静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2019年05月26日 | 天のマナ
「死に勝利する神の力」

 昨日、教会堂と納骨堂前で、ある姉妹の一年の記念会がもたれました。ご家族とご親族を合わせて20名くらいの方々が、故人をしのび、神の恵みと希望を改めていただきました。そして、故人の信仰に倣う者にと願わされました。
 メッセージは、ラザロの復活の個所からでした。人は死を前にしては何もできません。しかし、主イエスは違いました。死にしっかりと対面し、人を縛る死の力に対し憤り、死よりもはるかに力ある神の宣言を4つの言葉でしました。「わたしはよみがえりであり、命である」「石を取りのけなさい」「もし信じるなら神の栄光を見る」「ラザロよ、出てきなさい」とです。神の言葉には力があり、死はラザロを縛っておくことができず、ラザロもこの命ある神の言葉により復活し、手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま出てきたのです。神を信じるクリスチャン一人一人もやがてこの地上の歩みが終わる時がきますが、ラザロに語られた上記の神の言葉が私達にも力強く語られているのです。イエスを信じた者に、イエスは死の力を取り除き、平安と神の国に入れていただける確信をもたし、死を乗り越えさせ永遠の命にあふれさせるのです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2019年05月19日 | 天のマナ
 「突き抜けた信仰者」
 先日開催されたラブ・ソナタの初日の夜、ジャパン・ゴスペル・ナイトで、説教者が離された証しをまとめさせていただきますと。彼の一歳の娘が内蔵の病気で生死の際にあった時のことでした。入院していた娘の状態が悪化し大病院へ移送されるという電話を妻から受けた彼は、働きを他のスタッフに託し、病院に向かう電車の中でひたすら娘の癒しを祈りました。だんだん祈っているうちに、別の感情が湧いてきました。それは、「なぜ私の娘が」「私は一生懸命主に仕えてきたのに」との思いでした。そんな時、「主は与え、主は取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ記1章21節)とのみ言葉が主によって、明らかに響き示されました。「主が癒して下さっても、主が天に召しても、あなたは主をほめたたえますか?」との響きであります。彼は、「これからも、主よあなたをたたえていきたいのです」との祈りをささげ、彼の握っていたものを主に明け渡しました。その時、彼の重い曇っていた心は、すっきり澄み渡ったのです。妻から再度、彼に電話が来ました。不思議に娘は癒されたとの電話でした。
 自分で握る時は勝利はありません。主のみ手に委ねる時、心に平安が訪れ晴れ渡り、主のみ業を体験するのです。私たちが悶々としながら握っているものは何でしょう。主の手に委ねて、軽くなりましょう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする