日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

朝鮮の麺

2015-07-31 09:00:00 | (瑛)のブログ


 季節は猛暑だが、秋を迎える9月号のイオを作成する日々。昨日は朝鮮の麺作りの取材だった。

 特集するたびに毎回思うことだが、料理は奥が深い。その食べ方や作り方をひも解いていくと、庶民が工夫をこらしながら生きてきた日々を見るようだ。大げさにいうと5000年にわたる朝鮮の食の歴史が自分につながっているなぁと実感する。この間、朝鮮大学校で栄養学を教えるJ先生や薬膳料理のK先生に関連図書も紹介いただき、自分の中で麺の世界がどんどん広がっている。

 …朝鮮では麺料理がよく食べられる。とくにおめでたい誕生日、婚礼、賓礼用には特別メニューとして麺が欠かせない。
 麺の長い形状は、誕生日には寿命の長さを祈ることを意味し、婚礼では結縁の長さを願う意味に使われる。

 朝鮮半島では農作の二毛作で小麦の栽培が出来るのは中部以南に限定される。ために小麦からの麺料理を日常食にするには足りず、特別な料理に扱われるようになったと考えられている。

 ともあれ、伝統的な麺料理の代表は温麺、冷麺、ピビムミョン、カルクッス(手打ち麺)で、材料はそば粉、小麦粉、各種のでん粉などである。味付けはしょうゆ味だけのもの、ユッス(肉水)と呼ばれる肉味のスープは、古くは雉肉だが近頃は牛肉が多い…。

上記は全鎮植・鄭大聲編著の「朝鮮料理全集5―ご飯と麺類」(柴田書店、1986)によるが、興味深かったのは製麺業の発達に「仏教の寺院」が大いに関わっているという記述だった。

…高麗時代の10世紀からは仏教の全盛期に入る。寺院には多くの人が集まるし、その食事を作ることが要求される。…こうしたなかで、寺院は自己の消費する食糧のみでなく、他にそれを販売することも手掛けた。製麺業、製茶業、醸造業、野菜の生産などがその例である。

…大量の麺を作ることを必要とした寺院は、押さえ抜き型の「製麺機」を発明している…。

 「文化麺類学ことはじめ」(石毛直道、1991、フーディアムコミュニケーション)も勉強になった。

…朝鮮半島の麺類は、製麺法のちがいにより、ネンミョンとカルックスのふたつに分類される。ネンミョンはソバ粉を主原料にした押しだし麺で、カルクッスはコムギ粉を主原料にした切り麺だ。

カルクッスの「カル」は包丁ということばなので、「包丁麺」、すなわち切り麺という意味になる。めんどうなのはネンミョンという名称だ。…ネンミョンには冷麺の漢字があてられ、冷たくして食べる麺という料理の名称でもある。麺に使用する麺がソバ粉を主原料とした押しだし麺であるために、麺自体の名称と麺料理の名称がおなじものになっている…

 石毛さんは、山がちで冷涼な気候で、畑作で雑穀栽培をおこなった地域が「ネンミョン卓越地帯」となり、平野部が多く、温暖な気候の場所が「カルックス卓越地帯」となったと紹介している。「ネンミョン卓越地方」とは、平安道、咸鏡道、江原道、「カルックス卓越地帯」とは、黄海道、京畿道、忠清道、慶尚道、全羅道となる。

 朝鮮の麺といえば、平壌冷麺が有名だが、今回は、日本のすいとんに似たスジェビ(写真)、温麺、ミビム麺など、地方の郷土料理や在日の食文化として親しまれた麺レシピを紹介する。

 目玉はカルックスのレシピ。思えば、1世の祖母手づくりのカルクッスを一度だけ食べたことがあったっけ。

9月号では、本場の作り方を載せる予定なので、読者の皆さんもぜひチャレンジしてみてください。(瑛)
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イオの本「高校無償化裁判」と安保法案反対運動

2015-07-30 09:00:00 | (K)のブログ


 ここで何度か紹介していますが、月刊イオ編集部による書籍、「高校無償化裁判~249人の朝鮮高校生 たたかいの記録」が7月14日に完成しました。
 私は14日の午前に納品された、できたての本を持って午後に大阪へ。夕方には大阪の無償化裁判の弁護団へ手渡しました。翌日の15日に大阪地方裁判所で無償化裁判の第12回口頭弁論が開かれたのですが、何点かの証拠の一つとして、この「高校無償化裁判」の本が裁判所に提出されたのです。裁判勝利のために少しでも役立ちたいと作ったものだっただけに、さっそく利用していただいたことに大きな喜びを感じました。
 大阪での裁判が終了した後、報告集会で本ができたことをアピールすることもできました。

 その後、すぐに新幹線で北九州市小倉に移動しました。16日には福岡地方裁判所小倉支部で九州での無償化裁判第6回口頭弁論が行われました。裁判終了後の報告集会で、この本がさっそく販売されており、飛ぶような売れ行きでした。ここでも本のことをアピールしました。

 本の内容については上の広告をクリックしてください。無償化裁判のことがすべてわかる内容となっています。

 さて、安倍政権による安保関連法案が衆議院を通過して、それを前後し今も国会前では、反対する人たちによる抗議行動が繰り広げられています。
 連日流れる報道やネットでの動きを見ていて思うのは、国会前やいろいろな場所で抗議の声を挙げている人たちは、高校無償化制度から5年間も朝鮮学校だけが排除されているという、とんでもない差別が国家によって続けられているということをどれだけ知っているのか? 日本が2006年から朝鮮民主主義人民共和国に対する独自の制裁を続け敵対し緊張を煽ってきたことをどれだけ知っているのか?ということです。何万人も参加しているようなので、知らない人も多いでしょうし、眼中にない人がほとんどでしょうし、いろんな考えの人がいることでしょう。戦争へと突き進む安倍政権を反対することと、「朝鮮学校を高校無償化から排除するのは当たり前」「北朝鮮を制裁するのは当たり前」ということが矛盾していない人も少なくないようです。

 安倍政権が退陣し、次の政権が高校無償化から朝鮮学校を排除し続け、朝鮮に対する制裁を続け、在日朝鮮人に対して弾圧を続けても、「安倍政権を打倒して良かった良かった」とすべてが解決したとするような運動なら、どれだけの意味があるのかと、ひとりの在日朝鮮人として思います。何万人もの参加者のうち、何パーセントかでも、大阪府庁前で毎週やっている火曜行動や、文科省前でやっている金曜行動に参加してくれないものかと思ってしまいます。
 以前にも書きましたが、安倍政権に反対する運動の中で、「このままだと北朝鮮みたいな国になってしまう」というような言葉をよく耳にしたり目にしたりしますが、まったく歴史認識のない発言であり、そういうことを言っているうちは、日本社会の本質を何も変えることはできないと思っています。

 国会前で抗議行動をしている人たち、特に若い人たちに、月刊イオ編集部で出した「高校無償化裁判」の本をぜひ読んでいただきたいと思っています。(k)
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新婚さん宅へ…

2015-07-29 09:00:00 | (麗)のブログ
先日、後輩の新婚夫婦宅に数人でお邪魔する機会がありました。

知り合いの新婚宅にお邪魔するのは何度かありましたが、何回味わっても緊張します。

最初はみなソワソワして中々座ることもできず、部屋をいろいろと見たり、
緊張しているのか何だかよくわからない家の感想を言ったりしていました。
お酒も回り大人数で食卓を囲む楽しさに時間を忘れた結果、見事に長居してしまいましたが、
素晴らしい手料理と笑顔を振舞ってくれた後輩に感謝。

いずれ自分も他人に手料理を作ることになるのか…と、
一瞬「毎日は無理そうだなぁ」という思いが芽生えることもしばしば…。

新婚ホヤホヤトークもたくさん聞くことができ、幸せを目一杯分けてもらいました。(麗)


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世界の果てのこどもたち

2015-07-28 09:00:00 | (理)のブログ
 中脇初枝さんの小説『世界の果てのこどもたち』を、(瑛)さんに借りて読みました。著者は、現在公開されている呉美保監督の映画『きみはいい子』の原作者でもあるそうです。こちらの映画も気になります。

 本書のあらすじは、以下のとおり。

―戦時中、高知県から親に連れられて満州にやってきた珠子。言葉も通じない場所での新しい生活に馴染んでいく中、彼女は朝鮮人の美子(ミジャ)と、恵まれた家庭で育った茉莉と出会う。お互いが何人なのかも知らなかった幼い三人は、あることをきっかけに友情で結ばれる。しかし終戦が訪れ、珠子は中国残留孤児になってしまう。美子は日本で差別を受け、茉莉は横浜の空襲で家族を失い、三人は別々の人生を歩むことになった―

 この作品は、ノンフィクションではありませんが、単なるフィクションとも違います。実際にたくさんの「珠子」「美子」「茉莉」がいたことは想像に難くないでしょう。また、戦争や置かれた立場によって、いかに人が変えさせられてしまうかということが、かのじょらが出会う様々な大人たちの姿を通して語られます。それまでは助け合いながら生きていた人たちが、「○○人」「○○人」と互いに憎しみや怖れを持つようになる。同じ日本人同士でも、自分と家族を守るために他人を踏んで押しのける。第2次世界大戦後の描写は凄惨で、淡々とした文体が場面のむごさを際立てていました。

 しかし3人の少女たちは、時代や環境、そして非情な人々に翻弄されながらも、一つのおにぎりを分け合った時に感じた気持ちを糧に、その後の苦しい日々を生き抜いていきます。それぞれ、差別に直面した時、人を押しのけようとした時、自分の存在を疑いそうになる時、なんの偏見も隔たりもなく、友達として助け合ったその瞬間を思い出し、勇気を得てもう一度踏み出すのです。周りに流されて無意識的に他人を傷つけていないか、「おにぎり」を思い出しては足を止めて考える、少女たちの素直さと強さに胸を打たれました。

 考えさせられることがたくさんあって、また何度でも読み直したい、そうしてずっと大切に覚えていたいと思える物語でした。同時に、多くの人に読んでほしい、これを読んだらきっと色々なことがわかるのに、そうも思いました。(理)

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青商会主催の合同パダモイン

2015-07-27 09:00:00 | (愛)のブログ

先週の「海の日」。
地域で青商会主催の合同パダモイン(海水浴)があるというので、参加してきました!

チャーターされたバスに早朝から乗り込んで、いざ千葉の海へ。
海に行くのは4年ぶり。5m位しか泳げない私にとって海は敷居が高いけれど、行くと楽しいものです。
ここ最近の都会の真夏の暑さに比べると、日差しは暑いけれど海風が涼しくて、波もひんやりと心地よく、久々にゆったりとした時間を過ごせました。
子どもも初めての海に最初は戸惑ってましたが、段々慣れて帰る間際はまだ海にはいりたい~とだだをこねるほど楽しんでいました。

お昼はビールサーバーと七輪を持ち込んでの焼肉!海で飲むビールのおいしさは格別でした。
午後は子どもたちのためのイベント、スイカ割り!
おもちゃのバットだったので、全く割れる気配はなかったものの、子どもたちは皆で声を掛け合ったり、助け舟をだしたりととても楽しんでいました。

今回の海水浴、行ってよかったなと思ったことのひとつが、旧知の方たちとまた出会えたことです。
地元の先輩、大学時代の先輩、そして遠い親戚にあたる友人たちと久々に会えて、実は住んでいる場所が近かったりと、嬉しい発見がありました。
お互い結婚もして子どももいて、新たな環境の中でまた偶然会えたことがなんだかとても嬉しかったです。
こういったイベントでまた偶然旧知の方たちと出会える、同胞のイベントの醍醐味ですね♪
体はクタクタになったけれど、心の中はほっこりした1日でした。(愛)


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文科省前での「金曜行動」

2015-07-24 09:00:00 | (S)のブログ




朝鮮学校への高校無償化適用を求め、文科省前で行われている「金曜行動」。毎週金曜日午後4時が近づくと続々と人が集まり、横断幕を掲げ、声を上げ、うたを歌う。この抗議活動は朝鮮大学校の生徒たちの呼びかけがきっかけで始まり、すでに2年が経つ。

普段より多い1000人が集まった7月10日、「金曜行動」に参加するのは2回目というひとりの朝鮮高校生の口から漏れたのは、「不安」だった。

「こうして文科省前に立ってみると、今の難しい状況を肌で感じる。道を歩いている人たちが、私たちが投げかける声を聞いてどう思っているのだろうか。文科省の方たちも、私たちが言っていることを聞いてくれているのだろうか」

それはきっと、この場所に立ってきた人たちの多くが味わってきた「絶望感」。この場所に立つことによって感じる「壁」だ。しかし、この場所に立たないと得られないものがあるのではないかと思う。

スピーカーからは、こんな言葉が響いていた。
「差別と闘い叫ぶことは、時につらくやりきれない思いになります。しかし、差別に正面から立ち向かうこの場に立つことによって、私たちの心は強くなっています。それは、勝利を勝ち取るその日まで、私たちに諦めない信念をくれることでしょう」

強い心があっても、なにもしなければ知らずとそれは薄まっていく。この場に何度も集まって、何回も闘う意味を確かめ合う。「壁」を前に、それでも「頑張らなくては」と繰り返し決心する。金曜日の文科省前は、そんな場所になっていると感じた。

この日、新たにつくられた「金曜行動のうた」が初めて合唱された。朝大研究員生の1人が作曲、朝大外国語学部の日本語科メンバーが作詞した。ここで全文を紹介したい。



 金曜行動のうた


1.今日も叫ぶ소리(ソリ) 届かない声
だけどやって来た たたかいの金曜日
汚された우리(ウリ) はじかれる権利
かちとる歌 あきらめない金曜日

부르자(プルジャ) たたかいの歌を
歌おう この声が届くまで
모여라(モヨラ) みんなが待っている
集まろう 今日もこの場所で

2.かき消される노래(ノレ) むなしいだけの歌?
だけど歌う理由が ちゃんとある金曜日
にぎりしめた拳 ここに生きる証
怒りの歌 負けられない金曜日

부르자(プルジャ) たたかいの歌を
歌おう あの涙が乾くまで
모여라(モヨラ) みんなが呼んでいる
集まろう 今日もこの場所で

3.私たちの미래(ミレ) ともにひらく未来
だから歌う理由を 確かめ合う金曜日
君と歌う노래(ノレ) もっと声よ集まれ
希望の歌 明日へ響け 金曜日

부르자(プルジャ) 明日への歌を
涙が 笑顔に変わるまで
모여라(モヨラ) みんなが待っている
集まろう 今日もこの場所で
歌おう 今日もこの場所で
  (S)

※소리(ソリ)=声
 우리(ウリ)=私たち
 부르자(プルジャ)=歌おう
 모여라(モヨラ)=集まろう
 노래(ノレ)=歌
 미래(ミレ)=未来
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あらためて、高校無償化裁判本が出ました

2015-07-23 09:00:00 | (相)のブログ
 

 

 今回のエントリでは、先日イオ編集部が出した本「高校無償化裁判~249人の朝鮮高校生 たたかいの記録」についてあらためてお知らせを。
 本書完成後、購入方法などの告知が不十分だったため、問い合わせが多数寄せられました。申し訳ありません。
 書籍の購入に関してはメール、ファックスで注文を受け付けています。お届け先の住所、郵便番号、宛名、電話番号、希望の部数を明記の上、
E-Mail:order@io-web.net
FAX:03(5615)4095
までお送りください。本体価格800円(税別)+送料となっています。
 電話 03(6820)0107 での注文も受け付けています。
 詳しくは本誌ウェブサイト内の特設ページ http://www.io-web.net/ad_musyouka/ まで。本エントリの冒頭に貼り付けたバナーをクリックしてもいけます。

 2010年4月にスタートした高校授業料無償化・就学支援金支給制度(以下、高校無償化制度)は外国人学校に通う生徒たちも対象とした画期的なものでしたが、5年がたった今も外国人学校の中で朝鮮高校だけが排除されています。2012年末に誕生した安倍自公政権が制度から朝鮮学校を排除するために省令を改悪するという暴挙に出た後、たたかいの主な舞台は法廷へと移りました。無償化裁判は現在、愛知、大阪、広島、九州、東京の5ヵ所で行われています。
 本誌イオは2010年の制度スタートから現在まで、折に触れてさまざまな形でこの問題を誌面で取り上げてきました。昨年からは、各地で行われている裁判の記録を毎月2ページで掲載しています。
 本書は、高校無償化制度から朝鮮学校がはじかれた経緯や現在各地で係争中の裁判における主張や論点に加え、裁判支援に関わる人々の声も丹念に拾っています。資料として、関連日誌、東京無償化裁判の訴状や裁判所に提出された意見書なども載せており、この一冊で問題のすべてがわかるようなつくりになっています。これまで高校無償化からの朝鮮学校除外の問題について網羅的にまとめた書籍はありませんでした。勝訴に向けた各地の裁判および支援運動に資するような本にしたい―そんな思いを作り手として込めました。
 緊急出版ということで、いろいろと足りないところもあるかもしれませんが、ひとりでも多くの方々が本書を手に取っていただければ幸いです。(相)
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イオ8月号ができました!

2015-07-22 09:00:00 | (瑛)のブログ


数日前から夏本番の暑さですが、皆さまお元気でしょうか。

さて、夏らしいイオ8月号が完成しました!

表紙はプロビーチボールバレー選手の黄秀京選手。今年2人目となる女性選手で、五輪出場を目指すパワフルな姿が印象的です。

来たる8月15日、私たちは日本の植民地解放から70年を迎えますが、特集では、「統一はロマン?」と題して、私たちにとっての「祖国統一」を考えてみました。

1991年の統一卓球チームの感動、61年ぶりに故郷訪問を遂げた一世の思い、スパイのぬれ衣を着せられた元留学生の苦しみ、韓国の大学生と平壌で過ごした青春時代、三千里鉄道への夢…。

今回の特集では、たくさんの方々が登場されていますが、その語りから、「なぜ統一なのか」が浮かび上がってきます。統一への思いは世代を重ねるごとに変わってきているのは事実でしょう。シビアな意見も聞きます。
しかし、何より、大国によって引き裂かれた「祖国分断」というこの不正常な状態に、多くの在日コリアンが人生を大きく規定されている事実に目を向ける必要があると感じます。

この間、雑誌を作りながら思いだしたのは、やはり、祖国解放を誰よりも喜んだ無数の一世の存在と、統一を見られなかったかれらの無念です。

他にもイオ編集部が総力をあげて作った高校無償化裁判本の紹介や、出版にちなんだ座談会「民族教育の権利、裁判闘争でどう勝ち取るか」、マンガ「はだしのゲン」を韓国で出版した金松伊さんのエッセイ、在米同胞アジュンマ・シンウンミさんの統一トークなどの記事が掲載されています。

柳美里さんや金満里さんの連載も読みごたえがあり、人気のマンガ「明日への手紙」は最終回を迎えます。どうぞ手にとってお読みください。(瑛)



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大阪と九州で無償化裁判

2015-07-21 09:00:00 | (K)のブログ
 7月15日と16日、大阪と九州で連日、高校無償化裁判の口頭弁論が行われた。二つの裁判を取材したので報告したい。



 大阪での無償化裁判の口頭弁論は第12回目となる。7月15日、大阪地方裁判所には多くの保護者や日本人支援者が集まった。特筆すべきは大阪福島朝鮮初級学校の6年生児童、9人が傍聴に駆けつけたことだ。
 裁判では、弁護団の三好吉安弁護士が意見陳述を行った。原告の朝鮮学園側は新たに、藤永壮大阪産業大学教授、田中宏一橋大学名誉教授、伊地知紀子大阪市立大学教授の3名の鑑定意見を提出しており、意見陳述ではその3つの鑑定意見書の内容が語られた。

 藤永壮教授の鑑定意見書は、「在日朝鮮人の民族教育に対する日本の政策(1920年代~1960年代前半)に関する意見書」と題されている。その中で次の部分がのべられた。
 「下村大臣は、朝鮮学校が『第1条校化すれば済む話』、すなわち朝鮮学校が1条校になれば高校『無償化』制度が適用されるとも述べているが、このような主張は日本国家が繰り返してきた朝鮮学校抑圧の方針を下村大臣自身が継承していると宣言したに等しい。朝鮮学校に対して1条校になることを要求することは、『日本語』科目以外のすべての授業を朝鮮語で実施するなどの、これまで長きにわたって朝鮮学校が培ってきた民族教育の方針を放棄させることを意味している」「すなわち下村大臣が示した『第1条校化』とは、朝鮮学校の実施する民族教育を骨抜きにし、これを日本の国家権力の管理、統制下に置こうとする、旧態依然とした同化主義的発想にほかならないのである」

 田中宏名誉教授の鑑定意見書では、1960年代半ば以降の朝鮮学校の状況が語られた。すべての朝鮮学校が各種学校として認可されたこと、地方自治体から朝鮮学校に補助金が交付されるようになったこと、03年の大学受験資格問題などを挙げて、朝鮮学校での教育は、日本学校での教育と同じ「普通教育」であり、「教育の同等性」が承認されたことを意味すると分析、「問題の核心は、いうまでもなく、朝鮮高級学校が、高校無償化法にいう『高等学校の課程に類する課程』に該当するかどうかである」としている。

 伊地知紀子教授の鑑定意見書は、大阪府内にある朝鮮学校全10校の保護者を対象としたアンケートなどを踏まえ、保護者の世帯状況、就労状況、朝鮮学校や教育に対する意識などを調査し、高校無償化制度や補助金の不支給といった事態におかれた子ども、保護者の状況について分析した結果をまとめたものである。
 鑑定意見書では、保護者が多様化している事実がまず語られ、日本で出生し、日本で一生を送る世代が大部分を占め、国籍が多様化し、日本学校の経験者も一定割合存在している、このように多様化した保護者が、無償化制度から除外されてもなお朝鮮学校を選択しているのは、朝鮮学校における民族教育、自分の歴史や文化、言語の承継に重きをおいているからだと指摘した。
 次に、保護者たちは、無償化制度からの除外により、他の学校にはない経済的負担を強いられていること、他の学校の保護者と同じように税金を支払っているのになぜ差別されるのかと疑問を呈していることが語られ、アンケートの自由回答欄でも、差別であるとの意見が圧倒的多数を占め、政治と教育は別であるとの意見、無償化制度からの除外は、在日朝鮮人や朝鮮学校を差別してもよいとの意識を、公的に、一般市民に植え付けるものだという意見があったことが指摘された。今回、アンケートの回答はすべて裁判所に提出された。

 裁判の最後、弁護団団長の丹羽雅雄弁護士が、裁判官に対して、朝鮮学校を訪問し子どもたちや教員、保護者の姿、学校の様子を直接訪問してぜひ見てほしいと検証申請した。

 裁判終了後には報告集会がもたれた。準備書面の内容が紹介され、伊地知教授がアンケートを分析したことについて報告した。最後に、参加した大阪福島朝鮮初級学校の児童から弁護団に感謝の気持ちを込めた千羽鶴が贈られた。弁護団の金英哲弁護士が大阪福島初級の卒業生で、前の週に金弁護士との座談会も持たれ、子どもたちは裁判の勉強も重ねてきたという。

 大阪での無償化裁判では、今回、月刊イオ編集部が編集した書籍「高校無償化裁判~249人の朝鮮高校生 たたかいの記録」が証拠の一つとして裁判所に提出された。

 大阪の無償化裁判の第13回口頭弁論は、10月14日午前11時から大阪地方裁判所で開かれる予定だ。



 九州での無償化裁判は、7月16日、福岡地裁小倉支部で行われた。第6回口頭弁論となる。保護者や日本人支援者、そして九州朝高の生徒たちがたくさん傍聴に詰め掛けた。

 裁判ではまず、原告のひとりの生徒が意見陳述を行った。生徒は、小学生の時に無償化のことを聞いたが、朝鮮学校も対象になるということで母親がすごく喜んでいたことを覚えている、しかし、除外されてしまったと話を始めた。除外されたことにより経済的な負担が強まり、子ども3人を朝鮮学校に送るため、母親は朝早くから夜11時まで働かなければならないこと、自分もアルバイトをせざるをえず、幼い弟と妹が留守番をしなければならずさびしい思いをしていることを語った。朝鮮学校除外は自分の将来にも大きな影響を与えており、大学進学を希望しているが、それが正しいのか、働く両親を楽にさせなければならないのではないかと考えていると心のうちを吐露した。最後に、弟が高1になる時には必ず適用になってほしい、政治的なことではなく朝鮮学校で私たちがどのように学んでいるのかを見て判断してほしいと訴えた。

 引き続き、弁護団の安元隆治弁護士が準備書面を読み上げた。
 安元弁護士は、国が排除の理由の一つとして「規程13条に適合すると認めるに至らなかったこと」を掲げていることに関して、「規程13条に適合すると認めるに至らなかったことという判断が無償化法により与えられた文科大臣の裁量を逸脱しており、朝鮮高校の生徒の学習権に関し不当な差別をもたらしていると論じた。その理由として、文科大臣の裁量と言っても、あくまで無償化法により与えられた権限であり、当然、無償化法の趣旨に則って行使される必要があり、完全なフリーハンドでの判断が許されるものではないとしながら、次の3点を挙げて、裁量を逸脱していて不指定処分は国賠法上違法であるとした。
 一つは、裁量権行使のあり方が無償化法の趣旨に反し許されないこと。二つ目は、事実誤認に基づく判断は許されないこと。三つ目は、政治・外交的配慮を持ち込むことは許されないこと。
 そして、「不当な支配」などの国の持ち出した論理や、朝鮮学校だけに「支援金が確実に充当されるか」と不当な「懸念」をかけていることなどが指摘された。

 裁判終了後には約200人の参加のもと報告集会が持たれた。九州無償化裁判の第7回口頭弁論は、11月12日午後11時より、福岡地裁小倉支部で行われる予定だ。(k)
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「コッソンイ」ポスター2015、完成!

2015-07-17 09:00:00 | (麗)のブログ
今年も朝鮮新報が主催する作文コンクール「コッソンイ」のポスターが完成しました!
今回は私がイラストを担当しました。今年は写真×イラストというテイストになっています。

さて、ノートに書かれたメモをご覧下さい…。
「《コッソンイ テーマ》
1.先生の秘密 2.変な猫 3.お化けを見た
お化けを見た! 理科室でお化けが実験をしていた…」

「コッソンイ」に募集する作文のテーマを考えている生徒。
その周りには、子どもたちが作文を書く上での注意点をそれぞれ教えてくれています。
「興味がわくタイトルをつけよう!」と、博士に扮した女の子。
「キラッと輝く私だけの話」と、双眼鏡でのぞく女の子。
「誤字、脱字、ぎこちない言葉!」と、正拳突きをする男の子。
そして、理科室で見たチョゴリを着た女の子のお化けも…!

すでに全国のウリハッキョでは、このポスターが掲示板や教室に貼られていることでしょう…!
生徒たちがイラストを真似して描いてくれたら嬉しいですし、このポスターが創作意欲を爆発させる起爆剤になれたらと思っています^^

今年も、生徒たちの個性あふれる楽しい作品、待ってます!(麗)
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怖い

2015-07-16 09:00:00 | (理)のブログ
 この歳になってようやく、幽霊などといったものへの恐怖がなくなってきました。もともと霊感と呼ばれるものも一切ないし不思議な経験も皆無なので、怖がる方がおかしいのですが…。

 それよりも、先日『ヘイトスピーチ 「愛国者」たちの憎悪と暴力』(安田浩一著)を読みながら、目の前にいる人と言葉の通じ合わない状況が一番怖いことなのかもしれないな、と感じました。

 本書では、筆者がこれまで取材してきたヘイトスピーチの現場を振り返るとともに、「愛国者」を名のる人々がなぜ排外主義に走るのか、当事者たちの主張を引用しながら考察しています。筆者も繰り返し書いていますが、その「愛国者」たちの主張というものに論理性はありません。主にネットで得た言説のみを持って差別意識をどんどん肥大させ、少しでも都合の悪い言葉は怒鳴り声でかき消す。無茶苦茶な主張が、こんな強引に拡散されてしまう。被害者の声や気持ちは一切届かない。それがとても怖かったのです。

 同じような怖さを私は取材の場で感じました。2013年最後の金曜行動。その日は、朝鮮大学校の代表らによる要望書の提出もありました。朝大生らは要望書の他に、自分の言葉で書いた抗議文を、何度も職員に訴えかけるように読んでいました。建物の外からは、「適用しろ!」「差別反対!」と、すでに集まった人々による抗議の声が上がっています。しかし、文科省の職員は目の前の学生たちと最後までほとんど目も合わせず、ただただ事務的に書類を受け取り帰っていきました。その姿を見ながら、頭に血がのぼるどころか血の気が引きました。私はそれまで、立場や主張が異なっても、こちらの思いを切実に伝えればまずはきちんと向き合ってもらえると信じていたからです。

 昨日の午後、衆院特別委員会で安全保障関連法案が強行採決されました。そのようすを動画で見て、再び背筋が凍る思いでした。「強行採決反対!!」などと書かれた紙を持ち、大声で抗議するたくさんの議員たちがいるにもかかわらず、そのまま可決され終わってしまった会議。国会前のデモも見ましたが、戦争や、日本に暮らす一人ひとりの命に関わる問題なのに、その一人ひとりの声が全く届いていない。本当に恐ろしいことになっているな、と途方に暮れました。いま、さまざまな所で噴出している個人、または人々の怒りの声。怖がるだけではなく、私もいち早く呼応していかなければ、と焦りを覚えました。(理)
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「統一」と「祖父」

2015-07-15 09:00:00 | (愛)のブログ
先日、やっと8月号の〆切が終わりました。
8月号の特集は「統一はロマン? ~70年の節目に」です。

8月15日、朝鮮が長い植民地支配からやっと解放された記念すべき日。
それから70周年となる今年、「統一」について考えてみる企画です。

「統一」という言葉を聞くと私は祖父を必ず思い出します。
私の祖父は在日1世で、10代の頃に生きていくために働き場所を探しに日本に渡ってきました。

私が幼い頃、祖父は自分の半生のことをよく話してくれました。
植民地時代がどんなにひどく惨めなことだったか。食べるものもろくになかった。
学校でもっと学びたかったのに、働かなくては生きてはいけなく、働く場所もないから日本に渡ってきたと。
幼いと働かせてくれないため、ごまかすために大きな手袋をして、働くための札をもらったりしたこと。
日本に渡ってからは必死に働きながら、家に仕送りもして、それでも勉強をしたくて、稼ぎながら夜学に通ったこと。
解放した後は自分の仕事場で働いていた同胞たちを祖国に帰すために一勝負打った事。
南に帰った同胞たちからひどい情勢だということを聞き、落ち着くまで待とうと思ったが、そのうちに分断され自身の故郷に帰れなくなったこと。
日本で自分たちの学校を建てようとして困難に直面したとき、北から教育援助費と奨学金が送られてきて、大変感動したこと。

それからの祖父は、自分が裕福に暮らすためではなく、祖国のため、未来の子どもたちのために生涯を捧げた人生だった。
時おり、祖父の母が南から日本に来たりもしたが、祖父自身は故郷には終ぞ帰れなかった。
6.15共同宣言が発表された2000年の2月に還ってしまったから。

2000年4月、私は朝鮮大学校入学式の日に、南北首脳会談が開かれることを聞いた。
入学式の会場がわっと喜びに沸いたあの瞬間、喜ばしい反面、私はすごく悔しかった。
もう少し生きていたなら、この人生最大に嬉しいニュースを聞けたはずだったのに、と祖父の顔がよぎったから。

いつも朝鮮新報を隅から隅まで読んでいた祖父、自身の故郷の話しを感慨深げに語る祖父、いつか統一された朝鮮で堂々と故郷に帰るために、祖国にすべてを捧げた祖父を想うと胸が締め付けられます。

私の祖父だけでなく、きっと多くの1世たちが悲願をかなえられずに還ってしまわれた方が多数だと思います。

その祖父の想いを私たち3世、4世がつながなくては、と切実に思います。

6.15共同宣言、10.4共同宣言の後からは、遠のいた印象もある「統一」ですが、
ロマンとしてではなく、ひとりひとりの実感として、「統一」を感じられる、そんな日が来ることを願いながら今年の8.15を迎えたいです。(愛)
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映画「標的の村」を観て

2015-07-14 09:00:00 | (S)のブログ


5年前、新型輸送機「オスプレイ」の配備とそのための離着陸帯(ヘリパッド)建設に反対し闘った、沖縄県東村高江の住民たちの姿を記録したドキュメンタリー映画「標的の村」(監督:三上智恵)。先日の新聞の折り込みに、近所で上映会をするという案内が入っていたので観に行った。

ヘリパット建設を阻止しようと座り込んだ住民を国が訴えたSLAPP裁判や、ベトナム戦争時に米軍の実践訓練場として造られたベトナム村のことなど、自分が知らなかったことが語られていた。

なによりも知らなかったのは、そこに映し出される住民たちひとりひとりの姿だ。説明もなしにオスプレイ配備を強行する国への怒り、常に「日本人」の捨石にされてきたという怒り、そして沖縄への思い…。必死の抵抗も虚しく、オスプレイはあっけなく沖縄に到着する。そのようすを眺める住民たちから、言葉にできないほどの悔しさが伝わってくる。

途中、同じ沖縄県民である警察と住民が衝突するようすを上から見下ろす米兵の姿が映る。そのほんの一瞬の映像が、沖縄の現状を生む根本的構図を映し出していた。

闘い続ける大人たちを見てきた11歳の少女が「お父さんとお母さんがしんどくなって頑張れなくなったら、次は私が頑張る」と話す姿に胸が締め付けられる。

沖縄の基地問題はニュースでも見かけるが、そこには映されていないものがこの映画で見えてくる。「スクリーンに叩きつける、伝えきれない沖縄」。見終わってからもう一度チラシのキャッチコピーを見ると、その意味がひしひしと伝わってきた。

同じ三上智恵監督が手がけた映画「戦場ぬ止み」が今月から上映されている。それと合わせて、この映画もたくさんの人に観てほしい。(S)
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さようなら、尹先生

2015-07-13 09:00:00 | (相)のブログ
 先週、締め切り直前のあわただしさのなか、取材現場でたびたびお世話になった人の訃報に接した。
 東京朝鮮中高級学校教員の尹鐘哲さん。 享年54歳、あまりにも突然の知らせで、亡くなって1週間が経った今も実感がわかない。
 4年前の2011年3月に発生した東日本大震災。当時、尹先生は震災で甚大な被害を受けた東北朝鮮初中級学校(宮城県仙台市)の校長を務めておられた。
 震災発生の1週間後、私は取材班の一員として現地入りし、1週間あまり学校に寝泊りしながら取材を続けた。学校到着後、招き入れられた食堂の壁に掲げられていた“대지는 흔들려도 웃으며 가자”(大地は揺れても笑っていこう)というスローガン。文面は尹先生の考案だと聞いた。取材者である自分自身も不安な思いを抱えての現地入りだったが、あのスローガンに少なからず勇気づけられた。
 現地取材は到着翌日、半壊した校舎の中を尹先生に案内してもらうことから始まった。震災直後の混乱の中、大きな被害を受けた学校の長としての重圧は相当なものだっただろうが、そんなことはおくびにも出さず、つとめて明るく周囲を鼓舞する姿が印象的だった。こちらの少々強引な取材のお願いも聞き入れてくださったことには感謝の言葉しかない。
 その後の震災取材でも、またそれ以外にもさまざまな場所で顔を合わせる機会があったが、そのたびに「元気でやっているか」とあの笑顔で声をかけていただいた。
 初めてお会いしたのは19年前の1996年、 大学3年時の教育実習の現場だった。福島朝鮮初中級学校に派遣されたのだが、そこで教員をしておられたのが尹先生だった。担当教科である英語の指導教員として、厳しくも愛情にあふれた指導をいただいた。受け持ったクラスの担任が偶然にも中級部時代の恩師で尹先生の夫人ということもあり、ご自宅にも招待いただいたことを覚えている。
 早すぎる旅立ちが本当に残念でならない。
 つつしんで故人の冥福を祈りたい。(相)
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新しい街

2015-07-10 09:00:00 | (瑛)のブログ
8月号の校了を終え、息つく暇もなく9月号の準備に取りかかります。

新しい職場に来て20日。ようやく街並みを楽しむこともできるようになりました。職場は荒川区ですが、20代の頃によく通った大阪・生野の街を思い出します。家と家がひしめき合い、100歩ほど歩くとトンポとバッタリ出くわす。取材も自転車に乗ってよく出かけました。なんだかよく似ています。

新事務所の近くには都内で一番大きい朝鮮学校があり、子どもたちの遊び声、チャンゴの音色が心地よく、学校周辺を走る男子生徒の姿も見かけます。韓国からの移住したコリアンも多く、本場のウリマルで会話する人たちが多く、教会や飲食店も多い。コリアンが多い街なので、帰宅時には2、3日に1回のペースで知り合いを見かけます。次は誰との再会が待ち受けているのでしょうか。

 20年前、原稿は手書きで提出し、それをタイピングする専門の部署がありました。取材を終えると、締切に間に合わせるため、急いで事務所に帰って原稿を書いたものです。「取材→即執筆」の感覚があるので、事務所はやはり便利な場所が理想だなと思いますが、ぜいたくは言ってられません。記者が一人一台のノートパソコンの持つ時代、働き方も大きく変わり、事務所の機能や意味も変わってきたと感じます。

 新事務所の近くは町工場が多く、最寄りの駅前には有名や布の問屋街があります。東京に育っても街の表情がこれほど違うことに気づかなかったので、興味は尽きません。この街を堪能するためにも、一日も早く自転車を買おうと思います。(瑛)
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