「信仰生活の土台―最大限の努力をー」
信仰生活の土台は、なんといっても「礼拝」です。クリスチャンの歩みの基軸は、「礼拝」です。土台をおろそかにしたり、基軸がブレたり曲がったりしては、その歩みは崩れ倒れていくしかありません。最大限の努力を払って、神を礼拝することを守るのがクリスチャンであります。それは義務ではなく、神に造られた人間としての本分(人間が人間としてあるべき姿)であり、主なる神によって救われた喜びと生かされている感謝から出るものであります。
ですから、クリスチャンの考え方、あり方は、平日(月~土曜日)が中心ではなく、主日(日曜日)の「礼拝」を中心として平日を過ごすのです。特に土曜日の使い方です。土曜日は備え日です。主日にすべきことがあるならば、土曜日までにそれらを終わらせてしまう、「礼拝」の時間を聖別する(きよく別けささげ神のものとする)のです。主日の朝を大切にするために、土曜日の夜は、遅くならないように寝ることが欠かせないでしょう。私達クリスチャンは、世の人々と同じ様な歩みをしていてはいけません。神の聖なる民なのですから。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。」(Ⅰペテロ2:9)
2009・10・25
信仰生活の土台は、なんといっても「礼拝」です。クリスチャンの歩みの基軸は、「礼拝」です。土台をおろそかにしたり、基軸がブレたり曲がったりしては、その歩みは崩れ倒れていくしかありません。最大限の努力を払って、神を礼拝することを守るのがクリスチャンであります。それは義務ではなく、神に造られた人間としての本分(人間が人間としてあるべき姿)であり、主なる神によって救われた喜びと生かされている感謝から出るものであります。
ですから、クリスチャンの考え方、あり方は、平日(月~土曜日)が中心ではなく、主日(日曜日)の「礼拝」を中心として平日を過ごすのです。特に土曜日の使い方です。土曜日は備え日です。主日にすべきことがあるならば、土曜日までにそれらを終わらせてしまう、「礼拝」の時間を聖別する(きよく別けささげ神のものとする)のです。主日の朝を大切にするために、土曜日の夜は、遅くならないように寝ることが欠かせないでしょう。私達クリスチャンは、世の人々と同じ様な歩みをしていてはいけません。神の聖なる民なのですから。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。」(Ⅰペテロ2:9)
2009・10・25