朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

「老いの才覚」 曽野綾子

2011-02-12 | もろもろの事
「超高齢化の時代を迎える今、わがままな年寄こそ大問題」



少し前に新幹線で出張した際、品川駅中の書店で売り上げ1位と表示されていたこの新書を買って、車内で読みました。

曽野さんの考えに、まったく同感です。曽野さんは1931年生まれとありますから、今年で80歳。

他人に依存しないで自分の才覚で生きるために
・高齢者に与えられた権利は、放棄したほうがいい
・老化度を測る目安は「くれない指数」
・老人が使う言葉が極端に貧相になった
・人に何かをやってもらうときは、対価を払う
・ひと昔前まで、人は死ぬまで働くのが当たり前だった
・料理、洗濯、掃除・・・日常生活の営みを人任せにしない

  出典:「老いの才覚」 (ベスト新書) 曽野 綾子 (著)



上の画像が目次です(クリックで拡大)。
各章を紹介する短文で内容はほぼ推察できるとおりです。





”老化が進んだ人間は、わずかな金銭、品物から手助けに至るまで、もらうことには異常と思えるほど敏感です”
”しかし、いつから、こんなふうに「老人だからもらって当たり前」「親切にされて当然」というような風潮が顕著になったのでしょう”

”老年の仕事は孤独に耐えること、その中で自分を発見すること”
”一人で遊ぶ習慣をつける”

”いくつになっても話しのあう人たちと食事をしたい”



もう引用はやめときますが、この本から少し離れて書いておきたいこともあります。

ありがたいことに、私の老親は独り身になって故郷で暮らしていますが、曽野さんの主張ほぼそのままの老後をおくってくれています。人生経験や思考の差異が大きすぎる近所の老人会イベントには最初のうちは参加したようですが、いまはパス。町内会費が過去の経緯から高いランクのままになっているのが不満だそうです。といいつつもご近所さんからおかずを頂いたり、旅のお土産を配ったり、近郊からくる野菜売りのおばちゃんから物を買って話し込んだりとか、とても友好的で親密に暮らしています。かつては自営業のため国営の老齢年金受給は最低金額(制度発足前の特例)。しかし幸い所得税がない資産や配当はそこそこあり経済的にも自立しています。

もうひとつ。
団塊世代の大量退職と年金受給が始まるので、それが日本の大問題との論調があります。若い世代に「つけ」を回すなと。

ですが、よく考えてほしい。
戦後の高度経済成長を成し遂げた時期に、日夜家族も二の次にして身を粉にして働いてきたのは団塊とその少し上の戦前戦中生まれ世代だといえます。その勤労時代、会社からの給料は、実際の労働付加価値よりも少なかった。その差分の余剰資金は、国内インフラ建設にあてた税金と企業の内部留保になり、かなりがバブル投資等に化けて、一部は海外不動産購入や暴力団資金にまで浪費されてしまいました。

しかし実は、その世代の努力(当時の税金・公共料金)により現代日本の良質な社会インフラ(道路、鉄道、通信、電力、上下水道、治水治山など)が作られ、外国との比較では均質的で優れた医療システム、初等教育制度、治安なども形成されました。バブルマネーの余波は、外国に流れた分は別にして、国内で土建業や飲食業も含めて広く薄く、ほぼすべての国民にその恩恵が浸透したと思います。

ですから、団塊世代は1960~80年代の「貸し」を取り返す権利があります。これからの新世代の人々は、ほぼ完備されたインフラ等を無料で使用することに感謝しなくてはいけません。その対価も払うべき。

民主主義では、政治課題は最終的には選挙で決着をつけます。高齢者に対する年金を含む社会保障の制度は、投票者のマジョリティが若い世代にシフトした時点で、大きく変化するでしょう。

つまり、団塊人に「有利」な時代はあと10年くらいで終了。恐らく、今後は欧州の様に消費税20%以上、資産税導入などが始まるでしょう。

曽野さんの言うように、国に頼らないで自立するべき。
かしこい「蟻さん」中高年の人々はそれに備えているので高齢者の個人資産は現在の日本国の有効な設備投資にはまわらない。
10年後以降「くれない度」の高いキリギリスさんたちは「野垂れ死」となるでしょう(同書p.104)。

☆☆☆
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする