静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2020年10月25日 | 天のマナ
「キリストの愛に生きるキリスト者」(愛修会の恵みより)
 先週の日曜日の午後に、愛修会の時がもたれ27名が参加し、主の豊かな恵みを一人一人が受けました。静岡その枝教会の初代牧師である飯野十造氏が、主の豊かな愛に捉えられ、主の愛をいただき、主の愛を隣人(ハンセン病の方々)にあらわし仕えた実話で、感動の証しを孫の牧師がして下さいました。参加できなかった兄姉、もう一度観たい兄姉は、講演(証し)をユーチューブに上げていますのでご覧ください。
 私の率直な最初の応答は、「すごい信仰者だなあ」でした。明治、大正、昭和初期(戦時中)の時代を生き抜いた先人たちの信仰は、筋金入り、骨がありました。次に出てきた応答は、「自分と何が違うんだろうか」というものでした。「時代が違う?状況が違う?賜物が違う?」と問いました。全く同じ働きはできませんが、同じ主の愛にある信仰を持つものでありたいのです。主の愛のあらわれ方は、人はそれぞれであります。主が一人一人に信仰と愛を注ぎ用いられる、それぞれの場でそれぞれの時代でそれぞれの使命を果たしていくことなのです。「尊いのは、愛によって働く信仰だけである。」「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」(ガラテヤ5:6、13)
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天のマナ

2020年10月18日 | 天のマナ
「主の使命を果敢に果たしていくクリスチャン」
 先日、荻野吟子さんの映画を観ました。彼女は、日本人最初の女性医師でクリスチャンでありました。明治時代に女性の人権、自由、平等の開拓者として、自らに託された使命を果たしていく生涯でした。人にはそれぞれの使命が神より託されています。ある者は生涯独身として使命を果たし、他の者は結婚して使命を果たします。独身者として主の栄光をあらわしたパウロ、既婚者として主の栄光をあらわしたペテロがあげられます。どちらが良いとか悪いとかではなく、どちらも幸いな生涯であります。使命が違い、役割が違い、務めが違うのですから比べること自体がおかしいのです。
 映画の感想は、とにかく託された使命を果たす姿に感動しました。何度も道が閉ざされる中、神を見上げ果敢に挑戦し乗り越えていく、主に信頼しながらも自分のなすべきことを精一杯していくのです。あきらめてはいけませんね。チャレンジです!
 「強く、また雄々しくあれ。」(ヨシュア記1章9節)
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天のマナ

2020年10月11日 | 天のマナ
 「み言葉によって日々の信仰生活も歩む」
 先週の牧師休暇を利用して、伊豆に行ってきました。ある道の駅の駐車場に多くの車が停まっていました。私達もそこに車を停め道の駅の建物で買い物を終え戻ると、目の前の停まっている車がライトをつけたままでありました。フロントガラスには、大きなサンシェードがしてあり、前からでは中の様子が伺えません。ふと「ライトを消し忘れたまま買い物に行ったのだな。このままではバッテリーがあがってしまって困るだろう」と思い、妻に話すと同感と言うのです。駐車場から道の駅の建物まで戻るのは、少し面倒だなと思いましたが、その時、朝のデボーションのアパルームからのみ言葉「気前のよい人は自分も太り、他を潤す人は自分も潤う」(箴言11:25)を思い出しました。それではと、館内放送をして伝えてもらうとまずその車の近くに行き確認すると、エンジンの音が聞こえ、横の窓から人影が見えました。「なんだ。車内に人がいたんだ。大丈夫だ」と、自分の車に帰ってきました。早合点かと思いましたが、それでも、気にかかりながらそこを出て行くより、安心して出て行くことができました。ほんの些細な日常の出来事ですが、み言葉を思い出させて下さった聖霊様に感謝しました。
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天のマナ

2020年10月04日 | 天のマナ
「わたしの口の言葉と心の思いが」
 先週、病院へ行ってきました。行きの運転を始めてすぐに、私が妻に先週の礼拝のみ言葉を受けての言葉、「今日は、運転をお守りくださいだけではなく、運転中の感情的な言葉からお守りくださいとお祈りしたよ」と言いますと、妻は即座に、「わたしは高校の時から毎朝、『わが岩、わがあがないぬしなる主よ、どうか、わたしの口の言葉と、心の思いがあなたの前に喜ばれますように』(詩篇19篇14節)と祈っているよ」という返事が返ってきました。「いいね!いいね!それ!」といただきました。
 神の子どもとされている私たちが、毎朝この様な言葉で祈る時、父なる神はどんなに嬉しい事でしょうか。そして、きっと「わたしが、わたしの子であるあなたに、そのようにしてあげよう」とみ業をなしてくださるに違いありません。大いに期待して祈ろうではありませんか。
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