牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

愛こそすべて

2017-04-22 05:45:39 | Weblog
愛を持って行動せよ。

たとえ私が天使の言葉を話す能力を持っていたとしても、愛がないなら、そんなものは、やかましいドラやシンバルと同じだ。
また、たとえ、私によげんする力が与えられていたり、目に言えない世界に通じるあらゆる奥義を身につけていたり、人が知らない多くの不思議を知っていたり、さらには、山を動かすほどの強い信仰を自負していたとしても、そこに愛がないなら、全く何お値打ちもない。
また、たとえ、私が全財産を貧しい人を養うために寄付したり、肉体的な苦痛を耐えたとしても、動機が純粋に愛でなければ、全くの茶番。
ただの自己満足以外の何者でもない。

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

コリント人への第一の手紙13章

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。
完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。
私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。
今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。



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