はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

熊の冬眠

2007年12月31日 | ほん
 24日に「贈与の霊」の話を書きました。その日に読んでいた本が中沢新一著『愛と経済のロゴス』。
 さて、クリスマス・イブの日に贈り物どうのこうのという年齢ではないんですが、今年一つだけもらった「贈り物」があります。従妹が送ってくれた画像付メール。この画像というのが「テディ・ベア」の絵。「なんじゃ、こりゃ」意味不明、と僕は思いました。このイトコというのが、以前に書いたピカソ好きの従妹ですが。この女、フツウの主婦なのにときに「謎」をちらつかせあなどれません。

 27日の記事で中沢新一の同じシリーズ『人類最古の哲学』から、「豆」の話をしました。その時はその本のまだ3分の1しか読んでいなかったのですが、読み進むと『シンデレラ』の民話のことが書いてありました。
 私達が知っている『シンデレラ』の物語は、妖精が出てきて魔法でかぼちゃの馬車を出すというバージョンですが、これはフランスの作家シャルル・ペローが書いたもの。実際は他にも色々なバージョンとあるといいます。シャルル・ペロー版は上流階級のお嬢様向けに書いたもののようです。
 グリム童話版では、妖精ではなく、「豆」と「鳥」と「ヘーゲルの木」がその役目を果たします。灰かぶりの少女(シンデレラ)が継母に「豆」をばらまかれてそれを全部拾うように命じられるのですが、それを鳥たちがたすけてくれます。そうやって徐々に灰かぶりの少女は「精霊界」と仲良くなり、その後「ヘーゲルの木」が舞踏会に出る知恵を貸してくれるのです。それが「王子様」との縁をとりもってくれます。「ヘーゲルの木」というのはケルト文明では聖なる木とされていて、生の世界と死の世界をつなぐものだったそうです。
 ポルトガル版『シンデレラ』では「魚」。
 そんな感じで400以上の『シンデレラ』の民話があるんですが、もともとはシンデレラは「精霊世界」と「この世」をつなぐシャーマンだというのです。「この世」にはない「知恵」をもたらすものですね。
 そして、世界最古の文書の記録にある『シンデレラ』は、なんと中国にあるんだそうです! しかもそれを発見してヨーロッパに最初に発表したのが、日本人南方熊楠(みなかたくまくす)なんですって。そしてこの中国版『シンデレラ』で「精霊界」と「王子様」の仲介役をするものは、「金の目の魚」なのだそうです。
 ん?   金の目の魚! 
 僕はその本のその箇所を28日に読み、はっと気づきました。前日27日に「金目鯛」を食べ、そのタイトルの記事と絵を書いている!  …こういうふしぎなことが起るからやめられないんです、「本」は! アア、不思議だなぁ。
 こんなふうになにかがグイグイ僕を「本」の深みにひっぱって行くのです。…どこまで行くのでしょう? わからない… 


 その中沢新一著『人類最古の哲学』を読み終わったので、昨日、そのシリーズの続編を読み始めました。その本のタイトルは『熊から王へ』。 …んん、熊?
 「熊」という人間に人気者のこの動物は、山の森のヌシです。寒冷地に住み、冬は穴にこもって冬眠します。冬のあいだずっと眠って夢を見ます。
 そんな「熊」の、古代でのイメージは「シャーマン」だというのです。「この世」と「あの世」、「人間界」と「自然界」、「かたい」世界と「やわらかい」世界、それらを結びつけるのがシャーマンです。
 人間は熊を食べ、(イメージの中で)熊に食べられます。
 ここではっと気づきました。「熊… あっ、テディ・ベア!!

 そういうことか! と、妙に納得したのでありました。うーん、そういえば今の僕の生活は、「人間界」から離れて「穴」の中で暮らしている冬眠中の「熊」のようです。
 なるほど、今のおれは「冬眠中の熊」か!
 「本」を読む…それは夢の世界にいるということか! その「夢」のなかに、時どき現実が交じってくるわけだ。夢の中なら「ふしぎ」が起ってもふしぎじゃない。それなら…時期がくれば…春になれば、目も覚めるだろう。じゃあ、いいさ、ウン、もうすこし眠っていよう…。
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村山慈明五段

2007年12月30日 | しょうぎ
 村山慈明(むらやま やすあき)五段、23歳、東京都出身、桜井昇門下。

 今期の成績は、27勝7敗、すばらしい成績です。村山さんは、渡辺ブログにも、渡辺明竜王の友人としてよく登場しているようです。
 村山五段は今年新人王戦で優勝しました。これは25歳以下の若手の中で(竜王である渡辺明を除いて)頂点に立ったことを意味しています。
 ただ、その割には目立たなかったのは、新人王戦の決勝戦がネット中継されなかったこともあるでしょう。この棋戦の主催は赤旗ですが、日本共産党は昔から将棋・囲碁に理解のある党です。なのですが…思想とともに組織が老化してきているのでしょうか。(いや、失礼。)

 昨日の記事では、村山慈明-大内延介戦の結果を書いていませんでしたね。
 「真部の4二角」を指した大内九段。それに対し、先手の村山五段は困りました。どうやっても先手が不利になってしまいます。考えた末、いちばん粘れる手を指しました。
 大内優勢。苦しい村山。
 村山さんにとって重要な対局でした。4勝1敗。ここで2敗目を喫すると今期の昇級は難しくなります。
 僕はネットでリアルタイムで観ていました。大内さんが勝つだろう、と思いました。そういう流れでした。真部さんのこともありましたしね。
 ところが、大内さんは気合良く指しすぎました。一瞬で逆転、村山五段が勝ったのです! 勝った村山、5勝1敗。(次の対局も勝って現在6勝1敗)
 僕は「真部の4二角」を升田幸三みたいだ、と書きました。升田さんは、まだこれからという将棋の序盤で「あとはどうやってもこっちの勝ち」という局面を素早く作り出すことに全力をあげる人でした。そこまでが天才の本当の「仕事」で、その後の闘いは「遊び」のようなところがありました。それで終盤に気がゆるみ、逆転負けということも多かったのです。そういう場合の勝者はだいたい大山康晴名人でした。そういうところも含めて、この村山-大内戦の後手は、まさに升田さんの将棋のようでした。
 そうすると結局勝利を手にする「大山役」を、村山慈明五段が演じたことになりますね。

 僕のブログでは、村山慈明さんは他にももう1箇所出てもらっています。4月26日上野裕和五段の順位戦昇段の記事ですが、トップを走っていた村田智弘五段が敗れて上野さんが昇段したという内容です。その村田五段に土をつけた男が、彼、村山慈明五段なのです! この時の将棋も、村山さんは不利でほとんど負けの状態でした。それを、自分は昇段には関係ないのに、がんばって指し、逆転勝ちしたのです。
 この村田戦といい、大内戦といい、重要な印象深い対局で村山さんは主役ではないのにこっそりと登場し、苦しい勝負を勝っている。渋いヤツです。じつはスター棋士の「輝き」をかくし持っている男なのかもしれません。

 さあ、そんなふうに今期のC級2組順位戦を見てみますと、これからが面白そうですよ。昇級レースは7局目を終え、次のようになっています。

  全勝 佐々木慎 五段 ←11月28日記事
  1敗 阪口 悟 五段
     村山慈明 五段 ←今日の主役
     横山泰明 五段
     遠山雄亮 四段
     豊島将之 四段 ←昨日も登場
  2敗 村田智弘 五段 ←9月10日記事、4月26日記事
     川上 猛 六段
     佐藤和俊 五段 ←12月14日記事
     高野秀行 五段
     藤原直哉 六段
     矢倉規広 六段
     田村康介 六段 ←9月10日記事

 残り3局、上位3名が昇級です。村山五段は3番手、3戦全勝ならば昇級です。2敗の村田、佐藤は届くのか? 17歳新人豊島の一気の「まくり」はあるのか?
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真部の「4二角」

2007年12月29日 | しょうぎ
 これが真部一男九段の「4二角」です。この図は、きっと伝説になるでしょう。
 このブログでの将棋記事は、「将棋はくわしく知らないけど興味はある」という読者を念頭に入れて書いています。将棋ファンはもうこの「真部の4二角」は知っているでしょうけど、知らない人に向けて書いてみます。

 10月30日はC2クラスの順位戦の日で、真部一男八段は豊島将之四段と対戦しました。豊島四段は今年プロデビューした最年少17歳の棋士。なんと8割以上の勝率で勝ちまくっています。その豊島四段の勝ちっぷりについてはまたあらためて紹介するとして、ここでは主役は真部さんです。
 先手は豊島四段。後手の真部八段はゴキゲン中飛車。
 ところがわずか33手、まだ闘いにも入らないうちに真部さんは投了してしまいました。体調がわるく、そのまま入院。そして11月24日、この世を去りました。
 その豊島さんとの対局は、真部八段が△5一飛とし、豊島四段は▲6七銀、そして真部さんが投了したのです。そんな場面で「負けました」と言うのですからよほど具合がわるいのだとわかります。真部さんの弟子である小林宏六段も同じ日に対局していましたからずいぶん心配したはずです。
 そのまま真部さんは亡くなったので、その豊島戦が真部さんの「絶局」となりました。序盤の、まだ闘いはこれから、という局面が最後の将棋になったのですから、周囲の棋士たちも私達ファンもちょっとさみしい感じがしました。その局面も、真部さんの指した△5一飛がへんな手で、後手の真部さんがよくないとされていました。

 ところが、そうではなかったのです。シビレル後日談が用意されていました。

 弟子の小林六段に、ベッドの上で真部一男はこう言ったというのです。
 「あそこで4二角と打てば俺の方が指せると思う」
 それが上の図の、「幻の4二角」です。これは33手で投了した対豊島戦の投了図から、34手目を指した局面になります。この角を打って、飛車を9筋にまわれば、後手が優勢だろうというのです。なるほど先手は防ぎにくい…。こんな手があったか!
 真部さんにはそれが見えていた。こう指せば優勢だと。その前の△5一飛は△4二角のための準備なのでした。では、なぜ指さなかったかというと、あそこで真部さんが△4二角と指せば、先手は苦しくなるから長考する…それでは身体がもたない、だから投了したというのが真相だったのです。
 そして真部さんは小林さんにこう言いました。
 「誰か指してくれないかな。君は飛車を振らないからな」
 小林さんにこの手を指してほしいけど、小林さんは中飛車を使わないから…という意味です。

 11月27日、C2順位戦。
 この日は真部さんの通夜の日だったそうです。真部さんは不戦敗。小林さんは佐藤紳哉六段と対局。
 午後6時になると夕食のための休憩時間となります。小林さんは他の人の対局を気分転換なのか観てまわりました。特別対局室に入ると、そこには大内延介九段が休んでいました。大内さんは元A級66歳の大ベテラン棋士、左利きの振り飛車党で、今日は村山慈明五段(23歳)と対局です。
 小林宏六段はその村山-大内戦を見て驚きました。「まさか!」 小林さんはその対局の棋譜を調べました。「同じだ! 大内九段が△4二角を指している!」 見間違いかと思い、小林さんはもう一度特別対局室へ…。こんなことがあるのか…! 「誰か指してくれないかな」とあのとき師匠は言った…。

 その時、控え室ではその話題でもちきりだったそうです。大内九段は果たしてこの「真部の4二角」を知っていて指したのか? (実は知らなかった。偶然指していたのだという) 
 では先手の村山五段は? 村山さんは「真部の4二角」という好手があることを聞いて知っていたのだそうです。その角を打たれると不利になる…ところがそれがわかっていながらなぜかふらふらとその局面になってしまったのだという。(この情報は片上大輔五段のブログから)

 しばし放心状態だった小林宏六段は自分の対局場に戻り、熱いお茶を飲み、そして「姿勢を正し、今日は変な将棋は指せないなと座りなおした」 と『将棋世界』に書いています。
  

 それにしても…、このような筋書きは、小説家でもなかなか思いつきませんね。見事な最期としかいいようがありません。
 真部さんが『将棋世界』に連載していた「将棋論考」は、升田幸三の将棋がいちばん多く紹介されていたと思います。「真部の4二角」は、升田さんが得意としていた「自陣角」を彷彿させます。いやあ、何度見ても、かっこいい。 「どうじゃこれでワシの勝ちじゃ」と。
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野田澤彩乃女流

2007年12月28日 | しょうぎ
 今日書店に並んでいた『将棋世界』2月号から、野田澤彩乃(のださわ あやの)女流1級の写真を見て描きました。女流棋士5人の京都のイベントでの舞妓の白塗りメイクの様子が写真になっていたのですが、その中から彼女を選んだ理由は、ずばり、似合うから。美しいから。こういう和風のメイクが似合う顔ってあるんだなー、と感心して眺めました。この5人の中には、女流名人の矢内理絵子さんや山田久美さんもいたんだけど、彼女らのようなほりのある顔だと白塗り日本髪は(正面からみるととくに)さびしげに見えてもの足りません。あんなに美人なのに。一方で、野田澤さんの丸くてのっぺりした顔がすごく美しく映えています。(あれ? 僕、失礼なこと言ってます?) 「日本美人」は目が細くうりざね顔、といいますが、なるほどと納得したのでありました。
 野田澤彩乃さんは埼玉県出身24歳。彼女のブログ(→胡蝶の夢)では、詩的でちょっぴり悲しげ(?)な風景写真を載せています。

 ところで、この『将棋世界』2月号は先に亡くなられた真部一男九段の特集になっています。指さなかったけどじつは用意していたという幻の「4二角」の話はカッコイイですね! ほんと、かっこいい「自陣角」だ。升田幸三か坂田三吉みたいだ。
 真部さんはずっと左手で指していたんですねー。真部さんがプロになった頃に「右脳」のことがブームになって(いまでは常識になりましたが)、それで右脳を使うために左手で指し始めたと、昔の『将棋世界』で読みました。理屈っぽくて統計好きなところもおもしろい。それも「男」の特徴ですしね。ですが、逆立ち歩きが得意だったとは知らなかったです。

 羽生さん、9連勝。そして棋王戦の挑戦者に。絶好調ですね!
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金目鯛

2007年12月27日 | はなし
 半年前から「本」の世界に魅かれて、昭和を遡って大正時代、そこから地球の裏側の地中海・中東・アフリカ世界へ行き、さらに時間を遡って古代へと…。ふかく潜って、このごろほとんど人と話をすることがありません。他者の目から、「僕」という存在はどう見えているのでしょうか。いったい僕はどこへむかっているのでしょう。自分でもわからないのです。

 中沢新一の本『人類最古の哲学』の中に、「豆」のことが書いてありました。それによれば、神話の世界で「豆」というのは特別な位置にあったようです。
 「豆」というのは、あるときは、女性性器のクリトリスを意味しています。これは「やわらかい」女性器の中でいちばん「かたい」男性的な部分であります。で、同時に、「豆」は、男性器の睾丸を示すことも多い。それは「かたい」男性器の中の「やわらかい」つまりいちばん女性的な部分なのです。このように「豆」は男性と女性、「かたさ」と「やわらかさ」をつなぐ魔術性をもっているというんですね。
 ですから、昔の正月のお祭りである「節分」に、「豆」を鬼に対して撒くというのはすごく象徴的な儀式なのだそうです。人間の世界を「かたい」世界だとしたら、精霊の世界はみえない「やわらかい」世界です。それをつなぐのが「豆」。精霊世界の「鬼」にたいして「豆」を投げるのは、鬼に「豆」をごちそう(つまり贈与)しているわけです。そうすることで、逆に精霊の世界から「何か」をもらう。「何か」というのは、生命力とか元気とかそういう人間にはつくりだせないもののことです。
 人間のつくったものは、時間とともに「かたく」なっていきます。正しいものはより正しくなっていき、でも「息苦しく」なってつまらないものになっていきます。がんばると人間は「かたく」なっていくのです。それを「いきいきしたもの」にする、つまり「やわらかく」するためには、精霊の世界の力を借りるしかないのです。そのつながりを保つための「豆」の魔法なのですね。

 二日前、街の商店街を歩いていると『渋谷さん』さんに会いました。『渋谷さん』と仮にここで呼ぶことにしますが、それは彼と僕の出会いが妙に渋谷(渋谷区のシブヤです)に関わっているからです。で、『渋谷さん』が正面むこうから歩いてくるのを見ました。2メートルほどの距離になり、僕は「こんにちわ」と挨拶をしました。ところが『渋谷さん』は、僕を見てもぽかんとしています。それであと2回「こんにちわ」と言ってそれで『渋谷さん』は「僕」を認識したようです。「僕」という人間は、本の世界にもぐりすぎて姿が消えかけているのでしょうかねえ。
 『渋谷さん』は年上の将棋友達です。彼と僕とは数年前に「ふしぎな出会い」をしました。それについては今日は省略しますが、その出会いがあって、僕は地元に古くからある「天馬会」という将棋の会に入れてもらいました。そういう間柄です。時々ですが、二人で将棋の話を何時間もすることもあります。
 ところが今年の夏から、僕は本ばかり読んであまり人付き合いをしていません。将棋の会にも行かなくなりました。今年はどの忘年会等も(もともと苦手ですし)まったく出席するつもりもありません。でした。そのときまでは。
 『渋谷さん』に「こんにちはー」とだけ挨拶して、僕はすれちがいそのまま歩いて行こうとしました。すると数メートル離れた後、『渋谷さん』は「あっ、そうだ」と言って僕を呼びとめました。そして僕を「天馬会」の忘年会に誘ったのです。僕は断るつもりでいました。ところが「今年はお金いらないんだよ。会費が余っているから。あんたも会費払っているんだし。明日の夜7時、あそこの居酒屋で。おいでよ、言っておくから。」 この将棋会の忘年会には2度参加したことがあります。でもそれはいずれも5千円を払っていました。それが今年はタダだというのです。
 そのときはあいまいに返事をしたのですが、あとで僕は「行こうかな」と思い直しました。けっして「タダだから得だ」そう思ったわけではなく…

 中沢新一の「贈与」の話の中で、「純粋贈与」ということを説明しています。
 私達の世界での「交換」(売買)や「贈与」は、有形の物を「移動」させます。ところが「純粋贈与」というものは、精霊世界から人間世界に贈与された「ふしぎなちから」のことです。たとえば「子供の明るさ」。あるいは、大地の恵みとしての食べ物。ここには「無」から「有」を発生させる魔法が働いています。そうしたことを「純粋贈与」というわけですが、それを維持するシステムとして、クリスマスや節分の豆蒔きの儀式があるわけです。
 エジプトでは「ナイルの恵み」があります。これが「純粋贈与」です。ナイルには「ナイル暦」というのがあります。エジプトには雨が降らないのに毎年ナイル川は増水する。これが栄養たっぷりの土を運ぶ「ナイルの恵み」ですが、増水とは洪水でもありますから準備をせねばなりません。その増水が始まる時期というのが、明け方にシリウスが輝き始める時期と一致していました。シリウスの出現が合図となってナイル川の農民達は川の増水に準備したのです。それでナイル暦は「シリウス暦」ともいいます。
 現代人は「努力」ということをよく言います。たぶんそれしか知らないからでしょう。僕にはそれが貧弱な思想に思えます。「努力」では得られない「みずみずしいなにか」を純粋贈与してもらうための「祭り」は、きっと個人の努力などよりずっと、古代の人にとっては大事なことだったのです。

 で、『渋谷さん』との話に戻ります。
 僕は『渋谷さん』の宴会への誘いを、これは「純粋贈与」だ、と思ったのです。
 僕と『渋谷さん』が商店街で(半年ぶりに)出会ったのはまったくの偶然です。しかしそれが宴会の前日。こういうことに僕は「ふしぎさ」を感じるのです。笑われそうですが。
 もし『渋谷さん』が僕に電話をかけて、明日忘年会があるから来ないか会費はいらないよ、と教えてもらったとしたら、ここにはまったく「ふしぎさ」はありません。それなら、僕ははっきり断っています。ところが現実は、僕も、『渋谷さん』も、なにも考えていなかった。ここが重要な点です。『渋谷さん』と僕はたまたま宴会の前日に出会った、この小さな出会いがなかったら何も起らなかったわけです。「無」であったはずなのです。それが出会いによって『渋谷さん』が宴会のことを思い出しそれが偶然に前日だったので僕にそれを告げた。その瞬間に、「無」から「有」が出現したのです。
 「これは人間わざではない。純粋贈与だ!」

 それで昨日僕は宴会に出席しました。ごちそうが目の前にあります。前日まで宴会のことなど何も考えていなかった僕の目の前に料金タダのごちそうが存在しているという「ふしぎ」。 お金自体は僕も幾分か払っている会費からのもの、そこにはふしぎはないのですが、前日に『渋谷さん』と通りで会わなかったら、僕はごちそうのことなど知らないのですから。「無」が、偶然という仕業によって、「有」になったのです。まさしく「純粋贈与」です! (←くどいナ~! 理屈っぽいナ~!)
 最近の居酒屋のコースメニュウはどこかフランス料理のコースと似ていますね。初めにサラダが出てきて、最後はアイスクリーム。メインは金目鯛でした。お腹いっぱいになりました。
 この将棋の会の忘年会は、年間最優秀者のカップ授与式をかねているのですが、今年の優勝者はなんと『渋谷さん』。僕はびっくりしました。なぜってこれまで『渋谷さん』はそれほど勝っていなかったからです。僕が将棋をサボっている間に突然好調になったらしいのです。『渋谷さん』はおそらく優勝カップを手にするのは人生初のことで、見かけ以上に心の底でうれしいことでしょう。おめでとうございます、『渋谷さん』。 僕をこの会のメンバーにしてくれた『渋谷さん』の晴れの日にすべりこみで立ち会えたというのは、やはり「贈与の霊」のしわざとしか思えないのです。

 僕は新聞をとっていないのですが、今朝、郵便受けに毎日新聞が。放っておいたら夕方には夕刊も。 これも「純粋贈与」? いやいやいや、これはちがうでしょう。
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贈与の霊

2007年12月24日 | はなし
 スーパーやコンビニへ行くと、プラスチックのお供え餅を売っているが、あれはどうなのか。神様はプラスチックでもイメージで腹がふくれるのでしょうか。なにもしないよりしたほうがいいのか…? うーん…

 中沢新一氏の「贈与」に関しての著作を読んでいます。
 クリスマスも正月も、基本は「冬至の祭り」。人間と精霊の世界が最も接近する日です。日本のお盆は冬至ではないけれど、意味合いは同じでしょう。
 中沢氏によれば、「贈与」と貨幣による「交換」の違いは、「贈与」(プレゼント交換のことです)によってそこに「贈与の霊が動く」ところだという。まあつまり、「愛」が動くのです。
 ですからクリスマスは、人間と精霊が最も接近する日に、精霊に対してプレゼントをすることで、「贈与の霊」の活動を活発にして、世の中を元気にするという目的があります。お盆のお供え物と同じように、クリスマスも精霊にプレゼントをしていたのです。それがだんだん人間同士での交換になっていった。そうすることで、もともとは精霊世界とのおどろおどろした接近の日だったクリスマスが、明るいとっつきやすいものになりました。けど、その分、精霊と人間は遠くなって「贈与の霊」の動きは弱くなります。
 子供というのは人間の中でも精霊の世界に近い存在ですから、まあそれで、精霊のかわりに子供にプレゼントをするのです。初期のクリスマス祭りは子供たちが精霊代理として大人から贈り物を「強奪」していくというものだったという。そういえばうちの田舎にもそのようなお祭り(えびす様と呼んでいた)がありました。
 そう考えると、男と女の恋人のプレゼントというのは大人の人間同士で「閉じられた世界」での贈与ですから本来の目的としてはあまり意味がない。本来は、「精霊たち」に活発になってもらって、世の中を、より楽しくダイナミックなものにしてもらうという、社会の「エンジンシステム」としてのお祭りですから。
 ですから、クリスマスケーキを買って(できれば自分でつくって)、野山に持って行き、カラスなどに食べてもらう、というのが日本人流の正しいクリスマスなのではないか。…などと考えつつ、僕はなにもしません。  メリークリスマス! 晩飯は野菜炒めじゃ。

 東の空から「満月」が昇ってきましたよ。そのななめ上には「火星」が見えます。お月見お月見。メリークリスマス!
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スカンク

2007年12月23日 | まんが
 昨夜、注文していた『ララ・ハート』全3巻が届きました。一週間で届くとは…僕はネット注文で本を買うというのはこれが初めてなのですが、便利ですねえ! しかもこの本は、注文を受けてから印刷・製本するんですよ!
 さて、『ララ・ハート』ですが、ええ、やっぱり、いいです、これ。ララ・ハートはイギリスのローズ製薬の社長の娘。そのお嬢様がアメリカ・ロサンゼルスの寄宿舎にやってくるところから始まる「学園もの」なのですが、その後日本・シンガポール・エジプトと舞台を世界に展開するスケールのでかい「学園恋愛マンガ」です。
 登場人物のやることもでかい。
 前にも述べたように、日本人ムサシとの恋愛ストーリーですが、ララ・ハートに横恋慕するポリックという男は、親の財産力(ララの家以上の金持ち)を使ってララに婚約をせまります。それでもうまくいかないとわかると、ララとムサシがエジプト行きの飛行機に乗りこんだとき一緒に乗り、かばんの中に時限爆弾を用意して、爆発の寸前に自分とララだけパラシュートで脱出するという計画を… どうです、スケールがでかいでしょう? 学園恋愛マンガですよ、これ。 
 上の絵は、ララのかわいがっているスカンクのモンローちゃん。これはマンガだからいいとして、スカンクって頑張れば飼えるのでしょうか?(どうでもいいが)


 長い間探し求めていたものが、いま、手もとにある。 …これって、「旅の終わり」を示しているようにも思うのです。うまく言えないのですが。僕のなかで何かが終わりなにかが始まる…そんな予感もしています。


 ところで、最近、本を読むのがおもしろくて。(半年前から。) ただ、その面白さを一々ここで発表するにはとても多すぎて無理。なのでそれはもう、あきらめるしかないと思います。じゃあどうすりゃいいのさこのブログ? ど、どうしましょう?
 実はいいかげんにもう本を読むのはやめて、絵を描くことに集中したいという願望があるのですが、なかなか思うようにいきません。エジプトの話はこれでおしまい、というつもりでいても、まだまだ面白い話がぞくぞく出てくる。困ったなあ。将棋も指していないな、この頃。というか人とほとんど話していない。大丈夫か、オレ。

 将棋の話、しますか。
 この前、羽生さんが久保さんに勝って(A級順位戦とNHK杯)8連勝ですね! 羽生さんは棋王戦の挑戦者にもなりそうだし(棋王は佐藤康光)、名人位も本気でとりかえそうと燃えている気がします。 あっ、そうそう、プロ通算1000勝でした!
 あと、女流のマイナビオープン、優勝して500万円を手にするのは誰?
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世界の中心で卒業を叫ぶ

2007年12月22日 | はなし
 「カイロの日本人娘」とは現衆議院議員小池百合子さんでした!

 カイロ大学を卒業した日本人は小池さんが二人目、日本女性では初、ということです。ううむ、「小池さん」というとどうも「おばQ」のラーメン好きのあの人を思い出してしまう。ここでは「百合子さん」と呼ぼう。

 20代娘の百合子さんは5年目、ついにカイロ大学を卒業しました。さあ、仕上げはあの大切な儀式、高いところでヤッターと叫ぶ儀式です。目指すはピラミッド頂上!
 目をつけたのはクフ王のピラミッド。友人二人をカメラマンと荷物運びとして雇い、早朝5時に出発。いでたちはジーンズにテニスシューズ。
 20メートルほど登ったとき、下から警官の声が。「おーい、ピラミッドは登っちゃいかんのだ」
 百合子「知ってますよーだ」 ここでやめるわけにはいかない。
 警官「こら、聞こえんのか」
 百合子「1ポンドでどう?」
 警官「だめだ、5ポンド払え」
 百合子「じゃあ、3ポンド。とにかく登ってから払うわ」
 警官「よし。3ポンドだぞ。じゃ、気をつけてな」
 そうしてついに頂上征服! やった! 百合子さんはここで荷物係からかばんを受けとり着物に着替えた。振袖だ。風呂敷をひろげ、茶器を取り出し、お茶を入れた。格別の味だ。「振り袖日本人娘早朝のピラミッド頂上でラアの神(太陽)にお茶を差し出す」の図。パシャ、記念写真。
 そしていつもの儀式。「やったー! ワアーッ!」と大声を朝日にぶつける。
 そんな最高の気分に浸っていると、下から声が。「おーい、まだかー?」警官の声だ。急いでジーンズに着替え、登った面とは反対側から10分でピラミッドを下った百合子さん、3ポンドは払わず逃げ帰ったのでありました。

 これは小池百合子著『振り袖、ピラミッドを登る』に書かれているエピソードですが、この本にはおもしろいエピソードが他にもあるので、いくつか紹介しましょう。

 カイロ大学の入学手続きのために学生課に出向いた百合子さんは、担当のおばさんにこう言われた。
 「名前が一つ足りないわよ
 百合子「ちゃんと、ユリコ・コイケと書きましたけど」
 おばさん「二つしかないじゃない。足りないと困るんだけどね」
 百合子「困ると言われても、親がつけた名前なんです、これ」
 つたないアラビア語で説明するがガンとして納得しないおばさん。「ようく考えて思い出しなさい
 思い出しなさいと言われてもねえ(笑)。
 アラブの名前は真ん中に父親の名前がつけられている。それで百合子さんは、考えた末、「ユリコ・ユージロー・コイケ」と書いて再提出。すると…
 「そうそう、これでいいの。自分の名前ぐらいは、しっかりと覚えておきなさいな

 それから、試験。まずおもしろいのは試験の最中に紅茶やコーヒーが注文できること。
 そして全校で一斉に行われる進級試験…今日の問題はむつかしそうだと百合子さんが思っていると… 「キャー」と叫び声が聞こえたり、筋肉マンの男子学生が突然、試験用紙を持ってうしろにひっくり返ったり。百合子さんは、初めエジプト人は大げさで芝居好き…と思っていたが、どうやら芝居ではないらしい。あるとき男子学生が泡を吹いて気絶するのを見て、これは本物だとわかった。続いて前方の席でも別の女学生が気絶。二人とも担架に運ばれていった。難しい試験問題を見て気絶するエジプト学生たち…。

 百合子さんの在学中に、エジプト・シリアとイスラエルとが戦争になった。戦場はスエズ運河。カイロからも近い。戦争のために大学も休校状態。
 テレビやラジオではエジプトが優勢のようだ。しかし、大家のおじさんはニュースはいい加減だから信用できないという。百合子さんは、日本語の新聞も読んでみた。するとエジプトのニュースとはまったく逆の内容だ。大本営という言葉を、彼女は連想した。しかし、日本の記事が正しいかというと、これも問題だと百合子さんは知る。エジプト人の友人がこう言うのだ。「世の中に中立な記事なんかないよ。きみの読んでいる日本の新聞はきっとユダヤ人の影響下にあるんだ。」 結果から考えると、たしかに日本の新聞は、「イスラエル寄り」の内容だった。
 私達が日本で得ている情報は、じつは中東に関してはほとんどがアメリカやイスラエルの色眼鏡が入っているらしい。(APやUPI通信はユダヤ人の創設である。) あれを公平な記事と思ってはいけないのだ。曇りない目でものを見るというのはむずかしいですねえ…。

 小池百合子さんの、政治家としての行動には、僕には理解できないところも多いです。それはまあ、僕が無知だからでもあるでしょう。ただ、彼女の堂々としたところはかっこいい。その自信はきっと、カイロ大学でアラビア語を学んだというところにあるのだなあ、と思うのです。僕ももし人生を高校時代からやり直せるなら、カイロ大学へ行ってみたいですねえ。アラビア語って、右から書くんですよね。あの文字を右から左へスラスラ書くところをナマで見てみたいです。
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カイロの日本人娘

2007年12月18日 | はなし
 ナセルは国民の圧倒的な支持があった。それだけでなく「アラブの英雄」になりつつあった。するとナセルのエジプトを脅威に思い始めた周辺国が、徐々にナセルに背を向けはじめた。彼が1967年にパレスチナ問題を一気に解決しようと行動を起こした時(第三次中東戦争)、これはうまくいかず、政治的失敗を認め責任をとって大統領を辞任すると発表した。すると、「やめないでくれ、俺達を見捨てないでくれ」と泣いて歩く10万人以上の国民のデモが起ったのである。ナセルは辞任を取り消した。
 ナセルはアスワン・ハイ・ダムを建設し、ナイル川を安定させた。しかし何事も良い面と悪い面がある。アスワンダムを造ることで、ナイルの恵みである肥沃土が堰き止められてしまい、その土壌がダムに蓄積してきて憂慮されている。
 ナセルの一番大きな仕事は、エジプト国民に誇りを与えたことだろう。学校の数を増やし、アラビア語への尊厳の自覚を国民にうながした。その当時のエジプトでは、フランス語が一流社会の言葉となっており、アラビア語には劣等意識がつきまとっていたのだ。ナセルは、広場で、「エジプト方言」で演説した。その演説のピークをなすのが、例のスエズ運河国有化宣言である。
 愛された英雄ナセルは1970年に没した。その後をサダトが継いだ。

 さて、その頃、日本で、アラビア語に興味を持った10代の娘がいた。高校生だった彼女は、「アラビア語を学びたい」と思う。その思いはどんどん強くなり、大学に入学した後、ついに両親を説得してエジプトへの留学を決心する。
 しかし、どこの書店にもアラビア語を学べる本はない。それで彼女は、エジプトへ行って、そこで習うことにした。大学は休学ではなく、退学した。退路を断ったのだ。エジプト・カイロで1年間アラビア語を学び、20歳、カイロ大学に入学。アラビア語は、話し言葉はわりと平易らしい。ただし、アラビア語の文語となるとこれが相当難解らしい。1年目の彼女は、授業について行けず、落第。
 だが、この娘、根性が入っている。2年目は進級できた。そうやって進級するたびに、カイロ市のどこか「高いところ」へ登って「やったー!!」と叫ぶことに決めた。最初は187メートルのカイロタワー、次はカイロ一高いノッポビル、それからムハマンド・アリー・モスク。そして、卒業できたら…ピラミッドに登ろう!これはとっておきだ。ギザのピラミッドのそばを通ると、登りたくてうずうずするが、我慢した。
 
 そんなふうに、カイロ大学初の日本人娘が勉強ばかりの毎日を送っている時、エジプト大統領サダトはイスラエルに戦争を仕掛けた。1973年のことだ。これが第四次中東戦争である。OPECは、イスラエルを支援する国の原油価格を4倍に値上げすると発表。こうして日本にも「石油ショック」がやってきた。
 あの「石油ショック」は、経験した人ならよく覚えているだろう。何しろ、新聞の厚さが半分になった。マンガ雑誌も半分の厚みになったのだ。石油から「紙」が作られるから、紙は節約せねばならなかった。
 そんな時に、その日本人娘は、一人中東にいてアラビア語を学んでいたのである。面白いところに目をつけたものだ。「石油ショック」のために、エジプトへ日本のある国会議員がサダトに面会にやってきた。アラビア語の話せる日本人娘は、それに付き合う形でサダト大統領とも話をしている。 
 その娘の名は…、たぶんあなたも知っている「あの人」のことである。 以下、次号。
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ララ・ハート

2007年12月16日 | まんが
 「ミイラ」というものに神秘とかロマンを感じるというのが、僕にはわからない。別に見たくもないし…と思う。僕はそう思うのだけど、ロマンを感じる人もいるらしい。
 昔のヨーロッパでは、エジプトのミイラは「薬」として使えると思われていた。どうやら本気でそう考えていたらしく、「ミイラ薬」としての乾燥人肉が売買されていた。ミイラが売れる、となれば「墓どろぼう」の出番です。ニセモノも出回ったことでしょう。


 今日はマンガの話。
 僕には10年以上前から、古本屋に行くと、必ず「ないか?」と探すマンガ本があった。それが、里中満智子『ララハート』。
 ええ、知らないでしょう、ええ、でしょうとも。古いマンガですから~。
 いや、だから探していたんです。子供の時、小学生の時以来読んでいない…もう読めない、となると余計に読みたくなるもの。でも、ないんですよね。
 『ララハート』は、僕がはじめて面白いと思った少女漫画なんですね。

 小学生の時、町に一軒、貸本屋がありました。母はよくこの貸本屋で主婦の雑誌を借りていました。漫画も少しだけ置いてありました。ある日父が、その貸本屋が廃業するというので本を安く売り出すらしい、という情報をもたらしました。父は、欲しい本があったら買って来いと言ったので、僕は妹と行ってみました。僕は手塚治虫『0マン』(ゼロマン)全巻を買い、そして妹が買ったのが『ララハート』全3巻でした。
 『0マン』は面白かった。人類と、ヒマラヤに隠れて住んでいた「リス人間」(これが0マン)との戦いを描いた壮大な物語でした。マンガの面白さを僕は十分に堪能しましたが、それを読み終えると、興奮でますますマンガを読みたくなり、「少女マンガなんて」と思っていた頃なのですが、妹の『ララハート』にも手を出しました。そしたらこれも、ええ、ずいぶん新鮮で面白かったのです!
 これは里中満智子の初期の作品で、今の彼女の作品の印象と違って少女っぽさの「まぶしい」作品です。「それがいいのだ!」なのですが、里中さん自身にとっては「恥ずかしい作品」なのでしょう、作品集には入れていません。僕にとっては「これぞ里中満智子の代表作」なのだけれど。里中さんがそれを全集に入れないために、ずっと読むことができないでいました。


 ところが、ある日、出会ったのです!
 5年以上前のことになります。その日、突然、なにかすごく寂しい(理由はない)気分になったことがあって、どうしよう…と思ったのです。こういう時にお金を使うのは結局、後でさらに落ちこむものです。ギャンブルにせよ、女がらみの店にせよ…。だからじたばたせずに部屋に帰って眠るのが正解だ…と理性では思っていても帰る気になれない。それで、僕はどうしたか。漫画喫茶に入ったのです。苦しまぎれという感じで。僕は漫画喫茶を利用することはほとんどないのですが、これなら安くつきます。気分が晴れるかどうかはわかりませんが。ただ、僕の場合、漫画喫茶で読む漫画ってほとんどないのです。
 ところが…!!
 出会ったのです! 里中満智子『ララハート』に!
 探してもみつからなかった漫画にこんなところで出合うとは! 僕はおよそ30年ぶりくらいに、内容もよくおぼえていなかったその少女マンガを読んだのでした。そのストーリーは…

   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 さて、そのマンガは、お金持ちの財閥の娘ララ・ハートの学園恋愛コメディです。昔の少女マンガというのは、半分くらいは「外国もの」でしたが、このマンガもそうで、だから主人公ララ・ハートも外国人。ただし、ララが恋する相手ムサシは日本人。ハンサムで、正義感があって、頭が良くて、性格も良し。(…やってられませんな。) ララのほうも大金持ちの娘。でもって恋も順調…。
 そんなマンガのどこが面白いのか? いえいえ、そこがいいのです。その明るさ、貧乏くささや不幸を微塵にも感じさせないお気楽さ! 
 このマンガ、最初は学園寄宿舎ラブコメなのだけど、そのうちララの恋人ムサシが、「僕は薬の研究者のなりたい。そして『どんな病気でもなおす薬』を発明する。そうすればみんな幸せになれるだろ?」と言い出します。そうしたらララは、「すごいわ、それはいい考えだわ!」と目を輝かせて応えます。恋は盲目、バカップルとしかいいようがないんですが…。 あるわけないじゃん、そんな薬~。(←常識あるオトナの声)
 ムサシはさらにいいことを思いつきます。「エジプトのファラオの墓には『どんな病気でもなおす薬』があったそうだよ。僕は探しに行こうと思うんだ!」 するとララ「それはいい考えだわ! 私も行くわ」
 そういうわけでお気楽カップルはエジプトの砂漠へ。ミイラでも探すんでしょうか? この旅には、二人の恋路をじゃましようとする人間もついていくんですが、そんな障害にこのバカップルが負けるわけがありません。なにせ主人公ですから。ええ、バカップルで主人公だと無敵です。
 そして二人はついに「ファラオの墓」のたどり着きます。ああ、しかし… 残念なことにファラオの「薬」はすっかり空なのでした。がっくりとひざまづくムサシ。一緒にがっくりするララ・ハート。しかし悩んだ時間わずか10分(推定)。あっという間にムサシは立ち直ります。(なにせ性格が前向きですから!)
 ムサシ「ファラオの薬になんて頼ろうとした僕が間違っていた。僕は自分で研究してつくるよ『どんな病気でもなおす薬』を。きっとつくってみせる!」
 それを聞いてララも一気に瞳をキラキラさせます。「そうね! それがいいわ! わたしも協力するわ!」と、ますますムサシに惚れるララ。
 ムサシ「ありがとう! よーし、やるぞー!」
 こうして、二人の愛はいっそう燃え上がります。
 さて、その後。二人は結婚して、ムサシの『どんな病気でもなおす薬』は完成し、もともと大金持ちの娘だったララですが、いっそうの大金持ちになり、世界から病気はなくなり、そして二人は仲良く暮らしたのでした。
        END
   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇


 という、なんとも信じられないほどの、能天気な話なのです。常識ある人間が読むとクラクラします。こんな能天気な話を里中満智子は描いていたのである。今では考えられないが。
 漫画家里中満智子は17歳高校生でプロデビュー。その後、編集者との結婚と離婚を経験しています。さすがに離婚を経験した後では、『ララハート』のような話は描けないでしょうね。里中さんはその後、大作『あした輝く』で一流作家に成るんですが、そこには大人のもつ「苦さ」がしっかりとマンガ世界に入り込んでいます。
 自分の幸福な未来になんの疑いもなく前進する、というララ・ハートの姿は、大人になって観れば、眩しい。
 『どんな病気でもなおす薬』とは、しかし、大きくでたもんだ。一流になる人は、スケールがでかい。
 なんにせよ、僕の少女マンガのルーツは、これなんです。 


 その漫画喫茶での出合いから1年後、僕はまた読みたくなり、行ってみました。そしてオーナーと交渉しできるなら『ララ・ハート』を譲ってもらおうと考えていました。ところが…!
 その漫画喫茶、つぶれていたのです! ああ! なぜ、あの時に買取りの交渉をしておかなかったのか!? ショックを受けつつ同時に僕は思ったのでした、これも運命、また会うこともあるだろう、と。


 そして今日。
 前日にエジプトの探検の話を書いたので、そのつながりで『ララハート』のことを書いたのですが、それで、絵を描くためにネットで調べてみたら…  なんと! これ、手に入るじゃないですか! 絶版のコミック本を注文を受けてその分だけ印刷して売る…今はこんなことが出来るんですね~!  さっそく注文しました。1冊945円。
 うーん、思っていればいつか願いは叶うって、ほんとうかもしれないな。なんだか日本のどの古本屋にもなかったマンガ本が、エジプトの砂漠でみつかったような気分です。


 なお上に書いたストーリーは、記憶に頼っていますので、かなり捏造しているかもしれません。ご了承くださいませ。
 それにしても今日の絵は苦労した。里中さんの絵を真似て描けばカンタンだろうと思っていたが、甘かった。目と顔の輪郭と鼻と口のバランスがチョー難しい!(←そこが少女漫画のいのちなんだな) 結局、まねてもダメなので、自分流のバランスで描いた。6回くらい描き直した。

 「コミックパーク」での『ララハート』の評
  ↓
 [おすすめ評価]
 超大金持ちのオテンバ令嬢と日本男児のカッコイイ先生、愛し合う二人の前にたちはだかる政略結婚、美人のライバル、東西文化の壁…。睫毛の濃さはリカちゃん人形というよりジェニーちゃんの華やかさ!瞳に星を浮かべながら読みましょう。
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ナイルの冒険王

2007年12月15日 | はなし
 ナポレオンがエジプト征服(当時エジプトはオスマン帝国の領土だった)にやってきたのは1798年。その際に167人からなる「科学と芸術の委員会」を引き連れてやってきた。ナイル川一帯をフランスの植民地にする計画だったのだろうが、その時に「学術調査が目的だ」という言い訳を用意するつもりだったかもしれない。結局、このナポレオンのエジプト占領は失敗に終わったが、ナイルの学術調査は続けられ、その成果は『エジプト誌』という本になって結実した。たくさんの図版が載せられていてすばらしい本である。その本は、ヨーロッパの知識層や学者にセンセーションを巻き起こした。さらに「ロゼッタ石」が発見されて、エジプトの古代文字の解読のヒントが得られると、このような記録がまだまだエジプトには眠っているのだろうと想像された。
 このようにしてエジプトはヨーロッパのあこがれの地となっていった。地中海の海のむこうにこのような遺跡のゴロゴロしている宝の国があるのだ。
 実際、砂の中には埋もれたたくさんの遺跡があった。もともと昔から古代の王の墓の宝は、ずっと「墓どろぼう」がねらっていたが、ヨーロッパのエジプトブームによってその価値はますます高まっていった。古物商や発掘者がナイルに群がった。だが、「遺跡の発見」は空想では楽しいが、現実にやるとなると大変である。そのためには何の資格も必要でなかったが、
 ・過酷なナイルの環境に対応できる強靭な体質 (まずは、これ)
 ・賄賂 (一人では何もできないし)
 ・火薬にたいする才能 (火薬で土をふっとばす)
 ・許可申請の成功
 ・他の利害関係者たちとの微妙な交渉 (場合によっては殺し合いになる)
が不可欠であった。

 ベルツォーニというイタリア生まれの男がいた。理髪師の息子で、アムステルダムからロンドンに渡り、そこで劇場と契約して「軽業師」として出演する。つまりサーカスだが、このベルツォーニ、大男であり驚くべき怪力の持ち主だったのだ。その後結婚して妻とともにヨーロッパ各地を移り歩く。そのうち、イスタンブールで、ナイルの水に苦労しているエジプトの話を聞いて、「新しい水揚げ車の設計」というアイデアを引っさげてエジプトへ乗りこむ。ベルツォーニにはそのような機械をつくる能力もあったのだ。ところが結果としてこれはうまくいかず失敗。
 そこから、怪力大男ベルツォーニの「ナイル探検」が始まる。
 おそるべき体力と実行力であった。それだけでなく、勘もすばらしかった。次々と遺跡を発掘していく。学者が何年も探していたような遺跡を数週間で見つけ出た。頭もよかった。上の絵は、「若いメムノン像」を運ぶ図(ベルツォーニのスケッチを僕が模写した)であるが、これは過去になんどもフランス人らが運び出そうとしてできずに遺跡の中でころがっていた7トンの巨像である。ベルツォーニは、それを運ぶアイデアを考え、だれもができなかったことをやり遂げた。そしてその様子を自分でスケッチしている。そのスケッチがまた上手いから呆れてしまう。「若いメムノン像」は現在、大英博物館にある。
 まったく、人間離れした男である。 とくにその体力、うらやましい。
 ベルツォーニは、ナイル川の奥へと入り、アブ・シンベルの神殿の入り口を発見したことで歴史に名を刻んでいる。ギザの三大ピラミッドのうちの一つ、カフラー王のピラミッドの入り口を発見したのもこの男である。
 
   ↑ 「アブ・シンベルの内部」ベルツォーニ画
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佐藤和俊五段

2007年12月14日 | しょうぎ
 佐藤和俊。千葉県松戸市出身、29歳、加瀬純一門下。4年前にプロになり、先月五段になった。今期の勝率は7割を超え、13連勝も記録している。好調だ。だが…
 地味な男だ。これだけ勝っているのに、エピソードがない。
 だいたい名前が平凡だ。「佐藤」姓は現役プロに限っても、5人もいるのだ! その佐藤姓の棋士のプロ通算成績を挙げてみよう。
  佐藤康光九段(38歳) 760勝 414敗 0.6474
  佐藤秀司七段(40歳) 370勝 251敗 0.5958
  佐藤紳哉六段(30歳) 221勝 155敗 0.5878
  佐藤和俊五段(29歳) 102勝 51敗 0.6667
  佐藤天彦四段(19歳)  26勝 13敗 0.6667
 こうして見ると、佐藤軍団は皆優秀だ。その中でも佐藤和俊五段はすばらしい。それなのに、なぜか、目立たない。そこが面白くて、僕は最近、彼に注目しているのである。
 彼、佐藤和俊五段が目立たない理由のひとつに、その年齢があるだろう。25歳でプロ、というのは遅い。だいたいの目安として、20歳までにプロになってその後6割以上の勝率で勝ち進めばタイトルが狙えるようだ。そういう棋士は自然、注目される。
 ただ、佐藤(和俊)さんも17歳で三段(三段はまだプロではない)まで行ったそうだ。そこから8年かかって、プロ(四段)になった。これは三段在位期間の最高記録だそうだ。自慢できる記録じゃないのだが、もともとかなりの実力は備えているのかもしれない。だとするとタイトル戦へ出てあっと言わせることもあるのかも。
 あの藤井猛九段だって、今はユニークな発言で楽しませてくれるし、堂々としたA級棋士なのだけれど、竜王挑戦(28歳のとき)までは全然目立たない地味な人だった。そんなことも考慮にいれると… 佐藤和俊、これからブレイクするかもよ~!!

 ところで、奨励会三段にも、現在「佐藤」姓は二人いる。 佐藤軍団は、注目だ。


 おっ。 ふたご座流星群!?
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カイロ

2007年12月13日 | はなし
18世紀末のカイロ。
カイロは、もともと「カーヒラ」であり、これは火星を意味する「カーヒル」の女性形。
今、火星がよく見えます。ふたご座とおうし座とオリオン座の真ん中あたりに。

 最近「カイロ」という街が妙に好きになって(行ったことはないんですけれどもね、空想の中で)、『カイロの紫のバラ』(監督はウッディ・アレン)という映画を久しぶりに観ました。といってもこの映画の中には「カイロ市」が出てきませんが。 『カイロの紫のバラ』という映画が大好きで何度も観ている平凡なアメリカ主婦の話。映画中映画ってわけですが、その映画の中の映画の『カイロの紫のバラ』という話は、エジプト・カイロに「紫のバラ」という伝説の宝を探しにいく話。エジプトは、西洋人にとっての憧れの冒険の地だったわけです。
 僕はこの映画、20年以上前に『カラーパープル』(監督はスピルバーグ)との2本立てを観に行きました。ところが2本とも途中で眠ってしまった。その日はそのまま帰り、あとで、あれは観ておくべきだったのではないか、と思い、もう一度見に行ったのでした。それから何年後かに手塚治虫さんが亡くなって、その時に、『寅さん』シリーズでおなじみの山田洋次監督が、手塚さんが山田さんに『カイロの紫のバラ』を観た話をしてこういう映画をつくってよと言っていたと新聞で読みました。この映画は、映画の中の登場人物(冒険家)が、映画から飛び出して「もう僕は2千回もおなじことをやっている。飽きた。僕は自由に生きたい!」と言って、映画を観ていた女性(主人公である女性)の手をとってゆくえをくらます、という展開になります。たしかにこれは、マンガ的な、手塚さん好みの話に思えます。
 僕はこの映画に流れている音楽が、昔の洋画らしくていいなあと思いました。


渡辺明、竜王4連覇!
    渡辺明 4-2 佐藤康光
 「防衛は難しい、挑戦者は勢いがあるから」とよく言われますが、ここ何年かをみるとほとんどのタイトル戦が防衛成功しています。森内の「名人」、佐藤の「棋聖」、羽生の「王座」「王将」、そして渡辺の「竜王」。タイトルを維持するためになにか秘訣があるのでしょうか?

◇そんな中、久保利明が王将戦挑戦者に! 相手は羽生善治
  先の王座戦は0-3で久保さん負けたけど、内容はスリルがあってほんとうに面白かった。久保さんは依然、好調を維持していますし、羽生さんも調子良さそう。
 
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ツノ銀中飛車

2007年12月12日 | しょうぎ
 中学の冬のある日、朝日新聞のスポーツ欄を眺めていました。その下に、将棋欄と碁の欄がありまして、それまで、何も気にしていなかったそれが、気になってきました。図面を見ながら、
 「これは、自分らが指している将棋と同じなのか?」
と考えました。
 その図は、A級順位戦、米長邦夫と内藤国雄の対局で、もちろん、まだどちらも知らない人。それは居飛車対振飛車の持久戦だったのですが、そんな知識もまだありません。「この記号はなんだろう?」 さらに僕の目を惹いたのは、その「玉」の位置と陣形でした。中央にある「玉」が端っこに…。それを見て「ピン」ときた!
 「ははあ、将棋にも『戦術』があるんだな!」
 あたりまえなんだけどね。でも、それまでそんな事考えてもみなかったのだ。闘う前にあらかじめ「玉」を安全な位置に移動させておくなんて…。僕はその時、プロの将棋という「新しい世界」への入り口に立っていたのでした。
 将棋の『戦術』を知りたくなった僕は、本屋へ行きました。僕の町には本屋が1軒しかないのですが、その町に唯1軒の本屋には、将棋の本が1冊だけありました。それは、松田茂行九段の本で、1000円位だったと思います。ちょっと高かったけど買いました。その本には「ツノ銀中飛車」が解説されていました。松田茂行九段(今は故人)はこの戦法が得意で、「ムチャ茂」と呼ばれていると書いてある…。(松田さんはここにも登場→「ヒゲの九段の…」

 「ツノ銀中飛車」は美しい。

 その頃は中飛車といえば、こういう形をいいました。特徴は、全体的にスキがないことです。たとえば角交換になったとき、相手はその「角」を打ち込む場所がない。だから、相手が攻めて来たとたん、反撃すると効果的です。
 ところが最近は指す人が(プロでは)少なくなってきています。なぜか。強敵が現われたからです。強敵とは、「居飛車穴熊」。ただ、定跡書をみても「居飛車穴熊」を相手にしても理論的には互角に戦えるようなのです。けれども、穴グマは堅いので、結局、実戦では負けやすいのだ。
 藤井猛九段は、プロになる前、奨励会の対局では、中飛車を得意としていたそうです。それでプロになったとき、将来性を考えて「四間飛車」を研究し始めたというんですね。ということは、すでにその時(1991年)、中飛車の将来はアブナくなっていたということか。その頃は、居飛車穴熊のために、四間飛車も衰亡の危機にあったのですが、藤井さんを始めとする「四間飛車党」が勢いを復活させました。
 そういう流れから、今は同じ中飛車でも、より攻撃的な「ゴキゲン中飛車」が主流になってきています。「ツノ銀」はオールドタイプの味わいです。
 「ツノ銀中飛車」を指す棋士といえば、今は、里見香奈でしょうか。ただ彼女もこの頃はゴキゲンを多用していますね。


竜王戦第6局1日目、型にはまらない面白い形になっています。(型にはまらない将棋を「力戦形」とよびます。) 相中飛車!
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2007年12月11日 | はなし
 かの子には雪之介という兄がいた。この兄妹は、文学、という面において結びつきの強い兄妹だった。
 その兄雪之介の中学時代の友人に谷崎潤一郎がいる。潤一郎は後に小説家になるが、その才能を雪之介は畏敬していた。それが伝播して、かの子は生涯、谷崎潤一郎を、すぐれた小説家として慕い続ける。ところが___。

 かの子は1939年、50歳で他界する。それから17年後、座談会で__。

谷崎「ぼくはあそこの家へも泊まったり何かしたんだけれども、嫌いでしてね、かの子が。(笑) お給仕に出た時も、ひと言も口きかなかった。(笑)」
武田「だから向こうはよけい好きになったのかな」
    (中略)
武田「岡本かの子の文学というものは、やっぱりこれからいろいろと研究する余地があると思うんだ」
谷崎「学校は跡見女学校でね、その時分に跡見女学校第一の醜婦という評判でしてね。(笑)」
武田「ひどいことになったな」
谷崎「実に醜婦でしたよ。それも普通にしていればいいのに、非常に白粉デコデコでね。(笑) だから一平と一緒になってからもね、デコデコの風、してましたよ。着物の好みやなんかもね、実に悪くて…」
    (中略)
谷崎「一平はチャキチャキの江戸ッ子で、大貫(かの子)のほうは田舎ですからね、一平がなぜこんなものを貰ったんだろうってね、陰で悪口を言ってたんですよ。」

 『生きてかの子が読めば悶死しかねない座談会である』と瀬戸内寂聴は書いている。武田泰淳はかの子の文学に触れようとしているのに、谷崎は顔のことばかり…。ひどい座談会だ。 

 こんな話もある。
 「あの美男子の一平さんがどうしてかの子のような不器用な女をお嫁にしてくれたんだろうって、その当時から不思議がったものですよ」
と、これは二子玉川のかの子の生家大貫家で、寂聴が聞いた話。
 一平の母は、凡庸な人柄ながら相当の美貌であったという。その眉目を一平は受け継いでおり、その下の三人の妹達も同様だった。一平とかの子の結婚が決まった後、妹たちも二子の大貫家を訪問したが、彼女らの美しさに、町の人が往来へ出てきて見とれたことが語り草になったという。
 そういう美人一家に育った一平には、世間でいう「美人」は、平凡で価値のないものに見えたのだろうか。それならば一平は、かの子の何に惚れたのだろう。瀬戸内寂聴は、一平のかの子との出会いを次のように表現している。

 『一平は一目みて、深い衝撃に打たれた。眼窩より外に大きくにじみ出た油煙のような黒々の瞳の、異様な美しさに魅せられてしまったのだ。

 油煙のような黒々の瞳? 油煙? なにがにじみ出たって?
 …どんなんだ? どんなのかわからんが…、瞳が大きいことはわかった。その瞳の中に、何があったのか?

 小さい時かの子は、「蛙」と呼ばれていたという。無口で、のろまで、目が大きいから。
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