など「電気」や「無線」と切り離すことができないが、その基礎理論はこの時代に確立されたのである。
アメリカで、1921年、『宇宙のスカイラーク』という小説がE・E・スミスによって書かれていた。しかしこの小説は出版社に受け入れられず、長いこと眠っていた。1928年になって、SF雑誌に採用され、発表された。
1921年の段階ではまだSF雑誌など存在しておらず、1926年にヒューゴー・ガーンズバックによって<アメイジング・ストーリーズ誌>が創刊したことによって、『宇宙のスカイラーク』はやっと陽の目を見たのである。ガーンズバックという男は、「ラジオ」に人生を懸けた男だった。「ラジオ無線」を世の中に普及するために「SF雑誌」というそれまでには存在しなかったものをつくったのだ。
1920年代、「ラジオ無線」は急速に普及を拡大させつつあった。(アメリカでのラジオ局の開局は1920年、日本は1925年)
『宇宙のスカイラーク』は発表されると、途端に大人気となった。とくに潜在的にいた「SFマニア」の心を揺さぶった。作者のE・E・スミスは本職は化学者であり、1920年代、ドーナッツの粉をつくる会社で化学主任を務めていた。
『宇宙のスカイラーク』によって、物語の中でではあるが、人類は初めて「外宇宙」へと飛び出したのであった。「外宇宙」とは、つまり、“太陽系の外”ということである。宇宙船スカイラーク号は、この話の主人公リチャード・シートンによって発見された“X金属”によって得られた強力なエネルギーによって、光速を超えて、あっという間に太陽系を飛び出してしまったのだ。
そういう話であれば、日本の、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』も、人が「外宇宙」(=銀河)へ飛び出した話、という見かたもできる。賢治がそのストーリーの初稿を書いたのは1924年である。しかし、宮沢賢治の『月夜のでんしんばしら』や『銀河鉄道の夜』が一般の人の目に触れるようになったのは、賢治の死(1933年)の後のことになる。
1917年には、世界を驚かす大事件が起こった。ロシア革命、すなわち、共産主義国家ソビエト連邦共和国の誕生である。
19世紀はずっと、「英国の時代」であった。第一次世界大戦もその強大なイギリス側が当然のように勝利を収めた。
しかし、世界の覇権の中心点は徐々に、イギリスからアメリカ合衆国へと移りつつあった。そういう時代である。
欧州ではソ連邦とともにドイツ連邦またも強大な勢力になってきていた。第一次世界大戦で敗れたにもかかわらず、しかしそれでもドイツはまたむくむくと立ちあがろうとしていた。ドイツの国力の魔法のタネは、「教育」と「科学」にあった。「教育」と「科学」と「国民の力」とを結びつけることで他の国の追随を許さない勢いを築くことになったのである。国家レベルで、国民の中に、「科学」における才能を見い出し、育て、花開かせるよう「教育」の充実を計ったのだ。その結果、ドイツ連邦国はこの時代、世界一の「科学」の才能を集めていたのだった。各国の、才能と未来のある若い科学者たちの多くが、ドイツへと留学に行った。
イギリスの作家H・G・ウェルズが『解放された世界』を書いて「原子爆弾」というものを想定した戦争を描いたが、それは1914年に発表されたものである。ウェルズはこの時期に、「ドイツの国力」と「科学の発展」とに、大きな怖れと警戒心を抱いたのである。それが『解放された世界』というSF小説として表されたわけだ。
しかしまだこの時点では「核分裂」は発見されていなかったし、そういう原子の「核」がパカッと割れてしまう、そんな発想は物理学者にも小説家にもなかった。現実の「科学の発展」は、人間の想像の上を飛んでいたのである。
「核分裂」が最初に発見されたのは1938年ドイツ・ベルリンの実験室であり、それを原理とした「原子爆弾」が最初につくられたのはアメリカである。そしてそれが最初に使用された場所は、日本・広島であり、それは1945年8月のことだった。
第一次世界大戦中、国力が大きく増大した国がある。日本である。イギリスやドイツが戦争で船を沈没させていく中、日本は多くの造船の注文を受けたのである。
その時代、「船」というモノが国力を表す指標となりそうであるが、1920年頃日本の海運業は船の総トン数で世界第3位になっていた。
1919年に、国際連盟から委任されて、太平洋南海のマーシャル諸島が日本の統治領となった。
その後、第二次世界大戦ではここは日米の戦いの場となり、大戦後に、ここはアメリカの「水素核融合爆弾」の実験場にもなった。
そして戦後の日本の映画の中で、イメージ上でだが、この「南海」を母体として、ゴジラ、モスラが誕生したのである。
倉敷藤花 甲斐-山田戦
これは甲斐智美-山田久美戦(2014-11-05 倉敷藤花第1局)の棋譜の93手目の図。
( 棋譜・中継ブログは、こちら倉敷藤花戦三番勝負の中継サイトで。)
ここから実戦には現れなかった順に入り、ここから先の世界をこの報告では、≪亜空間≫と呼ぶ。
3四飛成、同玉、5二金、3一銀、5一歩、2二銀成、同玉と進んで次の図となる。(そしてこの手順の途中5二金が“月の道”への入口である)
≪月2二玉図≫
ここが問題の局面である。(この2二同玉で「甲斐-山田戦」の初手からちょうど100手目となる)
我々としては、なんとしてもここからの「先手の勝ち筋」を見つけて、≪亜空間戦争≫を終結させたい。
しかし、ここで我ら終盤探検隊が 最有力とみていた「4一銀」では、後手に4二桂、2五玉、4一銀と返されて、その図はどうやら先手負けになっている とわかった。それが前回のレポートである。
ということで我々はここから〔一〕4一銀以外の手を探さなければならない。 ――だが、それが難しいのだ。
〔二〕2五玉
2五玉基本図
〔二〕2五玉でどうなるか。
後手は3三桂と跳ぶ。この桂馬を跳ぶと、後手玉にはスキができる。具体的には、3一銀、同玉、1一飛からの“詰み筋”が生じるが…
3三桂、2六玉、3四桂、1七玉、3八金(次の図)
2五玉図1
先手玉は2八銀、1八玉、2九銀不成、1七玉、2五桂までの“詰めろ”が掛かっている。
これを受けるなら<ア>1五歩か、<イ>1八玉、2八銀、4九飛しかない。(2六歩は、2八銀、1八玉、2九銀不成、1七玉、2五桂打以下詰み)
しかしここで後手玉に“詰み”はないのか。詰んでいれば、もちろん先手が勝ちだ。
図から1八玉、2八銀と銀を使わせて、そこで3一銀から詰めに行く。
3一銀、同玉、1一飛、2一銀打、4一金(次の図)
2五玉図2
4一同銀、同桂成、3二玉、2一飛成、同玉、2二銀、3二玉(次の図)
2五玉図3
いまの2二銀を“同玉”と取ってくれれば、3一角、3二玉、4二成桂、同金、同角成、同玉、3一角、同玉、5一竜以下詰むのだが…。
しかし3二玉とかわしたこの図は“不詰”。 もしもこの図で玉が3四にいたならば3三銀成があるので詰みなのだが…。あるいはまた、「銀」がもう一枚多く先手の手駒にあればこの順で後手玉は詰むのであったが…。
2五玉図1
もう一度この図に戻って、後手玉に詰みはないとわかったので、ここは先手玉の2八銀からの“詰み”を受けることになる。まず<ア>1五歩を検討する。
<ア>1五歩だと、2九金がある。これは2八銀以下の“詰めろ”なので、先手はそれを受けて3八飛。
しかし2五桂打、1八玉(1六玉は1四歩で必至)、3七歩(次の図)
2五玉図2
以下7八飛に、2八銀で受けなし。後手の勝ち。
2五玉図3
で、<イ>1八玉、2八銀、4九飛(図)と受けてみよう。(これでは勝てそうな気はしないが、しかたがない)
以下2九銀不成、同飛、同金、同玉、3七銀不成(次の図)
2五玉図4
飛車と金銀の二枚替えで先手は持駒が増えて「角角金金銀銀」となった。金銀は増えたがしかし今度は飛車がないので、3一銀、同玉、1一飛という“詰み筋”はなく、詰ますとすれば3一銀、同玉、4一金、同銀、同桂成、同玉、4二歩という攻め筋になるが、4二同金、6三角、5二銀で、届かない。
なのでこの図では受けることになるが、しかし受けもなさそうだ。3筋に歩が利くので3九銀と受けても3八歩があるし、1七角(銀)の受けには、2五桂打がある。
だから図で3九金と受けるが、それには2八飛(次の図)
2五玉図5
以下、詰んでいる。2八同金、同銀成、同玉、3六桂、3九玉、3八歩、同玉、3七歩、同玉、4七金、3六玉、4六金、3五玉、4五金、3四玉、4四金(次の図)
2五玉図6
奇麗に詰め上げられてしまった。
というわけで、〔二〕2五玉は3三桂以下、「後手勝ち」、となる。
≪月2二玉図≫再掲
さて、どうすればよいのだろう。
次は〔三〕6六角で勝負しよう。
〔三〕6六角
6六角基本図
将棋というのはタイミングが大事で、さあ、ここでの角打ち――〔三〕6六角はどうだろうか。
これまでの検討でも、この筋の角打ちが有効なこともあれば、そうでないこともあった。
この〔三〕6六角に、3三桂なら、先手が勝つ。
3三桂は、2五銀や4五銀、さらに4二桂という3つの“詰めろ”を狙った手だが――
3三桂に、3一銀、同玉、4一飛(次の図)
6六角図1
4一同銀、同桂成、同玉、3二金、同玉、3三角成以下、後手玉が“詰み”だ。
したがって6六角に3三桂はないが、3三桂打(次の図)がある。
6六角図2
この3三桂打が先手にとって“難敵”なのだ。
これは放っておくと、2五銀、または4五銀の一手詰め。
なのでそれを受けるなら<b>3六金のような受けになるが、攻めて局面をほぐす狙いの<a>3一角(次の図)から考えてみたい。
6六角図3
3三桂打に、<a>3一角と指したところ。
以下、3一同玉、4一飛、同銀、同桂成、同玉、2三玉で、次の図。
6六角図4
2三玉と先手は入り、次は1二玉~1一玉をねらう。
しかしここで後手に4二飛という手がある。
以下、2二銀に、6七角、3四歩、1四銀、1二玉、3四角成、1一玉、2二飛(次の図)
6六角図5
一応は入玉したものの、この図は後手勝ちになっている。
2二同玉に、2三馬、1一玉、2二銀、2一玉、3二馬、1二玉、2三銀引までの詰み。
3三桂打に、<b>3六金と詰みを受けた場合を次に検討する。
6六角図6
<b>3六金に、後手は4四歩。次に4三金までの一手詰め。
ここで4六金なら、同金。そこで4四玉には、4五銀(次の図)
6六角図7
これでどうやら先手玉は“受けなし”。 攻める手もないので、後手の勝ち。
(この図で、もしも先手の6六の角の位置が7七や8八だったら、5五玉と逃げる手があって、図の4五銀では決め手にならない。しかしその場合には4五銀に代えて、6四銀や、6三銀など、別の有力手があるので、それでも後手の勝ちは変わらない)
なので後手の4四歩に対し、そのタイミングで3一角から攻めるのはどうだろうか(次の図)
6六角図8
3一角に、同玉、4一飛、同銀、同桂成、同玉、2三玉、3一銀、1二玉、3四角(次の図)
6六角図9
この場合は先手の3六金がいるので、後手6七角からの成角の攻めはない。しかし3四角(図)がある。
2三香、同角、同玉、2二飛、3四玉、4二桂、4四玉、4三香(次の図)
6六角図10
まで、先手玉は詰んだ。
手順を尽くして頑張ってはみたが、結局、先手の勝ち筋は発見できなかった。
以上の結果、〔三〕6六角は3三桂打で「後手勝ち」、である。
≪月2二玉図≫再掲
この図で先手の勝てる道を見つけなければ“アウト”である。≪亜空間戦争≫は「後手勝ち」で終了となる。
(いつのまにか)先手軍の正規応援部隊となっている我々終盤探検隊としては、それは困るのである。我々はこの≪戦争≫に勝利して、≪亜空間≫を脱出したいのだ。
この図で、先手がぼやぼやしていると、後手からは2つの手段があって、先手が負ける。
一つは、4二桂、2五玉、3三桂、2六玉、3四桂、1七玉、3八金。
もう一つは、3三桂打。
この二つの後手の手段を避けながら、後手玉を攻略する道を探さなければならない。
4つ目の手として、〔四〕4五玉を考えてみよう。
〔四〕4五玉
4五玉基本図
ここで〔四〕4五玉はどうだろうか。
対して5三金なら、3一銀、同玉、5一竜以下の後手玉の詰みがあるので、ここで5三金はない。
しかし問題は4二桂(次の図)である。
4五玉図1
この図は、後手の手番ならば、4四銀、または3四銀から詰まされる。3三桂からの詰みもあり、受けが難しい。
6六角くらいしかなさそうだ。この6六角に3三桂なら、同角成で、これは後手玉が詰んでしまうので先手勝ち。 しかし6六角に、4四銀と受けられる。以下、同角、同歩、3六玉、3四桂で、次の図。
4五玉図2
この図は、先手玉“必至”の図で、「後手勝ち」。
後手には角しかないが、先手玉の詰みを防ぐ手はない。後手4五角の詰みを防いでも、3五歩、2五玉、3三桂という詰み筋があるし、それを同時に防ぐ8五飛には、3七金、同桂、4七角という詰み筋がある。
したがって、先手は図から、3一銀、同玉、4一金から攻めながら状況を打開するしかないが、それもうまくいかない。
〔四〕4五玉は、4二桂で「後手勝ち」、が結論となる。
≪月2二玉図≫再掲
〔一〕4一銀 → 後手勝ち
〔二〕2五玉 → 後手勝ち
〔三〕6六角 → 後手勝ち
〔四〕4五玉 → 後手勝ち
ここで先手の勝つ手段を見つけなければならない。
[月夜のでんしんばしら]
二人はしかたなくよろよろあるきだし、つぎからつぎとはしらがどんどんやって来ます。
「ドッテテドッテテ、ドッテテド
やりをかざれるとたん帽ぼう
すねははしらのごとくなり。
ドッテテドッテテ、ドッテテド
肩にかけたるエボレット
重きつとめをしめすなり。」
二人の影かげももうずうっと遠くの緑青ろくしょういろの林の方へ行ってしまい、月がうろこ雲からぱっと出て、あたりはにわかに明るくなりました。
でんしんばしらはもうみんな、非常なご機嫌きげんです。恭一の前に来ると、わざと肩をそびやかしたり、横めでわらったりして過ぎるのでした。
(宮沢賢治作童話『月夜のでんしんばしら』から)
「エボレット」とは、軍人の正装のときに両肩に付いている装飾(肩章)のことだそうだ。
童話『月夜のでんしんばしら』を宮沢賢治が書いたのは、賢治が東京にいた時、1921年だと思われる。
東北盛岡の大学を卒業した後、とくに就職することをせずにいた宮沢賢治が東京へ出たのは、25歳の時、1921年の1月で、前年にすでに入信していた国柱会という田中智学を創設者とする法華経系宗教団体と活動を共にするのが目的であった。ところがその1921年の8月、妹のトシが病気でたいへんだという報を聞くと、あっさり賢治は親元の花巻へ帰り、父親の用意した農業学校の教師という職に就くのである。わずか7か月の東京生活であった。志を立てて上京したにもかかわらず、妹が病気だという理由ですぐに故郷へ帰ってしまったところをみると、東京での生活のなにかがおそらく賢治を失望させたのであろう。
その東京生活で、賢治は「トランク一杯の童話の原稿」を書き溜めていたのだった。
風雲の時代であった。
1914年には、“世界大戦”がヨーロッパで起こった。その戦争では、「機関銃」と「戦車」とが登場し、戦争というものが、男らしい人間の熱い血を感じさせる個の闘いを表現する部分が小さくなり、冷徹な機械による大量殺人の色合いが徐々に大きくなってきていた。
1920年頃、欧米の空には「飛行機」が現れ始めていた。
宮沢賢治がこの『月夜のでんしんばしら』を書いたころ、「電信柱」は、おそらく最新科学の成果を具体的に表すものだったであろう。
1920年代はドイツおよびデンマークで「量子力学」が発展した。今日、我々の生活はコンピュータやテレビ、携帯電話など「電気」や「無線」と切り離すことができないが、その基礎理論はこの時代に確立されたのである。
アメリカで、1921年、『宇宙のスカイラーク』という小説がE・E・スミスによって書かれていた。しかしこの小説は出版社に受け入れられず、長いこと眠っていた。1928年になって、SF雑誌に採用され、発表された。
1921年の段階ではまだSF雑誌など存在しておらず、1926年にヒューゴー・ガーンズバックによって<アメイジング・ストーリーズ誌>が創刊したことによって、『宇宙のスカイラーク』はやっと陽の目を見たのである。ガーンズバックという男は、「ラジオ」に人生を懸けた男だった。「ラジオ無線」を世の中に普及するために「SF雑誌」というそれまでには存在しなかったものをつくったのだ。
1920年代、「ラジオ無線」は急速に普及を拡大させつつあった。(アメリカでのラジオ局の開局は1920年、日本は1925年)
『宇宙のスカイラーク』は発表されると、途端に大人気となった。とくに潜在的にいた「SFマニア」の心を揺さぶった。作者のE・E・スミスは本職は化学者であり、1920年代、ドーナッツの粉をつくる会社で化学主任を務めていた。
『宇宙のスカイラーク』によって、物語の中でではあるが、人類は初めて「外宇宙」へと飛び出したのであった。「外宇宙」とは、つまり、“太陽系の外”ということである。宇宙船スカイラーク号は、この話の主人公リチャード・シートンによって発見された“X金属”によって得られた強力なエネルギーによって、光速を超えて、あっという間に太陽系を飛び出してしまったのだ。
そういう話であれば、日本の、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』も、人が「外宇宙」(=銀河)へ飛び出した話、という見かたもできる。賢治がそのストーリーの初稿を書いたのは1924年である。しかし、宮沢賢治の『月夜のでんしんばしら』や『銀河鉄道の夜』が一般の人の目に触れるようになったのは、賢治の死(1933年)の後のことになる。
1917年には、世界を驚かす大事件が起こった。ロシア革命、すなわち、共産主義国家ソビエト連邦共和国の誕生である。
19世紀はずっと、「英国の時代」であった。第一次世界大戦もその強大なイギリス側が当然のように勝利を収めた。
しかし、世界の覇権の中心点は徐々に、イギリスからアメリカ合衆国へと移りつつあった。そういう時代である。
欧州ではソ連邦とともにドイツ連邦またも強大な勢力になってきていた。第一次世界大戦で敗れたにもかかわらず、しかしそれでもドイツはまたむくむくと立ちあがろうとしていた。ドイツの国力の魔法のタネは、「教育」と「科学」にあった。「教育」と「科学」と「国民の力」とを結びつけることで他の国の追随を許さない勢いを築くことになったのである。国家レベルで、国民の中に、「科学」における才能を見い出し、育て、花開かせるよう「教育」の充実を計ったのだ。その結果、ドイツ連邦国はこの時代、世界一の「科学」の才能を集めていたのだった。各国の、才能と未来のある若い科学者たちの多くが、ドイツへと留学に行った。
イギリスの作家H・G・ウェルズが『解放された世界』を書いて「原子爆弾」というものを想定した戦争を描いたが、それは1914年に発表されたものである。ウェルズはこの時期に、「ドイツの国力」と「科学の発展」とに、大きな怖れと警戒心を抱いたのである。それが『解放された世界』というSF小説として表されたわけだ。
しかしまだこの時点では「核分裂」は発見されていなかったし、そういう原子の「核」がパカッと割れてしまう、そんな発想は物理学者にも小説家にもなかった。現実の「科学の発展」は、人間の想像の上を飛んでいたのである。
「核分裂」が最初に発見されたのは1938年ドイツ・ベルリンの実験室であり、それを原理とした「原子爆弾」が最初につくられたのはアメリカである。そしてそれが最初に使用された場所は、日本・広島であり、それは1945年8月のことだった。
第一次世界大戦中、国力が大きく増大した国がある。日本である。イギリスやドイツが戦争で船を沈没させていく中、日本は多くの造船の注文を受けたのである。
その時代、「船」というモノが国力を表す指標となりそうであるが、1920年頃日本の海運業は船の総トン数で世界第3位になっていた。
1919年に、国際連盟から委任されて、太平洋南海のマーシャル諸島が日本の統治領となった。
その後、第二次世界大戦ではここは日米の戦いの場となり、大戦後に、ここはアメリカの「水素核融合爆弾」の実験場にもなった。
そして戦後の日本の映画の中で、イメージ上でだが、この「南海」を母体として、ゴジラ、モスラが誕生したのである。
倉敷藤花 甲斐-山田戦
これは甲斐智美-山田久美戦(2014-11-05 倉敷藤花第1局)の棋譜の93手目の図。
( 棋譜・中継ブログは、こちら倉敷藤花戦三番勝負の中継サイトで。)
ここから実戦には現れなかった順に入り、ここから先の世界をこの報告では、≪亜空間≫と呼ぶ。
3四飛成、同玉、5二金、3一銀、5一歩、2二銀成、同玉と進んで次の図となる。(そしてこの手順の途中5二金が“月の道”への入口である)
≪月2二玉図≫
ここが問題の局面である。(この2二同玉で「甲斐-山田戦」の初手からちょうど100手目となる)
我々としては、なんとしてもここからの「先手の勝ち筋」を見つけて、≪亜空間戦争≫を終結させたい。
しかし、ここで我ら終盤探検隊が 最有力とみていた「4一銀」では、後手に4二桂、2五玉、4一銀と返されて、その図はどうやら先手負けになっている とわかった。それが前回のレポートである。
ということで我々はここから〔一〕4一銀以外の手を探さなければならない。 ――だが、それが難しいのだ。
〔二〕2五玉
2五玉基本図
〔二〕2五玉でどうなるか。
後手は3三桂と跳ぶ。この桂馬を跳ぶと、後手玉にはスキができる。具体的には、3一銀、同玉、1一飛からの“詰み筋”が生じるが…
3三桂、2六玉、3四桂、1七玉、3八金(次の図)
2五玉図1
先手玉は2八銀、1八玉、2九銀不成、1七玉、2五桂までの“詰めろ”が掛かっている。
これを受けるなら<ア>1五歩か、<イ>1八玉、2八銀、4九飛しかない。(2六歩は、2八銀、1八玉、2九銀不成、1七玉、2五桂打以下詰み)
しかしここで後手玉に“詰み”はないのか。詰んでいれば、もちろん先手が勝ちだ。
図から1八玉、2八銀と銀を使わせて、そこで3一銀から詰めに行く。
3一銀、同玉、1一飛、2一銀打、4一金(次の図)
2五玉図2
4一同銀、同桂成、3二玉、2一飛成、同玉、2二銀、3二玉(次の図)
2五玉図3
いまの2二銀を“同玉”と取ってくれれば、3一角、3二玉、4二成桂、同金、同角成、同玉、3一角、同玉、5一竜以下詰むのだが…。
しかし3二玉とかわしたこの図は“不詰”。 もしもこの図で玉が3四にいたならば3三銀成があるので詰みなのだが…。あるいはまた、「銀」がもう一枚多く先手の手駒にあればこの順で後手玉は詰むのであったが…。
2五玉図1
もう一度この図に戻って、後手玉に詰みはないとわかったので、ここは先手玉の2八銀からの“詰み”を受けることになる。まず<ア>1五歩を検討する。
<ア>1五歩だと、2九金がある。これは2八銀以下の“詰めろ”なので、先手はそれを受けて3八飛。
しかし2五桂打、1八玉(1六玉は1四歩で必至)、3七歩(次の図)
2五玉図2
以下7八飛に、2八銀で受けなし。後手の勝ち。
2五玉図3
で、<イ>1八玉、2八銀、4九飛(図)と受けてみよう。(これでは勝てそうな気はしないが、しかたがない)
以下2九銀不成、同飛、同金、同玉、3七銀不成(次の図)
2五玉図4
飛車と金銀の二枚替えで先手は持駒が増えて「角角金金銀銀」となった。金銀は増えたがしかし今度は飛車がないので、3一銀、同玉、1一飛という“詰み筋”はなく、詰ますとすれば3一銀、同玉、4一金、同銀、同桂成、同玉、4二歩という攻め筋になるが、4二同金、6三角、5二銀で、届かない。
なのでこの図では受けることになるが、しかし受けもなさそうだ。3筋に歩が利くので3九銀と受けても3八歩があるし、1七角(銀)の受けには、2五桂打がある。
だから図で3九金と受けるが、それには2八飛(次の図)
2五玉図5
以下、詰んでいる。2八同金、同銀成、同玉、3六桂、3九玉、3八歩、同玉、3七歩、同玉、4七金、3六玉、4六金、3五玉、4五金、3四玉、4四金(次の図)
2五玉図6
奇麗に詰め上げられてしまった。
というわけで、〔二〕2五玉は3三桂以下、「後手勝ち」、となる。
≪月2二玉図≫再掲
さて、どうすればよいのだろう。
次は〔三〕6六角で勝負しよう。
〔三〕6六角
6六角基本図
将棋というのはタイミングが大事で、さあ、ここでの角打ち――〔三〕6六角はどうだろうか。
これまでの検討でも、この筋の角打ちが有効なこともあれば、そうでないこともあった。
この〔三〕6六角に、3三桂なら、先手が勝つ。
3三桂は、2五銀や4五銀、さらに4二桂という3つの“詰めろ”を狙った手だが――
3三桂に、3一銀、同玉、4一飛(次の図)
6六角図1
4一同銀、同桂成、同玉、3二金、同玉、3三角成以下、後手玉が“詰み”だ。
したがって6六角に3三桂はないが、3三桂打(次の図)がある。
6六角図2
この3三桂打が先手にとって“難敵”なのだ。
これは放っておくと、2五銀、または4五銀の一手詰め。
なのでそれを受けるなら<b>3六金のような受けになるが、攻めて局面をほぐす狙いの<a>3一角(次の図)から考えてみたい。
6六角図3
3三桂打に、<a>3一角と指したところ。
以下、3一同玉、4一飛、同銀、同桂成、同玉、2三玉で、次の図。
6六角図4
2三玉と先手は入り、次は1二玉~1一玉をねらう。
しかしここで後手に4二飛という手がある。
以下、2二銀に、6七角、3四歩、1四銀、1二玉、3四角成、1一玉、2二飛(次の図)
6六角図5
一応は入玉したものの、この図は後手勝ちになっている。
2二同玉に、2三馬、1一玉、2二銀、2一玉、3二馬、1二玉、2三銀引までの詰み。
3三桂打に、<b>3六金と詰みを受けた場合を次に検討する。
6六角図6
<b>3六金に、後手は4四歩。次に4三金までの一手詰め。
ここで4六金なら、同金。そこで4四玉には、4五銀(次の図)
6六角図7
これでどうやら先手玉は“受けなし”。 攻める手もないので、後手の勝ち。
(この図で、もしも先手の6六の角の位置が7七や8八だったら、5五玉と逃げる手があって、図の4五銀では決め手にならない。しかしその場合には4五銀に代えて、6四銀や、6三銀など、別の有力手があるので、それでも後手の勝ちは変わらない)
なので後手の4四歩に対し、そのタイミングで3一角から攻めるのはどうだろうか(次の図)
6六角図8
3一角に、同玉、4一飛、同銀、同桂成、同玉、2三玉、3一銀、1二玉、3四角(次の図)
6六角図9
この場合は先手の3六金がいるので、後手6七角からの成角の攻めはない。しかし3四角(図)がある。
2三香、同角、同玉、2二飛、3四玉、4二桂、4四玉、4三香(次の図)
6六角図10
まで、先手玉は詰んだ。
手順を尽くして頑張ってはみたが、結局、先手の勝ち筋は発見できなかった。
以上の結果、〔三〕6六角は3三桂打で「後手勝ち」、である。
≪月2二玉図≫再掲
この図で先手の勝てる道を見つけなければ“アウト”である。≪亜空間戦争≫は「後手勝ち」で終了となる。
(いつのまにか)先手軍の正規応援部隊となっている我々終盤探検隊としては、それは困るのである。我々はこの≪戦争≫に勝利して、≪亜空間≫を脱出したいのだ。
この図で、先手がぼやぼやしていると、後手からは2つの手段があって、先手が負ける。
一つは、4二桂、2五玉、3三桂、2六玉、3四桂、1七玉、3八金。
もう一つは、3三桂打。
この二つの後手の手段を避けながら、後手玉を攻略する道を探さなければならない。
4つ目の手として、〔四〕4五玉を考えてみよう。
〔四〕4五玉
4五玉基本図
ここで〔四〕4五玉はどうだろうか。
対して5三金なら、3一銀、同玉、5一竜以下の後手玉の詰みがあるので、ここで5三金はない。
しかし問題は4二桂(次の図)である。
4五玉図1
この図は、後手の手番ならば、4四銀、または3四銀から詰まされる。3三桂からの詰みもあり、受けが難しい。
6六角くらいしかなさそうだ。この6六角に3三桂なら、同角成で、これは後手玉が詰んでしまうので先手勝ち。 しかし6六角に、4四銀と受けられる。以下、同角、同歩、3六玉、3四桂で、次の図。
4五玉図2
この図は、先手玉“必至”の図で、「後手勝ち」。
後手には角しかないが、先手玉の詰みを防ぐ手はない。後手4五角の詰みを防いでも、3五歩、2五玉、3三桂という詰み筋があるし、それを同時に防ぐ8五飛には、3七金、同桂、4七角という詰み筋がある。
したがって、先手は図から、3一銀、同玉、4一金から攻めながら状況を打開するしかないが、それもうまくいかない。
〔四〕4五玉は、4二桂で「後手勝ち」、が結論となる。
≪月2二玉図≫再掲
〔一〕4一銀 → 後手勝ち
〔二〕2五玉 → 後手勝ち
〔三〕6六角 → 後手勝ち
〔四〕4五玉 → 後手勝ち
ここで先手の勝つ手段を見つけなければならない。
→part30に続く