静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2018年10月28日 | 天のマナ
「自分を顧みるクリスチャンの幸い」  

 昨年の結婚セミナーにて、講師の先生が講演して下さいました。その中で、先生が「クリスチャン同士の結婚を勧める。なぜなら、クリスチャンは神の前にへりくだり、問題を自分のこととして捉え、神の前で取り扱われることを知っているから」ということを話しておられました。夫婦喧嘩、親子喧嘩、友人との喧嘩など、人間関係で私達は難しい課題や問題を通りますが、クリスチャンは、終始、人のせいにしたり、環境や育ち、または社会のせいにして、最後にはあきらめてしまう者ではなく、自分に目を向け、神を見上げ、自分の課題や問題として捉えていく者です。そして神の前にへりくだり取り扱われるのです。なぜ、それをクリスチャンができるかと言うと、救い(義認)の経験をしているからです。自分が主ではなく、イエスを主と信じ、自分の罪を認め、神の前に罪を悔い改め、ゆるしを受け義とされた経験があるからです。

 自分のこととして捉えへりくだり、主の前に出て、主に取り扱われる者はなんて幸いでしょうか。これから結婚される方は、クリスチャンの方とまたは主に導いて結婚されることをお勧めいたします。すでに結婚されている方は、伴侶のために祈り愛を注ぎ続け、主の助けにより主に導くことをお勧めいたします。

「神の受け入れられる魂は砕けた魂です」(詩篇51:17)
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天のマナ

2018年10月21日 | 天のマナ
 「主の恵みに応える奉仕の心」
  
 先日、東京での聖会委員会に出席した時に、会議の始めに短くみ言葉のお勧めをいただきました。その中で問われ、考えさせられたことをまとめてみました。

まず、「その奉仕は祈りから始めていますか?」。祈りのない奉仕は、自己存在価値の確認、自己達成を求めるものであり、自分に向けた奉仕であります。思い通りに奉仕ができ評価されると傲慢になり、思い通りにいかず評価されないと落ち込むか、不平不満がでます。祈りから始める奉仕は、自分に向いていた目を主に向けさせ、常に主に心があり平安があります。

第二に、「その奉仕は神の栄光をあらわしていますか?」。奉仕は神にささげられるものであり、神の栄光をあらわすものであります。自分が評価されることを求め、自分の栄光をあらわしていませんか?

第三にその奉仕は教会(兄弟姉妹)を建て上げていますか?自己満足な独り善がりではいけません。その奉仕によって兄弟姉妹が主の恵みを受けていますか?

「教会の徳を高めるために」(Ⅰコリント14:12)
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天のマナ

2018年10月14日 | 天のマナ
 「あしか(東海ブロック青年研修会)の恵み」

 10月7日(日)夕方~8日(月)のお昼まで、島田の山の家で「あしか」が開かれました。愛知・静岡・神奈川から22名(青年17名、牧師5名)が集まり、三回の集会が持たれました。講師は、松崎兄(下山口ホーリネス教会会員、キリスト葬儀社「輝」経営)が、主によって導かれてきた人生、導かれている人生を語って下さいました。
 彼は、自分の人生の節目節目(救い、就職、結婚、転職など)に、主がみ言葉によって導いて下さったことを力強く証しされました。主のみ言葉によって導かれる人生は、たとい困難があったとしても、迷うことなく平安があり、毎回、困難を乗り越えさせていただいたということでした。「信仰に生きる」とはみ言葉に従って生きるということ、その生き様を見させて下さいました。「あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互いのために役立てるべきである。語る者は、神の御言を語るにふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜る力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。」(Ⅰペテロ4:10~11)
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天のマナ

2018年10月07日 | 天のマナ
 「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」
 
 忙しい日々を過ごしておりますと、主の恵みの中にあることを忘れ、あくせく(細かいことを気にして、落ち着かないさま。目先のことにとらわれて、気持ちがせかせかするさま)してしまいます。一日の終わり(寝る前にでも)には、少しの時間、心も体も動かすのをやめて、今までの人生を振り返り主の恵みを数え、今与えられている主の恵みを味わい、これからの歩みに用意されている主の恵みを期待して行く、そういうゆとりがもてると幸いです。具体的には以下のように。
 主に与えられた恵み:ちょこっとアルバムを開いたり、日記を少し読んだり、目をつむって小学生時代のことや救われた時のことを思い出したり。主に与えられている恵み:家族、住む家、食べた食事を感謝し。主に与えられる恵み:入れていただける永遠の神の国を黙示録21~22章をもとに想像したり。神の国はどんなに栄光に輝くところか。何をしようか。どんなものを食べようかと。きっと主によって心がやすらぐことでしょう。「そのすべてのめぐみを心にとめよ」(詩篇103:2)
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