はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

深浦康市八段

2007年08月21日 | しょうぎ
 1996年2月、羽生善治が「奇跡の七冠」を達成した。
 7月、その七冠の一角を切り取って、三浦弘之が「棋聖」をとって驚かせた。それに続いて、羽生への挑戦者になったのが、深浦康市である。羽生より2才年下で、九州長崎の出身。佐世保の実家は居酒屋だそうである。
 深浦にとって初タイトル戦になるその王位戦の第1局、深浦さんは、初手「9六歩」と指した。深浦「羽生さんは強いです。でも、それほどの差はないと思います」と発言。三浦が「棋聖」をとった、それならオレは「王位」を… そう思っていただろう。


 その王位戦の少し前、深浦さんは風邪で入院したことがあった。そのときに、ナースの義子さんと知り合った。偶然、同じ長崎の出身で話も合い、つきあうことになった。結婚したいと思い、彼女の両親にもその意思を告げた。しかし両親は「将棋のプロ棋士? なんだそれ」と、不安げだ。
 王位戦は羽生2連勝のあと、深浦が1勝を返して、第4局が、九州佐賀で行われた。長崎県のとなりだ。「チャンス!」と思った深浦さんは、彼女の両親をその対局場に招待した。
 タイトル戦は、「両対局者」が主役である。二人のために、たくさんの人々が仕事をして盛り上げる。しかも相手は、有名人羽生善治だ! 両親はすっかり深浦の対局姿にやられてしまった。あとで「本当にうちの娘でいいんですか」と言ったそうである。

 タイトル戦では和服を着ることが多い(そうすべきという決まりはない)が、深浦さんが対局場で和服に着替えようとしたら、義子さんの用意した和服の足袋がふたつとも同じ足で、どうしよう… ということもあったそうである。

 その王位戦は4-1で羽生が防衛。羽生善治はやっぱり強かった。(ヨメさんを獲得することに力を使い果たしてしまった? いやそんなことはないだろう)


 それから11年。やっと深浦はタイトル戦にかえってきた。また王位戦だ。第4局の福岡での戦い(相腰掛銀)を勝ち、3-1。羽生を追い詰めている。
 第5局は、8月29・30日、徳島で行われる。

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