静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2020年01月26日 | 天のマナ
「今、私に主が語られている」
キリスト者となる前の私たちは、聖書を単なる歴史書、偉人伝、人生の教科書といった程度だと思っていました。しかし、キリストの救いを受けてから、聖書は「神の生きた言葉」であると信じ受け止めるようになりました。聖霊なる神が働かれる時、聖書の言葉は開かれ、私たちに信仰を与え、聖書の言葉の力は、私たちの霊を満たし聖書の言葉を体験させ、私たちを変えるのです。内側が変えられると考え方(思考、価値観)、生き方(行動)が変わっていきます。キリストは今も生きていて、聖書にある御業を信じる私たちにして下さるのです。今、自分にキリストが語って下さっているという信仰の姿勢で聞くことが大切です。例えば、イエスが足の不自由な者に語られた言葉、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」(ヨハネ5:8)は、2000年前の彼にだけではなく、神の言葉は時代を越え、復活されたイエスが今、固執してへばりついている問題をもつ私たちに語られているのです。それは妄想や思い込みではなく、事実なのです。
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天のマナ

2020年01月19日 | 天のマナ
「明日の葬儀のメッセージ」
「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」(へブル12:2) 
 毎年、新年の番組として箱根駅伝が放送されています。今までは興味がありませんでしたが、今年のレースをテレビで観、また後日、放送された「もう一つの箱根駅伝」という裏舞台のドキュメンタリーを見て、はまりました。応援の観衆に囲まれ、必死で走り、たすきを渡し繋げていく選手を、コーチが後ろから車の拡声器で声援するシーンがありました。中には「意地を見せろ」「絶対離されるな」「腕をふって」「まだ動いてる、いけるよ」という激励、「ちょっと速いか、大丈夫か」「強くなったな。さあ、区間新つくろう。すごいよお前」「本当に四年間ありがとう。本当によくやってくれた。最後のこの1キロ、未来の後輩のためにまとめよう」という心配したり、ほめたり。
 以前の私たちは、地上の人生のゴールを知りませんでした。しかし、イエス様を信じ救われ、神の国がゴールであることを受け、地上での歩みをしております。へブル12章1~2節にあるように、人生はマラソンです。先日、天に召された兄姉は信仰の歩みの良き手本をみせて下さいました。最後は激走でした。家族や教会の兄姉に励まされ、何よりもコーチである主イエスに支えられ、見事な凱旋のゴールでした。私たちはしっかりとたすきを受けました。さあ、私達も続けて走りましょう。
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天のマナ

2020年01月12日 | 天のマナ
 「神の創造の業―神に英知による傑作―」
 私は、神が造られた傑作(自然界や生物)を観察するのが大好きで喜びを感じます。宇宙の星雲や地球の大自然、動物、植物、昆虫、鳥類、魚類、微生物に至るまで、ネットで画像や映像を観ると、神の創造の英知は溢れています。先週も水族館で初めて見た魚、貝の博物館で見た形や色とりどりの貝に驚き、神の深い、深い、溢れる英知を感じました。まだ人類が知らない生物が多く存在しています。新種の新発見が次々と報告されています。これをひと声で創造された神とは、どんな偉大な神なのだろうと、思いを寄せます。
 そして、この驚きの連続のあとは、平安で満ちる自らを見い出します。「この偉大な永遠で全能の神が、御子キリストを与えるほどに私を愛し、共にいて導いて下さっている。そして私に最善しかなされない、なんですごいのだろう」と。「ああ、大丈夫だ」という言葉しかでてきません。先日、教会堂にいた長い足をもつ蜘蛛を捕まえ、透明なビンに入れて観察しました。やはりすごいです。神の英知による創造の業は。そして人間は創造の冠です。主に感謝します。
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天のマナ

2020年01月05日 | 天のマナ
 「今年のみ言葉(新年礼拝メッセージ要約)」
  2020年のグレース・チャペルのみ言葉は、「ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストをいつも思っていなさい。」(テモテ第二の手紙2章8節)です。この「思う」の言語の意味は、「彫り刻む」です。彫刻家が木や石に、思いを込めて繰り返し繰り返しノミを入れるように、私たちの心にイエス・キリスト喜びの時も悲しみの時も深く思うのです。
では、私たちが思う方はどういう方でしょうか。イエス・キリストとは、全き神であり全き人である方です。「ダビデの子孫」とは、私たちと同じ肉体をとって人となり、ダビデの家系に入って来て下さったことを意味します。罪は犯されませんでしたが、私たちと同じく時には疲れ眠り、痛み、悲しみ涙し、苦悩され、時には喜び、微笑まれました。私たちの思いをわかって下さる方です。「死人のうちからよみがえった」とは、罪の結果である死を打ち破り勝利し今も生きておられ、父なる神の右の座に置いてとりなしてくださっている全権をもった神の御子です。寄り添うだけではなく、勝利を与えて下さる全き神であります。このお方をこの一年の日々、刻々、見出し思っていましょう。勝利と平安の日々となるに違いありません。
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