徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

映画 「 決算 ! 忠臣蔵 」

2019年11月29日 12時25分18秒 | 映画・社会

今までの忠臣蔵の映画にはなかった発想で、当時の価格を現在の価格に換算して、予算内にどうして収めるかを考えさせる映画です。

さて、忠臣蔵の討ち入りには、どれだけかかったのか、そしてその工面はどうしたのか、予算内に上手く収まったのでしょうか・・・

                            以下 一部ネタバレがあります。

  

 

まず最初から蕎麦屋のシーンから始まります。
この当時、どこの蕎麦屋もそば1杯は16文で現在の価格では480円とすると1文は30円となると・・・

そして、映画の冒頭は、浅野内匠頭(阿部サダオ)が火事場の消火訓練で筆頭家老の大石内蔵助(堤 真一)に消化活動も戦争であると説いています。

その10年後、あの松の廊下の事件が起こります。
即刻切腹させられ、おまけにお家断絶、領地没収の沙汰となり、つまり赤穂藩は実質 ”倒産” となります。

  
  開城か戰かで紛糾している間も役方は・・・   大石と大高源吾(濱田岳)

そこで、多くの赤穂浪士の映画でもある通り、番方(武官)と役方(文官)との争いが起こります
その中にあって大石を中心の穏健派は、幕府にとりなしを頼みお家再興を図ろうと親戚筋の大垣藩や広島藩や、寺の住職(桂文珍)などに依頼しますが・・・

一方、役方は、割賦金(退職金)捻出に奔走していました。
特に役方の矢頭長助(岡村隆史)は、”武士はそろばんが出来なければでくの坊”だと自分の仕事に自信を持っていました。

家来たちの中には、開城すれば、割賦金は現在の金額で180万+1年の給与、城を枕に戦えば20万だと知らされます。 映画では、江戸時代の価格と現在の金額が表示されます。
多くの金額表示は、現在の価格と併記して表示されます。

話は、お家再興を願ったにもかかわらず、親戚筋や和尚の怠慢で内匠頭の弟浅野大学は蟄居されお家再興の望みが断たれ大石は吉良を討つことを決心します。

  討ち入り装束は、
   浅野家が誇る火事装束、 この装束に決まるまでは紛糾・・・

 

次に起こる問題は、”残務整理”、そして残金から討ち入りまでの日数と人数が多すぎることから人数を減らすことをはなります。
”リストラ”が図られ、残金に見合う人数に絞ります。

当初、討ち入りを翌年の3月14日の命日でしたが、吉良の在宅が前年の12月14日と判明したため急きょ12月14日に決めたということで、これらは、今までの忠臣蔵にはない内容となっています。

討ち入りの ” 図上演習 ” が行われます。
これには、馬回り役、軍師の菅谷半之亟(妻夫木 聡)が討ち入りの作戦を全員に指示します。

   
      図上演習 作戦会議 仕切るは菅谷半次郎    瑶泉院 この人もお金に厳しい 



討ち入りに不足金は、浅野内匠頭の正妻瑶泉院(石原さとみ)の持参金を借用し、それがひと悶着あり、今までの瑶泉院のイメージとは全く違うというのもこの映画の特色なのでしょう。

さて、色々紆余曲折があり、最後の武士の本懐を達成するためにどれだけの費用がかかり、予算通りに収まったのでしょうか・・・

どちらにしても、この映画の視点は、今までにない構成で、時代劇の言葉使いではなく大阪弁?的もあり、武士の言葉ではなく、少々違和感があるが、今後の時代劇のあり方なのでしょうか・・・

 


温泉めぐりの旅 -その5- 上田城址

2019年11月25日 14時28分00秒 | 旅行・観光

万座温泉をあとにして、嬬恋高原を通り、群馬県は一旦出て長野県上田城址見学に出かけました。

 

 
       南 櫓            東虎口櫓門          北 櫓 


上田城址は真田昌幸によって築城され、第1次、2次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城で有名です。

 訪れる前までは、このお城の印象は、天守閣もなく、櫓と若干の堀が残っている程度と思っていました。

  
  西 櫓                     東虎口櫓門には・・・

  
   真田石              真田井戸
  東虎口櫓門右手にある大石   真田神社の境内にある井戸  この井戸は抜け穴で城北
  松代城に移封にあたり父・   の太郎山麓の砦に通じていたとか・・・                 
  昌幸の形見として持っていこう
  としたところ、微動だにしなか
  ったという言い伝えが残ってい
  ます。

  真 田 神 社 

確かに、明治維新後、西櫓1基を残しその他の櫓・櫓門は取り払われました。
その後、場外に移築されていた2基の櫓は買い戻され、昭和18年(1943)から24年にかけて現在の南櫓・北櫓として再移築され、平成6年(1994)には東虎口櫓門が復元されました。

  
  東虎口櫓門の上 南北の櫓を繋いでいます。   隅おとし 
                         本丸に見られる上田城の特徴の一つ
                          で、鬼門にあたることから、本丸北東
                          の方向の土塁を切り込み「鬼門よけ」
                          としたものです。

この上田城の別名は「尼ケ淵城」とも呼ばれています。
上田城の南側の崖下にはかっての千曲川の分流があり天然の堀となっていました。
崖面がもろく崩れやすいことから築城以来保護対策が行われ、大規模な石垣が設置されており、ここを尼ケ淵と呼ばれていたことからここの名前が城の別名になったそうです。

 

      
    正保四年(1647年)の古図          尼ヶ淵あたり・・・


温泉めぐりの旅 ーその4ー  万座温泉から嬬恋高原を・・・

2019年11月20日 19時23分42秒 | 旅行・観光

万座温泉は、群馬県吾妻郡嬬恋村(つまこいむら)にある上信越高原国立公園内の標高1800mにあります。

日本最高所の温泉の一つです。
白濁、または黄濁した湯が特徴で硫黄成分の含有量が日本一だそうです。

   
  真ん中の黄色部分は嬬恋村 中に万座温泉が・・・              万座温泉の源泉 


草津白根山山麓にあり、冬はスキー客でにぎわい、1年を通じて以前から湯治客がにぎわっていました。

温泉街といっても旅館・ホテルが7軒ありますが、コンビニがなく、各宿泊施設の売店しかありません。
少々寂しい感がしますが、それでもスキーに関する映画の撮影があったので、知る人ぞ知るスキー場だそうです。

 効用として、消化器系、内臓系、糖尿病などに良く効くとのこと、さらに関節痛やリユーマチにも良いとか。

さて、上田城へ、嬬恋(つまこい)高原を通り、長野県上田市にむかいました。

この嬬恋高原の嬬恋村は、東に草津町、西、南、北の三方は長野県に接しています。
嬬恋の名前の由来は、日本武尊と愛妻「弟橘姫(おとたちばなひめ)」と間のロマンスに満ちた伝説に由来するものです。

日本武尊が東征の帰路、今の鳥居峠を越える時に亡き妻の追慕のあまり「吾嬬者耶(あづまはや)」(ああ、我妻よ、恋しい」と嘆いた故事にに因んで嬬恋村と名づけられてと言われています。

  
           キャベツ畑 と 愛妻の丘の表示    上記全ての写真はネット検索から引用しました

この嬬恋高原はキャベツの産地として有名で、「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ」ということでも有名です。

さて、次回は上田城を・・・そこから最終の目的地、草津温泉へ


温泉巡りの旅 -その3- 吾妻渓谷から万座温泉へ

2019年11月11日 15時32分52秒 | 旅行・観光

水沢寺を後にして、一路吾妻渓谷(あがつまけいこく)にむかいました。
この吾妻渓谷の上流にはあの話題の八ッ場ダムがあります。

八ッ場ダムは利根川の主要な支流である吾妻川の中流部に建設された多目的ダムです。

 
   吾妻渓谷周辺図             猿橋建設予定地との記載は昨年に竣工しました
               なお、紅葉台から猿橋間を八丁暗がりといい国指定名勝となっています


このダムについては後に記しますが、まずこの吾妻川にある吾妻渓谷を訪れました。
群馬県吾妻郡を流れる吾妻川の渓谷で、渓谷中で最も川幅が狭まった八丁暗がり付近を特に吾妻峡と呼んでおり、国指定名勝とされています。
約3.5Kmにわたる渓谷で、大昔に火山が噴出した溶岩を、川水が深く浸食してできたものと考えられています。

  
      猿  橋       

 
猿橋を渡って旧JR吾妻線沿いの国道145号線に出て、樽沢トンネルの先から渓谷に降ります。
そのから急な坂になり、鹿飛橋にでます。 
ここから、台風の前は水量もあまりなかったとのことですが、V字型の川の流れは音を立てて水量も多く少し濁った色の水が勢いよく流れていました。
我々はここから引き返しました。

  

  
   紅葉が少し進んでいるようです           鹿飛橋

 
八ッ場ダム建設に伴い線路をつけ替え、この145号線沿いのJR吾妻線岩島駅と長野原草津口駅間を、今後取り除かれることになるようです。
ここの樽沢トンネルは、日本一短いトンネルとして有名で、全長7.2mで水没区域外で水没は免れていますが新線付け替えに伴い用途廃止となりました。 
ちなみに、樽沢トンネルに代わる、今の日本一の短いトンネルは、JR西日本の呉線 川尻トンネルの8.7mです。

 

 

 

この八ッ場ダムの建設は半世紀にわたる建設の可否が問題にされていました。
吾妻渓谷はこの八ッ場ダムの建設で多くの自然破壊が取りざたされ、地元の猛反対でともかく残すことが出来たということです。

そして、1時は政権の交代によって建設が中止されていましたが、今の政権によってふたたび建設され、先日の19号の台風による大雨でこのダムが洪水を防いだと言われています。

このダムは来年2020年に本格稼働の予定だったもので、今年の10月1日から安全性を確認するための試験が開始したところでダムには水がほとんどなかった状態だったそうです。

今回は全く放流していないこともあって大きな治水効果を発揮したことは事実でしょう。
しかし、それも1つの施設だけで利根川の洪水を防いだとは言えないという意見もあり、今後の慎重な検討調査が必要なようです。

  車中から八ッ場ダムの一部

 八ッ場ダムを後にして、2泊目の万座温泉にむかいました。

 


武庫川コスモス園 今が見ごろ

2019年11月04日 16時48分37秒 | 独り言・社会・ニュース

いよいよ秋本番となり、朝晩は肌寒く、昼間は凌ぎよい季節になりました。

毎年、この頃になると、武庫川の河川敷は、コスモスが満開になり、多くの見学客が訪れます。

 

ここは、以前も紹介しましたが、昔、「髭の渡し」と呼ばれ、武庫川を渡る要所として利用されたところですが、阪神・淡路大震災以降、不法投棄や生い茂る雑草で荒れ果てていた河川敷でした。

ここをきれいにしたいという地元の人が、「髭の渡し花咲き会」を結成し、整地、除草、種まき等努力を重ねてきました。

平成15年(2003年)から始まり、今年で16年経ち、550万本のコスモスも多くの人の援助もあり、近隣からも多くの人が訪れています。

  

  
 
  

  


温泉めぐりの旅 ーその2ー 万座温泉への路 NO.1

2019年11月03日 10時06分29秒 | 旅行・観光

伊香保温泉から万座温泉への途中、榛名湖、水沢寺、吾妻渓谷を見学しました。
今回は榛名湖と水沢寺を紹介します。

  今回、旅行の主な訪問地
                  
 (上記の地図内で群馬まいたけセンターだけ訪問していません)

榛名湖へは、伊香保温泉から車で約10分程で到着します。
残念ながら濃霧が立ち込め本来なら見える榛名山どころか湖水が見えません。

 榛名山は群馬県内上毛三山の一つです。 上毛とは上毛野の略で旧国名の上野国のこと。
上毛三山とは、榛名山、赤城山、妙義山のことで榛名湖はカルデラ湖で水系は利根川に通じています。

この利根川が先の台風の大雨で氾濫しなかった理由などを次回の吾妻渓谷で説明します。

  

  

   霧に囲まれた榛名湖 幻想的な風景でこれもまた趣があり良かった。 ここでも紅葉が・・・  

    ☆     ☆     ☆

次の水沢寺は坂東三十三ヶ所の代十六番目の札所で十一面千手観音がご本尊です。
1300年の歴史を持ち、水沢観音として県内のパワースポットとして親しまれています。

      

                        本  堂  

ユニークなのは、本堂の隣にある六角二重塔(輪蔵)です。
六地蔵と大日如来が安置され県指定の重要文化財で、回転する地蔵尊が祀ったあります。
人力で回しています。 左回りに3回転させると願いが叶うとされています。

 

  
  六角二重塔  六道とは地獄道、飢餓道、畜生道、修羅道、人間界、天人界だそうです。

 

       本堂と六角二重塔      

多くの人が何を願っているのか、3回転すると次の人に代わっていました。
周りはうっそうとした林のなかで、静かさのなかお詣りする人々の熱気が伝わってきます。

この水沢寺は海抜1194mです。 なお 榛名湖は1084m。 ちなみに榛名山は1449mです。

 

ここから、吾妻渓谷のむかい、次回はこの吾妻渓谷とその周りに起こっている出来事を伝えます。