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水戸の見て歩き

水戸に残る佐竹氏の伝説

2016-07-03 19:52:44 | 水戸

佐竹氏が関ヶ原の戦いでひよりみをはかったため秋田に転封にり、色々な伝説が水戸に残ったそうです。(写真は車丹波守憤恨の地)

佐竹氏はたくさんの金山を開発して豊臣秀吉などに寄進したそうですですが、転封後、金は石灰になってしまったそうです。

それまで常陸で獲れていたハタハタ(鱩)が佐竹氏を慕って秋田へ行ってしまい、常陸の海では獲れなくなってしまったそうです。ハタハタは雷の音を表す擬声語だそうです。

佐竹氏が秋田に行くにあたって常陸の美人を皆連れて行ってしまったために、常陸に美人がいなくなってしまったとか。

佐竹氏は春慶塗の職人を連れて行ってしまったために、常陸にはよい春慶塗がなくなってしまったそうです。もっとも、秋田音頭で有名な能代春慶は、常陸のものとあまり似ていないそうです。

西郷半左衛門の屋敷には佐竹氏時代の御用金が埋蔵されていたということです。天保時代の地図を見ると、南町のお城近くに西郷水という名前が見られますがどんなものでしょう。

佐竹の老臣車丹波守(くるまたんばのかみ)は佐竹氏の秋田移住後も常陸に残って水戸城の奪還を図ったものの、捕らえられはりつけにされたそうです。潜んだ穴の中でせきをしたために発見されたという伝説があり、そのためにせきの神さまになっているそうです。吉田松陰がその跡(車丹波守憤恨の地 元吉田町)を礼拝したそうです。

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水戸の佐竹氏ゆかり(1)

2016-05-20 22:03:47 | 水戸

 佐竹氏は、徳川氏が水戸に入る前の支配者です。佐竹氏伝説として、徳川家康による秋田国替え以降、水戸から鰰(はたはた)、金銀、美人、春慶塗がなくなってしまったなどというものがありますが、水戸入り前の期間も含めて約500年間(徳川氏は約350年間)常陸に住んだ佐竹氏の影響力を、これらは示唆しているのではないでしょうか。(写真は神応寺)

水戸城大手橋の擬宝珠(ぎぼうしゅ)
 見川1-1215-1(徳川ミュージアム) 029-241-2721
 「文禄五年(1596)丙申二月吉日造之」と鋳造されているそうで、これは佐竹氏の水戸城にいた時期だそうです。

水戸八幡
 八幡町8-54 029-226-8854
 12代佐竹義宣(よしのぶ)が常陸太田から水戸に氏神を分祀した神社で、一時徳川光圀によって移された後、光圀死後の宝永6年(1709)に現在地に移されたそうです。

天徳寺
 河和田町914-1 029-252-4604
 13代佐竹義人(よしひと)が夫人供養のために常陸太田に建立した寺で、佐竹氏の水戸進出とともに水戸へ、その後佐竹氏の秋田への国替えで一緒に移されましたが、その衣鉢が最終的に現在地に引き継がれたそうです。

愛宕神社
 愛宕町10-5 029-221-9247
 水戸城内にあったものを佐竹義宣が、天正8年(1580)に現在地に移したそうです。火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を祀り、火伏(ひぶせ)の神であるとともに、現在はコンピューター関係にも御利益がある神社だそうです。

神応寺
 元山町1-2-64 029-221-7772
 佐竹義宣が天正19年(1591)に同族・三十二世遊行上人を招いて藤沢小路(現在の梅光2丁目あたり)に創建した寺に始まり、現在地へは延宝8年(1680)に移されたそうです。


水戸に残る佐竹氏の伝説

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