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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

イオでの仕事を振り返る

2012-08-13 09:00:00 | (里)のブログ
イオで働いてきてから4年以上の月日が経ちました。
いま思えば、雑誌記者として企画の考案、取材のアポ取り、取材、原稿執筆、外部の筆者への原稿執筆の依頼、編集などなど、仕事のノウハウを一から覚えていくので必死でした。
もちろん、「ここまで出来ればOK」という境目などはなく、今後も引き続き自分のスキル(知識や識見も含め)をのばしていかなければ発展は見込めない、とつくづく感じています。

一番最初の取材は先輩記者がわざわざついてきてくれました。
しかし、いざ取材相手と会った後に先輩は「じゃあ、話は2人でどうぞ」と言ってしばしどこかに行ってしまい、途端に焦って話を始めたのを覚えてます。

一眼のカメラを扱ったのも、編集部に入ってからが初めてでした。
重たいし、細かい操作がとにかくややこしくて難しい…!(と、当時は心の中で嘆いていました)
もちろん初めから上手く撮れるわけもなく、撮った写真を編集部に持ち帰っては、がっかりされることばかりだったです。
でも、いろいろと上司や先輩に教わり、自分でも創意工夫していくうちに、次第に写真を撮ることがものすごく楽しくなっていきました。
イオに入らなかったら出会うことのできなかったものの一つが、このカメラだったと思います。

これまで、出張でいろいろな場所を訪れてきました。日本の47都道府県中、22ヵ所に足を運びました。
(これで、プライベートでも行ったことのない県は、北海道、富山、和歌山、鳥取、島根、長崎、宮崎、熊本の1道7県となりました。ここまで来たらいつか制覇したい^^!)
生まれも育ちも東京の私にとって、地方のトンポ社会のありようは大変興味深く、また今後私たち都会のトンポ社会も直面するであろうシビアな問題(トンポ人口の減少と共につながりをどう維持していくか、民族教育をどう存続させていくかの問題など…)を前に奮闘する姿からは、学ぶべきものがたくさんありました。
「地方のトンポ社会もイオでもっと取り上げてよ!」と叱咤激励されることも多々ありました。

出張先での「失敗」も、何度もありました。
2年目の頃、関西の某駅で待ち合わせしたのですが、私が「JR」と「近鉄」を聞き間違えて、同じ駅名でも路線を間違えてしまったことがありました。
約束の時間になっても私が現れないため先方から電話がかかってきてミスが判明。
「登校する朝鮮学校児童」の写真を撮る、というのが目的だったため「目的の駅まで行くのに時間がない!」という事態になってしまいました。
そこで先方が、チャリを飛ばして私のいる駅までやってきて、私はそのチャリの後ろにまたがって目的地まで行く、という羽目に。笑
初対面なのに、朝から「二ケツ」させてもらい、ものすごく恥ずかしい思いをした経験がありました。^^;(笑える失敗はこの辺まで)
出張、といえば、今年2月から朝鮮に行ったのも、自分にとって意義深い経験となりました。
イオで朝鮮を伝えるためにはどういう手法をとるべきか、編集部みなで考え、また私が現地に行ってからも試行錯誤が続きました。
今後、もっともっと良い形で朝鮮を身近に感じられるような企画が出たら良いなと思います。

ぶつかる壁も多かったですが、自分が携わった仕事が読者からの小さな反響をよんだ時など、やりがいを感じられた時も1度や2度ではありません。
仕事で得られたもの、また仕事が出会わせてくれた人、物事は何にも代えがたい財産となり、仕事へのエネルギーとなったと感じています。
また何といっても、事実を事実として伝えるだけではなく、あの手この手を使ってその「方法」を考えなければいけないんだということを、上司や先輩たちから学ぶことができました。
まだその「真似」さえも出来ていないかもしれませんが、今後も自分自身の仕事への課題として向き合っていきたいと思います。

この仕事に入って早5年目。一定のことは経験させてもらったものの、まだまだ「ひよっ子」でしかないし、しかしある一面ではやはりそれなりの仕事を求められる部分もあると思います。
甘えは禁物、これまで以上に自分の仕事に責任をもって臨んでいかなければと、気持ちを引き締めています。
イオでの仕事が授けてくれた大切なことを肝に銘じ、これからも精進していかなければ、そう思っています。(里)

権利の後退招きかねない「寛容主義」

2012-08-06 09:00:00 | (里)のブログ
人権協会(在日本朝鮮人人権協会)が年に2回発行している「人権と生活」。
毎号とても読みごたえがある内容となっていて、勉強にものすごく役立っています。

今年6月発行の第34号の特集テーマは「在日朝鮮人の人権――歴史と現在 ~植民地主義と分断を問い直す~」というもの。
在日朝鮮人の人権については、東アジアや朝鮮半島と日本との歴史的関係性の克服なしに、日本における差別をなくすという観点だけをもってしては大きな陥穽(かんせい)にはまりかねないという重要な問題提起がなされていて、大変参考になりました。


現在、朝鮮学校への「高校無償化」適用問題は、政局の混乱の中でまったくもって進展が見られなくなっていますが、
日本における在日朝鮮人の民族教育、ひいては人権をめぐる議論においても、ちゃんとした問題意識を常にもっていなければならないと、「人権と生活」を読みながら再認識させられました。

「人権と生活」34号に掲載されている鄭栄桓さん(明治学院大学教員)の文中では、

「朝鮮学校生の高校無償化排除を批判する議論に象徴的に現れているように、現在の日本のメディアでの排除反対論は『朝鮮学校は北朝鮮とは違う』『朝鮮学校は昔とは違う』『朝鮮学校は日本にとっても有益だ』といった、
朝鮮学校が日本社会にとって許容可能な存在へと変化したことを根拠に政府の排除措置に反対するといった主張が大勢を占めている」


といった指摘がなされています。(鄭さんはこれを「権利論なき擁護論」として批判しています)

つまり、在日朝鮮人の権利が一面的に、抽象的な「マイノリティ」の権利としてのみ語られることによって、日本の朝鮮植民地支配の下でその支配と弾圧を受け続けた存在としての歴史性を有している在日朝鮮人の人権問題を解決することにはつながらず、むしろ権利の後退を招く可能性が高い、ということです。



確かにそうです。
一見リベラルで寛容に聞こえる日本の一部メディアの言説は、朝鮮学校が日本社会に親和的である限りにおいてなら排除する理由はないのだという論理にすぎません。
ここでは日本社会の同化主義的な圧力が問われることはないのです。
日本の一部メディアのみならず、同じような論法を、私たち在日朝鮮人自身が用いてしまっている場合も少なからずあります。


在日朝鮮人の権利を語るうえでは普遍的人権の観点ももちろん用いることもできるとは思いますが、まずは必ず、在日朝鮮人の歴史を明らかにするプロセスが不可欠なんだと肝に銘じなければならないでしょう。
そしてまた、このような命題を、私たちはこれからも絶えず日本社会に向けて発信していかなければならないと感じます。(里)

北陸での3日間

2012-07-30 09:18:47 | (里)のブログ

 はじめに、朝鮮の柔道、アン・グメ選手、そして、重量あげのオム・ユンチョル選手、金メダル獲得おめでとうございます!

 

 

 

話は変わって先週末の3日間、北陸地方(福井・石川)の同胞たちにお会いしてきました。

東京よりもすさまじい暑さでしたが、いろいろと良くしてもらい本当に助かりました。

 

 

夏といえば「夏期学校」。福井も石川も、子供たちを迎える準備で大忙しなようすでした。

久しぶりに、いわゆる「中小地域」と呼ばれる地域のトンポ社会を訪れて再認識したのは、「チョソンサラム(朝鮮人)するのって、ある意味ほんとうに大変なことだな」ということ。

それでも「チョソンサラムしようと努力」してる人たちに出会うたびに、新たな発見や感動があるんですね。

あとは幼い子供たちに民族的なものを感じてもらいたいと動く若者たちにも心うたれました。

「自分たちが良いと思ったものを、同じように下の世代にも授けられたら」というシンプルな思いとともに、

「自分たちがやらないと誰がやるのか」という、責任感や覚悟のようなものも感じられました。

その姿を自分に置き換えてみて、「自分にとって、『チョソンサラムする』、ってのはどういう事なんだろう」とか、少し深く考えたり。

毎度そうですが、今回もみんなに会えてよかったです!

 

 

昨日は石川から越後湯沢に出て、上野駅に着いたのが夜の9時すぎでした。

ある先輩がすすめてくれた「能登の塩」が入ったサイダーを飲みながら、3日間の北陸出張を頭の中で整理していました。(里)


夏に飲みたいお茶

2012-07-23 09:00:00 | (里)のブログ
夏の強烈な日差しと蒸し暑さで、毎年この時期になると体が本調子じゃないことが多いです。
先週は後半こそ異様に涼しかったものの、前半は東京でも35℃近くまで暑くなりました。
外とクーラーの効いた屋内との温度差や、暑いからといって冷たいものばかり摂取したりするうちに体が冷えて、私は早くも胃腸が弱ってしまいました。
人間は内臓が冷えてしまうと体に不調が出るんだそうです。
しかも内臓の温度が1℃下がったら、再び元に戻すのにものすごく時間がかかるそうで、普段から内臓を冷やさないように食生活に気をつけなければならないみたいです。

そこで週末、新大久保に行く機会があったので、とあるものを買ってみました。
それはこれ↓








「オクスススヨム茶」(トウモロコシの髭茶)です。
胃の働きを助けるトウモロコシと、体のむくみをとる作用があるトウモロコシの髭入りということで、お湯を注いで一杯飲んだら体が回復するんじゃないかと買ってみました。
香ばしく、かなり美味なお茶でした。
いつもはコーヒーが好きで一日数杯は飲んでましたが、夏場に弱った胃腸には、優しいホットティーを飲んだほうがいいかもしれません。

最新号のイオ8月号の一番最後のページには、「トウモロコシのお粥(髭入り)」のレシピが紹介されていますよ♪


あと新大久保でもう一つ買い物をしました。
それはこれ↓






「エホバッ」です。
エホバッとは小ぶりな朝鮮カボチャのこと。

カボチャといっても水分が多いためすごく柔らかく、すっと切れました。

断面は鮮やかな黄色。火を通すとさらに色が濃くなります。


取材を通じてエホバッを使った料理を食して美味しかったので、自分でも作ってみようと思いまして。
イオ9月号(次号)にこのエホバッを使った料理のレシピが載りますので、要チェックですよ~!
それではみなさんも、体に良い食べ物をたくさん食べて夏を乗り切りましょう。(里)


戦争をしたい日本、それを歓迎する韓国

2012-07-09 09:00:00 | (里)のブログ
 NHKの5日の報道によると、野田総理大臣の指示で中長期的な日本のビジョンを検討している政府の分科会が、今後、政府の憲法解釈を変えて、集団的自衛権の行使を認めるよう求める報告書をまとめたという。
 報告書では今後の安全保障政策について、「いっそう能動的な平和主義をとるべきだ」とした上で、「アメリカなど価値観を共有する国との安全保障協力を深化させるため、協力相手としての日本の価値を高めることも不可欠だ」とし、「集団的自衛権に関する解釈など旧来の制度慣行の見直しを通じて、安全保障協力手段の拡充を図るべきだ」という提言がなされている。

 集団的自衛権とは「自国が直接攻撃を受けていない状況でも、自国と密接な関連がある同盟国などに対する武力攻撃を実力で阻止できる国際法上の権利」を指す。
 一方、自国が直接攻撃を受けた場合に武力行使するための権利は個別的自衛権という。
 日本政府は「戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認」をうたった憲法第9条と関連して、個別的自衛権は認めると解釈しながらも「集団的自衛権は許されないと考えている」という見解を示してきた。
 しかし保守勢力は集団的自衛権の行使を憲法が許容していると解釈したり、憲法を「改正」しなければならないと主張してきた。米国もそれを煽ってきた。

 報告書が求めるように、今後集団的自衛権の行使が容認されるかどうかはまだ不透明だが、総理大臣直属の委員会が上記のような内容の報告書を提出したこと自体がものすごく危ない兆候だと思う。

 韓国の野党は日本政府の報告書を受け6日、深刻な憂慮を示した。

 集団的自衛権の行使を、自民党は長年主張し続けてきた。民主党は元々、これに否定的な立場をとっていたはず。しかし野田政権は消費税増税という「公約違反」をはじめ、原発の再稼動や憲法の「改正」なしで集団的自衛権が行使できるようにしようとしている。底辺にいる多くの人々を苦しめ、挙句の果てには戦争へと大きく舵を切ろうとしているのだ。

 李明博大統領は日本との軍事協定を結ぼうとしたが、彼は日本の再武装を脅威と感じるよりはむしろ、韓国の安全保障を増進するものとして歓迎しているのだろう。
 事実、李大統領は「(日本との)軍事協定は国益に役立つ」と明言している。
 しかし、日本と朝鮮半島に横たわる歴史を考えてみた時、朝鮮半島情勢に日本を引き込むようなことがどうして出来るのだろうか。(里)
 

北南交易のいま

2012-07-02 09:00:00 | (里)のブログ

 先月の19日、6.15共同宣言実践日本地域委員会が主催するシンポジウムに参加してきた。

シンポジウムで興味深かった話を一つ。

「天安艦事件」後、韓国側が北南交易を全面的に中断するという内容を含んだ「5.24措置」を実施してきたが、それによって、北よりも南の方が大きな経済損失を受けたということ。

一方で、5.24措置の適用を唯一除外された開城工業地区(開城工団、黄海北道)では、5.24措置以降も経済規模が引き続き拡大しているそうだ。

 

開城工業地区には現在、123の南の企業があり、5万2000人の北の労働者たちが従事している。5.24措置以降も生産額は年々上昇しているという。

南の投資家たちにとって、開城工業地区は経済的利点が多い。工場を建てる敷地の初期分譲価格は韓国の約1/20、人件費も約1/10と安い。ソウルから約60km、車で1時間もあれば行ける地理的条件は物流面から見ても魅力的だ。

さらに、同じ民族ということで言葉の問題も難なくクリアできるし、そこで人と人との確かな交流も生まれる。統一朝鮮の縮図が、そこには広がる。

  

6.15共同宣言の第4項では、北と南が経済協力を通じて民族経済を発展させていくことが取り決められ、北南間の交易が盛んに行われてきた。

しかし2008年に執権した李明博大統領は「北南経済協力を求めているのは北」という風に決めつけ、朝鮮に対する制裁を目的に5.24措置を断行したのだが、韓国の現代経済研究院の調査によると5.24措置以降の韓国側の経済損失額は82億ドルに達したという。

一方の朝鮮は5.24措置を受け、対外貿易に力を入れてきた。大韓貿易投資振興公社(KOTRA)が先月1日に公開した「2011北韓の対外貿易動向」によると、2011年、朝鮮の対外貿易規模(北南交易は除外)が63億2000万ドルに達したという。集計を始めた1990年以降最大であり、2010年に比べ51.3%増加したとのこと。貿易のほとんどは中国との間で行われている。

5.24措置が朝鮮に対する制裁を目的としていたものの、実質的には朝鮮に投資をしていた韓国企業の首をしめる結果となり、韓国経済にダメージをもたらす様相が浮きぼりとなった。

 

祖国の統一は民族にとって、上記のような話を度外視した「プライスレス」な価値が絶対にある。しかし経済的観点から見ても、統一がもたらす利益はやはり計り知れないのだということを再認識させられた。(里)


ウリ民族フォーラムin宮城、サイコーでした!

2012-06-25 09:00:00 | (里)のブログ
今日は【仙台発】でイオのブログをお届けします。
前もって準備していたブログがあったのですが、急きょ内容を変更しました!
昨日「ウリ民族フォーラムin宮城」が行われたのですが、私は取材で参加してきました。そのことについて書きたいと思います。


↑フィナーレ。東北同胞たちの合唱。



↑パネルディスカッションのようす。


↑全国の青商会の皆さま。二日酔いなのに真剣にディスカッションに聞き入る…。


↑フォーラムの実行委、スタッフたちがおそろいで着ていたTシャツ。すごく可愛いデザインに惚れました。


↑VTRで紹介された、昨年3月11日に生まれたウリ赤ちゃん。オモニいわく「コテコテの朝鮮人に育てたい」そうです。


↑こんな面白CMまで!


↑わが朝鮮新報社も、こんな展示&販売ブースを設けてちゃっかりアピールしてきました。


ウリ民族フォーラムは1995年に北海道で初めて開催されて以来、各地で年1回行われてきました。
開催地域の30代(40代も)同胞が一丸となって、同胞社会の現状と課題を考え、具体的な打開策を提示し実践に移していく、そんなイベントです。
最近では青商会メンバーのみならず、一般の同胞たちも各地から駆けつけるくらい、全国的な関心が寄せられるイベントとなっています。
それは、民族フォーラムが一言で「アツい」から、だと思います。
私も実はちゃんと参加したのは初めてで、すごく感銘を受けました。勇気ももらいました。
東北の同胞社会の未来のためのさまざまな提案がなされたのですが、それは東北以外の地に住む同胞たちにもたくさんのことを訴えくれました。
そして何より、「同胞社会っていいな」という気持ちでいっぱいになりました。
気持ちがホクホクになる、とでも言いましょうか。
もう少し付け加えるなら、同胞社会の今後というテーマを「本気で」考えて取り組んでいる、そんな人々の気持ちがよい意味で「飛び火」してくる感じなんだと思います。本気だからこそ、心を揺さぶられるんです。
フォーラム後に感想を話してくれた宮城の同胞は、「ただただ、『ありがとう!』って伝えたい」と、若い世代がフォーラムを通じて東北の同胞社会の道筋を必死に探ろうとしていることに胸いっぱいのようすでした。


「東北で民族フォーラムをしなければ…」。宮城青商会の柳会長がこう思い立ったのは3年前、東北ハッキョの高級部が休校となった出来事を受けてからだったそうです。
高級部の休校は東北の同胞社会に暗い影を落としました。
この状況をどうにかしたい、またしなければいけない。そんな思いが始まりだったといいます。
また同胞たちの努力によって、2008年には山形で、2009年には秋田で地域青商会が結成されて東北6県すべてに青商会が出来たことも、フォーラム開催を決心する追い風となりました。

しかし、昨年3月11日に状況は一変。「フォーラムは無理なのでは…」というムードも漂いましたが、「こんな時だからこそ」と東北6県の青商会が民族フォーラムに立ち上がったのでした。


私が一番印象に残ったのは、柳会長の次のような言葉でした。
「この間、大地はたくさん揺れました。でも本当に揺れていたのは、異国の地で民族の誇りと自負、未来への希望を失いかけていた我々のマウム(心)でした」
東北の同胞社会は震災が起きる以前から、さまざまな困難を抱えていました。
宮城のある同胞は「震災を機に、内在していた問題が噴出して、同胞社会が揺れていました」と話していました。
フォーラムではそれらに向き合って、さまざまな具体的課題が示されました。
現状ははっきり言って、依然として厳しいです。
東北ハッキョは校舎再建のめどが立っていません。福島は見えない放射能による不安に覆われています。若者が東北を離れていく傾向も多いです。
しかしフォーラムで勝っていたのは、そのような現実の厳しさよりも、「ハンマウム」、心をひとつにすることで持てる、未来に対する前向きさだったと思います。

詳しくは数日後に出る朝鮮新報、そして来月号イオを見てください。


来年の民族フォーラム開催地は埼玉。
「フォーラムプレート」が埼玉の会長(右)にしっかりと手渡されました。




とにかく盛りだくさん、な内容のフォーラムだったのでこのブログには詳しく書ききれませんでしたが、私がとりあえず今日言いたいことはひとつです。



これに尽きます!(全然説明できてなくてすみません。笑。イオの記事を見てください)(里)

6・15北南共同宣言、あれから

2012-06-18 09:00:00 | (里)のブログ
「わが民族同士」の精神で祖国の自主的統一の里程標をもたらした6.15北南共同宣言。
6.15共同宣言が発表されてから、12年の歳月が経った。
残念ながら現在、北南関係を進展させる上で、韓国の政治状況が最悪の状態にある。


韓国では12月に予定されている大統領選を前に、与野党間の政治対立が激化している。
与党セヌリ党や保守系メディアが、朝鮮に融和的な野党議員を「従北勢力」「アカ」と批判し、「色分け論」をもって騒動を起こしている。
現職の李大統領は「北よりも従北勢力がさらに大きな問題」だと言い放ち、状況の激化に拍車をかけている。
大統領選に有利な政治状況をつくりあげるための進歩勢力つぶしだと解釈できる。


与野党間の対立以外にも、いわゆる「親北」とみなされるすべてのものが弾圧の対象となっている。
一例として韓国のインターネット新聞「自主民報」のイ・チャンギ代表は2月9日、国政院と検察による家宅捜索を受け、現在検察による国家保安法違反容疑で起訴され、ソウル拘置所に収監されている(拘置所から手紙を送って、自主民報に記事を掲載し続けている)。
「朝鮮を賞賛する記事を掲載した」ことが「国家保安法違反」となった。


このように今、韓国の政治状況は最悪の状態だ。
しかし、12月に予定されている大統領選の結果いかんで、6・15が息を吹き返す可能性も大きい。
野党である民主党と統合進歩党の躍進が期待される。
と同時にここで言いたいのは、韓国の保守勢力が選挙の采配をとるだけのために「従北論」をふりかざしているとするなら、それはあまりにも近視眼的すぎるということだ。
李明博大統領は就任後、6・15共同宣言、10.4宣言を全面否定し、6.15統一時代を「失われた10年」と言い放ったが、現在の「従北」騒動こそ、時代錯誤的ではないのか。(里)



同級生たちとの再会

2012-06-11 09:00:00 | (里)のブログ
6月は大学時代の同級生たちにとってめでたい月となった。
初の出産を無事に終えた子、そして結婚式を迎えた子がいた。

先日は同級生男子の結婚式に参加するため、はるばる京都まで行ってきた。
前日入りして京都に一泊したのだが、仲の良い先輩や、喜怒哀楽をともにした親友たちと久々の再会を果たせた。

6月9日に誕生日を迎える子がいたので、「サプライズケーキ」を準備し、「あの頃(=朝大生だった頃)」のようにワイワイと夜を明かした(笑)。

大学を卒業して社会人5年目を迎えた同級生たち。
出会ってから過ごした日々よりも離れている時間の方がもうじき長くなる。
それだけに、久ぶりに会うと彼女たちの良い意味での変わりっぷりにものすごく刺激を受ける。
仕事やプライベートの面で、ぶち当たる問題や得るよろこびも人それぞれだ。
さすがアラサー女子。悩みや思いが大学時代に比べて格段と深い。
他人のそれと自分を比較しながら、いろいろと見えてくることもたくさんあった。


互いに悩みや思いを打ち明け、また真剣に相談のったりできる同級生たちの中にいながら、
居心地の良さを感じることができた。


肝心の結婚式は、ものすごくあたたかい素晴らしいものだった。
私たち同級生たちもとあるダンスを披露し(ちなみに私はその「選抜隊メンバー」ではないので不参加)、会場を盛り上げた。
同級生男子は、多分満足してくれただろう。綺麗でやさしそうな新婦と末永く幸せに過ごしてもらいたい。(里)

朝鮮のニュースが気になる

2012-06-04 09:00:00 | (里)のブログ
朝鮮から帰ってきて約1ヵ月が過ぎていった。
日本では花粉?のせいか、常に頭がずん、と重くて困っている。
3ヵ月という短くない時間を過ごしたせいか、日本に来てからもあっちのことが気になってしょうがない。
気になったニュースがあれば、記事だけでなく、配信されている動画も探して見ている。

先週、金正恩第1委員長が万寿台地区の倉田(チャンジョン)通りに新しく建設された倉田小学校の現地指導にあたったと報道された。
倉田小学校には3月末にとある取材にうかがったばかり。
当時はまだ校舎を建て替えてる最中だったので、大同江沿いにある金成柱小学校の校舎の一部を借りて授業が行われていた。
「ようやく『かり住まい』が終わったのか」と思いながら「新校舎はどんなだ??」と少しわくわくしながら「労働新聞」のホームページを開いてみると、新しく建てられた倉田小学校の写真の中に見覚えある顔を見つけた。
取材時にお世話になった、倉田小学校の校長、キム・スボクさん(75歳)だった。
少し前に会った人が、第1委員長を迎えて「時の人」になっていることに少し感動した私は、すぐさま動画をチェックした。
予想通り、第1委員長に腕をずっと組みっぱなしで嬉しそうにしている校長の姿が終始映し出されていた。
校長は、驚くべきことにとても「若返って」いた。
取材当時は校内の階段を、若手教員の手を借りながらやっとのように上り下りしていたが、動画の中の彼女は第1委員長にいろいろと話をしながら、階段という階段をすべてスタスタと越えていたのだった。
上手く言えないが、言葉よりも、人の表情や行動から察することのできる事実は沢山ある。
キム校長のその姿に、私もなんだかうれしくなった。
定年はとうに越えているキム校長だが、これからますます教育に熱が入るのではないか。


倉田小学校の他にも、歴史的建造物の実寸大&ミニチュア模型がたくさん展示される平壌民俗公園や、万寿台地区から玉流橋を渡ったところに出来る柳京院(大衆浴場、ちょっと前までは蒼光院式の大衆浴場と呼ばれていた)と野外スケート場、綾羅道にできる遊園地など、竣工の知らせが楽しみな建設対象がたくさんだ。
今後もチェックし続けます!(里)






アメリカの不当な「2重基準」

2012-05-28 09:00:00 | (里)のブログ
アメリカを筆頭に、日本、韓国などが、朝鮮の「核実験説」云々を持ち出し、問題視している。
朝鮮が2度目の核実験を断行した2009年と同じような状況が作り出されていることは確かだが、そもそもの原因は今回もアメリカ側にある。


アメリカは朝鮮の衛星「光明星-3」号の発射計画が3月に発表されるやいなや、それを理由に2.29朝米合意の核心事項である食糧支援公約の履行を中止することを発表し、衛星発射を「長距離弾道ミサイル発射」と決めつけ「糾弾」する国連安保理議長声明を採択した。
これを「露骨な敵対行為」と見なした朝鮮側は、4月17日に朝鮮外務省声明を発表し、
2.29朝米合意が破棄されたとの見方を示した。

そもそも2.29朝米合意には、朝鮮のウラン濃縮活動や核実験と長距離ミサイル発射の一時停止などの内容が含まれていた。
しかしアメリカの敵対行為によって2.29朝米合意が破棄されてしまった以上、これらの中止措置も解除されることになったといえる。


5月19日、アメリカで開かれたG8首脳会議で、朝鮮の核実験の自制などを求める宣言が採択された。
これに対し朝鮮側は外務省スポークスマンを通じて、「朝鮮の平和的な人工衛星打ち上げと自衛的な核抑制力に対して不当に言いがかりをつけたこと全面排撃する」とし、
朝鮮は初めから平和的な科学技術衛星打ち上げを計画していたため、核実験のような軍事的措置を予定したことはなかった、と「核実験説」を否定した。
それにも関わらず、「核実験説」を持ち出し対決をあおっているアメリカが、引き続き制裁圧迫行動に走るのならば、朝鮮も自衛的な対応措置を取らざるを得ない、と警告した。

2009年に、朝鮮が2度目の核実験を断行したのは、「光明星-2」号の発射を問題視した、アメリカ主導の国連安保理議長声明採択を受けてのことだった。
その時と同じ対決構図が再現されている今、確かに朝鮮が今後再び核実験を行う可能性はゼロとはいえない。
しかし朝鮮の立場はあくまでも、アメリカとの関係において対決と緊張激化という悪循環が繰り返されることは望まないというものだ。
要はアメリカの出方次第という訳で、決して初めから核実験ありきの姿勢ではない。
しかしこのような話はニュースではなかなか伝えられておらず、朝鮮の真意はまったくわい曲されてしまっている。


朝鮮側が問題視しているのは、他の国の人工衛星打ち上げは認める一方で朝鮮に対してはそれを認めないといった、
アメリカによる不当な2重基準だ。
アメリカは今までも、自国の要求に即した身勝手な「2重基準」の適用を、朝鮮に対して強行してきた。
主権尊重と主権平等の原則に基づいた対話と交渉の場であるべき国際機構に対しても、
この2重基準を押し付けてきた。
朝鮮法律家委員会は5月17日に発表した白書の中で、アメリカは朝鮮に対する敵対的観念と政策を国際化するため、国連を悪用していると非難した。
白書によると、米議員上院外交委員会の委員長であったヘルムズはかつて、国連安保理で演説し、
国連が米国の意思に従って改革を行い、「米国の効果的な外交道具」にならなければならず、
米国の国内法が国際法の上にあるため、他国に対する米国の行動は国連の委任が必要なく、
国連は米国の政策に対して意見を発表する権利がないとまで言い放ったという。


アメリカが引き続き、不当な2重基準を適用し続け、朝鮮の自主的かつ合法的権利を剥奪するならば、
朝鮮は今回も何らかの「対応措置」が取らざるを得ないと思う。(里)




平壌宣言から10年、朝・日国交正常化交渉の再開を願う

2012-05-21 09:00:00 | (里)のブログ
17日、民主党の中井洽衆院予算委員長に近い関係者と朝鮮の政府関係者が中国・瀋陽で会談を行い、日本の敗戦後に朝鮮国内に残された日本人の遺骨問題などについて協議したという。
このような水面下での接触が、今後の朝・日関係改善を進めていくうえで、何らかの糸口になってくれればと、切に思う。


2002年の朝・日平壌宣言から、今年で10年が経とうとしている。
朝・日平壌宣言は今までも、そしてこれからも朝・日関係改善に向けた里程標となってはいるが、
小泉元首相が訪朝して以降、朝・日関係は悪化の一途をたどったといえる。
日本側は落着したはずの拉致問題について「全員の生還なくして国交なし」として交渉を自ら断絶してしまった。
朝鮮と日本との間に国交がない状況は、いまだに続いている。


小泉元首相が訪朝する以前にも、朝・日国交樹立に向けた取り組みと、そのための具体的成果となった出来事はあった。
1990年9月、自民党元副総理の金丸信が朝鮮を訪問し、朝・日国交樹立への扉を開いた(その前にも、当時の社会党が訪朝団を派遣(1963年)したり、超党派の日朝議連代表団が訪朝(1972年)するなど、朝・日関係改善のための日本の政治家たちの取り組みはあった)。
金丸訪朝団は朝鮮に赴いた際、総理親書をもって金日成主席と会談し、朝鮮労働党、自民党、社会党の三党共同声明を調印・発表した。
そこには「三党は、過去に日本が三六年間朝鮮人民に与えた大きな不幸と災難、戦後四五年間朝鮮人民が受けた損失について、朝鮮民主主義人民共和国に対して、公式に謝罪をおこない十分に償うべきであると認める」とあった。
しかし彼らの訪朝は日本の右翼から「土下座外交」などとはげしい抗議を受けた。また三党共同声明が発表された後、自民党、アメリカ、韓国から交渉に対する「注文」がつけられたこともあり、その後複数回行われた交渉で朝・日双方の主張の違いが浮き彫りになるなど様々な理由から、交渉は打ち切られた(1991年1月、金丸は脱税容疑で逮捕された)。
結果はどうあれ、これらは朝・日関係史において歴史的な出来事だった。


朝・日国交正常化問題は、いまだ未解決の外交課題として横たわっている。
現政権の野田首相は、朝鮮に対して歴然と敵視政策をとっている。
朝・日関係を本気でどうにかするんだという気概をもった政治家が現れなければならないと思う。


日本が朝鮮に対する敵視政策をとる中で、対朝鮮制裁、そして在日朝鮮人に対する政治弾圧、人権弾圧も引き続き公然と行われている。
私がこの前、朝鮮から日本に帰ってくる際に、お土産品をすべて押収されたのは、日本の対朝鮮制裁によるものである。
平壌宣言から10周年を迎える今年、朝・日国交正常化交渉が再開されること、そして対朝鮮制裁と在日朝鮮人に対する弾圧が解消されることを強く願う。
とくに、万景峰92号の入港禁止措置など、祖国往来の権利を脅かす非人道的な制裁措置などは即刻廃止してもらいたい。(里)

今日は「チジャギナル」?

2012-05-14 09:00:00 | (里)のブログ

朝鮮では体が少しダルいとか、調子が良くない時、よくみんな「今日は지자기날(チジャギナル)なのかな?」と呟きます。

朝鮮にはこの지자기날という独特な日があります。

지자기とは地磁気という意味。地磁気とは地球の持つ磁気のこと。

지자기날とは何かというと、地磁気の変化が生命体に何らかの影響をもたらすと考えられている日のことで、
とくに循環器系疾患を持つ患者は注意が必要だといいます。

朝鮮中央テレビや平壌新聞などがこの지자기날について、詳しい日にちを知らせています。

日本では지자기날のことについては一切知りませんでした。
「雨が降ると頭が痛くなる」など、天候によって体調が左右されるという話は知っていましたが、
地球の磁気の変化が人の精神・肉体的に影響をもたらすというのは、非常に興味深かったです。
朝鮮の人々は結構지자기날を重要視していて、その日は年寄りが遠方に行くのを避けるだとか、飲酒を控えるとか対策をとるといいます。
かつてはただの迷信だったそうですが、今は科学的にその影響が証明された、とも言っていました。


一方、何か生活の中でアンラッキーなことが起こった時に少しユーモアを混じえて、
「今日は絶対지자기날だ~」と話しながら盛り上がったりもします。
(里)



みんな取り上げられました。

2012-05-07 09:00:00 | (里)のブログ
5月3日、約3ヵ月間の朝鮮滞在を経て、無事日本に帰ってきました。
いま現在は、朝鮮にいた時の思い出が日に日にこみ上げてきて、「逆ホームシック」ともいえる複雑な心境になっています。
本当に本当に、最高の3ヵ月間でした。


話が少し変わりますが、日本に再入国する際、朝鮮で買ったお土産品(化粧品38点)をすべて「没収」されました。
現在日本の経済産業省は「外為法」のもとで、朝鮮からの輸入品をきびしく規制しています。
私は運悪く、その標的になってしまった訳です。

信じられないかもしれませんが私は今回、行きも帰りも預けた荷物が北京で行方不明になりました。
いずれも数日のうちに出てきましたが、この点で私は航空会社に強い不信感を抱くようになりました。^^;
それも帰りは、預けたトランクとダンボール2つとも、一時行方不明でした…。

今回お土産を没収された背景には、このトラブルも関連していると思っています。
航路を正確に示さないと荷物が早く見つからないと考えた私は、「どこからいらしたんですか?」という職員の質問に対し、
「平壌からです」としぶしぶ答えたのでした。もうその時点で、「ああ、お土産あぶないな」という予感はしていました。

後日荷物が見つかったとの連絡が来ました。
そこで私の予想通り、職員が「北朝鮮からの輸入品は一切日本に持ち込まなくなっておりまして」云々と話すのでした。
さすがに腹が立った私は、いわゆる「逆ギレ」的な対応をとっていました。
「今回、行きも帰りも荷物が届かなくて嫌な思いをしてるのに、お土産を取り上げるってどういうことですか」
「『持ち込めなくなってる』って言いますけどね、その具体的な理由を示してください」
「私がお金を出して買ったんですよ??あなたたちがやってることは、ただの嫌がらせじゃないですか」
結果はどうなるにしろ、言わずにはいられませんでした。あんなにまで赤の他人に対して強くものを言ったのは初めてです。

結局、私のお土産はすべて廃棄されることになってしまいました。
しかし、そこに輪をかけるようにさらに屈辱的なことが待っていました。
「任意放棄書」と「(輸入持込品処分手続きにかんする)委任状」を出せというのです。
「もういいから勝手に捨ててくれ」、という感じでしたが、必ず要るというのです。
本当にひどいな、と頭が痛くなりました。

日本に帰ってきてからというもの、このような嫌がらせ政策と偏向報道に対し、早速うんざりしてます。(里)

太陽節が過ぎてから

2012-04-30 09:29:53 | (里)のブログ
 

 先週から平壌のあちらこちらでは、花が咲きはじめ、サクラに似たサルグ(あんず)やケナリ(れんぎょう)が街を明るく彩っています。
 平壌の春の景色をカメラで撮りたいと思っていたのですが、週末にかけて冷たい雨が降ったせいでかないませんでした。
 こっちの人は「こりゃぁ、もう花は全部散っちゃうね」と話していました。その言葉の通り、今週には花はかなり散ってしまい、木々が芽吹いていました。それでも先日、モランボンに上って風景写真を何枚か撮りました。

 水曜日にはウナス(銀河水)管弦楽団の音楽会に行くことができました。朝鮮人民軍創建80年を記念して行われたこの音楽会は、とても見ごたえがありました。この日に際して管弦楽団は軍服を着用していました。ハイレベルなソリストたちによる歌のパフォーマンスを生で見ながら鳥肌が立つほどでした。ウナスのレベルは本当に別格だな、と素人ながら感じました。

 23日、朝鮮人民軍最高司令部が南に対し、「特別行動」を開始するという通告を出しました。それから2日後の緊張感の中で行われた音楽会ということで、いろいろと感じさせられるものがありました。例えば、「수령이시여 명령만 내리시라(スリョンイシヨ ミョンリョンマン ネリシラ)」(首領よ、命令だけ下してください)の合唱の際、客席から大きな手拍子が起こり、劇場が一体感に包まれた気がしたのですが、これはやはり今の朝鮮の世間の雰囲気、志向を端的にあらわしているんだろうなと思いました。一緒に観たとある女性が、自分の子どもが今年から入隊することもあって、若き兵士たちの熱い思いを歌った歌が一番良かった、と話していました。私のような者が音楽会を観て感じるものとは別の、奥深い感想だなと感じました。
 朝鮮の「先軍政治」はこうした一人ひとりの生身の人間たちの存在と想いがなければ成立しえないと思いました。日本ではこういった観点で朝鮮の姿を捉えること自体がなかなか難しいですが、こっちに来ていろんな人と接する過程で人々が何を大切にしていて何を志向しているのかが少しだけわかった気がします。その一つが、もちろん誰も戦争を望んではいないけれども、人間としての真の尊厳を守るためにはたたかいも辞さないということだと思います。

 音楽会が行われたのは新しくできた人民劇場という場所です。新たに高層マンションなどが建設された万寿台地区の中心部にあります。円形のガラス張りの外観、そして内装もすばらしかったです。

 

 あと個人的に、音楽会のパンフレットとチケットが気に入りました。チケットはハガキ大ほどのものでライトアップされた人民劇場がカラーで紹介されているもので、パンフレットも厚手の上質な紙でできた立派なもので、各俳優や指揮者がカラーで紹介されていました。(里)