静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

天のマナ

2022年02月27日 | 天のマナ
 「キリスト者は苦難をも誇り(喜び)とする」
 パウロは、ローマの信徒への手紙5章1~11節で、キリスト者が「誇りとしている(口語訳:喜んでいる)」三つを記しています。一つは「神の栄光にあずかる希望」、もう一つは「苦難(患難)」、最後は「神」です。二つ目の「苦難(患難)」を「誇りとしている(喜んでいる)」とはどういうことなのでしょうか。「苦難(患難)」と「誇り(喜び)」は、どう考えても人間の頭では結びつかず、「苦難(患難)」は「理不尽(悲しみ)」と結びつくように思えるからです。これを理解し受け入れるには、心の目(信仰の目)が開かれ、この言葉の前後を読み信じなければならないでしょう。
 前を見るならば(1~2節)、キリスト者は信仰によって義とされ、主イエス・キリストによって神との間に平和を得ていて、神の栄光にあずかる希望にある者とされています。つまり神とつながり神の勝利が与えられている者です。後ろを見るならば(3節後半~5節)、キリスト者には聖霊によって神の愛が注がれているので、「苦難(患難)が忍耐を生む、忍耐が品格(練達)を生み、品格が希望を生むことを知っている」者とされています。つまり苦難が苦難に終わらず、神によって忍耐が与えられ品格に変えられ希望に変えられる者なのです。今も、新型コロナ感染症や戦争などがあります。それらは「苦難(患難)」であり、それ自体は「理不尽で苦しみと悲しみ」です。しかし、キリスト者にとってはキリストにある勝利と希望に目を留めさせ確認させるものであるので、この意味で苦難さえも喜び誇りになるのです。
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天のマナ

2022年02月13日 | 天のマナ
 「いつも喜んでいなさい」(テサロニケの信徒への手紙一5章16節)
 主なる神の御心(主なる神があなたに望んでいること)は明確です。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しない。神があなたがたに望んでおられることです」と言うことであります。
 「それはいつも喜んでいたいが、喜びたくても喜べない時がありますよ」と思います。ヨハネによる福音書2章に記されていますが、カナで行われた結婚式に主イエスと弟子達は招待されました。なんとその結婚式の途中で、大変なことに喜びの象徴であるぶどう酒がなくなってしまったのです。そこで主イエスは、六つの水瓶に水をいっぱい汲ませ、その水を最上のぶどう酒に変えて祝福したのでした。
 私たちの人生にも喜びがなくなる時があります。いくら努力しても打開できず、落ち込み下を向いてしまうのです。しかし、主なる神はその私たちに、水をぶどう酒に変えるように、主にある恵みと喜びを与えてくださるのです。それも人間がなす喜びをはるかに超えた喜びです。「いつも」の喜びは、人間にはありません。主イエスによって、主イエスにつながっていると流れ来て与えられるのです。主イエスを見上げましょう。「水をぶどう酒に変えて下さい」と祈りましょう。主はそうして下さるのです。だから、いつも喜んでいられるのです。
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天のマナ

2022年02月06日 | 天のマナ
「応援団長!しっかりエールを!」     
 「モーセが手を上げているとイスラエルが強くなり、手を下げているとアマレクが強くなった」(出エジプト17:12)。この記事はご存じのように、最前線で戦うヨシュア率いる神の民の優勢・劣勢が、丘の上で手をあげて祈るモーセらにかかっていたことがわかります。最前線が死闘であると同様、前線の支援の祈りも、いかに重要であるかということです。。
 ある牧師が、教会(教会堂も含む)を航空母艦に譬えて語っていました。この意味は、空母は戦闘機を戦いに送り出し、戦いから戻った戦闘機を修理し補給します。私たちの戦いは、もちろん人間(血肉)に対するものではなく、闇の世の支配者天にいる悪の諸霊に対するものであります(エフェソ6:12)。教会は、信徒の方々を一週間の世の中に送り出し、戦いを終えて戻って来た方々を迎える処であるということでしょう。確かに、私たちは主に迎え入れられ、礼拝の中で、神のみ言葉によって癒され、神の御手に抱かれ憩います。そして新たな力を得ます。そこで、この世の最前線で信仰を掲げて闘っている兄姉に対して、前線の空母(教会堂も含む教会)にいる牧師は、何をすべきなのかと自問しました。母艦(教会)をしっかり整えることはもちろん、最前線で闘っている兄姉に応援団長としてエールを送ることと教えられています。まずは、み言葉と祈りによるエールです(使徒言行録6:4)。毎日、一人一人の名をあげて祈ることです。特にシメオン・セルの兄姉にお願いしたいのですが、時にモーセの手は下がるのです。ぜひ、アロンとフルになってこれからも共に手を上げて祈ってほしいのです。最前線にもっともっと届くようにしっかりエールを送れるように。感謝なことに、父なる神の右にて主イエスが、キリスト者の内には聖霊なる神がとりなしをして下さっています。共に最善を尽くしていきましょう。
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