静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2019年08月25日 | 天のマナ
 「将来を与える神」
 教団の出版である「聖書の光」の中に、来年の教区新年聖会に講師として来られる鳩山ホーリネス教会の宮崎誉牧師が執筆されています。その中に次のような話が記されています。
 わたしはよく、日本語の「未来」と「将来」の違いがわかりますか、と質問します。「違いなんてあるだろうか」と、不思議がる方々に、「ドラえもんは、どっち?」と聞くと、ほとんどの人が「未来!」と答えます。「そう!未来は『未(いま)だ来(こ)ず』」、そして、将来は、「将(まさ)に来(きた)る」。「あったらいいな」という空想は未来ですが、もう現在の自分との関わり始めているビジョンは将来なのです。そのようにリアルな希望に生きることを、聖書は教えてくれるのです。
 聖書の中で、神さまは約束して、将来のビジョンを私たちに見せられるのです。未だに完全には得ていない恵みの出来事を、もう既に手に入れているように、先取りして、前味わいをしつつ、希望に生きるようにと、神は信仰者を導かれているのです。
「わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来と与え、希望を与えようとするものである。」(エレミヤ書29章1~11節)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2019年08月18日 | 天のマナ
 「ルーツ(物事の根源・起源や祖先の意味)を求めて」

「産まれた地を見てみたい」。私は四国の愛媛県北条で産まれました。なんと生後三週間で、父母の転任で東京の上野へ行き、そこで育ちました。ですから、北条のことは全く記憶にありません。しかし、人間とは不思議なことに、ルーツ(産まれた街など)を見て確かめたいと思う者で、私もそういう年齢になったようです。実際行き、朝に散歩をしながらみると、特に有名な何かがあるわけでもなく、よく見る素朴な港町でした。けれども、やっぱり私にとっては考え深く、しみじみと感慨に浸り、主の豊かな深い摂理による計画を思い、今ある存在の尊さと幸いを確認しました。

 人間は、ルーツを知りたくて求め、知って自らを確認します。産まれた地ばかりではなく、肉親の父母や先祖において、さらに人類の始めにおいてもそうでしょう。一時的な地上でのこれらのことをこんなにも知りたくて求めている人間は、もっと深い、永遠の霊的なことを知りたいに違いありません。私達、真の神を信じるクリスチャンは、すでにしっかりと答えを頂いております幸いを感謝します。神に造られ、神の栄光のために生き、永遠の神の国に入る者とされているのですから。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2019年08月11日 | 天のマナ
 「教団夏季聖会の恵み②」

 夏季聖会の初日の午後は、大嶋牧師が使徒行伝18章より、み言葉を取り次いで下さいました。特に心に残ったみ言葉は、「腰をすえて、神の言葉を彼らの間で教えつづけた」(11)でありました。大嶋牧師は、自分の父親が救われた証しを最後にされました。何よりも大きな父への愛は、神の救いを伝えることであり、彼はいくつかの信仰良書をプレゼントしていました。父もそれを読んで感想を話してくれていました。また、彼の母が夫のために42年祈り続けていました。まさしく、腰をすえての愛の祈りと業であります。そして、神の時が来て、父はイエス様を救い主と信じ、悔い改め、救われたのでした。
 
 私たちはいかがでしょうか?腰をすえていますでしょうか?イエス様はあきらめていませんのに、私たちがあきらめてよいのでしょうか?イエス様が祈り続けているのに、わたしたちが祈りをやめてよいのでしょうか?今一度、家族のため、友人のため、地域の人々のために愛の祈りと業に励みましょう。「この町には、わたしの民が大ぜいいる」(9)のですから。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする