はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

B29爆撃機

2007年07月31日 | はなし
 イラストレーター小松崎茂は3月10日谷中のアパートから深夜の大空襲を見ている。当時30歳。
 B29爆撃機は低空を飛んだ。それはどうやらM69焼夷弾を効果的に使うためのようだ。M69焼夷弾はアメリカ軍が日本の家屋を焼くために開発された。日本の家屋は燃えやすいので、爆発の威力でふっとばすよりも、焼いちまえということだ。投下すると48発の子弾に分離し(クラスター構造という)一斉にふりそそぐ。子弾の大きさは直径8センチ長さ50センチ重さ2.4キロ。直接これに当たって貫通したり直撃して即死ということが多かったそうだ。衝突し、発火する。
 小松崎がアパートから見たのは、異様に赤い夜の空の風景だが、翌日の風景は「地獄でしたね」と言っている。

 小松崎茂氏は戦後、超売れっ子イラストレーターとなった。太っていて憎たらしいような顔だが、後に妻となる美人の彼女がいた。あまりに美人なので妙なうわさが飛んだりストーカーが現われたり… それで千葉の柏に引っ越して結婚した。86歳まで生きた。最後に描いた画は「富士山上空のB29の編隊」である。

 B29による空爆は、全国の都市に行われている。調べてみると「えっこんなところも攻撃するの?」というようなところもある。青森大空襲、福山大空襲なんてのもあったんだね。この無差別爆撃は、基地の破壊とともに、人民の気力をそぐというのが目的のようだ。つまり「早く降伏しろよ~」ってことだ。京都・広島・新潟などは空襲が少ないが、それは原爆投下候補地だったからなんだと。
 小松崎茂の絵(少年サンデーの表紙として使われたもの)を見て描いてみたが、こうして見るとB29爆撃機は、今のステルス戦闘機などにくらべるとずいぶん親しみのある姿をしている。大量殺人を目的としてつくられた兵器であることに変わりはないが。
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3月10日は…

2007年07月30日 | はなし
 東京の今の地に引っ越してきたとき、実家へ帰省する機会があった。それで実家と親戚に東京の饅頭でもとおもい、饅頭屋へ入った。饅頭屋のばあさんにあれこれと饅頭について質問した。ばあさんは、このパッケージは○○という人が発明してこれを使うには使用料を払わねばならぬ、しかしたしかにこれを使うとよく売れる、というようなことを話してくれた。その話がいつの間にか爆弾の話になっていた。どこどこに逃げてどこどこに爆弾が落ちて…というような話だった。
 なぜ饅頭のはなしが、爆弾のはなしになったのか。それが不思議だった。数週間してその疑問が解けた。あの日、僕が饅頭屋に入ったのが3月10日で、その日は「東京大空襲の日」なのだった。そのときまで僕は(そういう日のことを)知らなかったが。ばあさんはあの日、空襲の話をだれかにしたかったのだ。

 しらべてみると、10万人の死者を出した1945年3月10日東京大空襲は深夜0時から2時間の間(感覚的には3月9日深夜)に、東京の東部江東区を中心に行われた。働ける男子は南方や中国へ兵として出ているから、被害にあったのはほとんどが老人・女・子供である。わずか2時間で10万人!
 アメリカ軍B29爆撃機による東京の空襲はその前年1944年11月から始まっている。初めこそ基地や工場がねらわれたが、思うようにいかないこともあってか、アメリカ軍は方針を変更したようだ。民間人の犠牲をかまわず攻撃する無差別爆撃となった。 
 東京の空襲は3月10日だけではないのである。1945年8月の終戦までの間に、東京は130回の空襲を受けている。
 それで、どうやら饅頭屋のばあさんの空襲体験は3月10日ではなく別の日だろう、とおもわれる。このあたりは江東区とずいぶん離れているから。

 中野区に住んでいたいわさきちひろ一家は、5月に空襲で家を失った。それで一家は、母の実家である長野県松本へ疎開したのである。(ちひろ26歳の時)
 空襲の次の日、母と3人の娘は、中野から新宿までの建物がすっかりなくなっている様子をみて、「きれいね…」とのんきに言ったそうだ。

 よく考えてみれば、僕はだれかの口から直接に「空襲」の話を聞くのはその饅頭屋のおばあさんが初めてだった。田舎で育ったのでまわりに空襲の体験者がいなかったのだ。(原爆体験者の話は聞いたことがあったけれど)
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スワンダイブ

2007年07月28日 | ほん
「おじいさん、さっきあたしがしていたのね、とびこみよ。はじめ、スワン・ダイブ三度して、それからジャック・ナイフして……それから……あんまりたくさんしたから、忘れちゃった!」
 おじいさんは、ゆっくりおなかをゆすりながら、おじいさんらしい、いい声で笑いました。
「あっはっはっは! どうも泳ぎのまねらしいとは思ったが……わしはまた、ボーフラかと思ったんじゃよ。もうボーフラの出る季節になったかなあ、えらい一生けんめいなボーフラもあったもんじゃなあ、とな。あっはっはっは!」
「ははははは!」
「アハハハハ!」
「ホホホホホ!」
 ノンちゃんの目の前で、いろんな笑い声が爆発しました。たしかに、爆発したのです。


 この文章は、『ノンちゃん雲に乗る』(石井桃子著)からの抜粋である。このファンタジーについては1年前にも述べたのだが、森絵都著『DIVE!!』の中に「スワンダイブ」という技がでてきて、それで思い出してひっぱりだしてみた。『DIVE!!』はすごく面白く痛快なスポーツ少年小説である。
 ただし、森絵都らしさという点では『永遠の出口』をおすすめしたい。森さんの筆は、このようにくそまじめにスポーツするキャラを描くより、だらだらと、でもそれなりにしぶとく生きるという面白キャラを描くとき、より強い個性を発揮すると感じるのだ。『DIVE!!』で僕がいちばん森絵都らしくていい、と思ったエピソードは__________(わすれました。おもいだしたら書きます)
 「スワンダイブ」という技は、水泳の高飛び込みの技で、ふるいものだそうである。『DIVE!!』によれば、100年ほど前のオリンピックでスウェーデンの選手が得意にしていた美しい技だとしている。手をひろげて、飛ぶ。シンプルな技だ。

 ノンちゃんは、池に落ちたとおもったら、空に浮かんでいた。空の中で泳ぐノンちゃんは、スワンダイブを、それから、ジャックナイフをこころみる。ジャックナイフというのが、もしかしたら、飛び込みでスェーデンのライバル国だったイギリス選手の得意技のことかもしれない。
 それにしても『ノンちゃん雲に乗る』のこのあたりの文章は素晴らしい!(ボーフラって若い人は見たことないじゃろなあ) この本は昭和20年代に発表され、映画化もされている。本の中に描かれた時代は、たぶん昭和の初めである。きっと「スワンダイブ」が流行っていたのだ。
 今回これを書いて、調べていたら、石井桃子さん、ことし100歳になったそうである。(すごいなあ、100歳かあ。誕生日は1907年3月10日) 石井さんは『クマのプーさん』の翻訳者として有名だ。何年か前にTVで見たが、そのとき、「家の外を学校へ通うこどもたちの顔がうれしそうでないんですよね」と心配していたのを覚えている。

 子供のとき、川で泳いだことがある。(トシ寄りの証拠だ) 楽しかったなあ! 高い木の枝から冷たい川へドボーンと飛び込む、それが憧れだった。


 映画『夕凪の街 桜の国』が今日封切られましたね! 行こうと思っていたんですが体調がイマイチだったので見送りました。(暑いしね) 来週は、行こうと思います。
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ヨロン島2 洞窟の怪老

2007年07月27日 | はなし
 子供の時の話である。父と母が楽しそうに旅行の話をしていた。と思ったら、いつの間にかケンカになっていた。母が、四国の鍾乳洞を見てみたいと言って、父が、そんなもの見てもしようがない、と腹を立てたのがきっかけだった。なぜそのようなことでケンカになるのかはなぞだったが、「鍾乳洞などつまらない」という父の主張は一理ある、と今は思う。
 まったく、鍾乳洞など、「只の穴」である。山口県秋芳洞の「百枚皿」は見ごたえがあるが、なにもないのに観光地にしている鍾乳洞など、たしかに行くだけ無駄なのだ。そこに怪人でも現われるというなら行く価値もあるかもしれないが。

 だからヨロン島で
 Aさん「今日やすみ? じゃあ鍾乳洞行ったらいいよ」
 Bさん「うん。是非行くべきだ」
と勧められたときにも、僕は行く気はなかった。鍾乳洞なんてどこにだってあるし、あれはただ穴があるだけ。おもしろいものじゃない。
 だが時間がぽっかり空いてみると、やることがない。AさんBさんの言葉をおもいだして行ってみることにした。ヨロン島の赤崎鍾乳洞だ。入園料は500円。

 内容は予想どうり。期待していないので、がっかりもしない。まあ、こんなものだろう。
 中に入ると前の客がガイドの爺さんの話を聞いている。僕がそこに行って1、2分でそのガイドの話は終わった。その客たちは奥へ移動した。ガイドの爺さんはそのまま。ん? あれ? オレには説明してくれないの? おい、じじい!
 と、待っていると次の団体客がやってきた。若い女性4人連れだ。明るい。にぎやかに「写真を撮ろう!」と言っている。「あすいません、写真おねがいしまーす」 ガイドのじじいがにこやかに女性からカメラを受け取った。
 僕はそれをつったって見ている。するとじじいは何をおもったか、僕に気づいて、「よし、君!」と言った。「は? オレ?」 僕が近づいていくと、じじいはカメラを差し出して「君に撮ってもらおう!」
 オレ「えっ(なんで)?」
 じじいは4人の女性の横に並び、僕はそれを写真に撮ったのであった。とっても嬉しそうに4人の若い女たちと一緒に写真に写るじじい。
 写真を撮り終えたあと、じじいは元気に女たちにガイドを始めた。
 「 … 」
 僕はあほらしくて聞いておれず、奥へ行った。しかし「奥」といっても、ほとんど奥はなかったのだが。
 それが僕のヨロン島鍾乳洞観光のすべてである。


 あれは、なんだったのか? あのじじいのギャグなのか?

 AさんBさんの場合はこうだ。
 彼ら二人が行ったとき、客はほとんどいなかった。二人が鍾乳洞に入ると、突然、真っ暗になった。えっ、なに? と、二人は思った。
 「停電!?」
 数分して「やあ、すまんすまん」とじじい。ガイドのじじいが冗談で照明を消したらしい…。 
 …これもサービスのひとつなのか?
 だったら僕へのアレも、あの怪老なりのサービスだったのか? まあ、ふつうに鍾乳洞見るだけよりはよかったかもな。今となってはな。
 「ふざけたじじいだ」 AさんBさんはこの怪しいじじいを見に行けと僕に鍾乳洞をすすめたのだった。
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ヨロン島

2007年07月24日 | ほん
 1985年8月、御巣鷹山に墜落した日航機123便の事故が起こったとき、僕は与論島にいた。

 与論島は、沖縄本島のすぐ北にあって、だから与論島から沖縄本島がみえるが、与論島自体は鹿児島県に属する。だから僕は、与論島へは行ったことがあるのだけれど、沖縄には行ったことがない、ということになる。ヨロン島はサンゴでできた島で、だから水道の水にも多量の石灰がふくまれていて、観光客がその水を飲みすぎると腹をこわすという。
 島なので新聞も遅れてくる。朝刊が昼の3時ごろに来ていた。台風が接近して波が荒れると新聞は来ない。まあでも、TVの電波までは遅れてこないので、僕はTVで普通にこの日航機墜落事故のことを知った。520人の人が死んで、その中には歌手坂本九もいた。(向田邦子もそうだと思っていたが、これは僕の記憶ちがいで、別の飛行機事故だった.) そして、しかし、4人の女性が生存していた、という劇的なものであった。
 それにしても、東京・羽田から大阪へ飛ぶ飛行機が、群馬県に墜落するなんて。御巣鷹山が群馬県(埼玉県・長野県境にも近い)だなんて、僕は昨日知ったのだが。

 僕は、8月になると、この日航機墜落事故がTVで採り上げられるたびに、フクザツな思いになる。「この事故を風化させてはいけない」などと聞くたびに…。
 「それはそうだけど… でも…」と思う。
 だけど、世の中には死んだ人はいっぱいいる。交通事故や、病気や、殺人事件や、自殺。毎日100人の人が自殺している… でも、それらは採り上げられることはない。不治の病で死ぬ人もいれば、よくある病気で死ぬ人もいる。そういう「死」はほうっておいて、なぜこの飛行機事故だけは、わすれちゃいけないと「特別あつかい」されるのだろうか。
 答えはわかっている。インパクトがあるからだ。マスコミとして「商品価値」があるからだ。
 僕だって、日航機墜落の日にヨロン島にいた、と記憶しているが、これが平凡な事故なら覚えていないだろう。僕の中にも、「インパクトのある死」の商品価値に引っぱれるなにかが、たしかにある。その感じに違和感があって、だから僕は、この御巣鷹山の事故のTV番組がすきではない。
 同じように、この事故を題材とした小説もニガテだった。山崎豊子の『大地の子』は比類なき傑作であるが、この御巣鷹山の飛行機事故を題材にして航空会社の権力争いを描いたらしい『沈まぬ太陽』は読む気になれなかった。(ホリエモン堀江貴史は拘留中にこの小説を読んで感銘を受けたとTVは報じていた.)

 ところが僕は『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫著)を読んだ。
 これは以前から本屋で見かけ、気にはなっていた。だが手にとって内容をみると、御巣鷹山の日航機事故を扱ったものであるようだ。主人公は新聞記者で、新聞社内部での権力抗争がふんだんに描かれている。それがわかると、僕はどうも読む気になれなかった。だけど「クライマーズ・ハイ」というのは山登りの用語らしいが、それとあの飛行機事故とどう結びつくのか…。それが気になっていた。そういうこともあって、気になりつつもそのままだったこの本を、昨日から読み始め、今、読み終えたというわけ。
 読了して、「クライマーズ・ハイ」とタイトルにつけた意味がわかった。
 読んでよかった、と思う。ラストはすっきりした。この小説は、上に書いたような僕の、この事故とマスコミへの違和感を、いくばかりか消化してくれるものだった。

 『私の父や従兄弟の死に泣いてくれなかった人のために、私は泣きません。たとえそれが、世界最大の悲惨な事故で亡くなった方々のためであっても』 (『クライマーズ・ハイ』文中より)


 ところで、昨日書いた小渕恵三の「ビルの谷間のラーメン屋」のワードは、ハードカバー版『クライマーズ・ハイ』のP159に出てきます。小渕恵三エピソードはこの本のテーマとはなーんの関係もないですけどねー。

 それから、御巣鷹山というのは間違いで、ほんとうは「高天原山」なんだってね。
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小渕恵三

2007年07月23日 | はなし
 故・小渕恵三氏を描いてみました。沖縄戦争→沖縄サミット←小渕内閣、それから、小渕内閣時に河合隼雄が文化庁長官に就任したというつながりで。あのころの僕はもう、寝てばかりの日々でしたから、だれが総理であろうと、どうでもよかったんですけどね。この画は、将棋の長沼洋七段と(顔が)どう違うのか、悩みつつ描きましたよ。
 どういう人なのか、Wikipediaで調べてみました。
 群馬から26歳で初当選。群馬には中曽根康弘ら大物政治家がいてきびしい選挙区だったので、自らを「ビルの谷間のラーメン屋」と呼んでいたそうな。1998年橋本龍太郎の後任として首相になる。ビートたけしは小渕のことを「海の家のラーメン屋」(まずいと思って食べたら意外と美味かった、の意)と評した。熱心なアマチュア無線家だったそうだ。



 はっ!!!

 びっくり。
 昨日借りてきて、今日読み始めた本があります。横山秀夫『クライマーズ・ハイ』という本なのですが、それを数十ページ読んだ後、このブログの絵と文を書きました。それで、その後でまたその本を読んでいるんですが…。
 この本の主人公は、群馬県の新聞社で働く記者。そこに、あの、1985年に起きた御巣鷹山での日航ジャンボ機墜落事故が起こる。 …これは主人公の回想ですけどね。これ、著者の体験を元にしているようですね。
 で、この事故の起こった場所というのが群馬3区で、ここが中曽根康弘、福田赳夫らの選挙区だという記述が、この本の中に出てきたところ! ということは小渕恵三の選挙区でもあるわけで。
 …こういう偶然がよく起こるんですよ、僕は。とくに、本と、将棋にかかわって。これをユングの共時性(シンクロニシティ)というんですね。ユング派の河合先生の本に書いてあります。  えっ。こじつけ?
 さあ、『クライマーズ・ハイ』続きを読もう。



 うわっ!
 こんどは、「ビルの谷間のラーメン屋」って言葉が出てきた!
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トライアッド

2007年07月21日 | はなし
 河合隼雄さんが亡くなられたそうですね。ブログの検索をしてみると、たくさんの人が記事を書いています。僕にとっても、大切な人。河合さんは、僕の中では「話のわかるおっちゃん」です。いや、お会いしたことはないけれど、すごく身近に感じるんですよね。(→同じように感じている人、見つけたー!) 去年、僕は「箱庭療法1日無料体験」に参加してみたけれど、これも河合さんに興味があったから。(「箱庭」を日本にもちこんだのが河合隼雄なんです。) そして河合隼雄の本はたくさん読んだけれど、おしえてもらったというより、「自分はなしを聞いてもらった」という感じがするのです。(妙な話です。マジックですワ。) ほんとに奥の深いひとだと思います。そういうおっちゃんを文化庁長官にした日本という国の文化を、僕は信用したいですね。(→この人も同じこと言ってる~♪

 渋谷陽一氏が河合隼雄にインタビューしたものがあって、その組み合わせと内容が面白かったんですが、あれは河合氏のどのタイトルの本に収録されていたのかなあ。内容は、河合さんのやってきたことに興味をもった渋谷氏が、あれこれ質問するものだったんですが。渋谷陽一といえば、ロック評論家として有名な人で、レッド・ツェッペリンやQUEEN(ウイ~ア~ザチャンピオン~♪)を日本に紹介した人ですよね。そのロック評論家が、河合隼雄に、たとえば「河合さんはなぜそんなに『死』について興味があるのか」などと聞く。河合さんはどうやら、臨死体験者の話を聞いてそれをまとめるという事を、日本ではじめにした人でもあるらしい。(この人は、ほんとに自分の好奇心に素直だ)
 まあそれで、僕は、去年8月に河合さんが倒れて、その後ずっとなにも記事が出なかったので、「河合さんはそのうち、自分の臨死体験を語るのでは!?」などと思っていたのですが。

 「トライアッド」というのは、三人一組というような意味だと思いますが、これも河合隼雄の本で知った言葉。西洋の集合無意識には「父ー精霊ー子」というトライアッドがあって、一方、日本など東洋には「老人ー母ー子」のトライアッドがあって…、というような内容でした。僕はこれを読んで、「ああ! おれのなかにも確かにあるよ、このトライアッド!」と思ったのでした。(この話は長くなるのでとりあえずここでおしまい)

 河合隼雄さん、どうもありがとう。ご冥福をお祈りします。
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沖縄戦

2007年07月17日 | はなし
 「沖縄戦」について書こうとおもう。

 今日の絵は、映画「ひめゆりの塔」を観ながら描いた。昭和28年に公開されたこの映画は、沖縄戦のひめゆり学徒隊をえがいたものである。暗い時代の中での、10代の彼女たちの、軽やかな動きと明るさが印象的である。 洗面器をもって、タタンタタンタタン♪ と歌い、踊るシーンである。
 黒柳徹子さんが語っていたが、被災地や戦災地では、だいたい女があかるいそうである。「黒柳さん、踊りましょう、歌いましょう」と言ってくるという。ところが「男の人が元気ないんですよね」と。
 女の人というのは、「その瞬間を生きる」のが上手だ。つかの間の平和を生きる、目の前の苦労を処理していく。あのような、「どうしていいかわからない」状況になると、実は女のほうが強い。女は、「今すべきこと」を、する。「ひめゆりの塔」でも、沖縄本島の南端に追い詰められた彼女たちは、天気のいい朝に、キャベツでバスケットボールをはじめたりしている。(実話かどうかは知らない) 穴の中での防衛戦の連続の日々、太陽の下で遊ぶなんてこの一瞬しかない、だから彼女たちはその一瞬を遊ぶのだ。
 では女のほうがすぐれているのかというと、男には男の役割がある。男は、もうすこし「広い眼」でものごとを見る特質があると思う。男は、「なにがいけなかったのか」「これからどうするか」と、過去と未来とを併せて考えようとする。まあだから、男はおちこんでしまうのだ。やっぱり、あの戦争の悲惨さは、「広い眼」でものを見るべき男たちの責任だと思うのだ。「どうしてもっと早く降伏しなかったのか」「そもそもなんのための戦争だったのか」… それを考えるのが男の役割だろうと思う。だが、当時の人々には、そんな余裕もなかっただろうが。

 「10・10空襲(じゅうじゅうくうしゅう)」というらしい。沖縄にアメリカ軍が爆弾を投下し始めた日が1944年10月10日なので。まず爆弾投下で建物を十分に粉砕し、それから上陸して占領する、それがアメリカのやり方だった。
 そしてアメリカ軍の沖縄本島上陸が1945年4月1日。沖縄戦がはじまった。はじめから日本に勝ち目はない。勝ち目はないのに、1日でも長く粘る、それが目的の戦いだった。なんのために? 沖縄が落ちれば、アメリカ軍は、次は、おそらく、東京へ来る。それを遅らせるために。遅らせてどうする? 
 「1億総玉砕」… ひとつの「玉」を護るために最後までたたかう…。そこには、犠牲をすこしでも少なくする…という発想はない。「玉」を護る、という目的のみがあった。そのために、「玉」を長野県松代へ移す計画が進行中であった。
 沖縄戦での日本人の戦死者は22万人。うち、15万人以上が沖縄県民であった。これは、死者の数だから、負傷者は別に沢山いるわけだ。その当時の沖縄県民は59万人だから、4分の1の県民が戦死したことになる。なんともすさまじい戦いだ。

 小学生のとき、ある日先生が「今日は何の日か、知っていますか? 今日、沖縄が日本に返還されました」と言ったのをおぼえている。その意味が当時の僕にはまるでわからなかったのだが、年を重ねるにつれ、すごいことだったんだなと知るようになった。
 
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北乃きい

2007年07月16日 | はなし
北乃きいを描いてみました。が、全然似とらーん。  ← がっかり

なぜ、北乃きい?  ← 自分でつっこみ

理由がなきゃ描いちゃいかんのですか!?    
      ↑
  と、自分つっこみに逆ギレ
            ↑
       「逆ギレ」ってべんりな言葉ネ。  ←と、学者なワタシ
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とうもろこし

2007年07月15日 | はなし
旬のたべものに弱いワタシ。とうもろこしを買ってみました。
いまから煮て焼いて食います。はて、何分煮たらよいのか。
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風船爆弾

2007年07月13日 | ほん
 東京御茶ノ水駅の前で、レジ袋が風に舞い上がるのを見たことがある。どこへ着地するのか気になって、僕はしばらくレジ袋の行方を追っていた。しかしそのレジ袋は、着地するどころか、どんどん高く舞い上がり、ビル群よりもはるか上空を飛び、小さくなった。僕は、首が疲れて、それを追うのをあきらめた。

 本屋で『風に舞いあがるビニールシート』という本を見たとき、そのことを思い出した。「しかしこの小説のタイトルはどういう意味なのだろう」と気になった。それで図書館で予約した。これは直木賞をとった小説なので予約している人数が多く、1ヶ月ほど待って、いま、読むことができた。この本は、森絵都さんの短編集で、主人公は大人の女性だったり、中年や壮年の男性だったりするが、どれも密度が濃くて、読後感もいい。
 表題作の「風に舞いあがるビニールシート」は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に勤める女性の話。この女性は投資銀行からここへ転職したのだが、平和な国日本を離れるつもりはまったくなかった。その彼女が、難民のあふれるアフガニスタンへ行って働こう、と決心するまでのこころの動きを描いた小説である。
 「ビニールシート」というのは、難民たちの「小さな平和」のことで、それが「戦争」という「風」に舞いあがる、という意味のタイトルだったのだ。

 この本とは関わりがないが、「風船爆弾」というのがあったそうである。

 大戦中、アメリカで、ある牧師の家族がピクニックへ出かけた。そこで、「妙なもの」を子どもが見つけた。それは、どうやら大空を飛んできたらしく、木に引っかかっていた。子どもが触れると、それは爆発し、一家6人は死んだ。
 その「風船爆弾」は直径10メートルほどの大きさで、日本から飛ばされた。推定約千個ほど、アメリカに届いていたらしい。日本軍は、女学生を動員して、その「風船爆弾」をつくらせた。女学生はぶっ倒れるほど働き、それをつくった。和紙をコンニャク糊ではりあわせてつくる。全国のコンニャクは軍が買い上げ、糊となった。だから当時の家庭では、コンニャクは食べられなかったそうだ。
 その爆弾は、アメリカ人6人を殺し、しかしそれ以上の成果はなかったようだ。それを聞いた女学生たちは、「6人殺した」とよろこび、同時に「(あれほど苦労して)たった6人…」とがっかりしたという。時間がたつにつれ、「たった6人でよかった…」「でも、6人を殺したんだ」と思うようになったのだが。
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名人戦をふりかえる(こんどこそ)

2007年07月06日 | しょうぎ
半「やっとアルデヒド地獄から抜け出しまして(笑)」
梅「よかった、良かった」
松「これで名人戦が語れる」
半「ありがとう。山崎豊子の『大地の子』も、やっと主人公の陸一心が開放されて、ああよかったー」
松「あッ」
半「半分読んだところだけど、イテッ、あ、イテテテテッ! イテェよ! なにすんだよ、梅!」
梅「今日は将棋の話をしてください」
半「… 」
竹「えっと、棋聖戦第4局が今日なんですが」
松「あっ、そうだ! 半さん、ネット中継!」
半「… 」
梅「あれ、はぶてた?」
半「… 」
竹「あっ、もう終わってる」
松「佐藤3-1で防衛、棋聖戦6連覇!
梅「強ええなあ、羽生世代」
竹「棋譜、棋譜!」
松「半さん」
半「自分でやれば?」
梅「まだ酒、ぬけてないのかよー!」
半「イテッ! あう! …ほい、棋譜」
松「佐藤のゴキゲン中飛車だ。超急戦の定跡形だ」
竹「この形は、棋聖戦挑戦者決定戦の渡辺・久保戦でもでたよね。だから渡辺明も自信のある形のはず」
梅「△5四歩!」
松「見ない手だなあ。歩切れになるから… 佐藤の新手か?」
竹「新手だね、きっと」
梅「わああ、すごいねこの佐藤の指し方!」
竹「うん」
松「こんな指し方で勝っちゃうんだ、強い!」
半「『将棋世界』の新刊見る? 8月号」
竹「見せて見せて」
半「自分でめくれ」
梅「… 」
竹「ク、ク、キイーッツ、だめだ、くちばしと羽じゃ本は無理だよー」
松「半さん!」
半「やっぱおれがいないと無理か」
梅「性格なおせー」
半「いちばん面白かったのは、棋聖戦の第1局を、佐藤康光と渡辺明の両方にインタビューしてふりかえっている記事なんだけど、ほら、これ」
松「へー」
竹「ふーん」
半「この将棋は、角換り腰掛銀の先後同型ってやつなんだけど、先手が攻めきるか、後手が受けきるかって将棋になる。先手が勝ちって結論がでれば、この形は指されなくなるはずだけど…」
松「いまだ結論がでない」
半「そういうこと。で、先手が仕掛けて、それから、飛車先の歩を交換して、▲2六飛と引く… これが2003年に指された堀口新手だ。佐藤・渡辺戦もこうなった。」
竹「堀口一史座?」
松「ちがう、堀口弘治七段だ」
半「そう」
松「女流の中倉姉妹は知ってるだろ。その師匠だよ」
梅「へえー」
半「で、今日の似顔絵はその堀口弘治七段。」
梅「おっさんだ」
半「おっさんだよ。46歳だから。でも堀口さんは若い時からおっさん顔だったな。この人も解説を生で聞いたことがある。とっても聞きやすい声だったな」
竹「その人が指した新手なの、▲2六飛…」
半「うん。それまでは▲2九飛とか▲2八飛だったけど、どうも先手が攻め続けられない… それが▲2六飛で…」
梅「攻めが続くようになったの?」
半「そうなんだ。で、ことし3月のA級順位戦丸山・郷田戦も同じだ。そのときは先手の丸山さんが快勝している」
松「ということは…先手優勢?」
半「かどうかわからないけど、それっぽい。棋聖戦の佐藤は、丸山さんと同じように指した。ほら、ここ、読んでみて、佐藤さんの発言」
竹「〔本譜は▲1二歩を選びましたが、丸山さんがA級の首がかかった一番で指した手ですから正しいのかな、と(笑)。 何といっても、丸山さんは角換りのスペシャリストですからね。私も相当痛い目にあっていますし(笑)。〕
松「へーえ」
梅「でも、この丸山・郷田戦は渡辺明も知っていたんだろ?」
半「だよね」
松「知っていて、後手番をもって指した、ということは…」
梅「なにか秘策がある、ということになる」
竹「渡辺さんの研究に、佐藤がハマる可能性もあるってことだね」
梅「うん。だから怖いだろう、佐藤さんも」
半「実際、渡辺の研究どうりに進んだ。このあとの、渡辺の△3五角。これでやれるんじゃないか、というのが渡辺のカンだったんだ。」
松「で、佐藤は?」
半「佐藤はそれを見て、びっくりした。それなら▲2三飛成りで簡単に先手が良くなると思っていたから…。だけど、あんまり渡辺が自信をもってそこへ誘うものだから、かえって怖いよね(笑)」
松「でも、結局▲2三飛成りと指した」
半「うん。これでいいはずだ、とね。」
竹「ほんとうはどうだったの」
半「先手がやっぱり良くなったんだ。つまり…」
梅「渡辺明の研究に穴があった…?」
半「穴っていうか、まあ、ここ、読んで。渡辺さんの発言」
「〔村山君と焼肉食べに行っちゃったのが敗因で(笑)。 焼肉なんか食べてないで、さっさと帰って研究すべきでした〕
梅「はは。なるほど」
松「つまりちゃんと研究していたら、あの△3五角は指さなかったと」
半「うん」
梅「でも、そのあとも迫力のある追い込みが続いて、面白かった」
竹「そうだね。この二人はそういう戦いになるね」
松「佐藤が先行して、ドトウの渡辺が終盤力で追い込む、ってね」
梅「竜王戦では、そのドトウの追い込みが成功した」
半「佐藤が先行するのは、佐藤ヤスミツの将棋が『つくる将棋』だからじゃないかな。二人とも終盤力には自信があるだろう。でも、このレベルだと序・中盤で差をつけられたら、終盤の腕力が発揮できなくなる。だから渡辺明のほうは、序・中盤の研究が必要なんだ、きっと。」
松「渡辺は勝負術がすごいと思う」
竹「ウン」
梅「でも、棋聖戦は終わったんだよな」
松「名人戦も… あれ?」
竹「あ、『名人戦をふりかえる』なのに、棋聖戦をふりかえっちゃった」
半「ホントだ。なんでだろ?」
ね「いやー、やってますね!」
梅「… 」
ね「それで、どうなりました、名人戦の話? やっぱ森内の△7二香ですかねえ」
竹「ねのさん…」
松「今日はもう終わりました」
梅「それに君、呼んでないし」
ね「そ、そんなー」
松「じゃ」
ね「えー!」
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硫黄島

2007年07月05日 | はなし
 二宮和也くんを描いてみました。

 硫黄島は、伊豆七島の南に位置する。東京都に属している。いまは自衛隊の基地があるだけで人は住んでいないが、戦争前には1000人ほどの人が住んでいたそうだ。
 「真珠湾攻撃」が1941年12月、アメリカの硫黄島上陸が1945年2月。サッカーでいえば日本が奇襲で先制の1点を挙げ、すぐにアメリカが反撃。圧倒的にアメリカ優勢で、勝ちは動かないんだけど、アメリカにはまだ点が入っていない、アメリカ国民は長引く戦争にうんざりする… というところだろうか。アメリカはまず沖縄を支配下に収める計画でいた。しかしそれにはもう少し時間がかかる。そういう局面で、1944年11月から、アメリカは、B29による日本本土への爆撃をはじめている。これは無差別爆撃(アメリカは公式には認めないが)で、目に見える結果をもとめるアメリカの焦りがみえる。B29はサイパン島などの基地から飛んできて、日本へ爆弾を落とし、またサイパンへ帰っていく。B29にはそれだけの能力があったが、途中、傷ついたりした爆撃機の着陸基地がほしい。そういう意味での「硫黄島取り」であった。本土攻撃を思うさまやられてはたまらない、だから日本も必死でこの島を護ろうとした。
 アメリカ兵が硫黄島に上陸した初日、アメリカ兵は501人が死亡している。こういう数字はアメリカの本国で発表された。日本と違って正直に発表するところがこの大国の堂々としたところだが、その発表に国民は驚いた。勝って当たり前の戦いでなぜこんなに死者がでるのか(たった1日で!)。 そういう中で、『父親たちの星条旗』のテーマとなった「写真」が撮られ、新聞に載った。アメリカ国民はその写真に異様に興奮した。それは、優勢なのに「結果」がなかなか見えないこの戦争で、ついに「1点」をゴールした、というような快感かもしれない。(結局、硫黄島でのアメリカ軍の死者は6821人、傷を負った者は2万人以上となった。)
 『硫黄島からの手紙』の中の、栗原中将やバロン西(オリンピックの選手)という人物は、実在の人物のようだ。渡辺謙が演じた栗原中将は、この映画の中では、物思いに耽りながらスケッチをしていた。これは、どうなのだろう、ほんとうに栗原という人は、そういう趣味があったのだろうか。それを、僕は、知りたくなった。
コメント (2)
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名人戦をふりかえる

2007年07月04日 | しょうぎ
半「フー、なんか調子わりィー」
松「どうしました」
半「土曜日に酒のんでさ」
松「それがまだ残っているんですか」
半「だいたい酒、弱いから。アセトアルデヒドがまだ未処理で。そういう体質なんだな」
竹「どのくらい飲んだの?」
半「ビールコップ3杯…」
梅「えっ、それだけ?」
半「それだけなんだよ。1、2杯くらいなら、と油断して3杯のんじゃった」
竹「よわッ」
半「飲むとろくなことがないね。こころが荒んでくる。他人のちょっとした言動に腹がたって、そいつのセリフがぐるぐるまわって。こっちもケンカはしたくないからそれ以上そのことには触れない、けどそうすると、そいつは自分が俺をこんな気分にしたことをまったく気づかずにいるわけだ。それがもまたイライラさせる。俺はビールを3杯しか飲んでいないのに、その3杯は3杯ともそいつが注いだとおもうとそれがまた腹たって…」
松「そりゃ、飲まないほうがいい」
半「そうだろ。わかってんだけどね。酒の味は好きなんで、つい…」
竹「えっと、今日は名人戦第7局をふりかえるということで…」
梅「そうそう」
半「居酒屋ってどうしてコーヒー飲めないのかねえ。それもイラつかせるんだよなー。だってね、俺は酒のめない、タバコも数年前にやめたから、飯食ったあとはコーヒーで落ち着きたいんだよ。なのにコーヒーのメニューはない。持ち込むわけにはいかんだろ? なのに別のやつは酒のんでタバコ吸ってしゃべりたいことしゃべって… くっそーっ、てわけさ」
梅「名人戦…」
半「そう、名人戦! その話ができるやつもいない、そういう席で4時間、長いよー。そのあとカラオケいったそうだけど、俺はかえったよ。帰って借りていたDVDを見た。でもさー、やっぱ酒はいっていると集中度が低いから何回も巻き戻して…」
竹「なに観たの?」
松「あッ、聞くなよッ」
梅「…」
半「『父親たちの星条旗』。 硫黄島の戦い、太平洋戦争の話だ。硫黄島の戦いは、もう日本に勝ち目はなくてね、日本をまもるのに大事な島なので2万人の兵を送ってまもろうとしたんだけど」
梅「ああ…あ」
半「アメリカのほうは圧倒的な兵力を送って…。日本は、でも、もうそれ以上は援軍を送れないから、でも守り抜けって指令がくる。で、結局ほとんどの兵隊が、穴のなかで死んでしまう。でもさあ、アメリカの兵隊だってたくさん死んでいる。日本人は勝ち目のない戦いで、ほぼ全員が死んで、でもアメリカ兵は、前線の人たちだけ死ぬ。アメリカ兵は死者5千人だったかなあ。勝ちいくさなんだけど死んでいくってのも、つらいなあって思ったよ」
松「… 」
竹「で、それを観て寝たんですね」
半「うん。寝て、起きて、NHK杯観た」
梅「ああ! 面白かったねえ、中田功阿久津主税戦!」
松「うん。面白かった。藤井の解説がまた…」
梅「わらったなあ。『これはプロなら一目で詰みとわかります。阿久津五段の勝ちです。でも、あれ? ほんとに詰んでいるのかなあ。やってみましょう。あれ? つんでないですね、逆転です』って」
竹「あんときの、逆転された阿久津さんの顔!」
半「中田功は、トシとるにつれ、かっこよくなるね。背が高いのがいいな」
松「中田さんの次の対戦がたのしみだ」
半「それであの日は、そのあと…」
梅「あ、もういいです、それは」
半「読みかけの本を…」
竹「本のタイトルは?」
松「バカ、聞くなって!」
竹「ご、ごめん」
半「山崎豊子の『大地の子』。これがまたかわいそうなっていうかつらい話で…」
梅「はあ…」
松「名人戦…」
半「主人公は陸一心っていうんだけど、中国の戦争孤児でさ、もとは日本人なんだけど、中国人に育てられて、この中国人がいい人でさあ、それで大学にも行って優秀な成績で、鉄鋼の高炉を開発する仕事につくんだけど、文化大革命の時代で、ラジオをもっていたということで、取調べをうけるんだ。ラジオなんてだれでも持っていたんだけど、陸一心は日本人だってことで、そのラジオを使ってスパイをしているだろうって言われるんだ。新型の高炉の情報を日本へながしたってことで。陸一心は日本語さえ話せないんだけど。そのラジオにはそんな機能はないし、だいたい新型高炉っていっても、日本の高炉のほうがずっとすすんでいたのに。そんな感じで捉えられ、親にもそれを伝えられない。で、拘束されているうちに、脱走幇助の罪とか、どんどん罪をかぶせられて奥地へ送られていく…」
竹「わーん(泣)」
梅「うおー(泣)」
松「もう、もうやめてくださいー(泣)」
半「な、悲しいだろ。まだ全体の5分の1読んだところだけど。でもこの中国人の養父がいいひとなんだー。」
ね「あっ! おくれて、すいませーん!」
竹「あ、ねのすけさん」
梅「呼んでないし。」
ね「いやー、名人戦第7局をふりかえるんですか。それで、どこまで話たんですか? え? どこまで?」
梅「…」
竹「…」
松「なんか…」
梅「疲れちゃったなあ…」
半「そうだねえ」
松「そうだねって… アンタが…」
ね「え、どうしたんです?」
松「なんか…」
竹「今日は、やめますか」
梅「そうだな」
ね「えーっ!! なんでですか、なんでですか!?」
半「うーん、なんでかな。でも、やめるか」
松「じゃあ…、解散!」
ね「なんでーッ!」
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