朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

洛北の紅葉名所2

2018-12-31 | 京都の文化(秋)

 

圓光寺と詩仙堂、いずれも京都本の常連名所で最近は外国人のSNSにも多く登場してるようで、アジア語、欧州語など外国の言葉がそこここから聞こえてきます。(紅葉の季節は過ぎたのですが、記録のため掲載)2018-12-05撮影

圓光寺の入り口に飾ってあった菊の大輪。日本の秋花の代表。

水琴窟。竹筒に耳を寄せると、キンコーンと切れの良い音が響いてきました。

散り紅葉。

手水と落ち葉。

裏山を登ると、洛北全体が眺望できます。 (実は我が家もこの中の砂粒のように写ってます)

~~

お寺を出て徒歩5分で、詩仙堂。石川丈山(武士だったが隠居して文人になった)の隠居所を後年、寺院としました。曹洞宗。

門の上には大木の白い山茶花が満開でした、

農家のような屋敷なので、普通の仏教寺院風の建物ではありません。

庭に面した広間の畳に座ってのんびりと外を眺めるのが至福。

丸く選定されているのは、ツツジ。花はないけれど、柔らかな丸みの茂みが癒やしの空間を形成しているような・・・

柿の木のてっぺんに、3、4個の柿の実が残っていました。

後方、楓の紅葉は終わっていました。

~~

2018年、平成最後の大晦日となりました。

新年もよろしければ、このブログにお付き合いきださい。

ブログ亭主 拝

 

コメント (2)
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ほとんど知られていない 紅葉の美しいお寺

2018-12-30 | 京都の文化(秋)

京都洛北、ひっそりと佇む禅寺。いわゆる観光のお寺ではなく禅の修行をする小さな道場です。 ~ 季節は過ぎてしまったのですが、自分の記録として掲載しておきます。

紅葉の季節だけ門戸を開放しています。無人の入り口ですが、公開の維持費としてお布施を入れる筒が掛けられていました。英語での説明文も掲示してありました。(2018-12-04)

 

お庭のいたるとこに散り紅葉が・・・

 蜘蛛の糸に捉えられたもみじ葉・・・

 

 

小雨が降っていました。

お寺の名前はこの石柱に記されていました。

 

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朝ぼらけ

2018-12-21 | 京都の文化(冬)
午前7時2分撮影



東山連峰 瓜生山と大文字山

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有馬温泉(兵庫県神戸市)

2018-12-04 | 油彩水彩画、雑誌の表紙

 清少納言の枕草子で「三名泉」にも数えられる古湯。豊臣秀吉は人生の節目ごとに9回も有馬にて湯治している。

 大阪からも近いので多くの旅館と日帰り入浴施設があり観光客で賑わっている。鉄分を含む湧出泉は赤褐色で「金泉(きんせん)」と言われて人気がある。透明な「銀泉(ぎんせん)」もある。(ITUジャーナル Dec.2018)

~~

来年のこの雑誌の表紙絵のご依頼をいただきました。どのようなテーマで12ヶ月を描くか、悩ましくも楽しい時期です。笑

 

 

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「まんぷく」NHK朝ドラ2018後期

2018-12-03 | もろもろの事
NHK大阪放送局制作の朝ドラはこれまで視聴率が低いとの実態があったようですが、今回の「まんぷく」はかなり成功しているとの評判です。

暗い戦時中のエピソードは一段落して、いよいよ戦後の経済発展に向かいます。

萬平さんの「たちばな塩業」が立地するのは大阪府泉大津(大阪市や堺市より南で岸和田市より北)。その海岸の場所に引っ越したのは昭和21年5月。製塩業が軌道に乗り、長男「源」の誕生が昭和22年。

最近放送の場面で栄養食品の開発は昭和22〜23年頃と想定できます。

自分の職業的興味から、その当時の通信状況描写が気になりました。戦中、そして戦後もかなりの期間、一般市民の緊急通信手段は電報でした。昭和30年代でも「チチキトク」とか「サクラサク」(大学合格の意味)など普通に使われていました。



先週の場面で、大阪の公衆電話(らしい)からたちばな塩業への栄養食品新製品の販売不振を報告していました。

そもそも、創業間もないこの会社に電話が開通していたのでしょうか?

大阪の街角に公衆電話ボックスがあったのはウソぽい。外出先からの電話は郵便局に行ってお金を係員に支払って使用したはずです。コレクトコールは、多分無かった。

また、市外電話(長距離)は自動ダイヤル式ではなく逓信省(昭和24年まで、その後は電電公社)の交換手に申し込んで、多くの場合長く待たされました。特急料金を払えば優先扱いがあった。

役所、病院、公益的企業、ホテルや幹部役人宅や医師自宅などには優先的に設置されましたが。

ドラマで、売れない画家の奥さんになっている福ちゃんの姉に電話する場面もありました。姉の自宅だとすると、貧乏画家に電話があったはずはないでしょう。しかも泉大津から大阪への市外通話は簡単にはつながらないし料金が高い。

一般市民の自宅には電話が無いので、「呼び出し」といってご近所さんで電話の有る家にお願いして電話を借りることはよくありました。私の家には子供の時からたまたま電話があったので近所の人の電話をよく取り次いだ記憶があります。

現代のように便利に安価なリアルタイムの市外電話はありませんでした。

戦中、戦後の食料不足などは強調し過ぎるくらいに描かれるのに、通信手段の時代考証が甘いと感じました。
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真如堂 紅葉

2018-12-01 | 京都の文化(秋)
真っ盛りの紅葉🍁です。











普段は静かな境内ですが、今日は多くの観光客が!

永観堂や天龍寺とは異なり、お庭だけなら無料。










さんしゅゆ

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