牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

結婚式メッセージ

2007-05-29 07:48:45 | Weblog
愛はすべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。Ⅰコリント13:4-7

ご結婚おめでとうございます。お子様の・・・ちゃん、おめでとう!またご両親はじめ、ご家族の皆様、ご参列の皆さま、おめでとうございます。

 キリスト教の結婚は、先ほど神と牧師の前で二人が愛を誓いました。聖書のことばにアーメン(アーメンとはほんとうです。本音の本音からです)と言う誓約をし夫婦となりました。仲良くお過ごしくださいね。おめでとうございます。

 五月晴れのさわやかなこの日、お二人の結婚式にふさわしいスタートですね。
お二人の愛と努力もよりますが、イエス・キリスト様の大きな愛と力が支えとなると信じます。 

 キリスト教の中心は、聖書に書いていることばにアーメンと言えば、その通りになるということです。アーメンとは真実、本当ですという意味ですね。
 第一に、愛してくださる神がいることを聖書は教えています。目に見ることも形として刻むこともありませんが、この世界を創造し、生きているまことの神様が、「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と、語りかけているのです。あなたは愛されているのです。
 そんなにすばらしい愛なる神様がいるのに、人間は幸せから遠く離れて、罪と汚れの中にうごめいています。平安も喜びもこれがそうだと思っても、それは束の間の幸せに過ぎません。
神から離れていることを、聖書は罪と呼んでいます。
聖書は、そのためにイエス・キリストが十字架の上にいのちを捨ててくださったと宣言しています。
十字架の上に死なれたのは、私たちの罪と汚れを背負い、罪を取り除いてくださり、健康にし、祝福を与え、豊かにし、永遠の命を与え、天国に行くためでした。
墓に葬られましたが、わたしはよみがえりです、いのちですと宣言されたイエス様は、3日目に復活されました。
イエス・キリストを信じるとき、すべての罪が赦され、新しい生まれ変わりを経験し、きよく正しく、健やかに豊かに祝福されるのです。
神の子とされ、豊かな平安の人生を生き、そして天国へ行くことができるのです。

今日もキリストはあなたの心の扉をノックしています。心を開いてイエス様,私の心にお入りくださいと祈ってください。
ご家族の愛する皆さまにも、ぜひ、この結婚式の最高の引き出物として、イエス・キリストの救いを受け取ってください。私のあとについてお祈りください。

「イエス様。ありがとうございます。今、私の心にイエス様をお迎えします。今日結婚した二人が、豊かに実を結ぶ人生、子どもたちが健やかに賢く美しく成長する幸せな家族となることを心から信じます。イエス・キリストも名前によって祝福をお祈りします。アーメン」

「愛はいつまで決して絶えることはありません。いつまでも残るものは信仰、希望、愛です。その中でもっとも大いなるものは愛です」
 人間は愛がなければ生きて行くことができません。人間にとって生きることは愛することです。人の心の奥底にある願望は愛されたいということです。愛される限りにおいて、人は人間として存在している実感を持つものです。
 お二人の結婚は決して二人だけの幸せだけではありません。愛し育ててくださったお互いの両親の愛の喜びであり、愛の実りなのです。おめでとうございます。

 結婚生活は愛されることだけをお互いに求めてはいけません。愛するとき愛されるのです。要求し合う関係からは、愛も温かさも生まれてきません。要求し合うだけだと、愛は干からびてしまいまい、塩の海のようになります。

 私はあなたを愛しますということばには、二つの意味があります。一つは、「あなたが欲しい!あなたが必要だ!」という意味だけの愛です。
 もう一つは、「私はあなたを幸せにしたい!あなたのことを気遣っている!」
 最初の愛はエロースの愛、自分のために何かよいものが欲しい、「愛は惜しみなく奪う」ということばが、それを上手に表現しています。奪うもの得るものがなくなったら、サヨウナラしてしまう愛です。
 しかし、もう一つの愛はアガペの愛です。その意味するところは、相手に何かよいものを与えたい!「愛は惜しみなく与える!」のです。今日結婚した二人には、またここのお集まりの皆さまには、アガペの愛が聖霊によって満ち溢れることを心からお祈りいたします。アーメン。

 そのような愛の模範をイエス・キリストは示してくださいました。
 「人がその友のために命をすてるという、これよりも大きな愛はだれももっていません」とイエス・キリストは教えました。キリスト教は愛の宗教だとよく言われます。その理由を少しお話させてください。
 
愛はすべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
ふたりの結婚生活がその聖書のことばどおりに豊かなアガペの愛の実を結ばせることを確信します。

 ではアガペの愛をどのようにして与えるのでしょうか。
 愛は相手をあるがままで受け入れます。相手を受け入れることは、あらゆる人間関係の秘訣でもあります。お二人にとっては、これまでのお付き合いにまさってお互いを受け入れあうことになります。

 愛はまた相手をあるがままに理解します。どれくらい愛しているかを時計で計ることができると言われています。それはほんとうです。人は愛しているもの、興味のあることに時間を使います。人の心のあるところに時間もあります。明日は日曜日です。イエス様を愛するクリスチャンたちは、時間をささげて礼拝を守ります。
 愛は見つめています。愛するとき必ず愛するものを見ています。アイ・コンタクトは、愛のコンタクトです。お互いに気づきあいのある夫婦となってください。
 愛は長い耳を持っていると言われます。人間に一つの口と二つの耳があるのは、話すことの二倍、愛する者の話を聞くように、神様がしてくださったのです。
 愛はまた相手に何かを与えることを喜びとします。その最高の表現は、自分自身の心と身体を相手のために犠牲にすることです。イエス様は、「人がその友のためにいのちをすてるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません」ヨ15:13と語り、十字架の上に私たちの身代わりとなってくださいました。
伝道4:9 ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。
4:10 どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。
4:11 また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。
4:12 もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。

 その大きな愛により私たちは救われました。聖書はそのことを夫婦の関係にも適応しています。
妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。エペソ5:22-25

そのような愛によって結ばれたお二人に申し上げます。
どうぞ、お互いの成長と祝福のために、妻は夫に従ってください。夫は妻を愛してください。それが夫婦となったものへの神のみこころです。
毎日の挨拶と微笑を絶やさないで、与え合いましょう。ゴールデンルールを実行し合うすばらしい家庭を築いてください。
すばらしいし愛と幸せがお二人を通して、世界中に広がりよう期待し、祝福をお祈りします。アーメン。

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