日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

10月号の特集、元毎日新聞記者の西山太吉さんのインタビュー

2014-09-30 09:00:00 | (愛)のブログ
イオ10月号はお手元に届いたでしょうか?
今回の特集は「どこへゆくニッポン」です。
「戦争ができる国」作りを着々と進めるニッポン、日本社会全体の右傾化、集団的自衛権の閣議決定や侵略の歴史抹殺が消されていく現在の日本の未来を憂い、行動する人々の足取りを追う企画となっています。
この特集は様々な日本の方たちの声も掲載されています。

その中で個人的にぜひ読んでほしいのは、特定秘密保護法について聞いたインタビュー、元毎日新聞記者の西山太吉さんのインタビューです。
「情報犯罪と秘密国家の誕生~特定秘密保護法、問われるメディアの役割」


西山太吉さん、そう、「沖縄返還密約事件」という実際の起こった事件のご本人です。
「沖縄返還密約事件」は約40年前に実際に起こった事件で、沖縄返還の密約に潜む国家の欺瞞についてスクープするも、取材をめぐりッ国家公務員法違反容疑で逮捕、起訴された事件です。
その事件を題材にした山崎豊子の小説「運命の人」は大ヒット作になり、2012年にドラマにもなりました。
私も2012年にこのドラマを欠かさず見て、「沖縄返還密約事件」について知り、当時イオのブログにも書きました。
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/aed4f5948fc644341cf328805b18f172

デザインを組むうえで原稿を読みながら、国家の欺瞞を徹底的に暴き、長年闘ってきた西山太吉さんだからこそ発せられる、重い言葉の数々は胸にズシーンときました。


話しは少しそれて、先日、SNSでつながっている知人がまるで「木を見て森を見ず」の新聞記事をうのみにして、支持したいといった趣旨の投稿をしていました。(詳しくは控えます)
私は仲の良い知人だっただけに少なからずショックを受け、メディアの怖さを感じました。
しかし、その感覚は一般人に共通するものなのだと受け止め、月刊イオというメディアの中にいる自分を反省し、少しでもできることをして行こうと思います。
まずはその知人にイオ10月号を手渡そうと思っています。

イオ10月号の特集、ぜひ、読んでみてください。(愛)

国連・人権勧告の実現を!

2014-09-29 08:56:02 | (淑)のブログ


 昨日の28日、「9・28 国連・人権勧告の実現を!-すべての人に尊厳と人権を-」(主催=同実行委員会)と題する集会が、東京の芝公園で行われた。
 昨年来、日本の劣悪な人権状況について、国連の人種差別撤廃委員会、拷問禁止委員会、社会権規約委員会、自由権規約委員会などの人権条約機関から相次いで勧告が出されている。
 今年の7月には自由権規約委員会で日本審査があり、死刑制度、秘密保護法、ヘイトスピーチ、日本軍「慰安婦」問題などについて、多くの勧告が出され、さらに8月には人種差別撤廃委員会の審査で厳しい勧告が出された。ここでは、ヘイトスピーチ、ヘイトクライム規制、技能実習制度の改革、日本軍「慰安婦」問題のほかに、「高校無償化」からの朝鮮学校排除問題、補助金停止問題も言及された。にもかかわらず日本政府は、「勧告に従う義務がない」と無視を決め込んでいる。

 このような状況下で、さまざまな人権問題に取り組む団体が一堂に会し、日本政府に対し国連勧告の速やかな実施を訴えた。

 集会では、弁護士の海渡雄一さんと師岡康子さんが、自由権規約委員会勧告と人種差別撤廃委員会勧告の概要報告をそれぞれ行ったほか、東京経済大学の寺中誠さんが「日本政府は勧告遵守の義務がある」と題して発言。







 日本軍「慰安婦」問題や「高校無償化」、原発問題、移住労働問題、婚外子差別問題、在沖米軍基地問題などの問題に取り組む、各賛同団体の代表による発言がなされ、「ともに抑圧に立ち向かおう!」と、共闘をアピールした。

 集会後に参加者らは、芝公園から東京駅までデモ行進。休日で賑わう街中を、民族打楽器を打ち鳴らしながら、「日本政府は国連・人権勧告を順守せよ」「朝鮮学校だけ『無償化』制度から外すな」「沖縄に基地を押し付けるな!」「夫婦別姓を認めよ!」などのシュプレヒコールを叫んだ。
 集会の賛同団体には、全国各地の人権団体、約60が名を連ねる。多様な人々の声を真摯に受け止め、勧告の実現に向き合う姿勢が日本政府には求められている。(淑)







 
 

ブログを書き続けながら

2014-09-26 09:00:00 | (相)のブログ
 イオ編集部に配属されてから4年と2ヵ月。これまで編集部員として書き続けてきたブログ「日刊イオ」のエントリが先日、200本になった。正確に言うと、今回が203本目になる。
 これを機に、自分が書いてきた202本のエントリをざっと読み返してみた。読み返すだけだと面白くないので、どのようなテーマで書いてきたのかカテゴリー別に分類してみた。その結果がこちら。重複しているものもあるので、下記の数字の合計と記事の総数が合わないことを予めおことわりしておく。

 朝鮮半島(朝鮮民主主義人民共和国、韓国)関係 28
 各種時事・社会問題 11
 「無償化」、補助金など朝鮮学校差別問題 19
 在日朝鮮人、朝鮮学校の歴史 11
 国連人権勧告関係 6
 ヘイトスピーチ 4
 東日本大震災(原発事故含む) 21
 スポーツ 17
 各種展示会、イベントのレポート 19
 映画評 7
 書評 5
 イベント告知 4
 雑誌編集の裏話、取材のこぼれ話 18
 日常生活、趣味など私的ネタ 40

 意外といろんなテーマで書いているなぁ、というのが第一の感想。時期によって、書く内容にも特徴が見られた。初期は取材先でのこぼれ話や日常生活のあれこれについて書いていたが、2011年3月の東日本大震災以後は震災や原発事故関係の記事が多くなり、「高校無償化・就学支援金制度」からの朝鮮学校除外や補助金不交付といった問題が浮上してからは朝鮮学校に対する差別政策を批判するエントリが自然と増えた。
 今年に入ってからは映画評や書評、美術展などのレポートが多い。これは、雑誌の映画評や書評ページに載せる記事を書く前段階として、作品の内容や自分の感想をまとめておくという意味合いもある。
 やはり、と言うべきか、私たち在日朝鮮人をとりまく政治・社会問題についてのエントリが多い。印象に残っているものをいくつか紹介するするなら、「在特会」の朝鮮大学校前での街宣を批判した http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/d475315ac4201488c76f8958db9b9363 や、平壌で行われたサッカー朝・日戦について書いたこれ
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/b9d5f99d5058d5c2401ac6bd5d237f38 などだろうか。いずれもSNSで拡散されページのアクセス数が急増、一部で「プチ炎上」状態になったことを思い出す。
 往々にして、時間をかけて丁寧に書いたエントリより、勢いにまかせて短時間で仕上げたものの方がリアクションが大きかったりする。なぜだろう。
 日常生活や趣味などの私的ネタが全体の20%を占めているのも意外といえば意外だった(もっと少ないと思っていた)。どうしても書くネタが見つからない時は、日常のたわいもない話をつづったり、何のオチもない季節ネタやイベントの告知でお茶を濁すのだが、後で罪悪感に苛まれることも少なくない。
 
 これからも時に硬派に、時にゆるく書いていこうと思う。みなさま、ますますのご愛読を。(相)

りんごのおくりもの

2014-09-25 09:00:00 | (瑛)のブログ


 「りんごのおくりもの」(李錦玉作、朴民宜絵、朝鮮青年社)は好きな絵本のひとつで、先日、最寄りのハッキョの初級部(小学校)高学年生向けに読み聞かせをしてきた。

 20数名いるなかで、この絵本を知っていたのは2名だけ。約20年前に出版された絵本だから当然だろう。みんな静かに聴いてくれたが、感想はいかに。。。

 この物語は、なしの花のように美しいと評判のプニと、彼女に結婚を申し出た3人の男性の物語。プニは何の財産を持たない働き者のトルセと結婚することを決めたのだが、当時としては珍しい話だ。作者の李錦玉さんは、「昔の女性たちが自分の意志では望んでもかなえられなかった現実的な夢をプニィに託しているように思えてなりません」とつづっている。

 朝鮮には、貧しい娘が最後には王妃になるとか、苦労の末にお金持ちと結婚した、というオチの物語が多いし、他の国にもシンデレラや白雪姫に代表される同様の話は山ほどある。この類の物語が多くの少女たちの「幸せ観」を形作っているのは確かで、お姫様願望がこの社会で途切れないのも悲しいかな現実…。

 私たちの祖父母の時代は、結婚相手の顔も見ないで結婚を決めたというから、まだまだ、女性が自分自身の人生を切り開くまでには時間がかかるだろう。その点で、女の子たちがこの話をどう聞いたのか、いつか本音を聞いてみたい。

 今週、終わりを迎えるNHKの朝の連続ドラマ「花子のアン」では、カナダの作家・モンゴメリの小説「赤毛のアン」を翻訳し、日本に紹介した村岡花子と歌人・白蓮という二人の女性にスポットがあてられている。

 貧しい農家に育った花子に英語教育を施すチャンスを与えたのは、彼の父親だったし、日本が英米と戦争中に英語に携わっていた花子が「国賊」と攻撃された時代、彼女の翻訳を後押ししたのは、夫の英治だった。

 小さな可能性を育てていくのは、やはりその人の可能性を、性差や持つもので限定しない、まなざしだろう。小学生の頃に読みふけった「赤毛のアン」を再び手に取りたいと思っている。(瑛)

仁川アジア大会と釜山大会の思い出

2014-09-24 08:53:14 | (K)のブログ
 9月19日、仁川でのアジア大会が開幕しました。
 朝鮮の選手たちは、ウエイトリフティングで3つの金メダルを獲得するなど素晴らしい活躍を見せています。朝鮮選手団の今後の活躍が期待されます。

 今回、朝鮮民主主義人民共和国の応援団は参加できなくて残念でしたが、南の市民たちが「南北共同応援団」を組織し、連日会場で北の選手たちに大きな声援を送っています。朝鮮選手の活躍と南の市民たちの応援の模様は朝鮮新報のアジア大会特設サイトで紹介されています。
http://chosonsinbo.com/inchon/

 アジア大会が韓国で開かれるのは、2002年の釜山大会以来12年ぶりのことです。釜山アジア大会は記者として直接現場を取材しています。非常にハードな3週間でしたが、忘れられない取材現場の一つです。

 釜山大会では、女子のサッカー、卓球団体、マラソン女子のハム・ボンシル選手の優勝など朝鮮の選手たちが大活躍し、また、朝鮮の「美女応援団」も参加して大旋風を巻き起こしました。南の市民たちの歓迎ぶり、歓喜の姿はすさまじいものがありました。その時に撮影した写真の中から南の市民たちの応援の姿を何枚か紹介したいと思います。


大会の最初、北の選手たちを沿道で歓迎する市民たち


女子ソフトボール会場で北の選手たちを応援



応援席には、「祖国統一」「我らは一つ」というプラカードがいつも見られた


女子マラソンで優勝したハム・ボンシル選手を応援する市民たち


釜山港に停泊し、北の応援団の宿舎となっていたのは万景峰92号。大会が終わって出航する万景峰92号を統一旗で見送る


 2000年の6.15共同宣言から2年、北と南の関係が非常に良い時期でした。開会式で北と南の選手が統一旗を掲げて入場する姿、北のケ・スニさんと南のハ・ヒョンジュさんが一つの聖火をもって点火する姿、閉会式で北と南の選手たちが手を取り合い、語り合い、記念写真を撮り合う姿は忘れられません。

 釜山大会では、朝鮮民主主義人民共和国の記者という資格での取材でした。胸には朝鮮の国旗のワッペンをつけて取材していました。そうすると、「北から来た記者」ということで、私に対する南の市民たちの歓迎ぶりもたいへんで、応援席ではあちこちから握手を求められて、なかなか前に進めないということもしばしば。サインを求められることもありました。
 取材する立場なのに、南の記者から取材を受けることも何度かありました。実際に紙面に載ったのかどうかは知りませんが、一つだけ、私の手元に残っているものがあるので、紹介したいと思います。



 今見ると、やはり若いですね。残念なのは、私の名前が間違って掲載されていることです。

 あれからもう12年も経ったのかという感慨があり、この間、朝鮮半島情勢が大きく変わったことを実感せざるをえません。今回の仁川アジア大会が北南関係がより改善する大きなきっかけの一つになればと願っています。(k)


「板橋本」が好きだ!

2014-09-22 09:00:00 | (麗)のブログ
「これをしらなきゃ損をする! ベストオブ板橋 ・板橋に美味しいものあり! 」

本屋で「兎にも角にも板橋が好きだ!」という表紙が目に入り、この本を手にしました。
板橋区は某地域密着系都市型エンターテイメント番組にも度々紹介されていますが、こちらも負けていません!
「板橋屈指の名店、激戦区板橋のラーメン 、板橋お買い物指南、板橋の3大商店街を攻略せよ、板橋印の美食案内」などなど、まさにタイトルに相応しい「地域密着型本」となっています。

板橋区民の私にとっては、板橋がより知れるとあってかなり重宝しています。
が、雑誌に載っているお店や公園など、ほんの少ししか行けてません。
出不精なのでせっかくの休みの日にはこの本を参考に、どこかぶらっと出掛けたいものです。(麗)

待ちに待った

2014-09-19 09:00:00 | (理)のブログ
 待ちに待った秋到来! 芸術、読書、スポーツに関するイベントが多く開かれ、旬の美味しいものも盛りだくさんな楽しい季節ですね。唐突ですが私は太極拳を始めようと思っています。実は1ヶ月前にDVD付属の入門書を購入したのですが、なぜか自宅で手にした途端やる気が消えて、結局一度もやらないまま放置していたのでした。今日こそは、だらける身体に鞭打ってチャレンジしてみます。

 さて、こちらも待ちに待ったイオ10月号が完成しました! 

 特集は「どこへゆくニッポン」。日刊イオでも何度か紹介されている、フォトジャーナリスト・林典子さんのフォトエッセイが扉を飾ります。また、元毎日新聞の記者である西山太吉さんが特定秘密保護法と問われるメディアの役割について語ります。集団的自衛権閣議決定の問題や、日本各地で進む歴史抹消の動きも取り上げています。「戦争ができる国」に向かう日本社会の流れに抗して活動する、若い世代の人々も取材しました。

 特別企画は「ムジゲ会の20年」。在日同胞の障がい者とその家族たちによるムジゲ会は来年で結成20周年を迎えます。8月に行われたムジゲ会全国交流フェスタの模様や会長のインタビュー、朝鮮学校での障がい児受け入れの取り組みなどを紹介します。

 他にも、在特会を提訴した同胞女性の手記、平壌で開催されたプロレスリング・フェスティバルの様子と参加者のインタビューなどを掲載しています。すみからすみまで盛りだくさんなイオ10月号、ぜひお手にとってみて下さい。(理)

「ウリ民族フォーラム2014in長野」DVDが発売!

2014-09-18 09:00:00 | (愛)のブログ
「ウリ民族フォーラム2014in長野」のDVDがついにできあがり、私も実家に帰った際に受け取りました!
そして早速DVDプレーヤーにイン。
この連休期間に2回は見てしまいました。以下DVDを見た感想です。

ミラーボールがキラキラと舞う中で、長野ハッキョの長年の伝統であるチャンダンノリを卒業生、在学生らが威勢よく奏でるオープニングはDVDを通してみても圧巻で、思わずノリノリになります。
そして第1部の「受け継がれる精神と財産~長野民族教育45年~」ではテレビ画面いっぱいにどのように民族教育が長野の地で始まり、脈々と受け継がれ、現在に至るのかが語られます。
私は1部を会場に足を運んで直で見ても涙なしでは見ることができなかったのですが、DVDで見てもそれは同じでした。
そして民族教育の最前線で土台をつくり、守ってきた方たちの言葉が胸に重く、そして深く染み入ってきました。


「朝鮮人になるならばそれ位苦労しないと」
「どうせやるなら良い顏してやれ やりたくなかったら黙ってやめろ、」
「1世ならば、より1世らしく 活動して生きていかなければいけない」



「1世ならば、より1世らしく~」の言葉を遺してくれた方は民族フォーラムの余韻が残る8月末に他界されました。
私は1番この言葉が胸に響いてきました。この言葉に集約された1世たちの強い想い、そして実行に移した行動力、それらがあっていまの自分たちがいるということ。
民族教育の土台を築いてくれた1世のハラボジハルモニたちの強い想いを実践として在日朝鮮人3世らしく受け継いでいかなくてはと思わされました。

第2部は「どうするウリハッキョ~10年後を見据えて~」です。パネルディスカッションですが、これこそDVDでじっくり見るのに最適な、これからのウリハッキョについて考えさせる内容となっています。
奈良県同胞の訴えは見る人に切実に響いてきます。

第3部の「長野青商会の実践~メアリプロジェクト~」はこれからの未来を担うこどもたちの笑顔で溢れていました。「いつの時代も子どもたちの夢を実現してあげるのが大人の夢…」。新たな試みに子どもたちの無限の可能性を感じました。画面いっぱいに溢れる子どもたちのまぶしい笑顔を見ると、民族教育の強さをより実感します。
最後に長野ハッキョの全校生と保護者、フォーラム関係者、同胞たちによる合唱「長野同胞の誇り」は、1世たちが土台を築き、2世たちがより強く守り固めてきて、そして3、4世たちが民族教育の伝統を守り発展させていくという強い想いがこの歌に全て込められている、そんな印象を受けました。
観終わった後は1本の充実したドキュメンタリー映画を見たような、心に残り、感じ、考えさせる素晴らしい内容のDVDになっています。

その他爆笑CMも多数入っていて笑い泣きもできます♪

●DVD価格:2000円
●問い合わせは長野県青商会まで
FAX番号:0263-40-3681    メール kycnagano@gmail.com 


素晴らしい内容の「ウリ民族フォーラム2014in長野」のDVD、ぜひ購入して見てください!(愛)


120日間の平壌滞在を終えて

2014-09-17 08:38:45 | (淑)のブログ
 120日間の平壌駐在を終え、昨日からイオ編集部の通常業務に戻っています。
 4ヶ月、社会制度に始まり、仕事の進め方や取材対象、ライフスタイル、食生活に至るまで、もろもろの環境が日本でのそれとは大きく異なる中で生活していたため、今こうして東京にいるのがなんだか不思議です。心にぽっかりと穴が空いたような気がしている反面、フォローできていなかった日本における諸問題に向き合わなければ、と襟を正される思いでもあります。

 発つ前日まで取材や執筆、諸仕事でバタバタしていたため、最後まで日本に戻るという実感が湧かないまま、平壌を後にしました。この間、父と娘のように過ごし、多くの愛情を注いでくれたガイドのYさんとは、涙ではなく、笑顔で再会を約束することができてよかったです。

 ずっと目標にしていた朝鮮での記者活動でしたが、終えてみて、これが始まりに過ぎないと感じています。4ヶ月という期間は決して短くはありません。4ヶ月をかけて、知ったことはもちろんたくさんありますが、それ以上に、知らないことがたくさんあるということを実感させられました。
 工場や学校、農場、病院、市場、デパート、様々なレジャー施設、障がい者の施設などなど、たくさんの場所へ行ってたくさんの人と出会いましたが、本当の意味での人々の暮らしにはまだまだ距離があります。

 私が朝鮮に滞在していた期間は、5月のストックホルム合意をはじめ、日本による対朝鮮制裁の一部解除など、朝・日関係に具体的な動きのある時期でもありました。その流れに関連する、いくつかの取材にも恵まれました。人的往来に関しては、現在、制裁により8年間朝鮮への渡航が閉ざされていた、総聯の最高人民会議代議員らが訪朝中ですし、この間、100人以上の日本人が朝鮮を訪れました。私自身も日本に戻ってくる際、成田空港でトランクを開けられ、二三質問はされましたが、持ち帰ったものを取り上げられることはありませんでした(当然のことですが)。確実に良い風が吹いていることを実感できます。秋ごろに発表される特別調査委員会の第一回調査報告を受け、朝・日間が進展するのか否か、注目が集まります。

 一方で、今年初めから朝鮮は南朝鮮に対し、再三対話を呼びかけてきましたが、決裂したまま、仁川アジア大会は開幕を迎えようとしています。
 朝鮮代表の先発隊が平壌から仁川に向かう日、私も飛行場で見送りましたが、ある人は、初めて南の地を踏むことについて、喜びや感慨よりも「緊張する」と言っていました。北側が提案した応援団を送ることは叶いませんでしたが、約270人の朝鮮代表団の訪問により、北南間に少しでも緊張緩和の風穴が空くことを祈るばかりです。
 
 朝鮮半島を取り巻くさまざまな事象に「本国」で直接携わることができたことは、在日朝鮮人として大きな喜びでした。その機会を与えてくれた周囲に、本当に感謝しています。新しい目標もできました。
 ブログでは今後も折に触れて、平壌での四方山話を綴っていきたいと思います。(淑)

映画「NO」を観て

2014-09-16 09:04:04 | (相)のブログ
 この連休期間中、チリの映画『NO』(パブロ・ラライン監督、ガエル・ガルシア・ベルナル主演)を劇場で鑑賞した。非常に興味深く示唆に富む作品だったので、この場を借りて内容や感想などを書いてみたい。

 作品のあらすじは以下のとおり(映画の公式サイトより) 
 CMは世界を変えられるのか!? 若き広告マンが恐怖政治に挑んだ、政権打倒キャンペーンの行方は―。
 1988年南米チリ。長きにわたるアウグスト・ピノチェト将軍の軍事独裁政権に対する国際批判の高まりから、 信任延長の是非を問う国民投票の実施が決定。ピノチェト支持派「YES」と反対派「NO」両陣営による 1日15分のTVコマーシャルを展開する一大キャンペーン合戦が行われる。 「NO」陣営に雇われた広告マンは斬新かつユーモア溢れる大胆なアイデアで、支持派の強大な権力と対峙し メディア争いを繰り広げていくのだが…。 実話を元に、当時の映像とドラマが巧みに融合し交錯していく全編緊張感に貫かれた社会派エンターテインメント!


 チリでは1970年に初の選挙によって誕生した社会主義政権がその3年後、軍部のクーデターによってピノチェト軍事政権に取って代わられた。米国の支援をバックにした独裁政権は長期にわたり続き、反対勢力に対する弾圧はし烈を極めた。
 そんなピノチェト退陣の引き金となったのが、88年に行われた国民投票だった。この投票は、大統領の任期満了を迎えるピノチェトがさらに8年の任期延長をする是非を問うもので、賛成派は「YES」、反対派は「NO」の投票をすることになっていた。本作は、市井の人々が投票で独裁政権に「NO」を突きつけるようになるまでの過程を、広告による「プロパガンダ戦争」という視点から描いたものだといえよう。

 「NO」派のキャンペーン映像の製作を依頼された主人公の若き広告マン、レネ(ガエル・ガルシア・ベルナル)は、政権による拷問や弾圧の被害を訴える当初の映像に対して、「暗い話など誰も見たがらない」とダメ出し。代わりに彼が作った映像は、歌やダンスで未来の明るさをアピールする内容だった。「NO」派の幹部たちからは「コカコーラの広告」「現状を肯定して政権を利するもの」などと批判される。
 かれらはそもそも自分たちは勝てないと踏んでいた。「勝つ可能性はほぼゼロだが、人々を啓蒙することには意味がある」という発言も飛び出す。「声をあげても無駄」というあきらめ、旧態依然とした運動―。そんな逆境にも負けずに主人公は「やり方次第では勝てる」と、広告のPR手法を活用した、従来の常識を覆す戦略に打って出る。「現政権がいかに酷いか」を訴えるより、人々の笑顔とユーモアに満ちたポップな映像を通じて「未来への希望」をうたい上げたのだ。わかりやすいメロディラインのCMソングやカラフルなシンボルマークなど現在から見れば珍しくもない手法だが、当時のチりでは斬新なアイディアだったのだろう。当初、味方からも反発を受けたキャンペーンは次第に人々の心をとらえていく。「CM放送など誰も見ない」と高をくくっていた「YES」陣営も似たような映像を使い始める場面が笑いを誘う。「NO」陣営にはさまざまな脅しがかけられるが、勢いは止まらない。結果は、「YES」44%、「NO」56%で、「NO」陣営の勝利に終わる。

 あきらめの空気にとらわれていたサイレントマジョリティが「ノー・モア・ピノチェト!」の声を挙げ始める過程がドキュメンタリー風に語られていく本作。88年当時の臨場感を出すために、あえてその時代の撮影機材を使用し、当時の映像も挿入するなど監督のこだわりが随所に垣間見えた。
 このキャンペーン手法が正しかったのかについてはさまざまな見解があるかもしれないが、時代の空気をつかんだことは確かだと思う。結局ピノチェトはこの国民投票で敗北し、その後、チリを追われることになる。実際は広告キャンペーンだけで勝ったのではなく、地道な運動あってこその勝利であり、その後もチリの政治の紆余曲折は続くのだが、それらの事実を踏まえてもなお、この映画で描かれている運動のあり方は多くの示唆に富んでいる。と同時に、政治宣伝の怖さも実感できた。(相)

朝日バッシング

2014-09-12 09:00:00 | (瑛)のブログ
 朝日新聞へのすさまじい攻撃が続いている。

 ことの発端は、朝日新聞が発表した「吉田発言の撤回」だ。「吉田発言」とは、戦時中に山口県労務報国会下関支部の動員部長だったと語る吉田清治氏(故人)が、日本の植民地だった朝鮮の済州道で、「慰安婦」にするため女性を暴力的に無理やり連れ出したと講演や著書で証言したことを指す。朝日新聞は、吉田氏の発言を記事やコラムで取り上げてきたが、1997年に「真偽は確認できない」との記事を掲載し、今年8月5日には「慰安婦問題を考える」という特集を組み、再取材の結果、「証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します」とした。

 「吉田発言」の撤回後、官民あげてのバッシングが始まった。自民党の国会議員はもちろん、菅官房長官にいたっては、5日午前の記者会見で、日本政府に対して元日本軍「慰安婦」への謝罪や賠償を求めた国連人権委員会の「クマラスワミ報告」について、「その報告書の一部が、先般、朝日新聞が取り消した記事の内容に影響を受けていることは間違いないと思う。わが国としては強制連行を証明する客観資料は確認されていないと思う」とのべた。

 誤報は訂正されるべきだが、性奴隷問題の否定に朝日新聞の「吉田発言撤回」がまんまと利用されている。安倍政権が得意とする「問題のすり替え」が、じわじわと世論に浸透し、「朝日が日本を貶めた」かの様相だ。

 しかし、日本政府がただの一度でも、朝鮮の女性たちを性奴隷にしたことを、みずから反省し、調査したことがあっただろうか。日本政府は、敗戦後半世紀近くもこの問題への関与を否定し続けた。この問題に光をあてたのは他でもない、当の被害者たちだったことを今一度、想起したい。

「民間業者が従軍慰安婦を軍とともに連れ歩いた」(1991年6月6日、労働省局長、参議院予算委員会)との発言を聞いた韓国在住の金学順さん(故人)は、同年8月に日本軍「慰安婦」だったことを名乗り出た。被害者の勇気ある訴えがこの問題を大きく動かしたのだ。その後、国内外から非難が続出するや、日本政府は官房長官談話で政府の関与を認める(92年7月)に至り、93年8月の「河野談話」で、慰安所の設置や管理、「慰安婦」の移送に「旧日本軍が直接、あるいは間接に関与した」と認めた。

 国連からもクマラスワミ特別報告官らが直接日本に足を運び「日本軍性奴隷制度」という言葉が国連の正式用語となり、日本政府に賠償、謝罪を求める勧告が出されたが、日本政府は1995年に民間基金を発足させただけで、国家、法的責任は果たしていない。朝鮮民主主義人民共和国に暮らす被害者にいたっては証言の聞き取りすらしなかった。

河野談話が生んだ民間基金は、日本政府の法的、国家的な責任を回避する不十分なものだったが、それでもこの「談話」や基金は、日本政府が被害者の声を受け止め、やっとたどり着いた「到達点」だった。

 胸にとどめるべきは、被害者が声をあげなければ、世界にこの問題が知られることはなかったという事実だ。

 今年に入ってイオで始めた連載「日本軍『慰安婦』の肖像」では、来週発刊される10月号まで含めると、20人の女性の証言が載っている。朝日バッシングとともに、思い出したくもない過去を語り続ける被害女性への圧力も増している。

 性奴隷被害の全貌を明かすべき責任は、一にも二にも、日本政府にある。それは、当時の日本政府と日本軍が慰安所の設置を発案し、設置に直接関わり、多くのアジア女性の人生をむちゃくちゃにしたからだ。

 週刊新潮や週刊文春に加え、大手新聞までもが鬼の首を取ったかのように「朝日叩き」に加わる日本。マスメディアは権力と一体となり、侵略の過去をないものにしようとしている。(瑛) 

斬新な企画がほしい

2014-09-11 09:00:00 | (K)のブログ
 昨日で月刊イオの10月号の作業が終わり、終わったからといって安心できませんが、後は、印刷・製本を経て、雑誌が出来るのを待つだけです(実は、雑誌が完成したからといっても安心できません)。

 今日から本格的に、11月号の作業、そして来年度の企画を作っていく作業が始まります。新たな年度の新たな雑誌を作っていくという、月刊誌制作においてもっとも大切な作業を、もう何回繰り返してきたのかと思います。
 よく、「企画を考えるのはたいへんでしょう?」と言われますが、確かにたいへんです。画期的な企画というのはそうそう出てくるものではなく、多くは過去の企画を手を変え品を変え繰り返していると言ってもいいのではないでしょうか。


 数日前に家の食器棚から、写真のどんぶり?が出てきました。これは私が唯一、自分で作った陶器で、都内の陶芸のできるところに2~3日行って作ったものです。20年以上前のことです。
 個人としてプライベートタイムに作ったのではなく、某雑誌の編集部にいた時に、雑誌の企画として作ったどんぶりです。「体験シリーズ」のような企画を立てて実現させたのですが、「一度陶芸をやってみたい」というような超個人的な考えから立てた企画だったということを覚えています。
 けっこういい加減に企画が立てられる場合があるということです。


 1ヵ月ほど前から、右肩の付け根と右腕の痛みが出てきています。五十肩なのでしょうか、1年ぶりに再発してしまいました。また、病院に通うことになりそうです。
 痛みに耐えながら、斬新な企画を考えたいと思っています。(k)

漫画を貸す楽しみ

2014-09-10 09:00:59 | (麗)のブログ
今日は10月号の締切日です。
早いものでもう9月になり、気温もぐっと涼しくなりました。

話は変わって最近、後輩によく漫画を貸しています。
日刊イオでも漫画の紹介しました。(といっても、2作しか紹介していませんが…)

貸す時に、どういうジャンルがいいかを聞いてから渡すようにしています。

そして、家に帰って漫画を読み返しながら、貸す本を選ぶという作業、この時間が楽しいということに気付きました。

あまり知られていない作品を貸し、どういう反応や感想が来るのかを待つのも楽しみのひとつ。

で、ついつい何時間も読みふけってしまったり。

「(麗)さんの持ってる漫画はマイナーなものばかり」と言われた事もありますが、メジャーな漫画だけが漫画じゃないぞ!
と、声を大にして言いたいです。(日本で発売している全ての漫画を知っているという訳ではありませんが…)

ここでもまた漫画の紹介をしていきたいですが、皆さんの忘れた頃にやりたいと思います。笑(麗)

私の好きな詩

2014-09-05 09:00:00 | (理)のブログ
 一昨日、東京都・文京シビックセンターで開かれた文化公演「リムジン江物語」を観覧してきました。内容は、朝鮮新報でも紹介されていたのでぜひご参照ください。
http://chosonsinbo.com/jp/2014/09/04rn/

 「リムジン江物語」というだけあって、公演ではさまざまな「リムジン江」が披露されました。録音された貴重な音源、ピアノ、弦楽器4重奏、ソプラノ独唱、男声重唱、オペラバージョンにアコースティック調…。優に10回は演奏されたでしょうか。しかしそれぞれ異なる音色や歌い方があって、飽きることなく楽しめました。

 公演の中で心に残った演目は、同胞男性コーラスグループ・アエによる「아이들아 이것이 우리 학교다」(子どもたちよ、これがウリハッキョだ)でした。温かいコーラスを聴きながら、朝鮮大学校の授業で感じたことが思い出されました。この歌はもともと、同名の詩をもとに作られたものです。

 私は「話術」の授業でこの詩の読み方を習いました。最後に暗誦の試験があったため、何度も声に出して練習しました。

 詩には「아이들아/이것이 우리 학교다」という言葉が最初と最後の連に2度登場します。1度目は、ボロボロの校舎や机、また朝鮮学校閉鎖令によって踏みにじられたことなどをあげ、子どもたちに対する哀れみと深い悲しみがこめられています。しかし2度目では、それでもカバンを背負って堂々と登校してくる子どもたちの姿から希望を見出し、この場所こそが日本で祖国を教える唯一の学校なのだという誇りと喜びに変わります。

 詩を一行一行たどりながら声に出して読むことで、子どもたちを見つめる詩人の気持ちがそのまま伝わってくるような気がしました。暗誦試験の本番では、胸が詰まって泣きそうになったことを覚えています。

 冒頭の公演。たまたま当日に招待券をいただいたのですが、素敵な音楽に癒されただけでなく温かい気持ちも呼び起こされて、とても嬉しいサプライズとなりました。(理)

「ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界」に行ってきました!

2014-09-04 09:00:00 | (愛)のブログ
先日、会期ぎりぎりで東京・六本木の森美術館で開催中の「ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界」(5月31日~8月31日)に行ってきました!
以前(相)さんがブログでも書いていた展示会です。
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/27d98e4a3f71c560ed33df85432e60a6

詳しい内容は(相)さんのブログを見てもらえればと思いますが、
感じて、考えさせられ、自分も刺激をもらった素晴らしい展示会でした!

今回この展示会をみて、この世界で一番強いのは子どもかも知れないなと思わされました。
子どものもつ、無限のちから、可能性をまざまざと見せられた感じです。

個人的には以前より好きな奈良美智さんの作品も3つあり、どれも素晴らしく思わずポストカードを買ってしまいました。
一番のお気に入りはタイトル「おたふく風邪」です。
うるむような目に、弱さを感じつつも、どこか挑むような強さとに、思わず抱きしめたくなるような愛らしさを感じました。
帰ってから、メールでこの絵かわいいでしょ?と姉に聞くと、可愛くはない、と一蹴されてしまいましたが(笑)、私は気に入っています。

次は名古屋で開催が予定されているそうです。名古屋近辺に住んでいる方はぜひ行ってみてはいかがでしょうか?
きっと感じ取れるものがたくさんあると思います。(愛)