牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

愛されて

2016-10-16 18:16:22 | Weblog
主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、主よ。だれが御前にたちえましょう。

しかし、あなたが赦してくださるからこそ、あなたは人に恐れられます。

ああ神様。私は失意のどん底から、あなたの助けを叫び求めます。「お願いですから、私の訴えを聞いて、助けてください」

もし、神様がいつまでも私たちの罪を心に留められるのでしたら、到底、この祈りも聞いていただけないでしょう。しかし、恐れ多いことですが、神様は赦してくださるお方です。

だからこそお助けを信じつつ、期待を込めて待っているのです。見張りの者が夜明けを待つよりも切実に、神様を待ち望んでいます。神様は恵み深く親切で、両腕いっぱいの祝福を抱えておいでになるからです。

親が子どもの過ちや失敗を本質的には赦しているように、いやそれ以上の愛です。イエス・キリストの十字架によって、すべての罪とがを赦し、洗ってくださいました。また、悔い改めて赦しを求めるなら、御子イエスの血で、すべてをきよめてくださり、大きな赦しの愛で、包み抱きしめてくださいます。

今日も恵みと愛で、いのち輝き生き、両腕いっぱいの祝福を受け、多くの愛と優しさに守られ幸いです。万歩計は5784歩、爽やかな秋日和に日曜日、朝は奈良市、午後が大阪市浪速区新世界で。

ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。


仕事をしている人に頼むと早く片付く

2016-10-16 18:08:36 | Weblog
岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。
用を頼むんだったら、仕事をしている人に頼めと言われます。暇な人に頼むと、なかなかやってくれず、その内に自分でやることもあります。
大漁の奇跡の時も、ペテロたちは一晩中漁をしても魚が取れず、疲れていただろうし、投げ出したくなったかもしれません。彼らは舟から降りて、網を洗い繕っていました。
だから、沖へ漕ぎだして網を降ろして見なさいと言われた時、その網は準備が出来ていました。網を洗っていなかったら、大漁の奇跡はなかったことでしょう。
「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」と、召された時、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従いました。生駒聖書学院にも、神の召しを受けて入学し、牧師の道を目指す神学生たちです。それぞれの人生がありますが、多くのひとに十字架の救いを伝える備えができています。
今までどんな人生を歩んでいたとしても、「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう」と、召しに応えるとき、考えられないような祝福の人生を生きることができます。
18歳から通信神学生には75歳まで、年齢、性別、学歴、国籍、経歴不問の生駒聖書学院です。ぜひ、体験入学や見学もできます。家族寮=2LDKで綺麗な部屋。単身寮も一人部屋で快適な住まいです。2017年度入学生募集中です。
聖書の学びと聖霊に満たされ、実践的な訓練もある生駒聖書学院での3年間をお過ごしください。
教授たちも現役の牧師で、机上の訓練ではない、現場での体験を教室で披露し、聖書が現実に応える生きている神の言葉であることを実証してくれます。
ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。