静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2021年02月28日 | 天のマナ
「喜びに満たされる主への賛美」
 先週の水曜日に、リモートでゴスペルが教会堂で持たれました。ディレクターは、名古屋からズームを使っての映像を通して、クワイアのメンバーを指導して下さいました。ここ二か月は録画でしたが、リアルタイムでは久しぶりでした。リモートでどのくらいできるか不安がありましたが、映像も音声も工夫され、問題なくスムーズでレッスンがなされました。今後も、リモートでのレッスンが継続される予定です。教会からの支援とお祈りを感謝します。
 賛美は喜びです。一人での賛美も幸いな時ですが、会堂で共に賛美をささげる時、またゴスペルで賛美をささげる時はなんと喜びに満たされることでしょうか。仕事の残業を終えて食事をする時もなく駆け込んで来て下さる姉妹達、一日の疲れもある中、励んで下さっています。そして、主を賛美したあとには、主に満たされ、喜びの表情をしておられます。コロナ禍でゴスペル・クワイアのメンバーも減少しております。是非、どうぞ、皆様もこの賛美の喜びを一緒に体験いたしましょう。メンバー募集中です。「いと高き方よ、なんと喜ばしいことか 主に感謝し あなたの名をほめ歌うことは。」(詩編92編1節)
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玄関の花1

2021年02月21日 | 生花
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2021年02月14日 | 天のマナ
 「人の思いではなく神の思いに立つクリスチャン」
 妻への敬意、夫のへの敬意はどこから出てくるのでしょうか?先週の礼拝式の説教の箇所に、「だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」(マタイ19:6)とありました。神を信じる前は、「自分を愛してくれたら、自分の思い願うことをしてくれたら、尊敬し敬意を払う」という考えでした。ですので、自分が気に入らないと敬意を払いません。自分の思いが、敬意を払うかどうかの基準です。しかし、神を知り、神に救われ変えられた私たちクリスチャンは、神の思いに立ちます。それは、「夫や妻は、神が合わして下さった方」であります。「神が私に最高の方を妻として、夫として備えて下さった」のであります。だから、尊敬し敬意を払うのです。ここが敬意の出所です。これは、夫婦関係だけではなく、他の人間関係にも言えることであります。自分の思いを基準にするか、神の思いを基準にするかで、全く世界は変わってきます。主がこの職場に、主がこの家族に、主がこの地域に一人一人を、そして私をも立てておられるのです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2021年02月07日 | 天のマナ
 「信仰告白としての賛美」             
 ウォーキングを再開しました。一人で歩いたり、妻の体調が良い時は夫婦で歩いたりしています。寒い冬は昼食後1時間、春から秋は早朝1時間、登呂遺跡コース、安倍川河川敷コース、大浜公園の海コースが通常コースですが、月曜日には県立大学と美術館を一周するコース、三保の松原コース、日本平夢テラスコースに行ったりもします。一人で散歩する時は、専ら賛美を聴きながら、歌いながら、踊りながら!?です。賛美は信仰告白です。賛美の歌詞を、自らの信じている告白として主に対してあらわします。歌詞の意味にアーメンと言う思いとなります。3曲くらいまでは、寒さや風や早朝の眠さなどの中にありますが、4曲目くらいから、心が満たされてきて、リズムを取り出したり、声を出して歌ったり、手をあげたりします。もちろん、人があまりいない所(河川敷や海岸)でです。そうしてきますと、主の臨在を感じます。主に触れられていると感じます。主との深い交わりを感じます。もちろん、自宅でみ言葉に黙想している密室でもそうですが、この時も、賛美の中に住まわれる主を感じるのです。河川敷の芝生の上にひざまずいて祈ります、海を見ながら防波堤に座って祈ります。主との豊かな交わりの中で、平安と希望をいただくのです。「主を喜びとすることこそ、あなたがたの力です。」(ネヘミヤ記8章10節)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする