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日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

橋下氏が「圧勝」した大阪のW選挙に、「民意」について思う

2011-11-30 09:04:06 | (K)のブログ


 注目されていた大阪の知事、市長のW選挙は、橋下徹氏率いる維新の会が「圧勝」し、橋下氏は大阪市長に当選した。
 11月27日の夜11時頃、帰宅してテレビをつけると、橋下氏の記者会見の映像が映し出されていた。そのときに語っていたのが、市職員に対する激しい攻撃で、その高圧的な態度、言い方に非常に不快感をもった。

 翌日の新聞報道を読むと、次のように語っていたようだ。
 「(今回の市長選で選挙運動を行った職員について)政治に足を踏み込みすぎた職員は潔く市役所を去ってもらいたい。戦ですから、負けは潔く認めてもらわなきゃいけない」
 「『選挙で受かったくらいで何でも決められたら困るな』という市職員はたくさんいる。選挙で選ばれた者に対する配慮が欠けている」
 「民意を無視する職員は大阪市役所から去ってもらう」


 このような発言を見て思うのは、市の職員は市長と同じ考えをもっていなければいけないのか、他の候補者を応援したから辞めなければいけないのか、ということ。
 そして、「民意」とは何かということだ。
 橋下氏は選挙に勝ったけれど、今回の大阪市長選の投票率は約61%、39%は投票していない。橋下氏は約75万票を獲得したけれど、平松氏も52万票以上獲得している。
 橋下氏にNOと言った人たちの「民意」も十分に多いし、それらの意見を配慮しながら議論を重ねて慎重に物事を進めていくのが「民主主義」というものではないのだろうか。

 例えば、今年6月3日のこと。
 橋下知事と「大阪維新の会」府議団は、公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務づける全国初の条例案を、大阪府議会でに成立させた。公明、自民、民主、共産の4会派は反対したが、過半数を占めるからと、議論にもほとんど時間をかけずに強引に可決させた。この条例は、府内の公立小中高校などの学校行事で「君が代」を斉唱する際、「教職員は起立により斉唱を行うものとする」というもので、橋下氏は、従わない教職員に対して「辞めさせるルールを考える」とのべ排除していく考えを明らかにしている。
 「選挙という民意で選ばれた議員が多数決で決めたことだから」と、すむ問題ではない。

 市の職員だから、教師だから、従わなければならない、イヤなら辞めろということなのか。一般の市民に「イヤなら大阪から出ていけ」とはさすがに言えないのだろうが…。在日朝鮮人の私には、日本に対し何か批判するとすぐに浴びせられる「そんなにイヤなら日本から出ていけ」という罵声と重ねて考えてしまう。


 今の日本社会の空気で言えば、「北朝鮮への経済制裁」は「民意」なのだろうし、「自由競争で負けたのだから格差が広がっても仕方がない」も「民意」、「社会保障を削り自分のことは自己責任で」というのも「民意」、「不法滞在している外国人は厳しく取り締まれ」も「民意」、「犯罪をなくすために監視カメラをたくさん取り付けろ」も「民意」なのだろう。


 小泉元首相が「自民党をぶっ潰す」と言って人気を博したが、その結果もたらされた「負」を何も検証せず無関心なまま、たぶん今も小泉元首相は人気があるのだろうが、今回、橋下氏が当選したのも、日本社会の閉塞感というか、「なんだかわからないが、何かを変えたい」「いまの体制をとりあえずぶっ潰したい」という一般の人々の思いによるものなのだろう。
 2007年に赤木智弘氏が書いた「丸山眞男をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は戦争」という論文が話題を呼んだが、「この状況を変えるために戦争を」というのが本当に「民意」とならないとも限らない。(k)




自転車事故

2011-11-29 09:07:09 | (麗)のブログ
最近、情報番組などで自転車の事故が増加しているというのをよく聞く。
今朝の情報番組でもそのことについて取り上げていた。


ある休日、近くの商店街を歩いていると、目の前で自転車に乗っていた若者と70代くらいの女性が接触した。
バランスを崩した女性はそのまま倒れしまった。周りにいた人たちも慌てて倒れた女性に近づいていった。
私も近寄り、大丈夫ですか、立てますかと言って、中々動けずにいる女性へと手を差し伸べた。
ぶつかった若者は、すでにどこかへと去ってしまっていた。
私は時間をかけて女性を起こした。幸い、どこも怪我はない様子で安心した。


女性は「ありがとう」と一言残し、よろよろと進みだした。
起き上がるのさえもやっとだった。果たしてあの若者はその事を知っているのだろうか…。
謝りもせずそそくさと去って行った若者に呆れを感じた。


震災の影響で自転車に乗る人が増えている。私自身も自転車で通勤するようになったが、乗る側のモラルの問題が問われているなと本当に思う。
快適に楽しく乗れる自転車ライフを心掛けたい。(麗)

九州出張

2011-11-28 09:00:00 | (里)のブログ
先週から九州に出張に来ています。
まずはじめに、鹿児島県出水市という場所に行ってきました。
出水市はツルの渡来地として有名な場所だそうで、町全体が「ツル一色」という感じでした。
昨年は鳥インフルエンザが発生してしまい、大変な状況にあったそうですが、
今年は例年通り、ツル観光もできるようになったと地元の人は話していました。
私が出水市に着いて食べた肉うどんの中にも、ツルの形と思われるかまぼこが入っていました。



さて、なんで私が出水市を訪れたかというと、金剛山歌劇団の公演が6年ぶりに(鹿児島県では通算3回目)行われたため、
その取材に行ってきたのです。
最近、いろんな地方で、金剛山歌劇団公演を主催することが難しくなってきていると聞きます。
大きくは財政的な問題だと思います。都会と違い、小さな地方都市で歌劇団公演を行うには、
人もお金もなかなか集まらないのです。
私も以前大分県に取材に行った際、金剛山歌劇団の方が歌劇団公演を企画してもらうためのあいさつ回り(?)として
九州全県をまわってらっしゃる光景を目にし、
簡単なことではないんだな、と実感させられた経験があります。
今年は久しぶりに九州4県で公演が実現しました。
中でも、鹿児島県出水市では昼夜2回公演が行われました。
同胞が数えるくらいしかいない出水市。実行委員会のほとんどが日本の方たちでした。
彼らは公演のためだけに集まった人たちではないです。日ごろから培ってきた絆がこういう大きな仕事を成し遂げる力となっているそうです。
九州の端っこで、こんな光景に出会えたことが、不思議でたまりませんでした。
そしてもちろん、歌劇団のみなさんの奮闘ぶりにも感動しました。
来月号で、その様子はお伝えしたいと思います!


話は変わって、九州には私の大好きな友達、先輩後輩たちがいます。
今回の出張にかこつけて(笑)、久々の再会を楽しみました。
鹿児島の次は福岡県の北九州に行ったのですが、そこでは大学時代にほんとに仲良くさせてもらったオンニ(お姉ちゃん)に会いました。
先輩は同級生が出しているしゃぶしゃぶ屋に連れていってくれました。

肉はなんと鹿児島県産黒豚!なんとなく鹿児島に引き戻された気分…(笑)。本当に九州は食の宝庫で、何でもおいしいです。
先輩とは、何でも話せる中なので、ついついお店に長居して
いろいろ語り合ってしまいました。
あと、大学で同じ学部でいつも一緒にいた同級生Sちゃんとも再会。
Sちゃんと会うと、お互いすごく居心地が良くて終始笑顔でいられます。
…とまぁ、なんとも幸せな時間をすごしたのでした。



出張で良い思いをさせてもらった分、東京に帰ったら仕事がんばりたいと思います(^ ^)。(里)

表紙を飾った様々な「福!」たち

2011-11-27 09:00:00 | (愛)のブログ
時が過ぎるのは早いもので、もう季節はすっかり冬です。
来週には12月ということで、そろそろ年賀状の準備をしないと、と焦っている今日この頃です。

そんな中、イオ編集部は現在1月号工程真っ最中です。
(淑)さんが以前ブログにも書いたように、
イオは新たによりパワーアップして2012年度1月号を迎えるため、新連載などを準備している真っ最中です。
デザイナーとしては、1年で1番忙しい時期であり、産みの苦しみというものを実感する時期でもあります。
この時期ほど、机の上が汚くなる時はないのでは。。。(まるで自分の頭の中にように乱雑)。

2012年度からは新たにリニューアルする部分が多々ありますが、
表紙もその一つになります。

2010年度から2年間表紙を担当してくださった任香淑先生のもと、
「ウリマルで복みーつけた!」「暮らしの中に복!」というテーマで
表紙をかわいらしく飾ってもらった愛らしいモノたち。
まさに복(福)をもらったように、ほんわかします。
2010年1月号からの表紙のイメチェンは幸福にも読者の皆様からご好評を頂き、
2年間継続となりました。

撮影を担当してきた私個人としても、とても勉強になる2年間でした。
時には撮影時のダメ出しを受けながらも、読者の皆様からの反響に癒され、
任香淑先生の毎月の素晴らしいアイデアと製作意欲に刺激され、
毎月、プレッシャーと楽しみの入り混じる、そんな現場でした。

任香淑先生はひとつのテーマにつき、色々と趣向を凝らして何パターンか提示してくださったので、毎月ひとつのものしかお見せできないのも惜しかったです。
例えば2010年6月号の「슛!COREA☆Tシャツ」。

実はタンクトップバージョンもありました。女の子にぜひ着て、応援してもらいたい品です。



2010年10月号は「이야기그림극(紙芝居)」。
表紙を飾ったのはかえるちゃんでしたが、こんなバージョンも。


見ているだけで、ほっこり癒されるモノたちでした。

2012年度からは新たにイメチェン!ということで、表紙もお着替えです。
どんな表紙になるかはまだ秘密。。。2012年度のイオ1月号をぜひ手に取ってみてください。(愛)


「統一のはなし」を紡いでいく

2011-11-26 09:00:00 | (淑)のブログ
 今日は、最近読んだ本について書きたいと思います。本のタイトルは「행복한 통일 이야기(幸せな統一のはなし)」です。
 10/12のブログで(k)さんが同じ題材のエントリーを書いています。未読の方はぜひ一読ください。

 この本は韓国の月刊誌「民族21」の編集主幹である安英民さんが、10年にわたる訪朝取材の豊富な記録を一冊にまとめたものです。
 私は「民族21」に掲載されていた広告でこの本の存在を知りました。その広告の、

더 이상 늦출수 없는 통일의 이 시각,오늘 통일은 우리에게 바로 행복이다.
(これ以上遅らせることの出来ない統一の時刻表、我々にとって統一はまさに幸せである)


という一文がひどく気に入って、発売されたらきっと読もうと思っていました(この文章は本書エピローグから引用したものです)。

 初め、手元にあった日本語訳を読み始めたのですが、第1話(本には30の統一のお話が書かれています)を読み終えた時点で、やはりこの本は原文にこだわって読むべきだ、いや、読みたいと強く感じました。もちろん日本語訳も心に響くものでしたが、著者自身の言葉で綴られた物語を、私自身が母国語で体感したかったからです。

 本書のプロローグで著者は、「統一は善なのか?」「統一はすべきなのか?」と、読み手に問いかけています。著者は、自身の目で見た朝鮮の日常について率直に綴り、「北と南が分断されている状況がいかに不幸」で、「北と南が仲良く暮らす統一がいかに幸せなこと」なのかを、安全保障や経済におけるメリットなど、具体的な実証例を挙げることで、自身が投げかけた問いの答えを導いていきます。
 読み進みながら私は、著者が懸命に読者を「説得」しているように思えました。それは、それだけ説得力のある情報が盛り込まれているということですが、たくさんのメリットとデメリットを並べて「説得」しなければ、統一を良しと感じられない韓国社会の現状から半世紀の間につくられてしまった深い溝を垣間見るようでもありました。

 いまは感情論では統一を語れない時代かもしれません。でも私は、時代錯誤といわれてもあえて感情論で語りたい。利害関係や理屈では語れない、「民族」「統一」といった言葉にわけもなく熱いものがこみ上げてくる、涙があふれる、そんな民族の悲願の想いが、本当は統一を語る上で何にも勝る「説得材料」なのではないでしょうか。著者が10年間の取材を通して得た統一への確信と、民族への深い愛情が、何気ない言葉の一つひとつから感じ取れます。

 悪夢のような延坪島事件から今月23日で1年が経ちましたが、朝鮮半島情勢は依然膠着状態がつづいています。
 しかし一方で、うれしいニュースもありました。21日~22日、カタール・ドーハで行われた国際卓球親善大会で、北と南が統一チームで出場し、のみならず男子ダブルスで優勝、女子ダブルスで準優勝という成績をあげ、私たちを喜ばせてくれました。20年ぶりの統一チームでの出場に、1991年、千葉で行われた世界選手権大会を想起した方も多いことでしょう。当時初級部1年生だった私も、両親に連れられてオッパたちと一緒に統一チームを応援しました。

 これだけじゃない、私たちはすでに多くの「統一のはなし」を持っています。ハラボジ・ハルモニの「統一のはなし」、アボジ・オモニの「統一のはなし」・・・。皆さんも心の中に大切にしまっている、それぞれの「統一のはなし」があると思います。そして私たちはこれから先もずっと、無数の「統一のはなし」を、絶えず私たち自身の手で紡いでいくのです。

 本の中で著者は、「今、我々が成すべき事は統一への垂直線上に無数の統一の点を刻み込む事である。多方面の交流を実現し、各分野の協力を実現することである。南北の異質性を絶対化するのではなく、互いの共通性を探し広げて行くことである。統一はそんなプロセスを経て実現される」と書いています。
 著者の言うように、統一はある瞬間に実現されるのではなく、積み重ねた過程が統一を形づくっていくのだと思います。小さいけれど着実な<우리 민족끼리>(わが民族どうし)の歩みと、北と南、そして世界に散在するすべての同胞たちの統一を願う強い想いこそが、分断の障壁を越えて、大きな大きな統一をつくっていくと信じています。(淑)


4回目の福島行

2011-11-25 09:42:47 | (相)のブログ
 

 先週の日曜日(11月20日)、福島県郡山市にある福島朝鮮初中級学校を訪ねました。目的は、同校で実施された5回目の放射性物質除染作業を手伝うためです。
 3月の東日本大震災とそれにともなう福島第1原子力発電所の爆発事故以降、福島を訪れるのは今回で4回目。3月、4月、7月といずれも仕事(取材)絡みでしたが、今回初めてプライベートでの訪問となりました(もちろん、一眼レフ持参で写真を撮って、現地関係者から最新の情報も仕入れました)。
 朝5時起床。東京都内某所で東京都青商会一行の車に便乗し、一路郡山へ。
 作業は午前10時から午後3時まで行われました。福島県内の同胞、児童・生徒の保護者、総聯の専従活動家、県外からは東京、千葉、埼玉、茨城、宮城、山形、新潟、岡山の青商会、朝青、留学同、女性同盟など諸団体のメンバー、教員、青商会OB、一般の同胞など100人あまりが集まりました。
 過去4度の除染作業は屋外でしたが、今回は校舎と寄宿舎内の清掃がメイン。当面の作業としては最後のものだそうです。福島第1原発の爆発事故によって飛散した放射性物質による汚染の影響を避けるために新潟朝鮮初中級学校で学んでいる福島朝鮮初中級学校の児童・生徒たちは12月3日に行われる学芸会を最後に新潟での生活を終え、福島に戻ってきます。12月7日から授業再開、翌8日には学校再開を祝う行事が体育館で催される予定です。

 校舎、寄宿舎、体育館など持ち場ごとにいくつかのグループに分かれて作業開始。天井や壁にたまったほこりを除去し、窓ガラスを清掃、サッシのパッキンや溝にたまった土ぼこりを掻き出して、床のブラッシングも行いました。体育館は床面積が広いため、ポリッシャーを用いての大掛かりな作業になりました。

 

 

 

 作業終了後の測定結果によると、校舎や寄宿舎の各所(教室、階段、トイレ、水道周りなど)の放射線量は毎時0.06~0.12マイクロシーベルト。一方、屋外の空間線量は毎時0.2マイクロシーベルト前後の数値で推移してるそうです。

 4ヵ月ぶりに訪れた学校は大きく様変わりしていました。この間、県が費用の半分を負担して運動場や校舎、寄宿舎周辺の表土除去作業が行われました。見た感じ、運動場の表土は5~7センチほど削られていたでしょうか。本来であれば、削り取った土をさらに下に埋めるらしいのですが、運動場の下には堅い岩盤があるため掘り返すことが難しく、表土は風に飛ばされないように厳重に固められた後にビニールで何重にも覆われ、運動場の奥に一時保管された状態です。

 

 
 
 福島朝鮮初中級学校の児童・生徒たちが地元を離れ新潟で生活するようになってから半年。総聯本部や学校側は学校を再開させるうえで、年間の積算被ばく線量が1ミリシーベルトを下回る環境になること、そして原発事故の収束に向けて一定の前進があること、という2つの条件を掲げました。今回の決断は、運動場の表土除去をはじめとする除染作業が一定程度行われ、建物の補修工事も終了し、被ばく線量を1ミリシーベルトより下に抑えるめどがついたため下したものです。
 当初は3学期をめどに考えていたそうですが、諸般の事情で2学期途中のこの時期に前倒しとなりました。やはり親元を離れて暮らす子どもたちへの負担は想像以上に大きく、精神的不安から通常の学校生活に支障をきたす子どもたちもいるそうです。また、真冬の福島-新潟間は雪の影響で行き来が困難になるといいます。
 もちろん、福島に戻ってきても、厳しい状況が消えてなくなるわけではありません。市のはずれに位置する同校より、同胞たちが多く住む市中心部の方が線量が高いのが現状です。したがって学校再開を機に、自宅から通わせていた子どもを新たに寄宿舎で生活させる決断をした家庭もあります。運動場の利用を再開するのかどうかも含めて問題は少なくありません。
 子どもたちを戻すことに不安がある保護者も少なからずいましたが、福島の同胞たちはともかくも学校を再開させるという新たな決断を下しました。この間、福島の人びとが経験してきた苦悩は私たちの想像すらつかないものだったに違いありません。

 福島に対する支援も地道に続いています。今回、東京都青商会から、学校側が設置を検討していたクーラー4台、扇風機20台の購入に充てる支援金が贈られました。ほかに、東京の渋世(渋谷・世田谷)青商会と千葉県青商会からも支援金が手渡されました。先日のサッカーW杯アジア3次予選・朝鮮対日本戦を現地で観戦した宮城青商会の会長からは朝鮮代表選手のサイン入りボールが贈られました。

 

 

 支援物資や支援金の提供、現地での手伝い、情報発信など被災地に対する関わりようは人それぞれでしょう。私は3月末、震災関連の取材で、大学の教育実習以来10数年ぶりに福島を訪れたのがきっかけで今回まで4回足を運びました。取材を担当したのもたまたまでしたが、これも何かの縁だと思い、仕事以外の形でも役に立ちたいという気持ちから今回、ボランティアに参加しました。

 

 イオでは今年、震災関連の特集を2回組んで、その後も現地同胞のエッセイを毎号載せるなど情報発信を続けてきました。100人いれば100人のストーリーがある。未曾有の大災害に際して、いまだ語られていないこと、既存の報道からこぼれ落ちている物語がたくさんあるはずです。来年以降も、このような話を丹念にすくい上げて読者に伝え、被災地の復旧・復興に少しでも貢献できれば、と思っています。(相)

崔承喜生誕100年

2011-11-24 09:00:00 | (瑛)のブログ
 今日11月24日は、20世紀に朝鮮舞踊を世界に広めた舞踊家・崔承喜生誕100年を刻む記念日です。

 崔は、朝鮮が日本の植民地支配に苦しんでいた1926年、ソウルで石井漠舞踊団のソウル公演を観たことを機に渡日します。35年に石井から独立し、24歳で崔承喜舞踊研究所を設立した崔は、翌36年末から1年間アメリカに滞在し、37年末にはサンフランシスコ公演、38年1月にはロス公演を成功させました。39年にはパリ、ジュネーブ、ローマ、ミラノ、南ドイツ、オランダ、40年にはブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン、ペルー、チリ、コロンビアと公演の翼を大きく広げた崔。3年の間に150余の公演回数は当時、東洋での最高記録で崔はまさに世界的なスターでした。

 「私は、舞踊に貧しい朝鮮、しかも自分たちの舞踊の遺産さえも継承していくことのできない朝鮮に生まれた私は、郷土の芸術を新しく再建して行きたいと努力しています。一番苦しかったのは昭和4年(1929年)京城に帰った時の3年間です。…自分でさえ舞踊を放擲しなければならないかとさえ考えたことがある。涙を流してその場に、倒れてしまったことさえあるのですが、然し今となってはそれらの苦しみも皆、幸福な夢のようです」(崔承喜談、「世紀の美人舞踊家 崔承喜」(高嶋雄三郎・鄭浩編著、エムティ出版、1994年)
 朝鮮の文化が根こそぎ奪われていた受難の時代。彼女に胸に宿っていた強い意志が胸に迫ってきます。

 川端康成をはじめ日本にも多くのファンがいた崔ですが、1946年に朝鮮に渡った後の足跡については、最近私たちが手にとれる資料からも明らかになってきています。

 「1920年代と1930年代は、日本色、日本かぶれの濁流のなかで失われていく民族性を固守し、民族的なものを発展させようとする強烈な志向が文学・芸術の各分野で噴出していた時期である。こういう時期に、崔承喜は、朝鮮の民族舞踊の現代化に成功した。彼女は民間舞踊、僧舞、巫女舞、宮廷舞踊、妓生舞などの舞踊を深くきわめ、そこから民族的情緒の濃い優雅な踊りのリズムを一つひとつ探し出し、現代朝鮮民族舞踊発展の基礎づくりに寄与した。当時、朝鮮の民族舞踊はまだ舞台化の段階には到達していなかった。劇場の舞台に声楽、器楽、話術の作品がのることはあっても、舞踊作品がのることはなかった。ところが崔承喜によって舞踊リズムが完成され、それにもとづいて現代人の感情に合う舞踊作品が創作されはじめて以来、状況は一変した。舞踊も他の姉妹芸術とともに堂々と舞台に登場するようになったのである。崔承喜の舞踊は国内にかぎらず、文明を誇るフランス、ドイツなどでも熱烈に歓迎された」(金日成回顧録「世紀とともに」5巻、1994年、雄山閣)。

 朝鮮民主主義人民共和国の平壌では、今日から崔承喜生誕100周年記念行事が3日間にかけて行われます。平壌に駐在する本社記者によると、平壌大劇場では、崔承喜が創作した舞踊劇「砂道城の物語」が国立民族芸術団によって上演され、人民文化宮殿で開かれるシンポジウムでは、崔承喜の生涯、崔が築き上げた朝鮮民族舞踊の基礎、作品の特徴について、話し合われるとのことです。人民文化宮殿では、記念図書の出版記念式典、朝鮮舞踊芸術家と海外同胞芸術家との交流会も開かれます。この行事には日本からも朝鮮舞踊家たちが参加しています。

 100周年を記念して、朝鮮の人々は崔承喜の残した文化遺産をどのように継承しようとしているのか。また、この間発掘された新しい事実はどんなものだろうか。興味は尽きません。

 幼い子どもや学生向けに朝鮮舞踊を普及するため、崔が編んだ「朝鮮児童舞踊基本」(1963年)には彼女の言葉が次のように記されています。
 「舞踊の基本動作や作品を指導するにあたって、人体を自由に駆使できる能力のみを育ててはいけない。人間の行動は思想感情と不可分の関係を持っているだけに、重要なことは、内面的な精神世界が鮮明に発現されなければならない。…舞踊の作品指導において一律的に指導して枠にはめ込むのではなく、児童舞踊といえども彼らが持つ個性が発揚されなければならない」

 今、愛国烈士陵に眠る崔承喜は、朝鮮民族の精神を「舞踊」に託し、その造形美や律動は世紀を越えて受け継がれてきました。
 朝鮮舞踊の礎を築いた崔承喜に、舞踊家としても、指導者としても内外の大きな注目が集まっています。生誕100年を迎えて生きつづける舞踊家・崔承喜。来年1月号でより詳しくご紹介します。(瑛)

「在特会」のことなんか書きたくないんだ、本当は

2011-11-23 09:00:00 | (K)のブログ
 月刊イオ編集部がブログ「日刊イオ」を始めて2年と8ヵ月が経ち、回数も今日のブログで912回目となります。

 ブログを始めた理由は、月刊誌なので月刊イオ本家のホームページは基本的に月に1度の更新となり毎日更新できるブログがあればいいなと思ったことがひとつ。でも、これはあまり効果がありませんでした。

 理由のもう一つは、編集部の取材や編集作業の過程での出来事や日々考えていることなどをブログで伝えることで、読者の皆さんに少しでも月刊イオに対する親近感を持ってもらいたいということ。

 実際に始めてみると当初の思惑以外の効果があり、ブログをもって良かったと思っています。


 上に書いたように、日刊イオは編集部員の編集上の個人的なことがらを書くものとして考えていましたが、現実には、在日朝鮮人をとりまく政治的・社会的な問題を多く書くこととなりました。
 その代表的な例が「高校無償化」問題です。昨年の2月、この問題が浮上した時から繰り返し書かざるをえなくなりました。その他にも、朝・日関係のこと、そして「在特会」のことも。

 日刊イオで、日本社会の朝鮮人差別や排外主義的な問題などを取り上げ批判すると、普段よりもアクセス数が目に見えて増えます。最近では11月11日の「「在特会」に「殺す」と言われた」や11月18日の朝・日サッカーの「ブーイング」問題について書いた「スポーツと政治」の回がそうです。普段の3倍ほどのアクセスがありました。
 いろんな人たちがツイッターなどで紹介し拡散してくれるからで、アクセス数が増え、それまで日刊イオを知らなかった人たちが訪問し存在を知ってくれればうれしいことなのですが、何か釈然としないものを感じています。

 根本的には、朝鮮人差別や排外主義のような問題を書かなければならないのは悲しいことです。取材先での楽しい出会いのエピソードや大阪朝高ラグビー部の活躍のような、ホンワカとしたことだけを書いていたいものです。
 日刊イオをスタートさせたとき(2009年3月1日)から、日本社会の朝鮮や在日朝鮮人に対する感情や排外的な動きは悪化しているのではと思います。在特会が朝鮮学校を襲撃し、朝鮮人を殺すと言い、また最近は朝鮮学校を「児童の帰宅を確認後に爆破したい」とネット上で言っているようです。
 日刊イオでそういうことを書けば書くほど、レイシストたちが多くアクセスし、罵倒するようなコメントを残していきます。日本人の訪問者数がそのときだけ増えても、サッと引いて、何も好転しない。

 何か釈然としないものを感じると書きましたが、最近はちょっと怖さも感じていて、日刊イオで取り上げる内容を制限しようかということも頭によぎります。
 知り合いの在日朝鮮人の多くがツイッターにほとんど姿を現さなくなったり、政治的な発言をしなくなったのは、ネット上のオープンな場で飛び交う「反北朝鮮」「反朝鮮人」の言葉の数々に恐怖と諦めを感じているからなのではないかと思っています。


 今日は祝日で休みだから、日刊イオを見る人は少ないでしょうが、これからも可能な限り日刊イオを更新していきたいと思っています。今後もご愛読よろしくお願いします。(k)


マサラ・チャイ

2011-11-22 10:20:51 | (麗)のブログ
 イオ12月号の特集「在日外国人のエスニック・ビジネス」の取材で、(相)さんと一緒に訪れた江東区西葛西。
 今回、取材をした在日インド人のジャグモハン・S・チャンドラニさんが経営しているティーショップ「シャンティ」で、取材兼撮影を行いました。
 その時、私の準備が悪かったせいで写真がうまく撮れず、結局撮り直しをすることになってしまい、2度目の撮影の終わりに購入したのがこの「マサラ・チャイ」です。店頭にも多く並んであったのが目に留り、飲んでみたいと思い勇気を振り絞って購入。

 このチャイというお茶、「スパイシーなミルクティーのような味」といったら伝わるでしょうか。
 茶葉に香辛料を加えているため体が温まり冬には最適なお茶です。

 初めてチャイを飲んだ時は3年前、意外と遅い出会いでした。確か(愛)さんと一緒にお茶をしたときに初めて飲んだのですが、「こんなに美味しい飲み物があったなんて!」と顔には出さない程度で密かに感動した覚えがあります。

 味もそうですが、飲んだ後に体がぽかぽかするところもすごく気に入り、お洒落なコーヒー店にチャイがあれば迷わずそれを選びます。といういのも、チャイって言えば伝わるので(笑)。他のコーヒーは名前がお洒落すぎて何が何だか…、頼み方もいまいちわかりません。

 編集部へのお土産として持って帰りましたが、みなさん興味深々で飲んでくれました。

缶の中身です。減っている量を見ると、中々の売れ行きです。

 職場での私のデスクの位置が入り口のすぐ近くなので寒いので、そんな時は体が温まるお茶を飲んでしばしほっこりしています。(麗)

客観的に理解する

2011-11-21 09:00:00 | (里)のブログ
先週のサッカー朝・日戦が終わって、思ったことを書こうと思います。
試合結果は個人的にはうれしいものでした。
それとは別に、日本のメディアと一般市民があのように朝鮮に入国するのは今の朝・日関係を考えると異例なこと。
その分、とても意義のあることだったと思います。
先週土曜日の夜に放送されていたニュース番組で、朝鮮に取材に行ってきた日本のメディア関係者8人の中の一人が、
自身が見聞きした朝鮮のいろいろについて話していましたが、
私はその人のリポートに好感を持ちました。
簡単に言うと、「良くも悪くも言わない」、見たこと聞いたことそのままを淡々と報告していた感じでした。
移動の際、バスの中から見た平壌市内のようす(ローラーブレードを履いて滑っている子どもや、朝の通勤者を旗を旗を振りながら鼓舞する(?)女性たち…)、
宿泊した平壌高麗ホテルの美味しい食事、
試合中、「日本人サポーターたちを監視していた」と報じられていた朝鮮の軍人たちが、
試合のようすを食い入るように見つめている姿などなど。
番組はそれに付け加えて、朝鮮関連のニュース解説者が昨今の朝鮮の「建設ラッシュ」のことを話したり、
ファッションジャーナリストが金日成スタジアムで応援にあたっていた朝鮮の女性たちの「ファッションチェック」をしたり…といった内容でした。
最後、番組の司会者が「まぁ、北朝鮮は表に出る部分は良く見せようとしているんでしょうか」云々と、少々皮肉っぽく締めくくっていたのが残念でしたが、
他のテレビ番組よりはいくらか良心的というか、偏向的な報道ではなかったと思いました。


「良い悪い」は別問題として、日本の方々にはいわゆる「北朝鮮」を客観的に理解してもらいたい、そう願います。
メディアに大きな責任があるとは思いますが、一体どれくらいの方たちが、
「北朝鮮への想像力」を働かせられているでしょうか。
また、それが欠けていることを自覚されているでしょうか。
一方で、「拉致」「ミサイル」の国と恐れ、侮蔑する感情の方はどんどん大きくなって、
それがますます「北朝鮮」との距離を遠くする悪循環を生んでいて、とても残念だと思います。

例えば、朝鮮のあの迫力ある応援も、日本の多くのメディアでは「怖い」「殺気立っている」などと報じられていましたが、
朝鮮の応援文化のあらわれとして理解すれば、また違った見え方になると思うんです。
朝鮮の政治や経済の仕組み、社会と文化など、知らなければ語れない現象は他にもたくさんあります。

でも、今回のサッカー試合のような人と人との往来は、両国の間で何かを変えるきっかけを生む機会だと思います。
人と人が出会えば、何かが溶けて混じり合っていくというか、互いにまっすぐ「興味」を持つことによって
人々の背景にある歴史や社会の仕組みなどについて、誤解や偏見ではなく、正しい理解が進んでいくのではないでしょうか。(里)







温かポソン

2011-11-20 09:00:00 | (愛)のブログ
イオ12月号が完成し、そろそろ皆様のお手元にも届いたころだと思います。
(淑)さんも書いていましたが、今月の表紙は「ポソン」です。
表紙担当である任香淑先生から12月号は寒い時期だし、
ポソンでどうかなというお話があったとき、
いいですね~!!と二つ返事で決まった今月の表紙。
任香淑先生の手作りポソンはとってもかわいい仕上がりです(なんとポソン自体も手作りなんです!!)。

私は冬にはポソンを履いて過ごす、ポソン大好きっ娘です。
このブログを書いている今も、寒い部屋の中でポソンを履いて書いています。
長めのポソンから短めのものまで2足以上は持っています。
足が冷えるこの時期はポソンを履いて、寒さ対策!
中がフワフワモコモコしていて、これを履くだけで冬は大分違います。
ポソンはウリ民族のものということで、
色もウリ民族的な要素が取り入れられていたりして、形もかわいくて。
個人的にポソンというものがとても好きです。



冬はポソンを履いて、こたつで柚子茶を飲む。
これが健康を維持するための私の定番の冬の過ごし方です。(愛)

イオ、2012年に向け発進!

2011-11-19 09:00:00 | (淑)のブログ

 今年最後となる月刊イオ12月号が出来上がりました。
 12月号の特集は「在日外国人のエスニック・ビジネス」。今月号では、在日外国人に光を当て、彼・彼女らのビジネスがどのように行われているのか、どのような課題があるのかなど、現状を探りました。コリアン、中国人、インド人、ブラジル人と、4ヵ国の人々が登場し、いつも以上ににぎやかな誌面になっていると思います。
 そのほかにも北海道と埼玉で行われた学校創立記念イベントのようすや、広島医師会の朝鮮訪問、朝鮮大学校ラグビー部のルポなど、バラエティに富んだ内容でお送りします。
 2012年最後の表紙はポソン(朝鮮の靴下)。季節感のある配色で、とってもかわいらしいデザインに仕上がりました。12月号、ご愛読いただけたら幸いです。

 さて、イオ編集部は2012年に向けて始動しました。
 当ブログで何人か2012年の企画会議について書いていましたが、会議は概ね終わり、現在、ライター、デザイナーと、それぞれ担当別に製作に取り掛かっています。
 新米の私としては、なにせ初めての経験なもので、「新しいものをつくる」という仕事に、企画会議の段階からワクワクして、胸を躍らせていました。(諸先輩方いわく、新年号の〆切シーズンはいつも以上に忙殺されるそうですが、私は未経験なのでこのように能天気なことを言っています。(笑))
 現在、レイアウトの作成、取材対象探し、筆者選定、執筆依頼と、着々と進めています。その過程で、紙の上の企画が一つひとつ形づくられ、みるみる立体的になっていくのを日々実感として感じられます。あぁ、こうやって雑誌がつくられていくのだなと、編集者として新しい経験をさせてもらっています。
 思案中の企画については、いかにして実現可能か、試行錯誤中。読者の方々にきっと喜んでいただける、イオならではのスペシャルなものをお届けできるよう、情熱をもって取り組み、必ずや実現したいと思っています。
 また、2011年も、イオ最年長(?)の金正浩さんをはじめ、李英哲さん、作家の柳美里さん、ジャーナリストの豊田直巳さんなどなど…才能あふれるさまざまな方々の連載が誌面を彩ってくれていますが、2012年、新たなイオファミリーもお迎えします。あの人やこの人、早く皆さまにご紹介したい気持ちも山々ですが、それは来たる2012年のお楽しみ。
 2012年のイオを乞うご期待ください!(淑)

スポーツと政治

2011-11-18 09:00:00 | (相)のブログ
 火曜日のブログで(K)さんから、15日に平壌で行われたFIFAワールドカップブラジル大会アジア3次予選、朝鮮民主主義人民共和国対日本の試合について書いて、というリクエスト(?)を受けたので、書いてみたい。
 試合の結果はご存知の通り、朝鮮が日本に1-0で勝利。9月2日、埼玉スタジアムでの敗戦の雪辱を果たした。朝鮮は11日の対ウズベキスタン戦(アウェー)で負け、この試合が始まる前から3次予選突破の可能性は消えていたが、それでも自国のチームが勝ったことはうれしい。
 私の職場では、みながテレビの前で試合を観戦。ゴールの瞬間は思わず歓声を上げていた。私は、といえば、その直前にかかってきた自分宛の電話に応対していて、ゴールシーンを見逃してしまった(私のデスクはテレビを背にした位置にある)。

 そして、ここからが本題。
 今回の朝・日戦もサッカー以外のことが話題になった。国交がなく、関係がよくない両国の代表チーム間の試合なので、サッカー以外のことが話題に上ってもある意味仕方がないのだが、日本メディアの報道には看過できない問題が孕んでいたように思う。
 日本のメディアはサポーターや報道陣の入国制限、空港での入国審査の厳しさ、物品の没収、ホテルでの監視など、朝鮮側の対応のひどさと日本チームの「アウェー感」について書き立てていた。一方で、前回、日本での試合の際に朝鮮側が受けた待遇について言及した報道はほとんどなかった。朝鮮代表チーム一行は入国の人数を厳しく制限され、空港の入国審査では2時間以上足止めされ、トランクの中身を全部検められ、持ち込んだ食品も没収され、滞在中の行動も著しく制限され…。日本政府は選手団の入国は「特例」としつつ、これらの対応を「制裁」の名の下に正当化した。
 相手を無礼に扱っておいて、自分たちには礼を尽くせというのはあまりにも身勝手すぎる。もちろん、「やられたらやりかえせ」が正しいのか、という問題はあると思うが、元々朝鮮の入国審査は初めての人間に対しては厳しく、さらには国交が無い国に入国するということは簡単ではない。
 日本にとって平壌が「いまだかつてないほどのアウェー」だったことは確かだ。しかしなぜ、平壌がそこまでの「アウェー」になったのか。その背景にある問題を真面目に検証する報道がなかったのが残念でならない。

 そして、日本の国歌斉唱の際に沸き起こった激しいブーイング。その光景をテレビで見ていた私は一瞬ドキッとし、その後、悲しい気持ちになり、さらに後になっていろいろと考えた。
 「スポーツと政治は別物」「ルール違反、マナー違反だ」。その通りだろう。しかし、これを単にルールやマナーの問題で片付けてしまっていいのだろうか。試合の会場となった金日成スタジアムでは、国家斉唱の際は静粛にするよう事前のアナウンスがあったそうだ。にもかかわらずブーイングは起きた。係員の制止も効かなかったという。理由なきブーイングなどない。人々の偽らざる国民感情が噴出した5万人のブーイングの意味を考えずに、「こんな国はサッカーをやる資格などない」という批判を繰り返す一部のメディアやネット右翼には怒りがわいてくる。
 「スポーツを政治的に利用するな、スポーツに政治を持ち込むな」は正しい。しかし、スポーツとは草サッカーや草野球だけではない。国家代表チーム同士の対戦という国別対抗の形式をとる限り、サッカーというスポーツもまた国家やナショナリズムといった問題から自由ではない。自国の国旗を掲げ、国歌を歌い、自国の名前を連呼しながら応援することがすでにある種の政治性を帯びた行為になる。
 日本のサポーターやメディアの中で朝・日間の植民地支配を含む歴史の問題、そして今も続く朝鮮敵視や在日朝鮮人差別の問題が果たしてどれほど自覚されているだろうか。日の丸を見たり君が代を聞く朝鮮の人々が自分たちとは異なる感情や歴史的な背景を持っているという事実に真摯に向き合っているのだろうか。 外国で、それも自国との間に歴史的な問題が横たわる国で、国の看板を背負ってプレーするということ、そしてそのチームを応援するという行為が意味するものに少しでも自覚的であるべきだ、と私は思う。
 今回平壌に行ってきた日本人サポーターの中から一人でも朝・日間の歴史に目を向ける人が現れることを願ってやまない。

 日本ではとかくスポーツを「脱政治化」したがる傾向が強い。でもそれがあらゆる場面において正しいことなのか。競技それ自体に政治性はないが、スポーツをするのはあくまで人間であり、国家代表戦のように試合そのものが政治性を帯びる場合もある。朝・日戦のように、すでにさまざまな問題に取り囲まれているのに、それらを「政治的」だからという理由でネグレクトするのが果たしていいことなのか。
 国の看板を背負ってプレーしたり、国家代表チームを応援したりすることは、このようなやっかいな難問を引き受けることだと思う。私が鄭大世選手をはじめ在日同胞選手に感動を覚えるのは、彼らが朝鮮半島の北と南、そして日本の狭間に立ち、このような難問に真摯に相対しながら、サッカーというスポーツの可能性を信じプレーしているからだ。(相)

17年ぶりのウリハッキョ⑤見えてきた景色 

2011-11-17 09:00:00 | (瑛)のブログ

 このコラムを17年ぶりに…と名づけましたが、朝鮮学校の保護者になることで、学生時代とは違う景色が見えるようになりました。
 日本の学校と朝鮮学校の違いを一言で言うなら、やはり言葉ではないでしょうか。

 息子がハッキョに行きだしてから、わが家ではウリマル―朝鮮語が飛び交うようになりました。下の娘もオッパ(お兄ちゃん)が話すウリマルや歌を真似て楽しむのです。よく1年も経てば学校生活はほぼウリマルで送れるようになると聞いていましたが、一段ずつ着実に階段を登っている様子が見てとれます。

 とくに嬉しかったのは「옳지!(いいぞ)」「아차!(しまった!)」の単語が飛び出たときです。「아차!」は、台所でコップを落とした時のとっさの一言でした。考えて話すのではない、「自分のことば(―ウリマル)」を発する姿に言いようのない幸せを感じたものです。

 日本語に日本語固有の表現があるように、朝鮮語にも朝鮮語固有の表現があります。アイゴーのような直訳が難しい微妙なニュアンスを含んだ表現がそうです。日本語と朝鮮語―。2つの言葉の中で豊かな言語感覚が育まれていけば…と期待はますます膨らみます。

 以前、朝鮮学校の生徒数が減っていることをこのコラムで書いたことがありますが、私には、自分とは違う価値観や考え方をもって、日本の学校に通わせているコリアンの友人がいます。当初は「一緒にハッキョの保護者になりたかったなぁ」と寂しく思っていましたが、通わせる学校は違えど、共通する話題は多いことに気づき、時々会って話すことが刺激になっています。

 彼女たちは、日本の学校に通わせる一方、週末は朝鮮学校の課外授業に参加させたり、コミュニティの夏季学校で同胞のオリニたちと一緒に遊ばせています。朝鮮学校の教育に興味も持っています。ご存知の通り、日本の公教育の教育現場に、カナダのように母語(継承語)教育の空間は設けられていません(大阪、京都などの民族学級以外は)。だからこそ、彼女たちは日本の教育で満たせない部分を補うため、試行錯誤を重ねているのでしょう。同じ子どもを育てるオンマとして繋がっていたい、そう思っています。
 
 今後私は、20年近く「学校」に付き合っていきます。

 朝高の無償化問題は、日本に生まれ育つ子どもたちの母国語を学ぶ権利を侵害する差別問題ですが、その余波は地方自治体が朝鮮学校に支給する補助金の削減、という新たな問題を引き起こしています。補助金カットは、さまざまな形で朝鮮学校の教育環境を圧迫しています。果たして日本はアメリカンスクールにこのような仕打ちをするでしょうか。「朝鮮」を排除するシステムがこの日本には貫徹しているのです。

 朝鮮学校と日本社会―。学校の問題ひとつとっても、在日コリアンを取り巻く「大きなシステム」が現存しています。保護者に経済的負担を重く重くのしかけ、民族教育を受ける権利を阻んでいく日本のシステム。しかしこの中でも子どもたちは日々成長を遂げています。

 民族教育は続いている――。

 保護者になってから、私はこのことの「重み」をひしひしと受け止めるようになりました。(瑛)


大阪朝高ラグビー部、劇的逆転で3年連続全国大会へ!

2011-11-16 09:11:51 | (K)のブログ


 昨日、(麗)さんが大阪朝高ラグビー部について書いてしまいましたが、実際に競技場に駆けつけ試合を観たのは私なので、今日も続けて大阪朝高ラグビー部の活躍について書きたいと思います(平壌で行われている朝鮮対日本のサッカー戦についても書きたいと思ったのですが、まだ試合前なので)。以下、新鮮な気持ちでお読みください。


 13日の日曜日、大阪に行ってきました。
 花園ラグビー場で行われた第91回全国高校ラグビー大会の大阪府予選決勝に出場した大阪朝鮮高級学校ラグビー部を応援するためです。ちなみに大阪はラグビーが盛んで強豪校が多いなどの理由から、3校が全国大会に出場します。だからこの日の大阪府予選決勝も第1~第3まで3つの地区の決勝戦(3試合)が行われました。

 大阪朝高が出場したのは大阪府第1地区予選決勝。対戦相手は大阪桐蔭高校でした。大阪桐蔭は第1シード校で、前評判でも大阪桐蔭が有利ではないかと言われていました。さらに、3年生同士を比べれば、高校入学から3年間、大阪朝高は練習試合を含め大阪桐蔭に1度も勝ったことがありませんでした。
 試合前、大阪朝高の呉英吉監督も「実力は大阪桐蔭が上、しかし、気持ちでは絶対に負けない。われわれはチャレンジャー」と語っていました。

 大阪桐蔭は攻撃力が持ち味のチームです。対する大阪朝高はディフェンスのチーム。いかに相手の攻撃を止めるのかが試合のカギとなる、「大阪朝高伝統のタックルで相手を倒す」と監督やコーチは一致して語っていました。
 

 午前11時、試合が始まりました。


 試合が始まってすぐ、大阪朝高が主導権を握ります。敵陣に攻め込み波状攻撃をしかける大阪朝高。4分にキャプテンの洪泰一選手(左フランカー、3年)が中央にトライ。ゴールキックも決まって7―0とリードします。その後も攻撃を続けますが、あと少しのところで相手のディフェンスに阻まれ得点できません。トライを取れるチャンスがあったのを逃したことから、試合の流れが変わります。
 10分過ぎからは大阪桐蔭の攻撃が長く続きます。大阪朝高も粘り強く守りますが18分にトライを奪われ7-7の同点に。そしてその流れを相手は切らさず26分に追加点を奪われ、前半を7-12で終了します。

 後半開始早々、相手陣内深くに大阪朝高は攻め込みますが、朝高選手のパスを大阪桐蔭選手がインターセプトし90メートルを独走しトライ。7-19と大きくリードされてしまいます。
 白状しますと、私はこの段階で、ほぼ勝利をあきらめてしまいました。スミマセン。しかし、選手たちはまったくあきらめていませんでした。呉監督も後で話を聞くと、「まだまだ時間がたくさん残っていたので、まったく焦りはなかった」と語っていました。



 その通りに試合は展開していきます。
 そこからの朝鮮朝高の選手たちの気迫がすごかった。
 ハイパントなどキックを多用し、相手陣地へ殺到していきます。
 8分に洪泰一選手が左隅にトライし12-19。
 ほぼ敵陣で試合を進め猛攻をしかける大阪朝高。
 20分、モールを押して相手ゴールになだれ込む大阪朝高。
 そして21分、ラックから出たボールを右センターの高綜徳選手(3年)が左中間にトライ、17-19。
 
 その後も大阪朝高の攻撃が続きます。しかし、残り時間はどんどん少なくなっていきます。29分、場内アナウンスでロスタイムが2分であることが告げられました。
 ここからは、大阪朝高ラグビー部のホームページに掲載された試合内容についての文章を紹介します。
 「後半のロスタイムは2分。時計の針が30分にさしかかろうとした時、朝高のパスミスでボールが桐蔭に渡ってしまった。敵陣22mライン付近中央、桐蔭は時間を使うため連続してラックを形成する。朝高が気をつけなければならないのは焦りからくるペナルティ。しかし、焦っていたのは桐蔭のほうであった。桐蔭はマイボールを確保しようとするあまり、オーバーザトップの反則を犯す。ゴールほぼ正面。このPGを14番、康哲明が落ち着いて決め、ノーサイドかと思われたが、まだワンプレー残っていた。直後の桐蔭キックオフのボールは朝高選手の懐に吸い込まれ、ラック。そこから出たボールをSOがタッチに蹴りだし、ノーサイド。劇的な幕切れであった。」

 私も最後の最後にボールが大阪桐蔭に渡ったときは、もうだめだと思いました。しかし、あの時間にゴールほぼ正面で反則が出るとは、本当に驚きでした。

 試合終了のホイッスルがなった瞬間、歓喜する選手、ベンチ、観客、そして取材記者の私。

 終了直後のテレビのインタビューを受けた呉監督の両目から涙がこぼれていました。呉監督の涙を見るのは初めてです。現在のチームは、2、3月と3年生が怪我をするなど非常に苦労が多かったと語っていました。そして、どうしても昨年のチームと比べられ、選手たち自身も自信をなくしていた時期もあったといいます。しかし、「選手たちはひたむきにラグビーに取り組んできた。それが実った今日の勝利だった」と呉監督は語っていました。その思いが涙となったのでしょう。
 グランドでの記念撮影が終わった後、呉監督は選手一人ひとりを抱き寄せて選手を讃え喜びを表していました。これも初めて見る光景でした。

 これで大阪朝高は3年連続の全国大会出場です。激戦区大阪で3年連続は素晴らしい快挙だと思います。
 第91回全国高校ラグビー大会は12月27日から始まります。決勝戦は1月7日です。


 この原稿を書き、仕事で外に出ている間に、サッカーW杯予選、朝鮮民主主義人民共和国対日本の戦いは、朝鮮が1-0と勝利していました。私は前半だけ観て、後半、特に得点シーンを見ることができませんでした。
 この試合については(相)さんがこのブログで書いてくれることでしょう。(k)