牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

開かれている

2017-02-13 07:15:38 | Weblog
聖書の約束
黙示録3:8 わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。
聖書のことばにアーメンで、不思議なことが起こる。
現実味ゼロでも大丈夫。経験ゼロでも大丈夫。お金ゼロでも大丈夫。
イエス様をアーメンと信じ、洗礼を受けてクリスチャンになったのは16歳。
その日から75歳の今日まで、不思議に愛され守られ、すべてに大丈夫。
明日14日はABCスタジオへ。ラジオ放送録音。もうすぐ45年にもなる。
スタートした時、毎月の電波料金にも満たない経済力。無口で非力な牧師。
ラジオ放送の話が来たとき、無理だと思ったが、できないと口に出さずに、祈り聖書を開いた。
その時、見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。
そのことばをアーメンと受け止め、それ以来ABCでラジオ牧師に。毎週のように,ハガキのレスポンスが続いている。大阪市浪速区=新世界通天閣そばのエリムキリスト教会で、日曜に午後2時から礼拝を続けている。ラジオ放送を聞いてクリスチャンになる方も多い。
無から有を呼び出す全能の神を信じれば、すべてが可能になり、限りない可能性の扉が開き続ける。
ローマ人への手紙4:17-22 このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。
彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。
アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。
彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝してます。

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