goo blog サービス終了のお知らせ 

日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

TPP交渉参加に「待った」を

2011-10-31 09:17:45 | (里)のブログ





「TPP(環太平洋戦略経済連携協定)」の3文字がニュースに頻繁に登場するこの頃。
この「TPP」とは、シンガポール、チリ、ニュージーランド、ブルネイの4ヵ国で発効した経済連携協定のことを指します。
アメリカ、オーストラリア、ベトナム、マレーシア、ペルーも加わって協議が進められており、
11月中旬からハワイで開催されるAPEC総会で交渉妥結を目指すそうです。
そして、日本もこの時までに交渉に参加するか否かを決めなければならないといいます。

日本のTPP参加については、昨年に菅直人前首相が所信表明でその検討を示唆しましたが、
東日本大震災や政局の混乱を受けて十分な議論がなされないままでした。
しかし野田首相は9月末の日米首脳会談で「できるだけ早い時期に結論を出したい」と表明。
いきなりTPP参加ありきの姿勢をとってしまったのです。
そして先日、交渉参加を表明する意向を固めました。


果たしてTPPとはどんな枠組みなのか―。
その主な内容は、加盟国間のあらゆる貿易でかかる関税を撤廃し、「貿易の自由化」をはかるというもの。

日本を含めて考えると交渉参加国は10にのぼりますが、
GDP(国内総生産)の規模でいうと日米の2ヵ国だけで91%を占めています。
これを見ると、TPPが「日米」経済連携協定としての側面が強いことがうかがえます。


一方でTPP参加がもたらす悪影響が懸念されています。
TPPは日本の農林水産業に壊滅的な打撃を与え、
食品の安全や医療・公共事業など、生活の多岐にわたる分野に被害をもたらすというのです。
「TPPに参加すると、アメリカと同じ規制や法律で統一され、危険な医薬品や牛肉、
さらには遺伝子組み換え食品の表示もできなくなる恐れがある」という声もあります。
これを裏付けるかのように、オバマ大統領は9月の日米首脳会談で野田首相に、
米国産牛肉に対する日本の輸入制限について「進展が必要だ」と、規制緩和を要求してきたといいます。


民主党・野田政権が発足してから2ヵ月。
「どじょう」演説が話題を呼んだ野田首相ですが、
さまざまな情報を集めてみる限り、おおむね保守派の政治家なのだということがわかります。
日米関係についても「日米同盟は外交の基軸」などと言いながら、沖縄の米軍基地の県内「移設」問題に対しても前向きな態度を表明している有様です。


経団連の会長が「TPP交渉参加判断、待ったなし」とか言ったニュースが流れていますが、
一旦参加してみて抜ける、などといったことが許される交渉ではありません。
「待ったなし」の状況に任せて勢いで決められる問題ではないでしょう。

韓国でもアメリカとの自由貿易協定(FTA)締結に反対する動きが加速していますが、
今後日本でもTPP反対派の動きがより一層大きくなってくるのではないでしょうか。
しかしあまりにも時間がありません。



TPPは単なる貿易交渉などではなく、日本という国の形が変わるような大きな問題をはらんだ協定。
もっとその本当の内容を開示して、十分な議論をしてもらいたいです。(里)

劇団アランサムセ公演「歌姫クロニクル―Re-membering―」

2011-10-30 09:00:00 | (愛)のブログ
先日、鎌倉へ皆で取材へ行った後、その足で劇団アランサムセの初日公演に行ってきました。
(鎌倉取材の話しは後日改めて紹介します)
今回の公演のタイトルは「歌姫クロニクル―Re-memmbering―」。
このタイトルでピンときた方はさすがです。
そう、月刊イオ2008年9月号より連載されていた小説のタイトルが「歌姫クロニクル」でした。
月刊イオは2008年に連載小説を掲載しておりました。
年間計3作品の小説を、朝鮮大学校の外国語学部准教授である李英哲先生が、
毎月書き下ろしてくれていました。

年間を通して読むと、前の作品ででてきた登場人物がまたでてきたりと、
より楽しめる小説でした。
日本のそこらへんで出版している小説よりも、よっぽどおもしろく、
素晴らしい作品ばかりでした。
私は小説のデザイン担当だったのですが、
毎月李先生の原稿をいち早く読めるのが楽しみでたまりませんでした。
「歌姫クロニクル」は最終回も衝撃的でしたので、
演劇になると聞いたとき、もう見に行きたくてうずうずしてました。

今回の演劇「歌姫クロニクル―Re-memmbering―」は
原作者である李英哲先生が脚本も担当しております。
演劇評は月刊イオ12月号で(淑)さんが記事を書くので省きますが、
うん、とっても楽しかったです!!
「歌姫クロニクル」の主人公である歌姫「ナビ」にすっかり魅せられてしまいました。
と、同時に歌の素晴らしさ、強さを改めて感じました。

私は時間ぎりぎりで会場に入ったので、
パンフレットをじっくり見る暇もなく劇が始まったのですが、
見終わってから読んで、最初に見ておけばよかったなと少し後悔。
より「歌姫クロニクル―Re-membering―」の世界が堪能できるからです。
1時間50分と普通より長めの公演時間でしたが、
その長さを感じさせないくらい、楽しかったです。
(あ~歌姫「ナビ」の歌声がもう一度聞きたい!)
歌姫「ナビ」のアルバムがでればいいな~と密かに願っています。

そんな公演も今日が最終日です。
14:00から新宿タイニイアリスで上演されます。
http://aransamse.web.fc2.com/
興味のある方はぜひどうぞ!!(愛)


まだ終わらない「無償化」問題

2011-10-29 09:00:00 | (淑)のブログ
 8月29日、菅直人首相(当時)が朝鮮学校への「高校無償化」適用審査再開を指示してからすでに2ヵ月が経とうとしています。適用については、現在、文科省による審査手続きが進行中、11月末~12月上旬に完了し、最終的には12月上旬に野田佳彦首相が決断を下す見通しです。

 このブログでも何度かふれましたが、審査再開直後から朝鮮学校への「無償化」適用に対する異論が続出。反対の声は止むどころか、与野党、地方議会の適用反対の動きは加速しています。地方議会では、適用に反対したり、慎重な審査を求める意見書が19箇所で可決。以下、一部を抜粋します。

「朝鮮総聯が教育内容、財政、人事に強い影響を与えている朝鮮学校の無償化審査再開はとても国民の理解を得られない。暴挙だ」
「朝鮮学校に通う子どもに日本社会や国際社会に対する軋轢を生み、人権侵害の疑いがある」
「無償化はわが国の対北外交方針を根底から覆す」

 など、許しがたい排他的な文言が盛り込まれた意見書が公然と可決されているのです。
 適用を目前にしてもまた一難。一筋縄では行かないのが日本という国。何がなんでも朝鮮学校を認めようとしない姿勢は、まったく見上げた根性とでもいいましょうか。

 また、ツイッター上には、これらの意見書を後押しするようなヘイトスピーチが流れています。「高校無償化」で検索すると、前述の意見書に関する記事をリツイートしながら、以下のようなことがつぶやかれています。

「地方議会が政府に反対の声を挙げていくのは当然のことだ。政府はそんな捨て金のようなもの使わずに復興費にまわすべき!」
「朝鮮学校への支援金給付を行わないと決議文を採択した。良識党員ガンバレ」
「高校無償化という大義名分(笑)の下、「政治団体」「思想教育団体」に日本の税金を投じるなんて論外極まりない」など。

 産経新聞を筆頭にメディアは反対の声ばかりを積極的に集め、それが国民の声、正論であるかのように報じていますが、先週26日には、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会が文科省と内閣府を訪れ要請活動を行っており、粘り強く声をあげ続けている人たちはいます。私たちはその存在を、「無償化」適用を声高に訴え続けた2年にわたる闘いの中で、幾度となく確認してきました。

 もしも野田首相が前首相のように超法規的に審査を停止するようなことがあっても、同じ轍を踏むだけ。野田首相には、暴言を吐き散らすレイシストたちの言葉になど耳を貸さないで、賢明な決断を下してほしい。そして現在進行形で侵害され続けている朝鮮学校生徒らの尊厳を、今度こそ回復していただきたい。(淑)

CDと音楽配信

2011-10-28 10:30:00 | (相)のブログ
 

 2ヵ月ほど前に携帯電話をスマートフォンに替えたのですが、使うたびにその利便性を実感しています。近年、携帯電話の多機能化は進み、本来の使用目的である通話機能はもはや「ケータイ」の持つさまざまな機能の一部に過ぎなくなりました。
 携帯電話をはじめとするモバイルツールの進化で身近になったものの一つにインターネットによる音楽配信があります。わざわざお店に足を運ぶ必要もなく、どこにいてもすぐに聞きたい音楽が手に入ります。価格もCDに比べて安い。パソコンでも可能ですが、モバイルツールの進化によって、この流れがさらに加速しています。
 音楽の購入もダウンロードが主流となりつつある一方、CDの売り上げは年々落ち込んでいます。CDなどのパッケージメディアは消え去る運命にあるのでしょうか。
 私個人としてはこの流れに一抹の寂しさを感じます。もちろん、ダウンロード音楽配信を否定する気はまったくありませんが(音楽配信を利用すると、CDをアルバムごと購入せずに自分が欲しい曲を手に入れたり、CDが廃盤になって入手困難な楽曲を購入できたり、などというメリットがあります)。

 私は、CDはジャケットやライナーノーツまで含めて一つの作品だと思っているので、これがないのはやはり寂しい。芸術ともいえる個性的なジャケットは見ているだけで楽しいし、ライナーノーツ(ものによりますが)も繰り返し読みたくなるものがあります。一曲ずつ自分が好きなものだけダウンロードというのも、「アルバム」という作品形態を軽視しているようで好きにはなれません(ちなみに、ジャケットやライナーノーツという言葉は元々アナログレコードメディアで使われていた用語なので、これをもってCDを擁護するのも何だか変ですが)。
 現在、自宅には中学時代から買い始めた音楽CDが300枚ほどあります(アルバムのみ)。シングル曲やその他、借りた作品を別途焼いたものを含めると、その数はもっと多い。たぶんこれからも音楽配信という流れに背を向けて、CDを買い続けていくと思います。

 というようなことを、CDやら本やらで乱雑になっている自宅の部屋で考えました。CD(本もそうです)というメディアのデメリット、それは整理が大変で置き場所に困るということです。(相)

あー、放射能

2011-10-27 09:00:00 | (瑛)のブログ


 3・11後、とくに幼い子どもを抱える方々は、水問題に苦労されているのではないだろうか。
 
 東京都金町の浄水場から放射性ヨウ素が検出されたのは、今年3月24日。このニュースに乳飲み子を抱えていた私は動転した。地方に出かけていた母に水の購入を頼み、これからどうしようかと考えあぐねていた翌日、三重県に暮らす叔父から100本のミネラルウォーターが届いた。スーパーや量販店を20件も回ってくれたという。
 韓国産にフランス産…。報道が流れた日から米を研ぐのも、野菜を洗うのも。。。と日課をこなしていきながら、これは「水問題」ではないことに遅まきながら気づいた。

 遠くへ、遠くへ避難するしかない。
 関東大震災から88年過ぎた今、東京には間違いなく、大きな地震が来る。
 家族と遠方へ住まいを移すことも真剣に話しあったが、ここに留まることに決めた。

 洗濯物を野外に干すかどうか、野菜や米をどう調理するか、水をどう調達しているのか―。 その頃、近くに暮らす友人とは、顔を見ては胸いっぱいの不安を止めどもなく話しながら、放射能をどう避けられるかを探っていた。読者の皆さんも、水や米を買いあさる人たちでごった返し、殺気だっていたスーパーの光景を記憶されていることだろう。
 社会全体が初めて放射能の脅威にぶち当たっていたとき、隣に住む初老の夫婦は、近くで水を買ってきたから何本か分けようかと声をかけてくれ、関西出身のオンマは大阪のご両親から水が届いたから分けようかとメールしてくれた。隣人の心遣いに、どんよりとした気持ちが少しずつ晴れていったことをよく覚えている。

 一番怖かったのは内部被爆だった。
 政府やマスコミの「ただちに健康に影響はありません」という説明に納得できるはずはなく、チェルノブイリで被爆した子どもたちが20年後にどうなっていったのかを報じた本やドキュメントを見て「最悪の事態」を知ることから始めた。わが子には、自分が食したものはそのまま移っていく。ガマンできることはしよう。

 震災から2ヵ月後に、原子力発電所で35年間勤めていたという技術者の講演会を聞きに行った時は、原発や放射能について無知で無防備だった自分にあぜんとし、あきれた。
 一方収穫も大きかった。自分が信頼できる人とのコミュニケーションを通じて、情報を精査していこうという氏の言葉に情報に接する姿勢を学び、猛暑の中でも冷暖房は一切使わず、公共放送との契約を切ってからはテレビも見ない生活を送っているという話には、自分の消費生活を省みる思いだった。また、アメリカで出版され、日本人医師によって翻訳された「死にいたる虚構 ―国家による低線量放射線の隠蔽―」という本の存在も、この勉強会に出向かなければ知りえなかったことだった。氏は低線量被爆による危険性について書かれたこの本を通じて「感覚的な恐怖心の確証を得た」という。

 放射性物質は今も流れ続けている。読者の皆さんは放射能被害の日常をどう生きていますか?(瑛)

同窓会に参加したことがない

2011-10-26 09:00:00 | (K)のブログ
 22日、23日の土日、北海道や九州、埼玉、西東京、大阪などの朝鮮学校で創立○○周年の記念行事が行われました。
 私も日曜日に埼玉朝鮮初中級学校の創立50周年行事に取材で行ってきました。50周年ということで、埼玉の全同胞あげてのお祭のような感じで、「埼玉同胞大祝典」と銘打たれた華やかな行事でした。



 だいたい学校創立の行事では、児童・生徒たちの芸術公演がメインの出し物となります。朝鮮学校の子どもたちの公演は相当な水準なのですが、何度も観ているので感覚が麻痺している部分があり、そんなに驚きません。初めて観る日本の方は、その上手さにびっくりするそうですが…。
 そんな目の肥えた私から見ても、今回の埼玉ハッキョの子どもたちの公演は素晴らしいものでした。自分たちの学校の50歳の誕生日を自分たちが祝うのだという気合に満ち溢れていました。また、埼玉朝鮮幼稚園の園児たちの農楽がまた可愛かった。


 会場となった運動場には、卒業生や保護者ら、近隣の日本の方々が集まりほぼ満員状態。ここそこで、同級生や先輩後輩が席を囲んで楽しいお酒を飲んでいました。そして、そういう光景を見ると、いつも羨ましくなってくるのです。

 朝鮮学校の卒業生たちは、同窓会もやるけれど、それ以外に学校でいろんな行事をやるので母校を訪ねる機会がたいへん多いし、同級生や先輩後輩、恩師と会う機会がたくさんあります。卒業した後も母校の運動会に遊びに行ったりもしています。
 私は関西地方の日本学校を、小・中・高と通いましたが、卒業した後に母校を訪ねたことは、小学校に1回か2回、中学校は0回、高校は1回しかありません。運動会はもちろん、学校で卒業生も呼んで何か行事をするということは考えられません。
 同窓会にも中学時代に小学校の同窓会に1度だけ参加したきりで、小・中・高の同窓会はそれ以外1度もやっていません。だから同級生にもほとんど会ったことがない(正確には同窓会の案内をもらっていないということ。もしかしたら嫌われていたので自分だけ呼ばれていないのかも)。
 日本の学校は、総じてこうなのか、他の学校は同窓会を開いているのでしょうか?


 埼玉同胞大祝典では、昔いっしょに働いた人たちと何人も会うことができました。非常に懐かしかった。同窓会に参加している感じ。会場を回って写真を撮っていると、あちこちで、「取材はそれくらいにして、座ってビールでも飲んで」と声をかけてくれます。断ると失礼なので、遠慮せずに飲ませていただきました。

 来賓で来られていた日本の方が、「朝鮮学校は同胞たちにとって故郷のようなものだと思う」と語っていましたが、まさにそうなのだと思います。朝鮮学校が同胞社会の中心にあり、帰ることができる場所として存在する。現実には朝鮮学校を否定する卒業生もいるということもわかっていますが、大きな枠ではそう思うのです。

 創立50周年記念の同胞大祝典は、創立100周年を迎えるためのスタートの場だという位置づけでもありました。本当に、50年後も朝鮮学校があり、創立を祝いたいものです。その日には、私もまたぜひ参加したいと思います。(k)


女子会

2011-10-25 09:11:18 | (麗)のブログ
先週の土曜日に大学時代の友達といま話題の「女子会」をしました。
友達とどのお店にしようと決めていたところ、最近、居酒屋で女同士だけの「女子会」が人気というのを思い出し、早速そのプランにしました。

友人と電話で今回の飲み会の話をしているときに、「最近○○○○のフィギュア(某ヒーローアニメ)届いたらしいじゃん」という話題になり、
「じゃあ飲み会に持って行くよ。撮影会しよう!」と、興奮気味に話しながら電話を切りました。そして翌日、見事持ってくるのを忘れました。(退社後、家に帰ってちゃんと持って行きました。)

久しぶりに会った友人たちとの会話も弾み、お酒も箸も進みます。いろんな話をしながらも手はフィギュア遊びに夢中。
いろんなポーズを取らせ、撮影をするという、傍から見れば異様な光景ですが、本人たちは至って真面目です。
「どのポーズが一番かっこいいか」でひたすらいじって、そして撮るの繰り返し。
類は友を呼ぶといいますが、その友達も私と同じ趣味を持った人間なので、もう止まりません。

居酒屋でフィギュア遊びをしながらも話題は尽きず、あーだこーだ言いながらあっという間の3時間。
電車の関係もあるので1次会で終了(ここら辺はあっさりしてます)しましたが、心置きなく話せる相手とお酒を交わすのは純粋に楽しく、楽でいいです。(麗)

カップヌードル

2011-10-24 09:22:04 | (里)のブログ
横浜に「カップヌードルミュージアム」なる施設ができたらしいです。
最近テレビでよーく取り上げられているので知りました。
日清の歴代のカップラーメン3000余点が並べられた展示があったり、
世界で一つだけのオリジナルカップ麺がつくれるファクトリーなど、
楽しそうなフロアが入っています。

カップヌードルはたまにむしょうに食べたくなる時がありますが、
昔からわが家では基本的に母から禁じられていました。
「そんな体に悪いものの塊をわざわざ食べないで」と。^^;
それでも、たまに機会があって食べる時には、具とスープを一切食さず(いかにも体に悪そうだから)、
麺のみをすすって食べたりしていました。
印象に残っているのは多分小学生だった時のこと。
流星群を見るため、寒い中夜遅くに空を見上げて待機していたのですが、
その時特別に「カップヌードル解禁令」が下りて(笑)、
外で熱々のカップヌードルを食べたんです。
流星群を見られるという特別感と、カップヌードルを食べられるレア感を一緒に味わえた日でした。


そんな感じで、年に1回食べるか食べないかだったカップヌードル。
しかし最近、「じつは危ない食べもの」という本でその中身を具体的に知ってしまってからは、
なかなか手が伸びません。
できる限り食べたくはありません。


カップ麺には軒並み入っている「たんぱく加水分解物」という成分。
これは文字通り、たんぱく質を加水分解したもので、作り方は、
①たんぱく質を含む材料(食肉処理した後の内蔵とか、水産加工場で出てくる廃棄部分など、安く手に入るたんぱく源)を用意する。
②そこに塩酸を加えて加水分解という化学反応を起こし、たんぱく質を分解する。この時アミノ酸が発生するので、魚のダシに似た味になる。
③最後に水酸化ナトリウム(カセイソーダ)を入れて中和する。

塩酸をカセイソーダで中和しているので、当然、大量の塩化ナトリウムを含んでいます。
これを頻繁に食べていたら、ナトリウム過剰になってしまいます。

水産加工場で出てくる廃棄物なども材料となりうるなんて、怪しい成分だな、と思いますが、
どういうわけかこの「たんぱく加水分解物」というのは「無添加食品」なのだといいます。


先述のカップヌードルミュージアムのホームページサイトには
「子どもたちひとりひとりの中にある創造力や探究心の芽を咲かせ、豊かに育てるための体験型ミュージアム」という謳い文句が。
カップヌードルを発明した創業者のクリエイティブな業績には感心させられるかもしれませんが、
健康を大いに害する恐れのあるカップヌードルという食べものを
これから体をつくっていく子どもたちがパクパク食べる姿に納得することはできません。
味覚も壊れていってしまうのではないでしょうか。

いま、「放射能と食べもの」が大きくクローズアップされていますが、
もともと私たちの身の回りには、食品添加物をはじめとしたありとあらゆる体に有害な「食品」がたくさんあると思います。
それらを一切摂取しないのは無理に近いとしても、食品を選んでリスクを最大限回避するのが大事ではないでしょうか。(里)

おすすめヒーロ―もの

2011-10-23 09:00:00 | (愛)のブログ
さて、今日は日曜日。
朝から「仮面ライダーフォーゼ」などヒーローものをみた方もたくさんいるだろう。

私にも、現在はまっているヒーローものがある。
それは「琉神マブヤー」!!
そう。沖縄で大・大・大人気のローカルヒーロー。
沖縄県内では、子どもたちに絶大な人気を誇ると言われている「琉神マブヤー」。
これがなかなかよくできたヒーローもので感心してしまう。

ある日、とあるきっかけで「琉神マブヤー」になった青年と、悪の軍団・マジムンが闘う、

といったヒーローものにありがちな基本設定。
だが、内容自体がかなり良くできた良識教育番組とも言える。
「琉神マブヤー」を見るごとに沖縄の文化・風習も学べるようになっているのだ。

私は第1話からみて衝撃だった。
「琉神マブヤー」の第1話のタイトルは
「ウチナーグチのマブイストーンがデージなってる」
訳すと、「沖縄方言のマブイ(魂の意)ストーンが大変なことになっている」という意味。
悪の軍団・マジムンが「ウチナーグチのマブイストーン」を盗み、封印することにより、
ウチナー(沖縄の人たち)がウチナーグチをしゃべれなくなってしまうというお話。
マジムンが、
沖縄の言葉をとりあげれば、沖縄人の心まで忘れてしまう、沖縄もこれで終わりだ、という内容のことを話すのだが、
いまさらっと、すごい言葉を言った!と衝撃を受けた。

「言葉をとりあげれば、その心まで忘れてしまう」
とても、ひとごととは思えないその言葉に、
う~んこのヒーローもの深いな~とうなずいてしまった。
1話15分くらいなのに、内容もしっかりしていて、
カメラワークも飽きさせない工夫がしてあり、
子どもも大人も楽しめる。
沖縄方言わかんないよ~という人もご安心を。
ちゃんと訳がついていて、同時に勉強もできるようになっている。

公式HPをみると、現在は「琉神マブヤー3」まで放映しているという。
まだ私もシリーズ1の途中までしかみていないので、これからが楽しみ。

「琉神マブヤー」は現在TOKYOMXでも、毎週土曜日18:15から放映しているので、
東京にいても見ることができる。
興味をお持ちの方はぜひどうぞ。(愛)


11年ぶりに

2011-10-22 09:00:00 | (淑)のブログ


 すでにお手元に届いた方もいらっしゃると思いますが、イオ11月号ができあがりました。特集「ようこそ!ウリ幼稚園へ」のほかにも、栃木で行われたセッピョル学園や、神奈川民族教育フォーラムなど、今回も盛りだくさんの内容となっています。ぜひお手にとってご愛読ください。 
   
 話は変わり、つい先日、久しぶりに中学時代の先生にお会いしました。たぶん卒業式以来なので11年ぶりです。
彼女は美術の先生だったのですが、私自身、美術は最も好きな授業の一つだったので、先生にはお世話になりました。
 いつも作品の構想を練るのが遅くて、なかなか制作に取り掛からない私を粘り強く待ってくれたり、アドバイスもたくさんくれました。
 先生が教えてくれた絵の描き方は今でも覚えています。感覚ではなく、理論で教えてくれたので記憶にはっきり残っているのでしょうね。
 その頃、先生は授業のほかに、ご自身の制作も続けていらして、何度か作品を見せてもらいました。作品の迫力に、子どもながら、情熱的な方なのだなぁと思っていました。
 思い出にひたってしまいましたが、久しぶりにお会いした先生は、お仕事に子育てにと相変わらずエネルギッシュな日々を送っているようで、お元気そうでなによりでした。11年ぶりの再会で懐かしいはずなのに、お話をしながら、なんだかとても新鮮な気持ちになりました。 同時に、あの頃先生ともっといろいろなことを話して、たくさん学べばよかったとも。
 
 先生と私を引き合わせてくれたのは、イオです。 誌面で先生の名前を見つけて、それから会うことになったのです。
今回だけではなくこれまでも、この仕事に携わっていなければきっと出会うことのない人、行くことのない場所、見ることのできないものがたくさんありました。些細なことでもいちいち感動してしまいます。いろいろな人、場所、こと、ものとのつながりがどんどんできていきます。イオ(つなぐ)の恩恵を一番受けているのは、私たち自身なのかもしれません。(淑)

今日は大事な会議の日

2011-10-20 18:59:58 | (相)のブログ
 季節はもう秋ですね。過ごしやすい陽気が続き、朝晩は冷え込む日も多くなってきました。現在、イオ編集部では12月号の制作に取り掛かっています。それと並行して来年の年間企画立案作業も行っています。
 通常の編集作業に加えて、年間企画の立案、そして年末年始も絡む10月から12月末~1月初めに続くこの時期が1年で最も忙しい時期かもしれません。

 その年間企画立案作業も大詰めにさしかかっています。ここで、イオの年間企画立案のプロセスを簡単に説明します。
 まず、編集部員全員で1年間の総括が行われます。1年間の特集、連載企画を議論の俎上に上げて、どの企画が良かったかのか、イマイチだったものはどれか、改善すべき点は何かなど、その年の編集コンセプトに沿って読者からの反響も加味しながら意見を交換します。そして、連載モノに関して「打ち切り」「そのまま継続」「改善したうえで継続」というふうに編集部員一人ひとりの意見を出し合い、来年の編集コンセプトと方向性についても各自見解を述べます。ここまでが第1段階。
 第2段階では、第1段階の議論に基づいて、編集部を2つのチームに分けて来年の連載企画を作成します。チーム内では各々が企画案を持ち寄ってプレゼンした後、それを全員で吟味し、ふるいにかけます。数回の会合を経てチームとしての企画案が取りまとめられるわけです。
 そして最終の第3段階。Aチーム、Bチームが集まる全体協議で各チームが作成した年間企画案を全員の前でプレゼンし、議論をたたかわせます。来年のコンセプトを固めて、連載モノに関しても「採用」「ボツ」を決定します。さらに、この場で出た意見をまとめて編集部レベルの最終的な年間企画の出来上がりとなります。

 簡単どころか、結構な具合で詳しく説明してしまいました(汗)。まあ、特別珍しいやり方ではなく、どこも似たような感じだと思いますが。
 現在、年間企画立案プロセスは第3段階にさしかかっています。本日今から編集部員全員参加の会議が開かれ、その場で大枠が決定します。Aチーム所属の私はプレゼン役を仰せつかりました。しっかりとプレゼンしたいと思います。
 私は昨年7月にイオ編集部へ移ってきました。思い起こせば去年の今頃は、足りない頭を必死に動かしながら企画をひねり出した記憶があります。以前所属していた新聞では年間単位の企画を事細かに決めるという仕事のやり方を経験してこなかったので、かなり苦労しました。
 何を書くのか、どのように伝えるのか―。言論に携わる者として当然の問題意識ですが、月刊誌という今までとは別の媒体の仕事をする過程で、この問いについて違った角度から考える機会に恵まれました。既存の読者はもちろん、さらに広範な層の人びと(同胞、日本人)に届く言葉、文字通り同胞同士を、朝・日を「이어주는」(つなぐ)言葉をいかにして生み出し、紡いでいくのか。その答えが簡単に見つかるなら誰も苦労はしませんが、この困難なミッションに取り組むことが、私も含めて在日同胞系のメディアに携わるすべての人びとに課せられた責務だと思っています。

 来年、イオはどんな新しいことをやるのか、その一端は12月下旬に読者の手元に届くであろう来年1月号で明らかになるでしょう。乞うご期待を。(相)

17年ぶりのウリハッキョ③「住所とギョウザ」

2011-10-20 09:00:00 | (瑛)のブログ

大森区馬込町東四ノ三〇
大森区馬込町東四ノ三〇
二度でも三度でも
腕章をはめたおとなに答えた
迷子のおれ ちっちゃなつぶ
夕日が消えるすこし前に
坂の下からななめに
リイ君がのぼってきた
おれは上から降りて行った
ほそい目で はずかしそうに笑うから
おれはリイ君が好きだった
リイ君はおれが好きだったか
夕日が消えたたそがれのなかで
おれたちは風や帆前船や
雪のふらない南洋のはなしした
そしたらみんなが走ってきて
綿あめのように集まって
飛行機みたいにみんな叫んだ
くさい くさい 朝鮮 くさい
おれすぐリイ君から離れて
口ぱくぱくさせて叫ぶふりした
くさい くさい 朝鮮 くさい

今それを思いだすたびに
おれは一皿五十円の
よなかのギョウザ屋に駈けこんで
なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
たべちまうんだ
二皿でも三皿でも
二皿でも三皿でも!

 岩田宏さんが書いた「住所とギョウザ」という詩は、茨木のり子さんの「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書、1979年初版)を通じて知った。この詩に親近感がわいたのは、馬込が近所、というそれだけではない。

 今春、近所の朝鮮学校に入学した息子は、帰宅後に宿題をしたり、おやつを食べた後は、近くの児童館や公園で遊ぶ。そこにはこの春まで4年も一緒に過ごした保育園時代の友達がいるからだ。保育園の子どもの大半は地元の公立学校に通う。学校に上がると、なかなか会えないので、互いの家を行き来したり、夏休みにはみんなでアスレチックに遊びに行ったりもして成長を楽しんだりもした。5月のある日に広い公園に連れていってくれたK君のお父さんは、息子がハッキョで習ったウリマルを教えると、「朝鮮語を習って韓国旅行に行きたいなぁ」なんてことを言って息子を喜ばせてもくれた。

 近所の子どもと遊んでいた息子の会話が耳に入ってきたことがある。「どこの学校?」との質問に「朝鮮学校。オレ朝鮮人だから」。堂々と答える姿は文句なしに嬉しかった。
 けれど、数ヶ月後は「オレ、○○小」と通ってもない日本の学校の名前を言っていた。
 明らかに使い分けている。(説明が面倒くさいのか!)と突っ込みそうになったが、やめた。
 ある日は、ハッキョのクラスメートが日本の女の子に告白されたことを家で話していたこともあった。クラスメートは、女の子の告白に「オレ、朝鮮人だけど…」と答えたという。(早熟だなぁ)と驚いていた私は、この返事に二度ビックリした。

 7歳の世界…。

 幼い彼らも、何かしらの「生きがたさ」を感じているのだろうか。

 冒頭の「住所とギョウザ」は植民地時代を描いた詩。日本人のおれとリイ君の温かい日常を描いた詩は、悲しい余韻を残している。
 日本の子どもも朝鮮の子どもも、民族の違いを越えてありのままの姿を受け入れながら成長してほしい。7歳の世界と岩田宏の詩に触れながら、私たちが異郷に暮らすことになった歴史が頭をよぎった。(瑛)

日刊イオに「抗議のコメント」を送ってくださる皆様へ―仮放免者の会第2回大会に参加して―

2011-10-19 09:08:35 | (K)のブログ
 この日刊イオに、「日本は朝鮮を敵対視するな」とか、「朝鮮学校を差別せず高校無償化を適用せよ」とか、少しでも日本を批判するようなことを書くと、必ず「抗議のコメント」を送ってくる人たちがいます。たぶん、日本人なのでしょう。仮名で正体を明かしていないのでわかりませんが。
 例えば、日本軍「慰安婦」問題を書くと「日本に補償する義務はない」というコメントが来たり、日本は朝鮮と仲良くすべきだということを書くと「あんな北朝鮮は敵視するのは当たり前」というコメントが来たり、高校無償化のことを書くと「朝鮮学校は外国人学校だからお金を出す必要はない」「朝鮮学校は反日教育をしているのでお金を出す必要はない」というコメントが来たりという感じです。



 話は変わりますが、9月16日の日曜日に都内で「仮放免者の会 第2回大会」が開かれました。私も今年のはじめに仮放免者の方たちを取材し月刊イオで取り上げたので参加しました(写真)。



 仮放免者について一般の人たちはほとんど知らないと思うので、何度でも書いてその存在を一人でも多くの人に知ってもらいたいと思います。

 さまざまな理由で母国に住めなくなり日本にやってくる外国人は少なくありません。しかし、例えば難民の人たちが日本に来てもほとんどが「難民認定」を受けられず、在留資格を持たないまま日本で生活することになります。難民だけでなく多くの外国人が在留資格がないままに日本で暮らしています。日本の入管は、正規の在留資格をもたない外国人をすべて収容することを「原則」としており多くの人たちが入管の施設に収容されています。長い場合は1年も拘束されことがあります。しかし、在留資格をもたない外国人をすべて収容することは現実的に不可能で、一旦収容した外国人を外に出すことになります。それを「仮放免」と言い、仮放免の状態にある人たちを「仮放免者」と呼びます。

 最近、入管の収容施設の職員が「外国人をいじめるのが楽しい」というようなことを言って問題となりましたが、収容施設内では非人道的な待遇(まともな医療を受けられないなど)を受けています。仮放免されても、日本に5年、10年と住んでいても在留資格をもらえなかったり職につけなかったり移動の自由がなかったりと、人権を蹂躙されています。こういった状況を前に、人間としての当たり前の権利を勝ち取ろうと仮放免者自身が立ち上がり、1年ほど前に結成したのが仮放免者の会でした。
 この1年間、仮放免者と支援者らは集会やデモをもち入管当局や日本社会に問題を訴えるなどの運動を行ってきました。そして、第2回の大会をもつに至りました。

 第2回大会当日、会場には座りきれないほどの人が集まり、熱気に包まれていました。仮放免者の会は関東だけでなく東海地方、関西地方でも結成され、運動が拡大しているそうです。外での仮放免者らの闘いと入管内での闘い(ハンストなど)とが呼応して大きな成果がもたらされています。長期の収容がなくなったり、仮放免者が2度3度と収容される再収容がなくなったり、仮放免の際に必要な保証金の額が低くなったりしています。


 第2回大会で、リーダーの一人が前に出て集まった仮放免者たちに語り質問しました。「職員たちは入管内で問題を起こしたら仮放免させないと言ったが本当か?」と彼が問うと、会場から「いや違う。闘ったから収容が短くなった」と声が上がります。「収容期間が短くなり再収容がなくなったのはなぜか?」と彼が問うと、「われわれが闘ったからだ」とまた声があがります。そして彼が「闘うためにはわれわれが団結しなければいけない」と言うと、大きな拍手が場内から沸き起こります。
 その光景を見ていて、胸が熱くなりました。われわれ在日同胞は現在、ある一定の権利をもって暮らしていますが、それらの権利の中で日本政府が自ら進んで与えてくれたものは一つもありません。1世の時代から同胞たちが団結し闘って、一つずつ勝ち取っていったものです。団結し組織を作り、学校を作ってきました。いま仮放免者の人たちは同じ道を歩んでいる。

 連帯のあいさつをした日本人の弁護士は、昔も今も日本政府の在日外国人政策の基本は「在日外国人に人権はない」というものだと語りながら、仮放免者たちの闘いで、いま日本政府は追い詰められて窮地に立たされていると強調しました。
 長期収容もできない、再収容もできない、そして来年には新しい入管体制がスタートするなかで、仮放免者の存在が日本政府にとってはもっとも頭が痛い、解決するには仮放免者に在留資格を与えるしかない―大雑把に言うとこういうことになります。

 仮放免者の闘いが、頑なな日本政府の態度を変えざるを得ないようにしている。すなわち日本社会を人権を尊重するより進んだ社会に変えているのだと、大会に参加して思いました。
 ネット上で排外主義的な言葉を垂れ流す人たち、在特会のように朝鮮学校を襲撃する人たちは、たぶん自分たちが日本のために行動しているのだと思っていることでしょう。しかし、本当にそうでしょうか。私から見れば仮放免者たちの方がよっぽど日本社会のために貢献しています。


 日刊イオに送られてくる「抗議のコメント」に対して、ここで、一つひとつ反論を書くことはしません。今後、日刊イオのなかで触れることがあると思います。ただ、日刊イオでいろいろと日本社会に対して書くのは、日本社会が少しでもより良い方向に向かうように願っているからです。そのことをぜひ、「抗議のコメント」を送ってくださる人たちに理解していただきたい。そして、これからもどしどしコメントを送ってもらいたいと思います。(K)


ケータイ乗り遅れ

2011-10-18 09:47:45 | (麗)のブログ
最近、私の周りにはスマートフォンを持つ人が増えてきている。会社の若い層はほぼスマートフォンを持って軽快に使いこなしている。
ちなみに私はまだ「パカパカケータイ」。今年で3年目に入る。職場でその話しで盛り上がると、正直ついていけない…。

「スマートフォンに変えないの?」という質問をよくされるが、とりあえず「まだ使えるから」と答えている。
今のケータイで不自由なく使えているし、特に私生活に支障をきたすといったこともない。
これは本心であって決して強がりとか、そういう類のものじゃない。と思っているが、自分の中で「この流れに乗ってたまるか」という変な反骨精神が主張しているのかもしれない。あと、単に変えるのが面倒くさいという理由もある。
「まあ今のケータイが壊れたら考えるかな~」と付け加えているが、この言葉から早くも揺らいでいるのが見て取れる。


半年くらい前に、パカパカ部分が半分ちぎれかけて修理に出したときがあった。
その時、電池パックのカバーも壊れてはまらなくなってしまったので、セロハンテープでとめるという、何ともみすぼらしいことをしていた。
店員に「電池パックのカバー、新しいのが欲しいんですが…」と尋ねたら、「こちらは販売修了の機種となっていますので、カバーはお取り寄せとなりますね~」と言われた。
販売修了…なんか時代を感じた。完全に乗り遅れている。


いまニュースでも「iPhone 4S」が話題となっている。3日徹夜してまで欲しい魅力がそこにはあるのだろうけれど、私がそれを手にするのはあともう少し先になりそうだなぁ。とみかんを食べながらのほほんとしている。(麗)

食文化いろいろ

2011-10-17 09:09:32 | (里)のブログ
「物語 食の文化」という本を読みました。
この本には、食材、調理法、食事のしきたり、さらに各地各時代の食文化などが広く紹介されています。
どのページから読んでも面白い、新書でありながら百科事典的な本でした。


本を読んでつくづく、豊食(飽食とも書きますね)の時代に生まれてよかったなと思いました。
今ほど食べものをあれこれ選べる時代はなかったでしょう。


本の中の「西洋の食文化小史」が面白かったです。

●古代ギリシャ人は1日3回の食事をし、朝食は朝日がのぼるとすぐ食べていた。
朝食には生のワインに浸したパンを食べていた。
好物は魚で、とくにウナギは最高級のご馳走であった。
●多くのローマ人は食い意地が張り、満腹になると鳥の羽根で喉をくすぐってわざと嘔吐し、胃を空にしてまで食べた。
客は横たわってひじ枕をし、右手の指で食べものをつまんだ。

…などなど。寝転がりながら食べ、吐いてはまた食べ、という食スタイルがあったなんて、初めて知りました。
西洋といったら、美食文化のフランス…とかいうイメージが先行していましたが、
古代や中世は今とまったく違う食文化が根づいていたようです。
興味深いです。


この本には朝鮮半島の食文化のことが直接的にはあまりふれられていなかったのですが、
以前、「韓国の食」という本をパラパラっと読んだ時に、とても興味深いことを知りました。
朝鮮の宮中では朝、起きて顔を洗った後にすぐお粥を食べる習慣があったそうです。
「粥膳」という、朝ごはんとは別の食事です。
その後、着替えてからふたたび朝の食事をしていました。



「ただ食す」という時代から、美味を求め、さらには健康増進のためにとられるようになった食事。
食の文化は本当に奥深く、面白いです。(里)